8 蛇活組車田正治 後編
荒く冷たい風が吹く。砂塵が舞い踊り、ガス灯の光できらきらと光った。
辰也は刀に付着した血を振って飛ばす。足元に九人の死体が転がっていた。
気配を感じ、振り返ると、車田正治が刀を携えてこちらを見ている。
無言のまま、先に動いたのは辰也だ。上に振りかぶった刀で斬りつける。正治も迎え撃った。一合、二合、三合と斬り結ぶ。金属の甲高い音がその度に響く。
周辺にいる住民は、みな恐ろしくて顔を出せない。悪徳に染まった星であれど、この場に出れば命はないと誰もが確信を抱いていた。
二人は一度離れる。互いに構えは中段。正治は、ふ、と笑みを浮かべ、目を細めて言う。
「なんと素直な剣か。懐かしく思うぞ」
「……懐かしい?」
「そなたに似た剣筋を俺は知っているぞ。確か、桜花一刀流と言ったか」
「なぜ……いや、そうか。あの時、お前は」
「そうだ。俺はあの時の桃源島の刺客とも斬り合った」
今度は正治が動いた。前に距離を詰め、頭を狙い放った刀に、辰也はハナをぶつける。
がっ、という音と共に、両者は力で押し合った。
「剣宮、という名にも覚えがある。お前はあの男に縁があるのか?」
ぎ、と刀が軋む。力は拮抗している。
「……祖父だ」
「なるほどっ」
両者は同じ拍子に離れた。互いに中段に構えて睨み合う。話をしながらも隙を探り合い、殺気を滲ませ、機を狙っている。
「どうりで似ている。だが剣の腕はお主の方が上のようだ」
辰也は一足で飛び込んで横に薙いだ。けれど正治は難なく受け切る。
「さて、前座とはいえ九人と相手し、おまけに桜花一刀流を俺が知っているのは釣り合わぬな」
辰也の連撃を防ぎながら、正治は不敵に笑う。
「見せてやろう。我が蛇剣術からみを」
その時、ぞっとするような強烈な怖気を辰也は感じた。正治の刀がハナと接した一瞬、反射的に後ろへ飛び、間合いから離れる。
あまりな逃げっぷりに、正治は感心した。
「良い勘だ。あのままであれば、お前の腕は体から離れたろうよ」
「……よく、喋るな」
「若者との会話は楽しくてな」
「ぬかせ」
と言いつつ、辰也は間合いの外を保つ。
蛇剣術からみ。それがどのような技なのかはまだ分からない。しかしこちらから仕掛けるのは危険だと、そう辰也の本能が訴えている。恐らくはこちらの攻撃に合わせて発動させる反撃の技だろう。
「来ぬ、か。まずは正解。だが惜しい」
正治がゆっくりと歩いてきた。構えは中段。しかし剣先が円を描くようにふわふわと動いている。まるで蛇が木に絡みついて進む姿。
何が起きようとしているのか分からない異様さに、辰也は警戒を強める。
そして、間合いに入った。
正治の刀が下から跳ね上がる。対する辰也はハナを振り下ろし防御を狙った。だが正治は刀の軌道を変化させ、弧を描くように右上に持ち上げる。そのまま袈裟懸けに斬る構え。辰也はすぐさま反応しすかさずハナを上へと上げる。しかし相手の刀はそこからさらに左へ回った。逆胴に来る。辰也の身に悪寒が走った。今度こそハナは間に合わない。迷わず後ろへ飛んだ。
それが生死を分けた。間一髪のところで、辰也の逆胴辺りに正治の刀が過ぎ去ったのだ。少しでも遅れれば辰也の胴体は斬られていた。だが辰也が避ける方が一瞬早く、正治の刀は空振りに終わった。
「これこそ蛇剣術からみ。その深奥の一端よ」
