第13話 日歴122年 冬の月宴会 下
会場は異様に静まり返っていた。
他でもない、この国の王がこれから入場するというのだ。
先月、国王の誕生会で反現王派が粛清されたのは記憶に新しい。主に貴族で構成された参加者達は、今回の月宴会でも何かしらの波乱が起こるのではないかと予想していた。
そして特に、中小貴族は、国外追放されたマツライ家と親密な関係を築いていた家々がどのような思惑を持っているのか、それを見極めようと、そうとは知られぬように周囲を観察していた。
足音が響き、全員の視線が一点に集中した。
その矛先は、国王と、その少し後ろを歩く見知らぬ男である。変わった様子のない若き王は、眼光を鋭く光らせ、堂々と壇上に立った。人々は王と視線が合わぬよう、代わりにその隣にいる男を一層ジロジロと眺めた。
静まり返った会場でおびただしい視線を感じて、ツァイリーは居心地が悪かった。しかし、見くびられないようにとギオザに言われているので、毅然として前を向いた。
「寒い中ご苦労。この宴では3つ皆に伝えたいことがある」
ツァイリーは、ギオザがあまりにも話題を切り出すのが早いのでドキリとした。
「1つ目はここにいる者について。名はアザミ・ルイ・アサム。我が父の実の子であり、私とは母の違う弟にあたる者だ」
静まり返っていたはずの会場は一気にざわつく
しかし、王がそれ以上の説明を続ける気配はない。
驚きの声を一通りを上げた人々は、波が引いていくように次第に沈黙し、また静けさを取り戻した。
ギオザに視線で促され、ツァイリーは一歩前に出た。
「ご紹介に預かりました、アザミと申します。
私が自身の血筋を知ったのはつい最近のことです。父を弔いたいと訪れた私を、陛下は快く受け入れてくださいました。私が今、こうして生きているのは亡き父のおかげです。父はこの国のため、誠心誠意を尽して生涯を全うしたと聞きます。私は他の国で育ちましたが、父に報いるためにも、父が大切にしていたこのアサム王国に身を捧げたいと思います」
ツァイリーは打ち合わせ通りの言葉を一言一句間違えずに言い切った。やや棒読み感はあるが、大勢の前で緊張しているのだろうと思われる程度の出来である。
ツァイリーの言葉を聞いた貴族たちは思い思いの言葉を口にした。しかし、容赦なく反体制派を粛清したギオザを恐れているので、彼の耳に聞こえないくらいの小声でひそめきあっただけである。よって、ツァイリーの耳にも届くことはなかった。
ただその視線から、ひしひしと歓迎されていないことは伝わった。
予期していたこととはいえ、その悪意のこもった視線は、いつか自分を害するようにも思え、ツァイリーは嫌な予感を燻らせた。
「あら、そんなに小さい声だと聞こえないわよ」
凛とした声が響き、一斉に視線がそちらへ集まる。会場の入り口付近にいたのはリズガードで、今入場してきたらしい。彼の近くにいた貴族たちは気まずそうにその場を離れた。
一方、リズガードがいると知るやいなや一部の夫人や若い娘、はたまた紳士が彼に熱い視線を送り出したので、それまで注目の的になっていたツァイリーは多少重圧から解放された。
「ほら、前向きなさい。ギオザの話は終わってないわ」
リズガードがそうたしなめたことで、また会場が静まる。
「2つ目は、近年の穀物不足について。我が国では、ここ数年、気候の影響で不作が続いていることは承知していることと思う。父は他国との貿易で解決しようとしたが道半ばで倒れ、継いだ私は増税することで、民衆の食糧を確保した」
ツァイリーは初めてそれを聞いたが、無論そのことは表情に出さないように気をつけた。先王は貿易を始めようとし、そしてその途中で暗殺されたのだとしたら、先王が倒れた理由はもしかしたらそこにあるのかもしれない。
リズガードも「叔父様のやり方には批判が多かった」と言っていた。
アサム王国は大国であるので、食料を調達する平和的な方法として、貿易という手段は真っ先に浮かぶはずだ。しかし、戦争に踏み切ろうとしているあたり、それができない理由があったということなのかもしれない。
「しかし、私が行ってきたこれまでのやり方は、国民の命を救うために、国民に労苦を強いる形となってしまった。今後も不作が続けば、国力は低下する一方である。さらに、今年は流行病の蔓延のため働き手が減り、この先の食糧不足はより深刻になるだろう」
ギオザはよどみなく堂々と話す。そこに迷いの色は見えず、会場の者は国の行く末に不安を抱きながら、黙って彼の言葉の続きを待った。
「そこで、長期にわたる三役会議のもとで、我々は30年前に隣国メルバコフに非道な手で奪取された地、ライアンを奪還することを決定した」
ギオザの言葉を聞いた貴族たちは、たまらずどよめいた。
突然の戦争宣言である。
アサム王国は30年前にメルバコフに騙し討ちのような形で領土を奪われて以降、昔から親交のあるエドベス帝国以外の他国と一切の関わりを絶ってきた。ゆえに、アサム王国軍も、国境付近でのいざこざやエドベス帝国の要請での出撃以外で活躍する場はなかった。
