第2話 日歴120年 誘拐と消失 上
「これ、リー宛」
まだ眠気でぼんやりとしているツァイリーに、白皙の青年、レイディアが一通の封筒を差し出した。
「ん? 誰から?」
手紙を受け取り、差出人を見ようと裏返した時、ツァイリーはまるで冷や水を浴びせられたかのように意識が明瞭になった。
「国……?」
教会を模した絵柄の金の封蝋は、まさしくツァイリーがいるこの国、
「何の用だろうね」
国から手紙が来るなんて只事ではない。
特に、孤児院をあくせく切り盛りしているツァイリーとレイディアにとって、国からの手紙は嫌な予感を覚えさせるものだった。
孤児院は少なからず国の支援で成り立っているのだ。支援金の減額の通知だったらどうしてくれよう、と。
ただ、ツァイリーはまた別の可能性を考えては、手紙を持つ手が震えそうになるのを必死に堪えていた。
いつも快活なツァイリーが手紙を見つめて動かない様子に、レイディアも何か異様さを感じて、声をかける。
「リー、何か」
心当たりがあるのか、そう続くはずだった言葉は、ツァイリーのやけに明るい声に阻まれた。
「あー多分、この前要人の依頼受けたから、俺の強さが知れ渡っちゃったんじゃないかなあ、ほら俺ってすげー強いから! うん、きっと依頼の手紙だよ、間違いない!」
「は? 真面目に」
「後でどんな依頼だったか教えてやるよ!」
レイディアの追求を逃れるように、手紙片手にツァイリーは自室へ向かった。
自室に戻り、扉の鍵を閉めたツァイリーはしばらく手紙を見つめ続けた。
心当たりはある。
一月前、
近隣国でもない外国の話だ。エルザイアンの端っこにある孤児院で生活するツァイリーは知らなくても全く支障がないくらい、遠い話のはずだった。しかし。
ツァイリーは、アサム王国前国王の隠し子である。
このことは本人と、ツァイリーが育った孤児院「セゾンの園」の施設長モーリスしか知らない。
幼少期からずっと一緒に育ったレイディアにすら言っていないことであり、本人も普段の生活で意識するようなことはない。
アサム王国には、住んでいたどころか行ったこともない。よって、ツァイリーにとって、自分が他国の王の隠し子であるという事実は、今後の自分の身の振り方に関わってくるようなものでもなかった。
ただ、アサム王国の先王はまだ48歳という若さでこの世を去り、ツァイリーの想定よりもずっと早く、自分と半分は血の繋がっている義理の兄が即位することとなってしまった。
先王の死は突然で、どうやら暗殺というきな臭い噂もあり、国の中枢はかなり荒れたという。
しかしそんな状況でも、先王に男兄弟はおらず、先王の子は1人のみだったため弱冠24歳の長男ギオザ・ルイ・アサムが王の座についていた。
無事即位したことだし、自分に火の粉が降りかかってくることはないだろう、とたかを括っていたツァイリーだったが、そう簡単な話でもなかったのかもしれない。
この手紙は『自分宛て』だ。セゾンの園に関わることとも思えない。何よりタイミングが良すぎるのだ。
この手紙が本当に黒の国に関わるものであれば、自分は今の生活を手放さなければならなくなる。
ツァイリーはそう直感していた。
物心つく前に施設に預けられたツァイリーは20歳の今までずっとこのセゾンの園で暮らしてきた。施設長のモーリスが病に倒れてからは施設を支える側に回った。レイディアは子供の世話など施設内の諸々、ツァイリーは身辺警護などの依頼を請け負い資金調達、といった形で二人三脚で生きてきた。
この場所から離れたくない、家族から離れたくない。それに、自分がいなくなったらレイディアは、子どもたちはどうなってしまうのか。
そんな不安に苛まれながらも、ツァイリーは一度目を閉じて手の震えを鎮めた。ゆっくりと手紙を開封し、中に入っていた一枚の便箋を広げる。
【ツァイリー・ヴァートン殿
至急の要件にて、7日以内の登城を命ず】
格調高い便箋には、簡潔にそれだけが仰々しく書かれていた。ツァイリーはたった2行のその文章をまじまじと見つめ、険しい表情を崩さなかった。
ツァイリーがレイディアに言ったことは、全くのハッタリではなかった。実際、ツァイリーは国の要人の警護を引き受けたことがある。もしも、ツァイリーが他国の王の血を引いていなければ、城に呼ばれる理由などそれくらいしかない。
ただ、今回に至っては、やはりツァイリーは自身の最悪の想像があたっていると思った。
この辺境の地から7日以内に城へ向かえというかなり無茶な要求をしておいて、その理由さえ、手紙には書けないということなのだ。
きっと万が一にでも他所に漏れてはならない要件ということだろう。
ツァイリーは便箋を封筒に戻すと、片手でそれを高く放った。そして、くるくると回りながら宙に舞う手紙を視界に捉えて、ひと言呟く。
「燃えろ」
その音が静かな部屋に響き、消えた瞬間、手紙は黒い炎に包まれた。
まるではじめからなかったように、ツァイリーの今後を左右する一通は、一欠片の灰も残さずに消えた。
「気をつけて、寄り道しないですぐに帰ってきてよ」
真剣な顔でそう告げるレイディアに、言葉をかけられた本人であるツァイリーはニヤリと笑った。
「そうかそうかあ、俺がいないと寂しいかあ!」
「っ…誰がそんなこと!」
「あははっ!」
声を荒げたレイディアにツァイリーは思わず吹き出す。