正治は楽しそうに口元を歪ませて言った。そうして辰也に向かって歩を進める。刀はやはり中段で円を描くようにふわふわと動いている。
今度は上から来た。防ごうとするとまたも軌道が変化。右に迂回しながら刃は辰也の太腿を狙っている。辰也はハナを急速に下ろし相手の刀の背に打ち据えようとするも、正治は刃を反転させて斬りあげる。
「くっ」
辰也は顔を逸らした。刃は頰を浅く裂く。赤い血液が垂れた。
たまらず距離を取る辰也。
かの自在な剣捌きは、恐るべきことにほんの一瞬間の内に行われている。蛇剣術からみは確かに驚異的な技法であろうが、恐るべき難度の技だ。並の者が操っても必ずや隙が生まれるであろうし、辰也ならばその隙を突くこともできよう。
だが正治の技量で放たれる蛇剣術からみには、決して隙が生まれることはない。
たらり、と冷や汗が辰也のこめかみを流れる。
自身の技術では何度も何度も防ぐことはできないと、辰也は実感する。
受けるのは不利。ならば攻める他になし。
そう判断した辰也は袈裟懸けに斬りかかった。そこに正治の刀が横から来た。接触した瞬間、正治の刃が螺旋を描くように動いてハナに絡みつく。
「くっ」
辰也はハナを強引に引き抜き再び距離を取る。危ないところであった。あのまま行けば刀は弾き飛ばされ、そのまま斬られていたに違いない。
そうして、これで容易に攻め込めなくなった。
攻めても、守っても、相手の方が上。辰也は二の足を踏んだ。
まるで蛇が獲物をからめ取るかの様に、蛇剣術からみは辰也を追い込む。
正治が距離を詰めてくる。
辰也は動かない。
正治の剣先がゆらゆらと揺れ動き、今度は逆袈裟に斬りかかってきた。どうせまた変化する。そう思い込んだ辰也の意表を突くように正治の刀がそのまま一直線に振るわれた。慌ててハナで受け止める辰也。がつ、とぶつかり合う刀。正治は再び振りかぶり斬り下ろす。がっ、がっ、と数度斬り結んで、今度は正治の方から離れた。
「ふ、ふ」
刀を揺らしながら正治が笑う。技巧を凝らした蛇剣術からみだけでなく、力押しもする彼の剣術。桜花一刀流師範、藤堂雅和と戦った場合、果たしてどちらが勝つのか。辰也には想像することすらできないほどの実力。
次は何が来る? そう考え、迷うことこそが相手の術中にはまっている証拠だ。辰也は自覚しながらも考えずにはいられない。
近づいてくる正治。彼の剣技を次も防げるかは分からない。先ほどまでの攻防は運が良かったとしか言いようがない。決断するなら今である。もはや一刻の猶予もない。
辰也は深呼吸を行い、気を静めた。
「一つ、聞く」と辰也は言った。「知っているのは桜花一刀流のみか?」
「そうだが? 桃源島には他の流派があるのか?」
「確かにある。だが俺が使える剣術は桜花一刀流のみ」
「ほう。それで?」
「なに。不公平だと思うてな」
「なに?」
正治が間合いに入る一瞬前、辰也は上段に切り替えた。
そして自ら半歩踏み込んで、ハナを振り下ろす。
今度こそ決めてみせると正治は迎え撃つ。
先ほどよりも申し分ない頃合いで放つ蛇剣術からみは、今までで最も完璧であると自画自賛できるほどの完成度。それは蛇が木の幹に絡みつく錯覚を起こさせるほどの見事さで、刀はハナに絡みついた。
瞬時、正治の脳裏に浮かんだのは疑問である。
幹? 細い枝ではなく、太い幹?
