第11話 日歴121年 美の化身 下

「おはよう」


 リズガードはずんずんと遠慮なくツァイリーに迫り、じっくりと検分した。


「あら、随分マシになったじゃない」

 褒められたようだが、リズガードはにこりともしないので、ツァイリーは顔を引きつらせて礼を言う。


「……ありがとうございます」

「そんなに怯えないでちょうだい。別に取って食ったりしないわよ」

 萎縮するツァイリーをイズミは一瞥し、リズガードに声をかけた。


「リズガード様、本日は外出なされますか」

「そのつもり」

「では、馬車を手配いたします」

「いいわよ、歩いていけるから」

「リズガード様が街をお歩きになられると、大騒ぎになりますので」

「いいのよ、騒ぎになっても。たまにはあたしの姿を見せてあげないと、かわいそうじゃない」

 そのリズガードの自信に満ち溢れた笑みは見る者を魅了するものだったが、イズミはばっさりと切り捨てた。


「お姿を見せられるのは月宴会の時にしてください。アザミ様のこともまだ周知しておりませんので、目立つ行動はお控えを」

「あらあ、ギオザの子分はギオザに似るのねえ。じゃあとっとと準備してちょうだい」

「はい」

 イズミは一礼して部屋を出て行った。


 部屋にリズガードと2人きりになったツァイリーは話しかけることも思いつかず、だからと言って沈黙にじっと耐えることもできず、落ち着きなく視線を彷徨わせた。

 リズガードはソファに腰を下ろすと、「あんたも座りなさい」とツァイリーに声をかけた。まるで部屋の主人のようである。ツァイリーは言われるがままにリズガードの向かいの席に座る。


「それで、月宴会のことは聞いてる?」

 ツァイリーは昨日の会話を一通り思い出してみたが、月宴会という単語を聞いたのはギオザとリズガードのやり取りの中だけである。口ぶりからして自分も参加することになるのだろうが、それがどういうものなのかは全く知らない。


「聞いてない、です」

「無理して敬語使わなくていいわよ。立場上、あたしたちは従兄弟なわけだし」

そう言われてツァイリーは困った。ツァイリーは敬語を使うことに慣れていないのでどうしてもぎこちなくなってしまうが、リズガードに対しては敬語を使わないというのもどうにも違和感があるのだ。


 リズガードは答えかねているツァイリーに「まあ、好きにして」と言うと、長い脚を組んだ。


「軽く説明すると、月宴会は月ごと、年に4回ある王家主催の宴会で、王族、御三家から民衆まで、王都のすべての人が参加するの。まあ、貴族はここの下、民衆は城下町でそれぞれ盛り上がるんだけど……ああ、あんた他国から来たんだっけ」

 続くリズガードの説明によると、アサム王国は1年を4つの月、春月、夏月、秋月、冬月に分けていて、それぞれ90日間なのだという。月宴会はその月の45日目に開かれる。

 そして今日は冬月25日。冬月宴会の20日前である。


「あんたがどこまで知ってるのか知らないけど、先月のギオザの誕生日に新王擁立派が一掃されて、結構な数のお偉いさん方が国外追放か牢屋にぶち込まれたわけ。それに不満を持つ貴族も少なくなくて、次の月宴会はそれ以来初の王家主催の会だから、簡単に言うとすっごい大事なのよ」

 ツァイリーは理解するのに必死になりながらも、1つの疑問を口にした。


「そんなにギオザの王位は不安定なのか?」

 リズガードがよどみなく返す。。

「そうでもないわ。新王擁立派はギオザの神力シエロを理由に引きずり落とそうとしてたけど、頼みのあたしはダメで、他の黒持ちは血筋的にだめ。隠し子を探してたけど見つからなくて、ついにはその子さえもギオザについたとなると、正当法ではもう落としようがない」


 隠し子、というのは自分のことで間違いない。リズガードの口ぶりからすると、自分は最後のダメ押しの一手だったようだ。ツァイリーはギオザを末恐ろしく思った。


「でもね、仮に全ての貴族が一致団結したら、あたしたちもお手上げよ。ただでさえ叔父様のやり方には批判が多かったし。あたしたちは貴族のご機嫌をとりながら牽制しなきゃいけないの」

