第38話 畑守(前編)

 ヤモリも、イモリも、もともとは大人しい生物だ。


 主食は虫なので人に襲いかかってこないし、たとえ縄張りテリトリーに入られたとしても産卵前などで警戒していなければ噛んでくることもない。


 そもそも、家守ヤモリ井守イモリとして、家や井戸を守って、害虫を食べることからどちらも長らく益獣とされてきた。だから、たとえ魔核によって不死性を有した魔物モンスターと化していても、人とは上手く共存共栄できるはずだった……


 が。


 そんなヤモリたちはというと、相当に怒っていた。


 何せ、眼前でトマトを勝手に切られた上に踏み潰されたのだ。


 セロからはトマト畑を守るように頼まれていた。ヤモリにとってこの場所は、いわばセロと一緒に過ごせる家なのだ。そんな守るべき大切な家が見るも無残に切りつけられ、また踏みにじられてしまった。


 その瞬間、普段は大人しいはずの家守ヤモリは全匹、


「キュイ」


 と、短く鳴いて、塹壕の中で土魔術の呪詞を唱え始めた――


 もっとも、当の勇者バーバルはというと、足もとに注意を向けていなかった。そこに小さな塹壕があることに気づいてすらいなかった。


 そもそも、敵は吸血植物トマトだと勘違いしていた。


 だから、とりあえず剣を振るって一個だけ切り落とし、様子をうかがってみたわけだが、反応らしきものは何もない。


「ふん。他愛もない」


 勇者バーバルはつまらなそうに鼻を鳴らした――


 直後だ。足もとに幾つもの『土の槍ソイルスピア』が立ち上がった。


「何っ!」


 さすがに勇者だけあって、跳び前転して避けた。


 だが、右ふくらはぎに大きな裂傷が出来て、血が噴き出てくる。


 聖女クリーンはまだ畑に入っていなかったので、すぐさま法術で回復してくれたものの、勇者バーバルに対する『土の槍』は全く止まらなかった。バーバルの腰ほどまである槍が無数に突き出てくる。


 これでは畑全体が棘地獄になったようなものだ。


「全員、散れ!」


 勇者バーバルは咄嗟に指示を出した。


 一か所に固まっていては、範囲攻撃の格好のターゲットだ。


 しかも、後方にいた聖女クリーンたちの姿を隠すように畝間の土が盛り上がって、勇者バーバルの背丈の倍ほどの高さになると、今度は壁となって押し寄せてきた。その壁にもご丁寧に無数の棘が付いている。


「くそおおおお!」


 吸血植物トマトはよほど余裕なのか、微動だにせず、襲ってくる様子もない。そのくせ土魔術の『土礫』だけは雨あられのように勇者バーバルにだけ降り注いでくる。


 バーバルは堪らずに、畝間を全速力で走った。


 こんなふうに情けなくも、敵の攻撃から一方的に逃げ惑うのは駆け出し冒険者の時以来のことだ。もちろん、バーバルにとっては屈辱以外の何物でもなかった。


 しかも、予想通りというべきか、畝間の先にも棘付き壁は出来ていて、バーバルを串刺しにしようと待ち構えている。


「ふざけるなよ!」


 勇者バーバルは思い切り跳躍すると、その壁を越えて、さらに壁から上空へ突き出てきた『土の槍』さえも聖剣でいなして、畦道へと着地した。


 体に幾つか切り傷が出来ていたが、大した出血ではない。


 すぐに周囲を警戒するも、畦道は意外に静かだった……


 すると、バーバルが走ってきた畝間とは別の列からモンクのパーンチが転がり出てきた。こちらは全身血だらけだ。ぜい、ぜい、と息を切らしながらも、


「悪趣味なトラップ満載じゃねえかよ」


 と、パーンチはバーバルに視線をやった。


 そして、即座に「ヤモリの野郎はここにもいんのか?」と怒鳴りつけてきた。


 バーバルは何を言っているのか理解出来なかった。敵は吸血植物トマトのはずだ。なぜヤモリなぞ気にするのかと、パーンチに問いかけようとして――


「ヤ、ヤモリなら……すぐ、そこに、いるぞ」


 と、畦道に幾つも設置されていた小さな盛り土こと『トーチカ』を指差した。


 その目抜きの部分から、ヤモリたちの目が不気味に光った。しかも、トーチカは畦道上で十字砲火出来るように置かれている。もちろん、全ての畝と畝間にはすでに棘付きの壁が盛り上がっていて、もう逃げる場所もない。


 瞬間――


「うおおおおおお!」


 というモンクのパーンチの絶叫と――


「うがあああああ!」


 という勇者バーバルの阿鼻叫喚が同時に上がった。


 二人の足は石化し始めて、すぐに動きを封じられた。バーバルは「クリーンはどこだ?」と、石化の解除を求めて声を張り上げるが――もう遅い。


 まず、『砂射出サンドショット』は正確に二人を傷つけた。


 次に、『土塊落下ストーンフォール』は出血で朦朧としてきた二人の頭上に落ちて、意識を根こそぎ奪っていった。


 さらには、まだ寝かせはしないとばかりに、『地面振動アースシェイク』で断続的に揺り動かされて、二人はすぐに目を覚ますと、『土砂突風サンドウィンド』で喉に砂を詰め込まれて窒息死しかけた。


 最後に、土がしだいに盛り上がって山となって二人を埋めると、そこがまるでトマト損壊罪を罰する為の刑場とでもいったふうに、山の上に二人の晒し首だけ残して、ヤモリの攻撃はやっと終わりを告げた。


 勇者バーバルも、モンクのパーンチも、かろうじてまだ生きてはいたが、その生涯最大の敗北をよりにもよってトマト畑で味わったのである。

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