第6話 掃き溜めに鶴
沈黙が訪れた。
隊長が悲痛な面持ちで考え込んでいる。
幼少の頃より囚われ諜報隊員として鍛え上げられたこの人は、隊の中でも一番歴が長い。それがゆえに皇帝の恐ろしさを良く知っている。
小説では、武の天才ともてはやされた勇者が、ある人の手を借りなければ、弱体後の魔王にさえ歯が立たなかった。
決して戦ってはいけない相手。
少なくとも、今は。
「明後日の早朝五時です。なんとか誤魔化しきれませんか? 私は逃げませんよ」
隊長は苦し気に額に手を押し当てる。私はその姿を切なく思いながら見ている。
「…俺はな、お前に死んで欲しくないんだよ」
息が止まるかと思いました。
度重なるストーカー行為であんなに迷惑をかけていたリッチェでさえ、この人はこんなにも大切に思ってくれていたのか。
でも、貴方は?
私にそう思ってくれるのは嬉しい、だけど貴方はどうなるの?
貴方だって、死にたいはずないし、痛くて苦しい思いなんてしたくないはずなのに。
「ゴーシュさんなら、まだ諜報部隊の任務をよく分かっていないはずです。買い物に行けるほど元気なら働いてこいと外に出したとか言ってください。明後日まで私はここで過ごします」
「…無茶を言う」
隊長は寂しげに笑った。
初めて見る顔だった。
なんかもうだめ、不謹慎だとは分かっているんだけど、なんてエモいの。きゅんきゅんして苦しいんですけど。
そりゃこれで恋愛としては好きになってくれないなんて病むわ。生存を信じて必死に探してようやっと再会したら、今まで部隊では見せたことがないような、対等に気を許した顔なんて見せられた日には。
例え相手が勇者で男でも病むわ。それでもリッチェのしたことは許されないけど。
隊長は立ち上がった。私が折れないと理解してくれたのだろう。
「俺の方でも準備はしておこう。見つかるんじゃねーぞ」
「はい、よろしくお願いします」
去って行く背中もカッコいいのです。
隊長は同じように音もなく板を剥がしてするりと落ちて消えた。
それを確認してから、私は少し窓を開けた。シークレットの魔力は気付かれなかったみたいだけど、クリーンをかけても大丈夫だろうかと迷う。
やっぱりやめておこう、屋根裏部屋全体となると、それだけリスクが上がる。ゴーシュの詳細な能力までは私にも分からない。
■■ ※ラルカード視点
「おやおや、なかなか手厳しいのですねぇ」
翌日、リッチェを見舞おうとするゴーシュに、ラルカードは任務に出したと敢えて軽く答えた。ゴーシュは真意の分からぬ笑みを見せて、それ以上追及しなかった。
ゴーシュは情報の入れ違いを装っていたが、こと皇帝陛下に限ってそれはない。
あの男が無能のように振る舞って無能だったことなど一度もないのだ。
視察ではなく、わざわざ異動までさせたのはなにゆえか。陛下からどのような密命を受けているのか分かりようがないだけに、彼女の内心は測りかねた。
元々、皇帝陛下はあらゆることに関心が低い。
自身の絶大な力に自信があるからだ。大概のことは知っていて見逃す。
ツケは他の家臣が丸投げされて支払うことになるので、彼らが互いを監視しているくらいである。
嫌なことを思い出しそうになって、ラルカードは考えるのを止めた。
そうして、今丁度任務の合間で寮に戻ってきている部下の一人一人にさりげなく会い、それぞれに仕事を出した。外に出ている者には伝令を飛ばした。
例え早く終わっても、明後日まで絶対に城内に戻ってくるな、と。
折角外に出しても、明日にここにいては意味がない。リッチェと違い、彼らは奴隷魔術がかかったままだ。出したところで何の問題もない。
反応はそれぞれだった。
理由を知りたそうにしながら聞かない者も居れば、聞く者も居て、何も顔に出さずにただ頷く者も居た。
聞かれたとて答えられるものではなかったが。
