第40話 畑守(後編)

「全員、散れ!」


 と、勇者バーバルが指示を出した直後――


 目の前の畝間が土壁で閉ざされてしまったので、聖女クリーンはトマト畑を迂回することに決めた。


 もともと、バーバルにはそう提案したのだ。もちろん、モンクのパーンチのように他の畝間から入ってもよかったが、そのパーンチがさっきから絶叫しっぱなしなので続く気にはなれなかった。


 というか、後衛職を置いて、さっさと先に行ってしまう前衛職ばかりなのは如何なものかと、クリーンもさすがに頭痛がしてきた。しかも、もう一人の後衛職である狙撃手トゥレスはいつの間にか消えている。


 おそらく『潜伏ハイディング』でも使ったのだろう。連携など一切考えないあたり、本当に身勝手なパーティーだ。


 クリーンは「はあ」とため息混じりにトマト畑の端まで歩いた。


 そこには先ほども見かけた血のプールがあった。やはり肥溜めには到底思えない……


「あら?」


 すると、少し離れたところにダークエルフの少女が座っていた。


 白い短髪で、どこか感情表現の乏しそうな子供だった――双子の片割れのドゥだ。


 そのドゥはというと、大地に石灰で線を引いて測量の手伝いをしていて、そばにやって来たクリーンを見掛けると、きょとんとわずかに首を傾げてみせた。


「あの……少しだけよろしいかしら?」

「…………」


 クリーンが笑みを浮かべるも、ドゥは顔色一つ変えなかった。


「ここで、貴女は何をしているの?」


 今度はクリーンも満面の笑みでやさしく尋ねてみたが――


 やはりドゥは微塵の反応も示さなかった。


 これにはさすがにクリーンも少しだけイラっときた。


 王国ではクリーンの笑顔は宝石のようだと称えられている。だから、クリーンも嫌な顔一つ見せず、老若男女問わずに国民に笑みを向け続けた――もちろん、そんなものは作り笑いに過ぎなかった。そもそも、聖女クリーンはさほど清廉潔白でも、温厚篤実な聖人でもないのだ。


 むしろ、クリーンにとって『聖女』とはキャリアの一過程でしかなかった。


 いずれは教皇か、何なら勇者バーバルを利用して女王に伸し上がってもいいとまで考えている。そんなふうに清濁併せ呑むことが出来る勤勉な野心家こそがクリーンの本来の顔なのだ。


 それだけに今のところ職務には極めて忠実だった。そこらへんを履き違えるとろくなことにならないのは、何人もの聖職者の汚職を見て学んできた。


 そんなクリーンでも、子供だけはどうしても苦手だった。


 何を考えているのかいまいち分からない上に、時として真実を鋭く見抜くこともあって、外面そとづらばかりが良いクリーンにとってはなるべく寄せ付けたくない存在だ。


「ふう。困ったわね」


 クリーンは顎に片手をやってから、無視して先に進もうかどうか迷った。


 そのときだ。


 遠くで、すたすたと、逃げ去る足音がした。


 どうやらずいぶんと離れたところにもう一人だけダークエルフの少女がいたようだ――言うまでもなくディンだ。


 聖女クリーンはその後姿を目で追いながら、もしかしたら誰かを呼びに行ったのかもしれないと考えた。このトマト畑が『迷いの森』と同様にダークエルフの管轄地なのだとしたら、謝罪してすぐに勇者一行を回収しなくてはいけない。


 というか、セロと対面する前に、なぜこんなふうにダークエルフと揉めなくてはいけないのか……


 本当にどうしようもない勇者パーティーだ……


 さすがにクリーンも頭痛がひどくなってきて、額を片手でじっと押さえつけた。その一方で、ドゥはというと、さっきからクリーンを無言でじっと見つめていた。


「…………」


 大人のダークエルフが来るまで、ドゥには関わらないでおこうと決めていたが、あまりにも直視されるものだから、クリーンは根負けしてもう一度だけ声をかけた。


「ねえ、セロ様のことは知っている?」


 ドゥはこくこくと肯いた。初めての反応だ。


「どこにいるかしら? 私、婚約者・・・なのよ。会いに来たの」


 婚約者だとはあえて言わなかった。


 だが、ドゥは何も答えずに、またクリーンをじっと見つめ返した。


「セロ様はあのお城で何をやっているかしら? 貴女は何か知っている?」

「…………」


 クリーンとドゥはしばらく見つめ合った。


 やはり子供は嫌いだと、聖女クリーンは考え直した。何を考えているのか本当に分からない。それでも、クリーンは作り笑いを崩さずにいた。最早、虚しいまでの職業病と言っていいだろう……