正治が辰也の刀を弾き飛ばすべく刀を操る。だが、辰也の刀は微動だにしなかった。
「ぬう」
思わず呻く。
「剣宮流錬気法、山桜」
疑問を解消するかのような辰也の声。
「こ、これは……?」
正治の脳裏に映像が浮かんだ。それは険しい山の中でどっしりと太い幹と根を張る桜色の花をつける木。だが正治は、桜というものが見たことがない。その美しさに思わず呆然とした正治を気づかせるかのように、絡ませた辰也の刀は力押しで降りてくる。
正治は抵抗する。だが初老を迎えた男に、辰也の気によって強化された強力な力に抗えられる腕力はない。
「ぐ、う」
正治はそのまま押し切られた。ゆっくりとした速度。だがその確かな力の前に抵抗など無意味。正治の右肩から逆胴にかけて、刃が歩き抜けた。
「う……お」
一歩、二歩、と正治は後ずさった。ぼたりぼたりと多量の血が滴り、地面を濡らす。刀が手から逃れて、からんからんと音を立てた。傷口を手で抑えるも、着流しを赤く染め上げるだけでまるで意味を成していない。
青ざめた顔を向け、息も絶え絶えに辰也を見る。
「……錬気法……だと? い、今まで……手を……抜いていたとでも……言うのか……?」
「いや、本気だった。だが必要以上の手を見せるわけにもいかなかった」
「なる……ほどな……。だが……あの時は……貴様の祖父は……使っていなかった……」
「剣宮流錬気法と桜花一刀流の併用は格段に難しい。特に戦いの場ともなればな」
「貴様は……それを成したと言うわけか……。それも他流の錬気法との併用とは、な……」
「勘違いするな。もともと桜花一刀流は剣宮流錬気法と合わさることで初めて完成するのだ」
「な……に……」
「喋りすぎたな……。今際の際に一つ聞きたい。我が祖父の腕を切ったのは貴様か?」
「……ふ……ふ。違う、な。俺では、ない。だが……心……せよ……。あのお方は……俺などでは遥かに及つかぬほど……恐ろしい……お方よ……」
げふ、と正治は血を吐いた。口元から血を流すままにしながら、正治は辰也を睨む。
「名は?」
「どうせ……旅を続ければ……いずれ相対しよう。それまで……生きて……いれば、だがな……。もう……いいだろう……。早く、止めを刺せ……」
「分かった」
辰也は無遠慮に近寄って、正治の首を切り飛ばした。
その一部始終を、辰也とハナが見逃した蛇が見ていたことに、二人は気付いていなかった。
蛇剣衆が住う村。光源は蝋燭の火だけの暗い部屋の中で、白髪の若い男と、老人が肩を並べている。老人の目はまるで蛇の目だ。
「勝負は決した」
と老人はしゃがれた声で言った。
「して、どちらが勝った?」
「……剣宮辰也……」
「そうか……正治が負けたか。どのように負けた?」
「今、お見せする」
老人は重々しく唱える。
「我が目は蛇の目
我が口は蛇の口
我が耳は蛇の耳
今より彼方
彼方より今
再現せしめよ
蛇法術写動千里」
老人の足元に一匹の蛇がいる。その蛇の目が光りを放ったと思うや、部屋の暗い壁に映像が投影された。それは辰也と正治たちが戦っている場面である。視点が地平に近く音もないが、いかなる原理か戦いの一部始終が映された。
映像は、辰也が正治の首を切り落としたところで停止する。
「また腕を上げたな」
白髪の男は感心したように言う。
「ありがたきお言葉。今は複数の蛇を用いて立体的な映像を作れないか研究中でございます」
「ほう? お前が使う蛇法術、やはり俺には真似できそうにないな」
「これだけが我が取り柄。たとえ貴方様であれど、そう易々とできるようになられると私の立つ瀬がありませぬ」
「よく言う。本当は剣技も並々ならぬ腕前なのだろう? お前とは長い付き合いだが、お前ほど底が見えぬ者もおらん」
「確かに私も刀の扱いには少々心得がありますが、貴方様に比べれば児戯に等しい」
「ふん、そう言うことにしておくか」
「そうして頂けると助かりまする」
「さてこの映像だが、気になるところがある。巻き戻してくれ」
「はっ」
老人は念を込めた。すると映像は、奇怪なことに先ほどとは逆に再生されていく。
「ここだ。停めてくれ」
「はっ」
映像は停止した。
「少し行きすぎた。進めてくれ」映像は再び再生する。「停めろ」
停止した場所は、ちょうど辰也が上段から振り下ろした刀に正治の刀が絡みついた場面であった。白髪の男はじっと凝視したと思うと、「どう思う?」と老人に意見を聞いた。
「……おそらく気を全身に巡らせ、力を底上げしておりますな。そればかりか体重も一時的に増加している模様」
「錬気法か」
「それも非常に高度なものかと。よもや桃源島にこれほどまでの使い手がいようとは」
「ほほう。それは、楽しみだな」
「実に。して、如何致す?」
「泳がせておけ。どうせ蛇剣衆共が勝手に殺しにいく。それで死ぬようならばそれまでの男よ。それらを打ち倒し、俺の前に来た時、その時こそ俺が食らう」
「ご随意に」
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