第10話 世間は広い。そして箱庭だった。
「すいません。お風呂いただいちゃいました」
下着も服もそのまま同じのだけど、正直すっきりした。
「ほい!」と冷蔵庫から缶ビールを取り出し、私に手渡した。
「風呂上がりの一杯は格別だろう。飲んじゃいな」にっこりとほほ笑みながら言う彼の顔を見て。ああ、こんな時一人っきりだったら、どうなっていたんだろう。
予期していた出来事だったけど、それでも自分は意外と平気だったと思っていたけど。
傷は深かったんだね。
「大丈夫だよ。
そっか、愛子さんにもばれちゃった。でもいいや、彼女も感ずいていたんだろうから。
「よろしくってさ」
……よろしくって愛子さん、深い意味は無いよね。あとでそれこそ尋問されそうだわ。
「すみません」
その言葉しか出てこなかった。
「ま、いいんだけどね。僕も上野さんにはずいぶんと世話になっているから、これくらいしたって罰は当たらないよね」
ブルブルと顔を振った。罰? いやいや、罰どころか感謝と言うか、今傍にいてくれる人があなたでよかったと思います。こんな時頼れる人ってあと愛子さんくらいしかいないし。それに愛子さんはちゃんとした家庭がある身。迷惑どころの話じゃない。
甘えられるのが旦那しかいないというのも不憫なものだと思った。
手渡された缶ビールをじっと見つめ、プルタブを開けごくごくとそのまま一気にビールを喉に流し込んだ。
「ぷはぁ―!」
「うん、いい飲みっぷりだ」感心したようにビールを飲む姿を見つめる彼。
心臓の鼓動が別なリズムを刻み始めたのを感じている。
今、この空間には私と彼。春日先生の二人しかいない。
遮られた空間。個人のプライベートな空間に二人そろう男女。子供同士がいるわけじゃない。まして多感な時期の高校生でもあるまい。それなりのいっぱしの大人として社会人として成り立っている(果たして本当に成り立っているのかどうかは別として?)男女がだけがいる空間。
なんとなく引き寄せられるように、体が彼に触れ始めようとした時。
私のスマホからメッセージの着信音がした。
その音に反応してしまう。
カバンの中からスマホを取り出し見ると。雄也からのメッセージだった。
「今日はもしかしたら泊りになるかもしれない」
ただそれだけの短いメッセージ。
泊りになるかもしれないじゃなくて、泊まるんでしょ。彼女と……。
イラっとした気持ちを抑え込んで。
「わかった。それじゃ、今日は久しぶりに実家にでも帰ってみよっかな」て返してやった。
すぐに返信が来て「そっか、じゃぁ気を付けてね」とだけ返された。
おいおい雄也……さん! 私の実家忘れたわけじゃないよね。関西だよ! 今からそっち行くのって――――あっ、やめた。
その時何か殺伐とした、冷気のようなものが私の胸に流れ込んできた。
終わってたんだ。
……だよね。
私の表情から読み取ったのか春日先生は「旦那さんかい?」と聞いてきた。
そのまま、スマホを彼に渡してメッセージのやり取りを見せた。
「上野さんの実家って、確か大阪だったよね」
あ、この人覚えていたんだ。
前に話したことあった。なんとなく、何気なくだったけど。
「まっ今から行けないこともないんだろうけど。でも何か反応してもいいよね」そう言いながらクスッと笑い。
「でもさぁ君も、当てつけのように返したね」
「はい」と返事をしてやった。残ったビールをそのあと一気に飲み込んだ。
ビールのアルコールは私をちょっと大胆にさせる。ちょっとじゃないか?
「先生! セックスしましょう」
うわぁ。言っちゃってるよ私。
その言葉に春日先生は「ほほぉ」とした表情で即答した。
「しないよ」
「へっ? どうして? やっぱり私なんか魅力ないんですよね」
「いや十分に魅力的な女性だよ。結婚していなかったら彼女にしていたかもしれないな。う――んでも違うな。結婚している上野真奈美が僕は好きなのかもしれない」
「なんですかそれ。単に人妻がいいって言うことですか?」
「いや、そう言うことじゃないんだよね」とは言っているが何かエロイ事考えている雰囲気を漂わせている。さすがエッチなもの書いている人は一筋縄では落ちないって言うことなの?
「じゃぁさぁ、先生! 不倫の仕方教えてください」
「あっ、それも断る」
「断るって、知っているんでしょ。あんなエロイ小説書いてんですから知っていますよね」
「もちろん。知っているけど」
あっさりと答えるな!! だったら素直に教えろ! 心が叫んでいた。いやいや、胸の中でそう叫んだに過ぎない。
「じゃぁ私はどうすればいいんですか?」
「それは分からない。僕がどうこう言える立場じゃないからね」
「逃げるんですか!!」パンチ一発投げちゃった。
だってさ、頼るのもうあなたしかいないんだよね。それにそう言う風に仕向けたのあなたじゃないの? もしかして。
それを口にはしなかった。
したかったけど、しない。したら負けのような気がした。
なんで勝ち負けにこだわるのかは自分でも分からないけど。ふと、こんなことを思い始めた。
この人はずっと前から私のこと見続けていたんじゃないのかって。
あなたは私のこと……。本当に――――愛してくれているのかもしれないね。
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