第3話
人間がいない。その事実だけが男を恐怖に陥れた。
男は内心逃げ出したくてたまらないのに、身体は冷静に街並みを歩いて行く。心と身体が連動していない。
せめてもの抵抗に、周りと目を合わせないようにするのに必死だった。
何分歩いただろうか──向かいの方から、ふらついたお爺さんが歩いてくる。頭頂部に髪はなく、骸骨のように痩せ細っているが、見目は人間だった。
お爺さんの細い目は、たしかにこっちを見ている。「おーい」とか細く呼びかける声が聞こえた。
男は考える暇もなく口を開いて駆け寄って
「おーい、おーい」
「お爺さん、ちょっと聞きたいことが」
言葉を失った。
お爺さんの片脚がなかった。
袴のような作業服が、腿の辺りで雑に団子結びされている。
「ぎゃぁぁあぁあ゛ーーーーーー「久しぶりだぁね、どこさ行っとったんだい?」
男の絶叫を無視して、お爺さんは顔見知りのように話しかけてきた。しかし男はこのお爺さんのことを知らない。
うろたえていると、急に覚えのない記憶が脳裏によみがえる。
そうそう、こいつは。
下級の貧乏神。
機嫌が良い時、この身体に宿を提供してくれる。
こちらが話しかけても基本的には無視をする、いけすかないジジイ。
向こうから話しかけてきた時にこっちが無視をすると、次の瞬間には金がなくなっている。
だから返事をしなきゃならない。
お前が転生者だとバレねえようにな。
「ギルドの依頼だ! さっきクビになったばっかりでよ、ちと仕事探しに出てんのさ!」
「お前さん、組合を放り出されるの何回目じゃ」
「あー……? 知らね!」
命令のように囁く声に従って、男はどこかぎこちなく、それでも荒々しい言葉を吐き捨てた。
お爺さんの表情は変わらない。
これは上手く騙せたんじゃないだろうか、男は息を呑む。
「……んじゃ俺ァもう行くぜ! ジジイと違ってヒマじゃねーんだよ!」
自然さを装い、片手をひらひら揺らした。逃げるように足を進める。
お爺さんはすれ違い様に男の尻尾を掴んだ。
──……俺、尻尾なんて生えてんの?
混乱する男をよそに、お爺さんはぎょろついた大きな眼球を一回転させ、最後に男に視線を定めた。
「……何、です……か?」
「ずいぶんとまぁるくなったモンじゃのう、ましら。お前さん、たしか己のことを『俺様』と呼んでいたはずだが?」
「そうでしたっけ……」
「ああ、ああ……臭う、臭う。臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う臭う」
ぶつぶつ、ぶつぶつ。
お爺さんが低く小さな声で何度も何度も繰り返した。
途端にぎゅるんと白目を剥く。
顎の関節が外れたように、ぱっくりとあり得ないほど大きく口が開いた。
『あゝ美味そうな匂い』
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