第23話 日歴122年 アザミ・ルイ・アサム 下
一級神官になってから数日。
レイディアはいつものように割り当てられた席につき、事務仕事をこなしていた。その最中も考えるのはツァイリーのことである。
アサム王国国王ギオザがツァイリーの殺害を企てたとしても、ツァイリー宛に国からの手紙が届いたことは説明できない。
一体何のために国はツァイリーを王都に呼んだのだろうか。
その答えを探すため、あれから数回書物庫に足を運んだが、特に情報は得られていなかった。
ツァイリーが死んでから、レイディアはずっと心に穴が開いてしまったようだった。
いつも隣にいたはずの存在がいない。最初はただ悲しみに暮れていた。しかし、ツァイリーのいない時間が過ぎていけばいくほど、空虚なその穴は広がっていくようだった。
だんだん何に対しても無気力になり、世界が色褪せていくようだった。
しかし、ツァイリーの死の真相を調べている時は、その穴が一時的に塞がるのだ。今、レイディアは明確に生きる目的がある。めざすものがある。
それは、絶望の中に現れた唯一の救いのようだった。
「少しいいか」
考え込んでいたレイディアの前に人が立った。レイディアはパッと声の主に視線を向ける。
「ハレル司教……」
そこにいたのは、神殿に3人いる司教の1人、ハレル・ウェザー司教だった。
司祭は助祭を束ね、司教は司祭を束ねる。二級神官以上しかいない神殿では、3人の司教がそれぞれ司祭を取りまとめており、レイディアの直属の上司にあたるのがハレル司教であった。
ハレル司教は神官の中で稀な女性で、芯のある凛とした人物だ。
ハレル司教はレイディアを人のいない部屋へ連れて行った。
「なにかこそこそ調べているな?」
開口一番、ハレル司教はそう切り出した。全く想定していなかったレイディアは一瞬黙り込む。
「少し、知りたいことがあって」
しかし、特に悪いことはしていないはずだとレイディアは思い直した。
レイディアが神官になったのはツァイリーの死の真相を知るためという不純な理由で、かつその死に国が関わっているのではと疑っているので、あまり堂々と言えることでもない。
だが、レイディアがやっていることは自分に与えられた権利を行使して情報を集めているだけで、誰に危害を与えているわけでもない。
「お前が何か思惑があってここにいるのはわかっている。正直に言え」
レイディアはどうにか追及を逃れられないかと考えたが、このハレル司教に対しては難しそうだと思った。もう付き合いは半年以上になるが、彼女は妥協を知らない実直な人である。
「友人の死の真相を探っています」
「……ツァイリー・ヴァートンだな」
「ご存じでしたか」
レイディアがツァイリーの遺品を回収しようとした使者に
「お前はその友人の死に、この国が関わっていると?」
「はい……事実、彼は国に呼ばれて王都に向かう途中で亡くなりました」
ハレル司教は友人の死に対するレイディアの強い執着を認めると、少し空気を緩めた。
「私の知っていることを話そう」
その言葉にレイディアは驚いた。てっきり、神官たるもの私情を持ち込むな、などと注意されるのかと思っていたのだ。
「最初私はお前のことを癇癪持ちの子どもかと思っていた。なぜなら、お前が
「……?」
レイディアはあまりにも事実と違う話に唖然とした。あの日、たしかにレイディアは使者に
それにあの時点では、ツァイリーの死に国が関わっているとまでは考えていなかった。そう考え始めたのは、むしろその件があったからだ。
「お前がここにきて、その話はどうもおかしいと思った。独自に調べた結果、事実は違うことを知った」
そういえば、最初会った時、ハレル司教はいやに厳しかった気がする。レイディアは司教とはそんなものなのだろうと思っていたが、不審がられていたようだ。
「この件に関して、間違いなく国は何かを隠している。私をもってしても、何の目的で国がツァイリー・ヴァートンを王都に呼び寄せたのかわからなかった」
「司教でも……」
エルザイアンは、シエル教会と王族という二代権力が支配している国である。
シエル教会の中で、司教は大司教に次ぐ地位。ハレル司教が嘘をついていないのならば、かなりの重要秘匿事項なのか、王族の独断で行われたことなのか、のいずれかだろう。
彼女でさえ知らないのでは、この場所で、正攻法でこれ以上の情報を得ることは難しいのかもしれない。
「ツァイリー・ヴァートンとは、一体何者だ」
レイディアは逡巡した。ツァイリーがアサム王国国王の隠し子だということは、モーリスから聞いた情報である。モーリスは本人以外に話していないと言っていた。少なくともハレル司教は知らないはずだ。
このことを言うべきか、言わざるべきか。
「リーは…」
レイディアはしっかりとハレル司教と目を合わせると決意を固めた。彼女を信じよう、と。
「アサム王国王族の血を引いていました」
「アサム……」
ハレル司教は少し考えて、口を開いた。
「彼の死に、アサム王国が関わっていると?」
「私はそう考えています」
「……かの国については、今朝通達があった」
ハレル司教はすっと目を細めた。
「2日前、アサム王国はメルバコフ領ライアンを占拠した」
続く言葉にレイディアは息を呑んだ。
「先導しているのは、王弟アザミ・ルイ・アサムだ」
アザミ、ツァイリーにとって代わった男である。
「知っての通り、メルバコフは神守国の一角だ。今回の占拠は、30年前に奪われた土地の奪還であり、大義はある。ゆえに静観の姿勢だが、メルバコフから救援要請が出されれば、我らも無関係とはいくまい」
レイディアは与えられた情報を消化するのに精一杯だった。
「アサム王国の動きはわからないが、十中八九救援要請は出されるだろう。メルバコフはそういう国だ」
ハレル司教は淡々と言葉を続けていく。
「今宵、司教会がある。そこで今後の話をする予定だ。私は本件の担当を名乗り出る。行軍することがあれば、お前を随行させよう」
「本当ですか!?」
レイディアはつい大きな声を出した。
まさかハレル司教がこんなにも協力的だと思わなかった。それが実現すれば、王弟アザミ・ルイ・アサムの新たな情報が得られるかもしれない。
書物庫であらかた情報を集め終わったレイディアは、それ以上の情報をどうやって集めようか悩んでいたところだったのだ。
「特級神官を任される身。教えに反するような事実を見過ごすことはできない。私も真実が知りたい。できることは協力しよう」
「ありがとうございます……!」
深く頭を下げるレイディアに、ハレル司教は「何か分かり次第、報告しろ」とだけ言って去って行った。忙しい身なのである。
そしてその20日後、レイディアは死んだはずのツァイリーと敵として相対することになるが、今は知る由もなかった。
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