第42話 強者

 モンクのパーンチは「ほう?」と拳を掌に当てた。


 もともと、人生をノリと勢いだけで過ごしてきたタイプなので、さっきまでは晒し首となって見事に意気消沈していたが、人狼の執事ことアジーンの挑発を目の当たりにしてやっと闘争心に火が付いた格好だ。


 相手が血塗れで死にかけているのは気に入らないが、それでも前衛職同士、しかも拳と爪を突き合せた近接格闘が楽しめそうで、パーンチのテンションは上がってきた。いかにも強者らしいビリビリとしたプレッシャーも感じ取ることが出来て、パーンチは微笑を浮かべたほどだ。


 もちろん、アジーンも「いいだろう」とパーンチの挑戦を快く引き受けた。


 一方で、ダークエルフのリーダーことエークはエルフの狙撃手トゥレスに一瞥してから、いったん地に膝を付けて、双子姉妹の片割れことドゥと同じ視線になると、


「勇者パーティーが来ていることをセロ様に伝えてきなさい」


 そう言って、ドゥの背中を軽く押した。


 ドゥはこくこくと肯いてから、てけてけと駆け出した。


 ところが、畦道の小さな盛り土こと『トーチカ』につまずいて、「わっ」と派手に転倒してしまった。


 片膝を擦り剝いて、えぐえぐと泣きそうな顔をしている。これにはさすがのエークも困ってしまったが、意外なことにそばにいたモンクのパーンチがドゥを起こしてやって、


「おい、坊主・・。大丈夫か?」


 と、モンク特有の法術である『内気功』で傷を治してやった。


 ドゥはまたこくこくと肯いた。パーンチがドゥの服に付いた土汚れをパンパンと叩いてやると、


「気を付けろよ」

「うん」


 それだけ言って、ドゥは再度、てけてけと駆けていった。


 そして、気を付けていたはずなのにすぐにまた、ぼふっと誰かにぶつかった。


 畦道にいた全員が「あちゃー」と額に片手をやるも、勇者パーティーの全員がぶつかった人物を見て、すぐに緊張感でごくりと唾を飲み込んだ。


「ドゥよ。すまなかったな」


 そこには――ルーシーがいたのだ。


 ドゥはこくりと肯いてから、今度こそ去って行った。


 ルーシーはその後姿を見送って、「ふむ」と一息ついてから、その場にいた全員を見渡した。


 勇者バーバル、モンクのパーンチにエルフの狙撃手トゥレス。それと女神官については知らなかったが、かつてセロが語った元婚約者の聖女クリーンなる人物だろうと判断した。


 こちら側はアジーン、エークに双子姉妹の片割れディンだ。


 ルーシーはそのディンにいったん視線をやって、


「ディンよ。すまないが、『迷いの森』まで行って、少々騒がしくなると伝えてくれないか」


 そう言うと、ディンは「畏まりました」と丁寧にお辞儀してから颯爽と駆け出した。さすがにドゥとは違って転ぶことはなかった。あっという間にその場からいなくなる。


 それから、ルーシーはゆっくりと畦道に入って行くと、


「さて、何だか面白そうなことをしているな。わらわも混ぜろ」


 それだけ言って、微笑を浮かべてみせた。


 その瞬間、勇者パーティーは全員、『魅了』の効果で全身を大きく揺さぶられた。真祖直系の吸血鬼との戦闘を考えて、事前にアクセサリーなどで耐性を施していなかったら、その笑みだけで勝負が決まっていたことだろう……


 それほどにセロの自動パッシブスキル『救い手オーリオール』の効果を受けているルーシーは圧倒的な強者だった。単純に言えば、指先一つで勇者パーティーを壊滅出来るほどだ。両者には象と蟻以上の差があった。


「馬鹿な……」


 勇者バーバルは震えが止まらなかった……


 以前に戦った第六魔王の真祖カミラよりも明らかに格上の魔族だ。こちらがカミラで、前に討ったのがルーシーだったと言われた方がまだ納得出来る……


「こんな化け物がいるとは聞いていなかったぞ」


 勇者バーバルはそう声を震わせて、ここに来たことを後悔し始めた。


 同時に、今さらになって自分が井の中の蛙でしかなかったのだと痛感した。勇者だから魔王になぞ負けるはずがないと豪語していた己が憐れにさえ思えてきた。


 一方で、聖女クリーンも呆然自失しかけていた。


「まさか相手は魔神だとでも言うの……」


 大神殿での教えに従って、魔王とは討伐出来るものだと信じ込んでいた。


 今、まさにその信仰が土台から音を立てて崩れていきそうな気分だ。目の前にいる魔王・・・・・・・・は人族が討伐対象にしていい相手ではない。というか、なぜこれほどの化け物が地下世界ではなく、地上の魔族領にいるというのか……


「住むべき世界が違う存在だわ」


 この一体だけで、人族が全滅させられてもおかしくはない。


 おかげで聖女クリーンは圧倒され、頬から血の気が引いて、まるで石のように全身が固くなって、まだ戦ってもいないのにたっぷりと敗北感を味わわされていた。


 が。


 当然、相手は許してくれなかった。


「それで妾の相手はいったいどれだ?」


 ルーシーは獲物を見定める鷹さながらに、じろりと勇者パーティーを睨みつける。


 その眼光だけで皆はびくりと一瞬だけ震えて、状態異常をかけられたわけでもないのに、石化したかのように硬直してしまった。


 そんな状況だったから、誰も名乗り出ることはなかった。本来なら勇者バーバルの役割のはずだが、さすがに桁違いの強者だと誰の目にも明らかだったので、今回ばかりはトマト泥棒のときと違って、誰も「こいつです」とは指差さなかった。


 情けないことに、勇者バーバル自身が「俺じゃないだろ?」と呟いてしまったほどだ。


 すると、ルーシーはつまらなそうに告げた。


「ふむ。では、アジーンはそこのモンク。エークはエルフの相手をしてやれ」

「はっ!」

「はい!」

「そして、妾の相手は残り物か。喜べ。少しだけ戯れてやろう」


 その瞬間、アジーンとモンクのパーンチ、エークと狙撃手トゥレスは即座にその場を離れて、それぞれ別方向へと駆け出していった。


 勇者バーバルはがくがくと震える手で何とか聖剣を取った。聖女クリーンは聖杖を両手で持って専守防衛だけを意識した――こうして、今、勇者パーティーと第六魔王軍による戦いの幕が開けたのだった。

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