 ツァイリーはこの国の事情など全く知らないので、リズガードが言ってることはわからない。リズガードもツァイリーが話の内容を理解することは期待しておらず、考えを整理するように言葉を続けていた。


「次の月宴会は本当に大事。とにかく、あんたは粗相をしないよう気をつけなさい。それから付け入る隙を与えちゃだめよ。あんたがどうしようが勝手だけど、つまんない奴に利用されて死ぬなんて、哀れな姿は見せないでね」

 ツァイリーは「死」という言葉に驚いた。リズガードが茶化している気配は一切ない。


ギオザは月宴会でツァイリーを、先王のおとうとであり今後は準王族として自分の下につく、と世間に公表する手筈だ。そうなれば、彼を利用しようとする者が出てきてもおかしくはない。


 国の事情を知らないツァイリーは奸計を企てる何者かがどんな言葉を使って近づいてくるのか全く想像ができない。しかし、爆発する首輪を付けられている時点で、ツァイリーがギオザを裏切る可能性はゼロに近い。それを知らないリズガードはツァイリーをじっと見つめて、その胸の内を推し量ろうと試みた。


 束の間の沈黙の後、部屋に扉を叩く音が響いた。馬車の準備ができたようで、リズガードはさっと立ち上がると、部屋から出た。


「行くわよ」

 リズガードが先導し、ツァイリーが続き、その後ろにイズミがつくという形で、一行はひたすら階段を降りた。ツァイリーは初めて6階より下に降りたが、それは牢から隠し通路を使って6階のギオザの部屋まで行ったからであり、あまりもの珍しくじろじろと見るとリズガードに不審に思われるだろうと思って、見渡したいのを我慢した。

 前を歩くリズガードの背はピンと伸びていて、脚が長いからか歩き方は優雅である。

 レイディアも孤児院育ちだとは思えないほどひとつひとつの所作が美しかったが、リズガードのそれはもっと洗練されている。それでも、言葉遣いなど、ところどころ荒っぽいところがあり、それがまた彼の魅力を引き立てていた。


 3人を乗せた馬車は、ある屋敷の敷地内に入ると停車した。馬車に窓はなく、ツァイリーが街の景色を眺めることは叶わなかった。御者席にはイズミが座っており、車内はリズガードとツァイリーの2人きりだったが、リズガードがツァイリーに年齢や育ちなどの質問をし続け、沈黙は訪れなかった。

 ツァイリーは、誘拐されて監禁された下りを除いて、基本的に偽りのない話をした。そのおかげか、リズガードに怪しまれている様子はなかった。

迫力のある見た目で黙っていると怖く見えるが、リズガードは饒舌で、ツァイリーは昨日よりもずっと親しみやすさを感じていた。


 イズミが屋敷の人間にリズガードの来訪を告げると、3人はすぐに招き入れられた。屋敷の主は名をサンシャ・ヨーテルといい、リズガードよりも10歳は上の男性だった。

 サンシャは3人を応接間に通し、使用人に茶の用意をさせると、挨拶もそこそこに「それにしても」と話し始めた。


「リズ様、突然来られては困りますよ。私の妻と娘はあなた様の大ファンなのですから」


 サンシャの妻と娘は今ちょうどでかけていて、屋敷にはいない。リズガードがサンシャの顧客であると知った2人は以前から、会いたいと何度もサンシャに強請っていた。憧れのリズガードが自分たちの居ぬ間に屋敷に来たなんてことが知られたら、責められること必須である。


「あら、ちょうどよかったじゃない。あたしを見て倒れでもされたら大変でしょ」

 いっそすがすがしいほど自信に満ちあふれた発言にツァイリーは感服した。


「それで、本日はどのようなご用件ですか?」

「この子、ギオザの弟なんだけど、貧相でしょう?」

「弟!?」

 サンシャは驚きのあまり立ち上がると、ツァイリーをまじまじと見た。突然大声を出されたツァイリーも驚いて肩が揺れた。


「このことは月宴会まで秘密よ。それで、あと20日で効果のありそうなものをいろいろと見繕ってほしいの」

 平然と言葉を続けるリズガードに、サンシャはなんとなく状況を掴むと落ち着きを取り戻した。 

 サンシャは眼鏡をくいっと直すと「そういうことでしたら、見本をお持ちします」と部屋を出て行く。 

 

