03:仮の婚約者
「婚約者って、具体的には何をすればいいんですか?」
「ウユーン」
頭の上に飛び乗ってきた豆狸はそのままに、私は白緑さんと
「王の伴侶というものは、低級のあやかしに力を与えて回るのが主な役割です。たとえば、その豆狸が代表的ですね」
「キュン」
「基本的にはお前の好きに過ごしたらいい。可能なら豆狸のように、あやかしたちに”情”でもかけてやってくれ」
「情……ですか?」
「あやかしは、情をとても大切にしています。人間から向けられる情は、特に大きな力になる。友情や親愛の情、温情や劣情など種類は様々ですが」
「もっとも強いのは愛情だな」
どうやら、あやかしという生き物は情を力に変えて生活するものらしい。
急に愛情といわれても難しいけれど、情の種類を問わないのなら、私にもどうにかできるかもしれない。
「でも、情をかけるってどうすればいいんですか?」
「簡単なことだ。お前はすでに、
「え?」
白緑さんが顎先で示したのは、私の頭の上にいる豆狸だ。特別に何かをした覚えがないので、まるで参考にならないのだけど。
「さっきまで覇気が無かったんだがな。依織の情を受け取って、そんな風に飛び乗れるくらい力が戻ったってことだ」
「そうなの……?」
「ウユーン」
にわかには信じられなくて、思わず豆狸に問いかける。すると、私の頭の上から肯定するような鳴き声が聞こえてきた。
要するに、私が優しくすることによって、元気を与えられるということなのかもしれない。
こんなもふもふを愛でるだけでいいのなら、お金を払ってでも立候補したい人間は山ほどいそうなのに。
「そんなことで力になれるなら、私でも……っ、きゃあ!?」
頭上に気を取られていた私は、くるぶしの辺りにくすぐったさを感じて足元を見る。
飛び込んできた光景に驚きの声が漏れるのが早いか、私は飛びついてきたもふもふの大群に襲われていた。
足元にいたのは、どこから現れたのかわからない豆狸の群れ。
もふもふに埋もれるように倒れ込んだ私は、強い力に腕を引かれてようやくそこから抜け出すことができた。
「豆狸は群れで行動する習性がある。油断してるとすぐ埋もれるぞ」
「あ、ありがとうございます……白緑さん」
「白緑でいい、敬語もいらん」
私を助けてくれたのは、白緑さんだった。けれど、その表情を見るに埋もれる姿を楽しんでいたことがわかる。
改めて足元に集う豆狸たちの頭や背中を撫でながら、私はふと浮かんだ疑問を口にした。
「白緑、は……あやかしの王様なんだよね? それなら、この子たちを元気にするくらいできそうなのに」
「俺の役割はこの世界を維持すること。あやかしが必要とするのは、あくまで人間から与えられる情だからな」
「そういうものなんだ?」
この世界の仕組みや、あやかしのことについてはよくわからない。
けれど、人間である私にしかできないことがあるからこそ、こうして
「王というやつは名ばかりで、できることなど限られているものだ」
王なんてどんな力でも持っていそうなのに。そう言う白緑の顔は、なんだか迷子の少年のように見えてしまう。
「契約を交わしたことで、依織さんの力は白緑様を通じてこの世界に反映されます。あなたがいてくれるだけで、不足している力が補われていくんですよ」
「だから、好きに過ごせってことなんですね」
「そういうことだ。ひとまず、依織を屋敷に案内しよう。人間には休む場所が必要だろう?」
「屋敷?」
この世界で過ごすことを承諾したものの、そういえば周囲は深い森に囲まれている。
どこかに移動するのだろうかと思っていると、湖とは逆の方向へ白緑が右腕をかざした。
「え……えぇっ!?」
木しかなかったはずの場所。そこに、まるで空間が裂けたようにヒビが入っていく。
そうしてガラス片に似た透明な壁が崩れ落ちていくと、その奥には立派な日本家屋が姿を現したのだ。広々とした庭園に、部屋はいくつあるのか外観からは想像もつかない。
「悪いあやかしが立ち入らないよう、結界を張っているんです。依織さんにも見えるよう、白緑様が調整をしたんですよ」
「そんなこともできるんですね……」
「ほら、ぼんやりしてないで行くぞ」
「あ、うん……!」
まるで大掛かりな手品を見せられている気分だ。
ぽかんと口を開けている私の手を取ると、白緑は屋敷の中へと案内してくれる。
「おかえりなさいませ、白緑様」
広々とした玄関先で出迎えてくれたのは、皆似たような顔をした黒髪の女性たちだった。聞けば、彼女たちは朱さんの一族のあやかしらしい。
お面こそしていないものの、彼女たちもまた天狗なのだという。
「オレの一族は代々、妖都の王に仕えているんです。彼女たちは、王の伴侶の身の回りを世話しているんですよ」
「確かに……そう言われると、朱さんと似てますね」
「困ったことやわからないことがあれば、遠慮なく彼女たちを使ってください」
「あ、ありがとうございます」
こんな風に歓迎されるなんて思いもしなかったけれど、接してくれるあやかしは皆いい人ばかりだ。
私の世話をしてくれるという
姉がいたら、こんな感じなのだろうか? なんて、想像を膨らませたりもしてしまう。
入浴を済ませて、用意されていた
通された和室は広々としていて、ふかふかの布団も敷かれている。なんだか旅館にでも泊まりにきた気分だ。
(うわ、いい匂い……!)
妖都は日が当たらないのに、横になった布団はなぜだかおひさまの匂いがする。
目を閉じればそのまま眠ってしまえそうだと思った時、柱をコンコンと叩く音がした。
「依織、入るぞ」
「えっ、あの、はい……っ!?」
突然の来訪者に驚いて飛び起きると、開いた障子の向こうから姿を現したのは白緑だ。
外で顔を合わせていた時とは違って、シンプルな
「不足している物は無いか?」
「だ、大丈夫。むしろ至れり尽くせりでびっくりしてるくらいで……」
「そうか。なら今日はこのまま休むといい」
「うん。……って、あの、白緑? 何をして……」
気遣ってくれたことに感謝をして、お言葉に甘えて布団に潜ろうとする。
けれど、それより先にどういうわけだか、白緑が隣へと身を滑り込ませようとしているのだ。
「何だ、寝るんじゃないのか?」
「寝るけど、どうしてあなたまで一緒に寝ようとしてるの?」
「どうしてと言われても、夫婦なんだから当たり前だろう?」
当然のように返してくる白緑に、まるで私がおかしなことを言っているような気分になる。
言い返そうとした私は、そのまま布団の中へと引っ張り込まれてしまった。
背後から抱き締めるように回されているのは、
豆狸も触り心地が良かったけれど、白緑の尻尾は大きくて数も多い。上質な毛布みたいに私の身体を包み込む。
(すごく、居心地がいい……)
動物を飼った経験はないけれど、大型犬を飼ったらこんな風に一緒に眠れるのかもしれない。
そんなことを考えながら目を閉じかけた私は、ハッとして腕の中から抜け出すことに成功した。
「夫婦って、まだ仮の婚約者だし……! 別のところで寝てください!」
危うく
あやかしの世界では普通のことだとしても、私はれっきとした人間なのだ。
白緑は不服そうな顔をしていたものの、私の主張を聞き入れて渋々部屋を後にしてくれた。
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