第42話 日歴122年 父の死 上

「あの花、初めて見た」


 夕食時、ツァイリーは部屋の中が淡い紫色の花で飾られていることに気がついた。昨日はなかったはずである。


「ギオザが好きな花?」

「母の好きだった花だ。命日に毎年飾っている」

 ギオザの母が亡くなっていることは知っていたが、ギオザの口から『母』という言葉が出たのが初めてだったため、ツァイリーは少し驚いた。

そういえばこんなに毎日一緒にご飯を食べているというのに、ギオザの家族の話になったことは一度もなかった。

 父親はどうやら暗殺されたらしいし、自分たちの関係性もあって、なんとなく聞いてはいけないような気もしていた。


「命日か……何年目?」

「ちょうど10年」

 ギオザは現在25歳なので、15歳の時に母親を亡くしたということである。噂では病死だったという。

 そういえば、とツァイリーは以前のやりとりを思い出していた。

 薬師のシイラを王城の敷地内に入れる許可をもらえるだろうかという話の時、イズミが『ギオザ様なら許可なさると思います』と迷いなく言ったのだ。実際、ギオザはあっさりと許可を出した。もしかしたらあれは母親を病で亡くしているからだったのかもしれない。


 ツァイリーは、背筋をぴんと伸ばし、相変わらず洗練された所作で食事を続けるギオザを眺めた。

 今でこそ、自分の足で立ち、他人に弱みを見せない王であるギオザだが、彼にだって幼少期はあったはずだ。どんな子どもだったのだろう。どうして今は、固い氷で全身を覆ったような男になったのだろう。


 母親も父親も亡くしたからだろうか。両親という存在を知らないツァイリーにはよくわからなかった。


「前の王様ってどんな人だったんだ?」

 ツァイリーはふと尋ねてみた。前の王様、つまりは自分の実の父親である。父親とはいえ、会ったこともないので、これまであまり気にしたことはなかったが、ギオザとある程度打ち解けた(とツァイリーは思っている)今なら、世間話として振ってもいいのではないかと思ったのだ。


 ギオザは一瞬箸を止めると、ツァイリーに視線を向けた。そしてその邪気のない顔を見ると、箸で掴んでいた野菜をそのまま口に運んで、咀嚼し飲み込む。


「お前とは全然似てない」

「そんなこと聞いてないだろ!」

 どうやらいい意味ではないだろうと気づくと、ツァイリーはむっとした。

「じゃあ、お前とは似てたのか?」

「似てない……」

 ギオザはありし日を思い出した。もうはるか昔に感じる、まだ父も母も生きていて、自分が何も知らなかった時のことを。



『いい? 人前でその力を使っちゃだめよ』

 母にはじめてそう言われたのは、まだ5歳の頃だったか。何度も何度も繰り返し言い聞かせられるその言葉の意味も分からぬまま過ごした幼少期。今思えば自分は爆弾のようなものだったのだと思う。穏やかな生活を破壊しかねない、目の上のたん瘤だった。


 神力シエロについて学んだとき、どうやら自分は特別な存在であると知った。特別、幼い自分にとってその響きは魅力的で、胸が躍ったのを覚えている。

 人目のない庭や自室でよく力を使ったものだ。できることが増えるにつれて嬉しくなった。自慢したい気持ちに駆られながら、母の言葉を忠実に守ってもいた。幼いながらに、その重大さに薄々気がついていたのかもしれない。

