42 元部阿蔵
白蛇神社を出発してから一日が経過した。
ガス灯が照りつける街道に無事辿り着いて、今は道沿いに進んでいる。
周囲を見渡せば木々が乱立し、山はいよいよ深くなっていく。
剣宮辰也は、白蛇神社を出る前のことを思い返した。
白蛇から聞いた話によれば、この先に蛇剣衆の村があると言う。それも剣宮辰也の足ならば二、三日で着く距離らしい。そうしてそこまで行けば、黒蛇ジャジャはもう目と鼻の先なのだと。
いよいよだ。そう思うと自然と昂ってくる。
「蛇気の気配が濃くなってきている」
腰に挿した桜刀ハナが言った。
「ふむ。ならば本当にジャジャに近づいているんだな」
「うん」
言葉は少ない。ハナも昂っているのかもしれない。
一歩一歩確実に土の道を踏み締める。
すると、前方に気配があった。
「前から誰かがいる。……これは」いち早く気づいたのは無論ハナ。声に緊張感が滲んでいる。「祝福持ちだ。蛇剣衆だよ」
身構える辰也。警戒を強くしながら歩を進める。
「だけどこれは……他にもいるよ、辰也」
「ぬ?」
そうして、ガス灯によって炙り出されたのは、五人の男。全員が帯刀している。
四人は若い。だがいかにもゴロツキという風体で、一人を囲んでいるようだった。
その一人というのは見るからに老人だ。痩せた体で、顔中にしわが刻まれている。
「まずい。あの人たち、殺される」
「なに?」
「あのお爺さんが祝福持ちだよ」
と、ハナが言い終えるや否や、老人の手が動いた。
しかし、それは一瞬のこと。
次の瞬間には四人の全身が、ばらばらに刻まれた。寸断されたいくつもの肉片がぼとぼとと地面に落ちる。赤々とした血溜まりが瞬く間に広がった。
血に染まった老人は何食わぬ顔で刀を仕舞う。
「な、何、今の? 何をしたの? ……全く、何も、見えなかった……」
ハナは動揺していた。
無理もないと辰也は思う。辰也の目ですらかろうじて見えた程度だったのだから。
「……居合だ。それも凄まじく速い居合で、斬ったのだ」
そう教える辰也の手は、僅かに震えている。老人は蛇姫が使っていた蛇剣術とは違い、ただただ普通に斬ったのだ。その凄まじい力量を感じ取って、辰也は戦慄していた。
とうの老人は平然とした顔でこちらに歩いてくる。人を斬ったと思えぬ態度である。この老人にとっては、邪魔な枝を取り払っただけという感覚なのだろう。
老人は、よく見れば口元に笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「剣宮辰也だな」
「そうだ」
「儂は、元部阿蔵」
そうして、間合いに入った。
刹那、両者は動いた。
共に居合。
刃と刃がぶつかり合った。
閃光のような火花が迸り、甲高い金属音が鳴り響く。
鍔迫り合い。だが元部は早々に後ろへ飛んだ。木の葉の如く音もなく着地。
「ふっふ。若者と力比べはさすがに分が悪い」
不適に笑いながら、元部は刀を鞘に納める。
対する辰也は冷や汗を流した。元部の剣筋はまるで分からなかった。運が良かった。それに尽きる。
元部は居合の構えのままゆるりと近寄ってくる。
辰也は刀を仕舞わない。代わりに空の境地を発動させた。
間合いに達した。
元部が柄を握り、居合を放つのを辰也の空の境地が捉えた。
迎え撃つ。
再びぶつかり合う刃。
「……おおっ」
驚きの声を上げて、またも下がった元部。
辰也は息を深く吐いて、元部を見据える。
際どい所であった。少しでも遅れれば辰也は斬られていた。それを思えば、最初の一合で空の境地を使わずに防げたのは奇跡のようなものだ。
「一度ならず、二度までも。儂が見込んだ通り、お主の腕は本物じゃなあ」
元部は楽しそうに言う。そうして子供のような笑顔を浮かべながら、強烈無比な殺気を放ってきた。
「……蛇気が膨らんだ。辰也、来るよ」
ハナの言葉に辰也は小さく頷いた。言われずとも、常人であればそれだけで卒倒しそうな強力な殺気を浴びれば、これからが本番なのは明白であろう。
「蛇剣術蛇腕」
相手は本気の一撃を放とうとしている。
辰也もハナを納刀し、気を高めた。そうして高めた気を刃に集める。
「桜花一刀流居合術奥義、春雷」
二人の間に強烈な緊張感が走った。
しかしそれすら楽しむように、元部は嬉しそうに口を開く。
「昔、この島にきた桜花一刀流の使い手たちと戦ったことがあるが、そのような技を使った者はおらなんだな」
「……やはりお主もその場にいたか。その中の一人の腕を、斬ってはおらぬか?」
「随分と昔のことだ。覚えておらぬな」
にやり、と元部は口角を上げた。
互いに睨み合う。言葉はもう交わされない。