それが、アサム王国自体が国を相手取って戦争するというのだ。
三役会議の三役である、御三家の当主、軍団の上層部、王族以外は知らない事実であった。まさに寝耳に水となった会場内の大勢は驚き、口々に囁き合った。
しかし、三役会議とはアサム王国において最高権力者が集い、全会一致が原則の厳然たる会議である。貴族の代表たる御三家が参加している以上、そこで決定したことを覆すのはほぼ不可能で、会場の参加者たちは受け入れるほかなかった。
「そして3つ目。その奪還作戦の責任者として、このアザミを任命する」
ツァイリーはぞわりと寒気がした。
会場内にいる者は大体が不審な目でツァイリーを見ているが、その中に複数殺気のこもったものもあるような気がしてならない。しかし、ツァイリーはギオザに命を握られているので、殺気のことは気にしないようにして、台本通り床に片膝をついた。
「謹んで拝命いたします」
胸に手を当てて慇懃に言葉を放つ。人生で口にしたことのない言葉、やったことのない動作だったが、イズミに練習させられただけあって意外にも様になっていた。
王が退場し、いくつもの重大発表によって異様な空気に包まれている会場の裏で、リズガードはギオザに詰め寄っていた。
「ギオザ、聞いてないんだけど?」
この20日間リズガードとすっかり慣れ親しんだツァイリーは、声で彼が本気でイラついていることを悟った。
「言っていない」
全く怯む様子もないギオザに、リズガードは深くため息をつくと、落ち着きを取り戻した。
「あんた、最初からそのつもりだったんでしょ。あたしにまで隠す必要あったの?」
「知っていたという方が問題だろう。私の独断である方が、動きやすい」
ツァイリーは何がギオザの独断だったのかを考えた。
月宴会で自分を紹介するのはリズガードも承知していたし、奪還作戦は三役会議とやらで決まったと言っていた。そうなると必然的に、ギオザが独断で決めたのは、自分を奪還作戦の責任者におくことだったということになる。
そこでツァイリーは腑に落ちた。1つ目2つ目の発表の時は驚きが会場を満たしていたが、最後の発表の後はそれとは違った反応があったのだ。ツァイリーが感じた憎悪のような殺気のような視線は、ツァイリーだけではなくギオザにも向けられていたのかもしれなかった。
「あんた父親と同じ轍を踏みたいわけ?」
「まさか。私は死なない、安心しろ」
その声に抑揚はなく、ツァイリーは全然安心できないなと思った。
「あんたが死んだらあたしが次期王にされちゃうんだからね、ほんと勘弁して」
リズガードはそう言い捨てて歩き出した、かと思えば、立ち止まって振り返る。
「アザミ、あんたの面白かったわ」
リズガードはそれだけ言って今度こそ立ち去った。
ツァイリーは彼の言葉を受けて、先ほどの自分の紳士然とした言動が急に恥ずかしく思え、地面に全力で転がりたい気持ちになった。そんな羞恥に震えるツァイリーをギオザは一瞥する。
「よく間違えなかったな」
ギオザは、ツァイリーを馬鹿にしたわけではなく、ただ純粋にそう思ったらしかった。
練習段階では何度も台詞を間違えていたツァイリーだったが、その様子は何だったのかと思えるくらい、本番ではすらすらと自然に言葉が出ていたのだ。
「俺本番に強いんだ」
「そうか」
基本的にツァイリーとギオザの会話が弾むことはない。というより、ギオザが無駄話をしない上に、質問には簡潔に答えを返すのみなので、会話が発生しても続かないのだ。
ちなみにリズガードの場合は、1つ聞いたら3つのことが返ってくる上、リズガード自身がいろいろな話題を切り出すので、話が止むことはない。
しかし、ツァイリーはギオザといる時の沈黙を特に苦と思わないので、あまり気にしていなかった。ツァイリーはあけすけな物言いをするので、変に会話をして、気に触るようなことを言う方が恐ろしい。なにせ、ツァイリーはギオザに命を握られているのだから。
かくして、月宴会は終わった。
先王の隠し子、アザミ・ルイ・アサムの存在は姿絵とともに翌日のうちに城下に広まり、それから数日でアサム王国全土に広まった。奪還作戦については箝口令が敷かれ、民衆には知らされなかった。
ツァイリーの姿絵は、月宴会に参加した貴族の証言に沿って絵師が描いたもののようで、本人と同じなのは服装と髪型だけ。顔はぼんやり特徴を捉えているものの、あまり似ているとは言い難かった上に、実物より数段劣っていた。
それを見て、精巧な姿絵が出回っているリズガードは爆笑し、ツァイリーは恥ずかしいやら悔しいやらの気持ちでいっぱいだった。
ツァイリーはそれもこれもギオザの策略なのではとギオザに姿絵について問い詰めたが、彼は全く関与しておらず、さらに「まあまあ似てる」などと言われ、ツァイリーが傷ついたのはまた別の話である。
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