 そして、母の言葉の本当の意味を知ったのはもっとずっと後。母が病に伏して1年、医者に余命を宣告されてすぐのことだった。


 母の見舞いに部屋を訪れた時、中に誰かがいるのに気づいた。僅かに開いていた扉から中をのぞくと、父の姿がある。


 ギオザは思わず身を潜めた。父親と母親が2人で話している姿などこれまでほとんど見たことがなかったのだ。

 母のそばには常に使用人がいたし、父のそばには護衛がいた。3人で庭を歩いたりどこかを訪問することはあっても、あくまで自分を介しているような感じだった。

 ギオザは部屋に入ることもためらわれ、2人がどんな会話をするのか興味がわき、ただその場で耳を澄ました。


「あなたはずっと優しかったわね」

「そうか。私は良い伴侶になれたか?」

「……ええ。私たち、もっと早くちゃんと話せばよかった……」

「……今からでも遅くない」

「ほんと……?」

 母は穏やかに、嬉しそうな声で返した。

 父は母の毛布の上に置かれた手を優しく握った。

 これ以上は聞かぬ方がいいかもしれないと、立ち去ろうとした時。母の言葉に、ギオザは体を強ばらせた。

「ずっと、苦しかったの。あなたは全て気づいているのに、私を一度も責めないから」

「私に君を責める資格はない。それに、君も同じだっただろう」

「ふふ、ありがとう。私ずっと伝えたかった。一度間違えてしまったこともあったけれど、ギュンター、私はあなたのことを心から愛しているわ」

「……私たちは、ずっとすれ違っていたんだな」

「いいえ、すれ違ってなんかいないわ。あなたはギオザを愛してくれたもの。あなたが許してくれていることは、ずっと気づいていたの」

 母は声を震わせた。父は母の頬に伝う雫をそっと拭っているようだった。


 2人の会話の意味を理解したギオザは、静かに息を呑んだ。


 なんとなく、違和感はあった。その正体がはっきりしてしまったのだ。


 いろいろな事実に一本の線がつながった。

 母と父は壁がある。

 それは実しやかに囁かれる父の隠し子が原因なのかと思っていた。

 しかし、違ったのだ。いや、正確にはそれだけではなかった。自分こそが、母の不義の証であったのだ。


 ギオザはすべての神力シエロが使える。黒はもちろん、赤、青、緑、試したことはないが白もおそらく操れる。これは特別なことだ。前例がない。だからこそ、母は自分に告げた。人前で力を使うな、と。


 父は黒の神力シエロを持っているので、自分が黒の神力シエロを使えるのはおかしいことではない。他の力については、なにかしらの突然変異とか先祖返りとか、そういう説明のつけがたい、母でさえも分からないことなのだと思っていた。

 そう考えて、納得しようとしていたのだ。


 しかし、違った。自分は父の子ではなかった。


 本当の父親が誰なのかはわからないが、きっとその人の力を継いだのだろう。母はそれをひた隠して生きてきたのだ。父にも誰にも悟られないように。


 そして父は父で、母と同じ過ちを犯していた。2人は互いに、その事実に気が付かないふりをしていた。だから、形容しがたい距離があったのである。


 ギュンターの血を引いていない、その事実は大きな衝撃をギオザに与えた。自分はいったい何者なのか、それが一気にわからなくなったのだ。

 ギオザは2人に気付かれないように自室に戻ると、しばらく物思いにふけった。


 この事実は、母と父以外知らないのだろう。母は隠し通し、父だけがそのことになんとなく気がついていたが、それを明らかにすることはしなかった。2人の会話から推測するに、きっとそんなところだ。


 ギュンターの子じゃないということは、自分に王位継承権はないということになる。そうなると、順当に考えて王位継承権第1位は従兄のリズガードということになるが、ギュンターの隠し子が男で、かつ黒の神力シエロ持ちであれば話は変わってくる。

 義兄弟(実際には義兄弟ですらないが)がどこにいる誰かはわからないが、自分の出自が公になれば、やり玉に上がるのは必須。ギュンターに隠し子がいるという噂はどことなく広まっているのだ。


 これから自分はどうすればいいのか、ギオザにはわからなかった。2人が隠し通すと決めているのならば、それに倣うべきだろうか。 


 そうすると、次期王は自分になる。王族の血を引かない自分が、その役を務めてもいいのだろうか。

 ギオザは、王になりたいわけではなかった。そういう運命だからと、漠然と受け入れていただけだ。他の道を示されたことだってなかった。

 父ギュンターはどういう思いでこれまで自分と接してきたのだろうか。

 血の繋がっていない子どもを我が子として育てるのは苦痛だったのではないか。本当の子を王族として育てたかったのではないか。本当の子を差し置いて王子としての恩恵を受ける自分を憎く思うこともあったのではないか。


 考えれば考えるほど、ギオザは苦しくなった。自分を自分たらしめていたものが、どんどん崩れていくように思えた。


 心臓が無闇に鼓動する。息が荒立ち、頭を抱えた。自分はいったい何者なのか。


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