第19話 日歴122年 城下町 下
ヤオウがある店の前で止まり、ツァイリーも立ち止まる。
店先には色とりどりの果実が並んでいて、ツァイリーは見入った。
「いらっしゃいませー」
店主らしき愛想のいいおばさんが、ツァイリーに気づいて声をかける。
ツァイリーは果実が好きだが、なんせ金を持っていない。冷やかしと思われるのが嫌で立ち去ろうとするが、ヤオウは動こうとしない。
「あらあ、クロちゃん久しぶりねえ」
「にゃあ」
店主はヤオウを見つけると、声を上げ、一層破顔した。どうやらヤオウはここの常連らしい。
しゃがみこんでヤオウを撫でていた店主はツァイリーを見上げる。
「あなたがこの子の飼い主さん?」
「ええと……」
ツァイリーは、まさか本当のことを言うわけにはいかないと思った。王様の飼い猫なんてことが知れたら、この店主はもう2度と今のようにヤオウを撫でることはないだろう。この状況で否と答えるのもおかしい気がする。
「はい……」
ツァイリーは仕方なく嘘をついた。自分は城に暮らしていて、この猫は城に棲みついてるので、嘘とも言い切れないかもしれない、と心の中で変に言い訳をする。
そもそも、ヤオウは猫じゃないのだから、飼い主というのもおかしな話だが。
「そうなのねえ、この子最近見なくなったから心配していたけど、ちゃんと飼い主さんがいてよかったわあ!」
店主が手を離した隙に、ヤオウがツァイリーに近づいて、足元に頭をこすりつけた。ツァイリーが反射的に身を引くと、店主に不思議そうな顔で見られ、おずおずと元の位置に戻った。
「これクロちゃん好きなのよ、食べさせてやって」
店主は赤い果実を3つツァイリーに渡した。一つが丸々と大きく、どう見ても猫が食べる量ではない。ツァイリーの分まで分けてくれたようである。
「こんなにいいんですか!?」
ツァイリーは両手に乗る果実を見て目を輝かせた。
「にゃあ!」
「あらあら、どうしたの」
ヤオウが果実が乗っている台に前脚をかけて鳴く。台はぐらぐらと揺れ、上の橙色の果実は今にも落ちそうである。
ツァイリーは飼い主として止めなければ、と「ヤオウ」と声をかけた。
しかし、やめようとしない。どうやら何かを訴えている様子だ。
店主は少し考えると、何か閃いた様子で、橙色の果実を手に取った。
「これほしいのね!」
「にゃ」
ヤオウが頷くように鳴くと、店主はツァイリーの手にその果実も乗せた。
「これも美味しいよ! 持っていきなさい」
ツァイリーは流石に悪いと思いつつも、持ち合わせがないためお金を払うこともできず、素直に受け取ることにした。
ヤオウが用は終わったとばかりに歩き出したので、ツァイリーは急いで店主に礼を言い、必ずまた買い物に来ることを約束して、店を去った。
そんなことが何度か続き、日も落ち始め、2人が城の秘密通路に戻る頃には、ツァイリーは紙袋いっぱいの戦利品を抱えていた。
内容は果実に干物に猫草に、と様々である。ツァイリーはヤオウが街の人に馴染み好かれていることにも、街の人が1匹の猫にこんなに親切であることにも驚いた。
ヤオウは人の姿に変わると、ツァイリーから紙袋を奪い取って通路に座り込み、中身を出した。
その中から橙色の果実を2つ手に取ると、1つをツァイリーに投げる。ツァイリーは危なげなく受け取ると、手で感触を確かめながら、観察した。
「お前それ好きだろ。感謝しろよ」
ヤオが自信満々にそう言って、果実を食べ始める。しかし、ツァイリーは食べた覚えがなかった。
ヤオを真似て、厚めの皮に親指の爪を食い込ませて剥くと、中からは白い薄皮に覆われた実があらわれた。ツァイリーはおもむろにかぶりつくと、中から弾け出した果汁が口に広がり、その甘酸っぱい味に、どこで口にしたのか思い出した。
誘拐された時、睡眠薬を入れられていた果実汁と同じ味である。
「くっ、あははっ!」
ツァイリーは思わず笑い出した。
あの時の誘拐犯が、自分がこの果実を好きそうだということを思い出して、自分のためにこれを調達してくれたのだ。
「なんだよ」
口をもごもごさせながらそう言ったヤオは心底不思議そうである。
随分と可愛い誘拐犯だったんだな、とツァイリーは思ったが、言ったら怒りそうなので口には出さない。
「ありがとな、美味いよこれ」
「おう……時間大丈夫か?」
「……俺先に戻るわ!」
そういえばもう日が落ちているのだった、と思い出したツァイリーはヤオに渡されたランタンを持って走り出した。
行きは下りで楽だったが、帰りは上り、しかも6階までである。
ようやく自室に辿り着く頃には汗だくになっていた。
「アザミ様……?」
主人からの返事がないので、何かあったのではと部屋に入ったイズミは、彼の姿がないことに気づいた。昼食時には、今日は一日部屋で本を読むと話していたはずだ。
陛下かリズガード様に呼ばれたのだろうか、と考えるも、陛下は今執務室で仕事中だし、リズガード様は珍しく城を出て軍の訓練場に出向いている。
イズミはツァイリーの監督を任されている。
何か異変があればすぐに知らせるよう、ギオザに言われていた。仕事に忠順なイズミは6階を一通り探してから、ギオザの執務室に向かった。
「なんだ?」
「アザミ様がお部屋にいらっしゃいません。この階は一通り探しましたが、どこにも。今日はお部屋で過ごされると話していたのですが」
「いつからだ?」
「最後にお見かけしたのは昼食の時です」
ギオザは手を組み、少し考えるそぶりを見せた。
「ヤオウは見かけたか?」
イズミは意外な名前に一瞬戸惑ったが、すぐに思い返した。ヤオウには会っていない。
「いいえ、見かけておりません」
「……ヤオウに追われて逃げ隠れでもしているのだろう。放っておいていい」
イズミはヤオウが現れた時のツァイリーの反応を思い出し、確かにそれもありえるかもしれないと思った。
「かしこまりました」
イズミは一礼して、執務室を去り、その後は自分に割り当てられた仕事場で、ツァイリー宛の招待状を整理して返答したり、ツァイリーについて聞きたいという新聞社の取材に応じたり、と多忙な時間を過ごした。
ツァイリーの不在がずっと気にかかっていたが、やっと仕事が終わった時にはもう夕食の時間で、用意を済ませると彼を呼ぶために部屋へ赴いた。
扉を叩くと、返事があり、安堵する。
部屋に入ると、ツァイリーはソファに座っていた。髪は若干乱れているし、肩で息をしている。あきらかに疲れた様子だ。
「何をされていたんですか」
イズミが直球でそう聞くと、ツァイリーは言葉に詰まった。
「えっと……ヤオウと」
そこまで言ったが、まさか本当のことを言うわけにもいかないので、ツァイリーは必死に続く言葉を探す。
「追いかけられて逃げていたのですか」
ツァイリーはイズミの思わぬ言葉に、全力で頷いた。
「そうなんだ! ほんと、あいつしつこくて」
「大変でしたね」
口ではそう言っているものの、完全に呆れた様子のイズミに、ツァイリーは乾いた笑いを漏らした。
「夕食の時間です。陛下の部屋へ参りましょう」
「うん」
こうして、城下町での探検は無事誰にもバレることなく(?)終わったのだった。
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