「子どもたちは寂しがる」
笑い続けていたツァイリーは、その一言でふと真剣な表情になった。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに元の笑顔に戻ると、そのままの軽い調子でレイディアに近寄り肩を組んだ。
「何す」
「大丈夫だ」
ツァイリーのはっきりと強い口調に、レイディアは言葉を飲む。
「セゾンは俺がいなくても大丈夫。ディア、お前がいるし、子どもたちもみんなしっかりしてる……俺がいない間、よろしくな」
「……もちろん」
いつもふざけてばかりのツァイリーの真剣な言葉にレイディアは不意をつかれた。
「なあこれ、預かって」
ツァイリーはポケットから何かを取り出して、レイディアの手に握らせる。
「これ、大切なものじゃないの?」
ツァイリーがレイディアに渡したのは、ツァイリーが昔から肌身離さず身につけているものである。
「そう! 命と同じくらい大事かなあ」
「そんなもの預かりたくない」
ふいと顔を背けるレイディアにツァイリーはふざける。
「あ、拗ねてんの? ディアも命と同じくらい大事だよ」
「拗ねてなんかいない! 気持ち悪いことを言うな!」
「あははっ」
ツァイリーは笑いながら、怒りで肩を振るわせるレイディアの姿を目に焼き付けた。
昔からツァイリーはレイディアを揶揄っては楽しんでいた。
いつも冷静で、子どもたちには聖母のように優しいレイディアが、自分のくだらない揶揄いを本気で信じたり怒ったりするのが大好きだった。
「それじゃあ、よろしくな」
ツァイリーはそれだけ言って馬車に乗り込んだ。早朝のため子どもたちはまだ寝ていて、見送りはない。窓の外に見えるのはレイディア1人だ。
ツァイリーはそれでよかったと思った。自分がもしここに2度と帰ってこれなくなったとしても、レイディアが子どもたちにうまく説明してくれるだろう。
「じゃあな」
窓越しにでも伝わるよう口を大げさに開けてそう言うと、レイディアもまた「気をつけて」と返す。
「もう出していいですか?」
存外若い声の御者にそう尋ねられ、ツァイリーは是と答える。
馬車が発車し、どんどんと遠ざかっていくレイディアと、生まれ育った施設を、ツァイリーはずっと窓から見つめ続けた。
ツァイリーがセゾンの園を出発してから、一刻が過ぎた頃、突然馬車が止まった。
窓から辺りを見渡すと、森の小道の途中で、近くには崖があり、見晴らしが良い場所だった。
御者が馬車の扉を叩いたので、ツァイリーは開けて尋ねる。
「なんかあったのか?」
「いいえ、何もないのですが、そろそろ休憩をと思いまして。馬も疲れていますし、この辺りは景色が良いので」
「なるほど、わかった」
「せっかくですので、お飲み物を用意しますね。温かいものと冷たいものどちらがよろしいですか」
「じゃあ、冷たいので」
「かしこまりました」
御者は一礼して飲み物を用意しに向かったようだった。
ツァイリーは馬車のサービスの良さに感動した。
ツァイリーも依頼によっては馬車を使うこともあるが、近場にしか行かないからか休憩なんていうものはないし、飲み物を用意されたことなど一度もない。馬車自体もここらではあまり見ないほど立派だ。
御者も自分と同じくらいかあるいはもっと年若く、仕立ての良い制服を身につけている。肌も白く、藍色の髪には艶があり、金色の瞳は平民離れしていた。
こういう生業も王城の方では代々受け継いでいる家系があるのかもしれない。物心ついてからずっと孤児院で暮らしてきたツァイリーにとっては、なにもかもが新鮮にうつった。
「お持ちしました、ごゆっくりどうぞ」
御者が持ってきたのは、ガラスの容器に入った橙色の液体だった。どうやら、果実汁を持ってきてくれたらしい。
ツァイリーは受け取って、御者が戻るのを見送ると、一気に仰いだ。
喉が渇いていたのである。今朝、レイディアが携帯用の水を用意してくれていたのだが、見事に持つのを忘れてしまっていた。このまま今夜の宿に着くまでは喉の渇きを我慢しなければならない、と覚悟を決めていたツァイリーにとって、御者の気遣いは嬉しいものだった。
「はあっ、うまいなこれ」
孤児院で果実汁は贅沢品であり、なかなか飲めるものではない。
ツァイリー宛ての手紙が来た日の翌日に、今度は馬車の案内の手紙が届いた。最初の手紙はたった2行で完結していたため、自分で馬などを借りて王城まで向かう算段をつけていたツァイリーだったが、そこら辺は考慮してくれていたらしい。
レイディアには王城からの警護の仕事を頼まれた、という嘘をついた。やはり、本当のことを言うことはできなかった。レイディアに余計な心配はさせたくないという気持ちもあったし、レイディアに情報を与えることで彼の身を危険にさらすことになるかもしれないという危機感もあった。
いろいろと考えている内に、ツァイリーは意識がもうろうとしてきた。
頭が重く、姿勢を保てない。朝から気を張っていたから疲れたのかもしれない、そう思いながら身体を座席に横たえる。
眠気に支配されたツァイリーは気づかなかった。
御者が外からツァイリーの様子を窺っていることも、急に訪れた眠気が果実汁に仕込まれた薬によるものであることも。
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