本人にも言った通り、リッチェの言うことを盲目的に信じたわけではない。けれど、一度死んでから復活するという、そうそう起こりえないことを目の当たりにしたばかりなのだ。
臨死体験など信じてはいないが、全否定はしない。
何より、自分が自由になっていて、今逃げなければそのチャンスを永遠に失うかもしれないのに、仲間のために残った彼女の強い想いを軽んじることは出来なかった。
何もなければそれはそれでいい。一度に全員が出払うことなど特に珍しくもない。機を見てリッチェだけ逃がせばいいだけだ。
ラルカード自身はリッチェの言ったその時まで寮から出ないつもりでいた。ゴーシュに家探しをされてリッチェが見つかっては元も子もないからである。
そんなことを考えて、たまった事務仕事を片付けるため、部屋へ戻ろうとした時だった。何やら表が騒がしい。
諜報隊員の寮など、皇族しか入れないエリアの奥にあるというのに、昨日に続き、来訪者の多いことだ。
隊員が出払ってしまっているため、自身が玄関へと向かうと。
丁度、扉が開かれて。
入ってきた姿に目をむいた。
「ラル」
姿を現し、己に声を掛けてきたのは、そこから光が零れんばかりの笑顔を見せる少女だった。
まだ、たった三歳の、第二皇女チェリー=ドグ=ジスター殿下である。
ラルカードは片膝を着いた。
「これは…皇女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。このようなむさくるしい場所は、高貴なお方のおわす所ではございませんよ」
「どうして? ラルのおうちでしょう?」
チェリーはにこにこしている。
悪さをするお方ではない、近衛をまいたりはなさらないはずだ。兄皇子殿下の悪戯だろう。
ラルカードは、そう当たりをつけた。
「あのね、美味しいお菓子をもらったの。ラルの分もあるの」
チェリー殿下は、かつてラルカードが下賜と言った言葉を、菓子と勘違いして、ラルカードがお菓子好きだと思っている。
訂正するような無粋をする男ではなく、実は甘いものはあまり得意でないのにも関わらず、殿下の愛らしさに負けて、以来何かと有難く頂戴していた。
「ありがとう存じます」
菓子は殿下の紋章が縫われたハンカチに包まれていた。これは、これを見せれば殿下の名で便宜を図ってもらえるものを下賜されたことになるのだが…本人は分かっていないだろう。
それとなく意味を伝えたが、だいしゅきだからあげる、と可愛らしく頬を染めて言われてしまえば、拒む方が不敬である。
有り難くおしいただくと、チェリー殿下はとても嬉しそうだった。
殺伐とした皇室において、彼女は三年前に舞い降りた天使だと称されている。
あの皇帝陛下でさえ、チェリー殿下を寵愛しているのだ。
この愛くるしい少女の前でだけは、陛下は血を見せない。
実のところ、魔王であるあの男がこの少女を大切にするのは、人の想像する愛と異なる理由があるのだが。そんなことは、ラルカードを含め、他の人間に分かるはずもない。
ラルカードが皇室を離れるとするならば、気がかりになるのはこの少女のことだけだ。もっとも、皇帝陛下の寵愛が何よりも強固に守るだろうから、自分の力は必要ないであろうが。
チェリー殿下とあらば流石に送らないわけにはいかない。どうするか考えていると、ゴーシュが部屋から出てきて、一緒に登城すると言ってきた。
リッチェの耳なら、会話は全て聞こえるはずだ。残りの荷物をまとめたり、少し気を休めたりも出来るだろう。
チェリー殿下様様だ。この方はいつも不思議と、誰かが困っていると手を差し伸べる。幼いゆえに何も分かっていないだろうに。
少しの会話をした後で、ラルカードはチェリー殿下の手を取り、彼女を城まで送るために寮を出た。
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