 すると、ドゥの手もとにイモリが一匹だけ、這い上がってきた。


 そのイモリはドゥに視線をやって、わずかに首を傾げる。そんな微笑ましい様子を見て、クリーンはつい思った――イモリの方がこの子供よりもよほど可愛げがあると。


 が。


「うん。セロ様に近づけちゃダメ」


 急にドゥはそう呟いたのだ。


 クリーンはつい、「え?」と眉をひそめたが、ドゥとヤモリはやり取りを続ける。


「キュイ?」

「それは嘘。もう婚約者じゃないみたい」

「キュイキュイ?」

「うん。やっちゃっていいんじゃないかな」


 クリーンは続いて、思わず「はあ?」と漏らした。やっちゃって・・・・・・の意味が分からなかったせいだ。


 もっとも、次の瞬間だ――


 血溜まりから無数の血液がやじりの形状となって宙に立ち上がった。


 クリーンは嫌な予感しかしなかった。いつの間にか、無数のイモリが血溜まりの中から現れ出ていたのだ。


「『聖防御陣』!」


 クリーンは咄嗟に祝詞を謡った。


 同時に、血の『水弾』がクリーンに襲い掛かった。


 何とか『聖防御陣』でそれを防いでみせたが、すぐにクリーンはギョっとした。


 凶悪なモンスターの群れでも押し返せるほどに堅牢な法術の壁なのに、たかがイモリたちの『水弾』だけでもう綻んでいたのだ。


 これは不利だと判断して、クリーンはトマト畑に沿って先へと駆け出した。


 イモリが相変わらず『水弾』を撃ち込んでくるが、血溜まりから離れれば水辺で活動する魔物モンスターのはずだから逃げ切れると考えた。実際に、『水弾』の量はしだいに減っていった。


 だが、その道の先にはなぜかかかし・・・がいた。


 そのかかしは――「侵入者ラバー発見。撃退シマス。終了オーバー


 と、平坦な声音で告げると、かかしのはずなのに両側に開いていた腕の部分が閉じて、真っ直ぐにクリーンに向けられた。そして、両手の先にエネルギーが収束したかと思うと、『電磁砲レールガン』を放ってきたのだ。


「うぎゃああああ!」


 クリーンは喚いてしまった。


 そんな汚い声を発したのは人生で初めてだった。本気で死ぬかと思った。


 そもそも、ヤモリやイモリたちと違って、かかしは畑の被害など微塵も考えずにエメスによって作られた『自動撃退装置ラバーデセプション』だ。だからこそ、その一発でクリーンご自慢の『聖防御陣』はあっけなく弾け飛び、クリーンの白磁のような頬からは、つうと血が垂れ落ちた。


 クリーンは気を取り直して、咄嗟にすぐそばの畦道に逃げ込んだ。だが――もう遅かった。


 そこでは勇者バーバルとモンクのパーンチがぼこぼこの晒し首にされていて、もとはトゥレスと思わしき耳長エルフのゲル状物体Xが気持ち悪く地面で蠢いていた。


「ひいっ!」


 クリーンは失禁しかけた。


 それでも、自分が聖女だということを思い出して、皆に完全回復を試みた。


 三人を助けようという慈愛よりも、この三人を何とか肉壁にして逃げようという冷静な判断によるものだ。その機転はさすがだと褒めるべきだろう。


 おかげで、勇者バーバルとモンクのパーンチは「ふん!」と土の山を粉砕して出てきた。狙撃手トゥレスは何とか四つん這いになりながらも、「はあ、はあ」と呼吸を整え始めている。


 もちろん、周囲には無数のヤモリ、コウモリ、イモリに加えてかかしまでいた。


 それらを見て、勇者パーティーは戦意喪失しかけるも……


 そんな地獄のような畦道にダークエルフの青年がひょっこりと現れた――近衛長のエークだ。その両手はドゥとディンに繋がっている。エークはヤモリたちに対して親しげにジェスチャーを交えながらいったん下がらせると、こともなげに勇者パーティーにこう言った。


「トマト泥棒が出たと聞きました。あなたたちのことですか?」


 聖女クリーンも、モンクのパーンチも、狙撃手トゥレスも、一瞬だけぽかんとしたが、すぐに「こいつです。こいつが全て悪いんです」と声をきれいに合わせて、最初にトマトを切り落とした勇者バーバルを睨みつけながら指差したのは言うまでもない。

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