両者は緩やかに近づいていく。
地を踏む音の他は何も聞こえない。
寒風が吹いた。二人ともぴくりとも反応せず。
やがて両者共に間合いの中へ。
柄に手を掛けるは同時。
元部の腕が大きくたわんだ。あるはずの肘の関節がないかのように。蛇が襲い掛かろうとしているが如く。
蛇剣術蛇腕。それは、腕を蛇と化す術技。人間にはありえぬしなやかな動きを可能とし、尋常ではない速度を生み出す。
対する辰也の柄からは僅かに桜色の光が漏れている。刀に宿った神気と気が合わさって充満しているのである。
桜花一刀流居合術春雷。その溜め込んだ気を鞘の中で爆発させ、稲妻の如き剣速を実現させる技なのだ。
互いに猛烈な力を溜め込んでいた。
両者とも相手の技が速さを極めた居合であると見抜いている。
故に、勝負は一瞬。
一太刀で決まる。
一枚の木の葉が不意に舞う。ゆらゆらと揺れ、地面に落ちた。
寸分違わず刃を抜き放つ。
きっん。
澄んだ高音が一つ。
二つの音が一つになって鳴り響く前にはすでに、二人は振り終えていた。
尋常ならざる剣速は音すら置き去りにしたのだ。
果たしてその目に捉えられる者がこの世に何人いるのであろうか。
やがて最初に口を開いたのは、元部。
「……見事」
そう呟いた時だった。元部の手首から先がなくなっていることにハナはようやく気づいたのだ。
辰也の背後で何かが落下した。手と握り締められた刀であった。
元部の腹部から横に赤い線が引かれ、口元から血が垂れた。
「……也」
彼の体が横にずれ、上半身が地に崩れ落ちた。
それから切断された手首から、真っ黒い蛇が飛び出て襲い掛かる。速い。しかし空の境地を発動させたままの辰也にとって、それは止まっているも同然。
辰也はすかさず手首を返しハナで斬った。あっけなく斬り分けられた蛇はそれからもう動かなくなった。
そうして刀についた血を振り飛ばし、ようやく納刀する。
元部を一瞥。彼は満足そうな笑顔を浮かべていたのだった。
山はいっそう深くなった。
不気味なほど静かで、時折視界を掠める生き物は蛇ぐらいだ。他の生物の気配は酷く薄く、そればかりか木も痩せ細っていく。
「辰也」
ハナが呼び止めて辰也は足を止めた。
「左を見て」
言われた通りに顔を向ける。細い獣道があり、どうやら下へと続いているらしかった。
「……この先か」
「うん。間違いない。この先に、ジャジャはいる」
「ああ、俺でも分かるほどに蛇気が濃厚だ」
「うん。……どうする? 引き返すなら今のうちだよ」
辰也は胸に手を当てた。そこには小刀が入っている。山辺彩の形見だ。彼女は言った。この世界に青空を、と。
「無論、行く。ジャジャをこの手で葬り去る」
脳裏に浮かぶは桃源島の面々。彼らを蛇気に犯されるわけには行かぬ。島を蛇に蹂躙されるのを防がねばならぬ。
「なら、行こう」
「ああ」
辰也は足を踏み入れた。
旅の終着点は近い。
暗い暗い部屋の中で、正座で坐す堂島豊は、目前に現れた黒蛇の顔を見つめていた。
「奴が来るぞ。この失態、どうするつもりか」
黒蛇はどす黒い声で責めた。
「……どうもこうもありませぬ。我らはただ斬るのみ」
「分かっておるだろうな? 蛇巫女を儀式と称して男共の慰み者にしてもよいのだぞ? それとも千匹の蛇の中に入れて果てしない責め苦を与えてやろうか?」
「……この身命を賭して、必ずや」
「その言葉、嘘偽りでないことを期待しているぞ」
そうして黒蛇は、音もなく消え去った。
後に残された堂島は、ひっそりと唇を噛み締める。
神楽崎花絵は叫びながら目が覚めた。心臓がばくばくと脈打っている。冷や汗が顔面から吹き出して、青ざめた顔色は絶望に彩られていた。
夢を見た。
辰也が黒蛇と戦かっている姿が見えた。
しかし場面が飛んだ。今度はこれまでにない規模の黒蛇たちが桃源島を取り囲んでいる。そうして一斉に襲いかかってきたのだ。
常世桜の結界は破られ、黒蛇が島を蹂躙し、皆が死ぬのである。
そして桃源島を支配した黒蛇は力を増し、辰也を噛み殺す。
起きうる中でも最悪な未来を、常世桜が見せてきたのだ。
だが希望はある。これは警告だ。何もしなければこうなるという未来。
ならば回避できる道はあるはずだ。
花絵は立ち上がった。
今度の危機は一部の者達だけで対処できる事案ではない。
「どうした!」
折よくも祖父の錬太郎が花絵の叫び声を聞いて駆けつけてきた。
青白い顔のまま、花絵は言葉を告げる。
「お祖父様。重大なお告げがありました。皆を集めて下さい」
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