33:二人の思い出
父と母が、
最初はその言葉の意味するところがわからなかったのだが、屋敷中は大騒ぎになっていて、大変なことが起こったのだと理解する。
聞けば、門が開かれた形跡があったらしい。人間の父は、そこから人間の世界へ帰ってしまったのだと言われていた。
人間の出入りのために、ある程度の力があるあやかしならば、開閉は自由に行えるようになっている。父は誰かに手伝いを頼んだのかもしれない。
そして、その門が外側……つまり、人間の世界の側から閉じられていたのだという。続けて母の失踪。おそらくは、父を追いかけた母が人間の世界へ向かったのだろう。
二人がなぜそんなことをしたのかはわからないが、俺と妹が捨てられたのだということは確かだった。
「にいさま、かあさまたちはもう帰ってこないの?」
幼い妹の問い掛けに、できれば優しい嘘をついてやりたかった。けれど、そんなことをしても悲しみを先延ばしにするだけだとわかっていたのだ。
「ああ、でも大丈夫だ。これからは俺が王になって、
「……にいさまは、いなくならないで」
「俺はどこにも行かない。
大きな瞳に涙を浮かべる妹を抱き締めながら、俺の心は不安でいっぱいになっていた。
新しい
半分以上も花弁を散らしていたそれは、力を取り戻してあっという間に満開の桜を咲かせた。今日からは、俺がこの妖都の王だ。
俺を王だと認めた妖都によって、世界の仕組みが記憶に刻まれる。この注連縄だけは絶対に守らなければならないことを、強く理解した。
それと同時に、俺と同じように仕組みを知っていたはずの母が、世界にとって重大な役割を放棄したのだということも。
それから始まった王としての日常は、思いのほか大変なものだった。
ただ親しい者たちと過ごす日々とは異なり、王の重責とはこんなにも大きなものだったのか。もしかすると、母はここから逃げ出したかったのかもしれない。
時を同じくして、
あの男にも、人間の恋人がいたことは知っている。その人間を追って門の向こうへ行ったのではないかと結論付けられた。
それ以降、友人たちとの仲までもがギクシャクするようになる。俺が王になってから何もかもが上手くいかなくなった気がしていた。
「ねえ、なにをしてるの?」
「え……?」
森の中で
顔を上げると、見知らぬ幼い少女が目の前に立っていた。こんなに近くに寄られるまで、気配に気づかなかったのか。
「ここはどこかわかる? わたし、まいごになったみたいなの」
「ここは……妖都」
「ようと?」
きょとんとした顔で首を傾げる彼女は、どうやら人間のようだ。神社の中から迷い込んできてしまったのだろう。
「あなたも、まいご?」
「え……いや、俺は違うけど……どうしてそう思うんだ?」
「だって、さみしそうなかおをしてたから」
彼女の言っていることが理解できず、今の俺はきっと間の抜けた顔をしていることだろう。
寂しそうになんて、しているはずがない。俺は王として多忙な日々を送っていて、今も少し休憩をしていただけなのだから。
「あのね、これあげる」
「なに?」
「おはな! じょうずにできたから、あなたにあげる。げんきがでるよ」
そう言って、彼女はポケットの中から、くしゃくしゃの白い紙を取り出した。受け取ったそれは、確かに花の形をしているようにも見える。
上手にできたとの言い方からも、おそらくはこの少女が作ったものなのだろう。
その花から、不思議と力が湧いてくるような感覚がある。これが、人間があやかしに与えるという情の力なのかもしれない。
「ありがとう。帰り道がわからないなら、俺が送っていく」
「…………」
「どうした?」
迷子だというのだから、帰り道を探しているのだろう。良かれと思って立ち上がると、少女はなぜだか俯いたまま動こうとしない。
その顔を覗き込むと、彼女が泣きそうな顔をしていたのでギクリとしてしまう。
「おうちにかえっても、ひとりぼっちだから」
「独りぼっち? 父親か母親はいないのか?」
「おとうさんもおかあさんも、わたしのことがきらいなの。いわれたこと、じょうずにできないから」
「……花は、こんなに上手に作れるのに?」
「おはな、みつかったらおこられるの。じゅけんには、ひつようないからって」
普通は、なにかが上手くできた時には、褒められるものではないのだろうか?
