第23話:ある冬の夜の夢

 時は遡り―――。

 大公園に到着したゴトーは早速仕事道具を開いて作業を開始する。


 今にして思えば仕事道具を会場に持って行き、そこで作業を行えば良かった事だろう。

 だが会場には大勢の出入りがあり、そこで集中して作業できるかどうかは疑問である。


 更にゴトーは種付けおじさんだ。

 極端な話、スタッフにリンチされたとしても殴り返せない。

 もしも暴力を振るってしまえば、警察がゴトーと、それを庇おうとする種付けおじさん達を駆除する事だろう。


 種付けおじさんには正当防衛という文字は存在していない。

 だからゴトーは、意識の外から突然鉄パイプが自身の頭に振り下ろされても、何も反応できなかった。


 頭への激痛、揺れる視界、回る世界、白い光と赤いフィルター。

 それでも体を丸めて手に持っていた衣装が汚れないように守ったのは、彼の魂に染み込んだプロ意識のなせる業だったのだろう。


 こみ上げる吐き気を飲み込み、周囲を見渡す。

 木々の陰から何人もの青年達が、各々に獲物を持って詰め寄ってきていた。


 何故という疑問を捨て置き、この場から逃げようと足に力を入れるも、最初の一撃があまりに重かったせいで真っ直ぐに立つ事が困難であった。


 それでも種付けおじさんの肉体能力ならば、殴られ続けられても走り続ければ逃げられるはずだった。


 ゴトーは両手で抱きかかえている衣装を見る。

 調整そのものは終わった、あとはこれを届ければいいだけ。

 だが……今、この状態で走ればこの衣装がどうなるか?


 自分の血がつくかもしれない、転倒して土をつけてしまうかもしれない、取り囲んでいる奴らに掴まれるかもしれない、もしかしたら破れるかもしれない。


 いや、別にそうなってもいいはずだ。

 この衣装はバックダンサーである大駆 夢のものだ、そこまで大事にする理由はない。

 ほつれたのであれば縫えばいいだけ、汚れたなら洗えばいいだけ。

 そもそも自分は種付けおじさんだ、今更この衣装がどうなろうと、困るのは自分ではない。


 そこまで頭の中で考えておきながら、ゴトーは衣装を守るように体を丸めた。

 我ながら馬鹿な事をしていると自覚しておきながら、彼は青年達に殴られるがままとなる。


 痛覚を鈍らせてはいるものの、全く感じなくさせる事はできない。

 だからゴトーは気を紛らわせる為に別の事を考える事にした。

 種付けおじさんになる前、まだ隼■と呼ばれていた頃、あの時は自身の感性の赴くままに仕事をしていた。


 それだけで多くの人々が称賛した、誰もが彼のデザインを求めた。

 万能感が身体中を巡り、求めていたものが満たされ……代わりに心の熱が失われていった。


 苦悩で頭がねじ切れそうになりながらも、新しいデザインを出した。

 前と同じように、皆が称賛した。

 苦痛に負けて、妥協したものを出した。

 変わらず誰もが求めた。


 その時、隼■は気付いてしまった。

 誰も自分の磨き上げた作品を見ていないという事を。


 そうだとしても手は止められない。

 新しいものを、素晴らしいものを生み出そうと走り続けた。

 そして心が渇き続けた。


 だから心を取り戻す為に身体を重ねる店に入り浸った。

 一時はそれで忘れられたが、徐々にその抑えが効かなくなっていった。


 いつまで苦しまねばならないのか、いつになれば楽になれるのか。

 毎日、毎時間、毎分、毎秒そう考えている内に気付いてしまった。

 恐らくこれは、死ぬまでなのだろうと。


 その瞬間、自分を抑えているものが外れた。


 後はもう、ケダモノのように貪っていった。

 何故なら、それでしか渇きを癒す方法を知らなかったから。


 そうして彼はゴトーと成った。

 死ぬまで続くと思われていた苦痛が取り除かれたのだ。


 種付けおじさんは闇の中に潜み生きるもの。

 それでもゴトーにとってはその全てが輝きに満ちていた。

 思うがままに生き、死にたいときに死ねる二度目の生を最期まで謳歌する事を誓った。


 だというのに、服を作る事を止められなかった事に苦笑していた。

 種付けおじさんの服だというのに手に取る奴がいる。

 ブランド名ではなく、真剣に自分の作品に向き合う人がいるのを見ていく事で、心の渇きが潤されていった。


 そして何の因果か、今はアイドルの衣装なんかに手を出すハメになってしまった。


 そしてその内の一着を、自分が必死になって守っている。

 目新しさと美しさしか見えていなかった一人よがりな作品とは違う、誰かに望まれた魔法のドレス。


 生涯、これ以上の傑作は産まれないと確信したゴトーは、殴られながらも笑みを浮かべた。


 とはいえ、背中が凶器で殴られすぎて、もうこの刺激が痛いというものかも判別ができなくなっていた。

 それでもゴトーは大丈夫だと希望を持っていた。

 種付けおじさんとして生きていれば理由もなく暴力に晒されることなど珍しくもない。

 だが、それで死んだ種付けおじさんはいないと、生き残った同類が言っていた。


 ゴトーは知らない、それは生存性バイアスなのだと。

 どこかで殺され、誰にも知られず役所に回収されていく個体もいる事を。


 ゴトーは知らない、今自分を襲っている青年達が誰なのかを。

 一人はヨシトに暴力を振るった者、一人は星見を狙っていた者。

 トーマがヨシトと星見を助けたから彼らはここにいる。

 種付けおじさんから逃げたから、それを克服する為に仲間と共にここに来ている。


 これはトーマが招き寄せた因果である事を、ゴトーは最期の瞬間まで知る由はなかった。

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