「あの人ってなんの人?」

 扉が閉まると、ツァイリーはずっと疑問に思っていたことを口にした。今日何をするのか、ツァイリーは全く知らされていなかった。

「身体に関するいろんな商品を売ってるの。まあ、見た方が早いわ」

「リズ様も使ってる?」

「ええ、もちろん」

 どんなものかはわからないが、この美人が愛用するものだったら間違いないだろうとツァイリーは思った。

「でもね、使うだけじゃダメよ。相応の努力をしないとね」

「努力……?」

 ニヤリと笑ったリズガードに嫌な予感を感じたツァイリーは、努力の内容を聞こうとするが、その前にサンシャが戻ってきた。手には本を3冊持ち、息を切らせているので、急いで取ってきたのだろう。


「見たところ、こういうのが御入用ですかね」

 サンシャはどんっと本を机に置いて、ペラペラめくってめぼしいページを見つけると、商品を一つ一つ説明していく。

商品は女性ものから男性ものまであり、肌に潤いを与える軟膏や筋肉をつけやすくする飲み物、睡眠の質を高める香油など様々だった。

 孤児院育ちのツァイリーには全く縁が無かったものばかりで、すべてが新鮮にうつった。そんなツァイリーは置いて、リズガードとサンシャはツァイリーを時折ジロジロ見ながら言葉を交わしていく。


 最初は真剣にサンシャの説明を聞いていたツァイリーも2冊目に突入する頃には集中力が切れ、あれはだめ、これはいいかも、あたしもほしい、とひとつひとつ品定めしていくリズガードをぼーっと眺めているだけの存在になった。


「よし、こんなもんね。すぐ持ち帰れるものは馬車に積んで、それ以外は王城にあたし宛で届けてちょうだい。請求はギオザに」

「かしこまりました」

 いつのまにか買い物が終わり、うとうとしていたツァイリーは隣のリズガードが立ち上がったのに気づくと、慌てて立ち上がった。


 屋敷から出て馬車に乗り込むと、リズガードは目をしばしばさせるツァイリーを見て呆れた。最初の方は自分を相手に緊張している様子だったのに、この短時間で随分と慣れたものである。


「ゆっくり休めたようね?」

 眠気と戦っているツァイリーはリズガードの嫌みに気づかず、素直に頷いた。


「俺、今日から何をすればいい?」

 リズガードがあれこれとツァイリー用に商品を買っていたようだが、当の本人はあまり把握していなかった。自分の横に置かれている小包の中身が何かもわからない。


「そうね、眠いなら今のうちに休んで、覚悟決めなさい」

「覚悟……?」

 ツァイリーは不穏な言葉に眠気が覚める思いがした。詳しいことを聞こうとするが、当のリズガードは腕を組んで目を閉じた。休むつもりらしい。


 そういえば、「相応の努力」が必要だと言っていたような気もする。ツァイリーは言われたとおり休もうと目を閉じるが、これから待ち受ける何かが気になって、全く休むことができなかった。


 その日の夜、ツァイリーは泥のように眠った。

 城に帰宅後、元アサム王国軍団長のリズガードによる地獄のような訓練を受けたのである。

 もともと腕っ節に自信があったツァイリーも1年間の監禁生活で筋力が衰え、実際に体を動かす中で、できたはずのことができなくなっているのを実感した。その悔しさをバネにリズガードの容赦ない指示にも食らいつくことはできた。


 すべての訓練を終えると、ツァイリーはすぐに筋肉が増えるという飲み物を飲み、夕食を食べ、発汗効果があるという入浴剤入りの風呂に入り、水をたくさん飲んだ。美肌効果があるという噴射式の液体を顔に吹きかけ、肌がすべすべになるらしい軟膏を身体中に塗り、肌に優しい素材でできた寝間着を着て部屋に戻ると安眠効果があるお香が焚かれており、ベッドに横になった瞬間眠りに落ちた。


 すべてリズガードの指示である。


 ツァイリーはリズガードが美の化身たる理由を知った気がした。

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