あやかしと人間では違いがあるのかもしれないが、俺の母は、俺や妹がなにかをすればよく褒めてくれていた。
だというのに、目の前の少女の親はそれをしないどころか、怒るのだという。
俺はそっと、彼女の小さな手を取る。驚いて俺を見上げる瞳は、大きすぎて吸い込まれてしまいそうだと思った。
「なあ、俺と遊ぶか?」
「……あそぶ?」
「ここにはお前を叱る親はいない。お前が帰るまで、俺と遊ぼう」
戸惑っている様子だった少女は、俺の誘いに嬉しそうな表情を浮かべる。赤く色づく丸い頬が可愛らしい。
「うん、遊ぶ!」
「よし。お前、名前は?」
「わたし、いおり!」
「イオリか。俺の名前は
俺は手を繋ぎ直すと、イオリに妖都の中を案内してやることにした。
森の中を歩き始めると、人間の気配を察知した豆狸がどこからともなく顔を出す。俺たちにとっては見慣れた光景だが、イオリにとっては新鮮らしい。
「タヌキさん、かわいい……! びゃくろく、さわってもいい?」
「ああ、噛みついたりはしない。こいつらもイオリに構ってほしいんだ」
「うわあ……! もふもふがいっぱい……!」
目を輝かせるイオリが、豆狸を呼び寄せようとその場にしゃがむ。すると、姿を現した一匹に続いて、他の豆狸が列をなして押し寄せてくる。
瞬く間に波に埋もれたイオリを、俺は豆狸をかき分けるようにして引っ張り出してやった。
「大丈夫か?」
「だいじょーぶ! すごいね、タヌキさんたち。こんなにあつまってきてる……!」
「イオリのことが好きなんだ」
不思議なものを見るように豆狸を見下ろしてから、イオリは気恥ずかしそうにはにかむ。豆狸に好かれているのが、そんなに嬉しいものだろうか?
そう思ったのだが、イオリは独りぼっちなのだと言っていた。もしかすると、好かれるということに慣れていないのかもしれない。
そう思いながら周辺を散策し終えた俺たちは、最後に門のある湖へとやってきた。
イオリはまだ小さいので、ずっと妖都にいさせるわけにはいかない。遊び終えたら、人間の世界へ帰してやらなければいけないのだ。
「さくら、きれい……! みて、びゃくろく!」
「ああ、知ってるよ。俺はいつも見てる」
興奮気味に腕を引っ張るイオリは、大樹を指差して俺に主張している。
俺がこの場所に連れてきたのだから、知らないはずがないのだが。彼女が嬉しそうなのでなんでも良かった。
「……そろそろ時間だ。向こうの世界は夕方になる、暗くなる前に……」
「あそぶの、おしまい……?」
良い頃合いかと思って声を掛けたのだが、俺の言葉を聞いたイオリはひどく悲しそうな顔をする。かと思えば、すぐに俺の手を放して笑顔を浮かべて見せた。
「わかった。あそんでくれてありがとう、すごくたのしかった」
「イオリ……」
「またこんど、わかんないけど……ここにきたら、わたしとあそんでくれる?」
遠慮がちな問いかけに、俺は離れてしまったその手を握り直す。
ずっと繋いでいたというのに、別れる間際になって、こんなにもこの手を離すことが惜しい。
「ああ、約束だ」
イオリの記憶から、今日のことは消えてしまうというのに。こんな約束は無意味だとわかっている。それでも、約束せずにはいられなかった。
孤独に身を包む彼女を、俺が救ってやりたい。俺の中に、特別な感情が生まれ始めていた。
いつか俺が王として伴侶を必要とする日がくるのなら、その相手はイオリがいい。
門を抜けるその背中を見送りながら、そう願ったのだった。
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