人食い狼について

 『人食い狼についての特徴。

 それは人間と同じく二足歩行ができる。

 数十年、下手をすれば一〇〇年以上前に絶滅したとされる四足歩行の狼に代わって増加傾向にある。

 群れで行動しているが、はぐれ狼の存在も確認されている』


『……何が書いてあるの?』

 声を落とした若い狼の言葉に、赤ずきんは頷く。

「人食い狼さんのことについて、観察日記かな。ページがほとんど血まみれで全部読めない」

 同じく小声で赤ずきんは森に落ちていた血まみれのノートを流し読む。

「うーん、人食い狼さんの研究でもしてたのかもね」

『持ち主はいないの?』

 赤ずきんは小屋のベッドに目をやる。

「……もうお腹の中かも」

 血まみれのベッドで腹を膨らませて、眠っている人食い狼を見下ろす。

 大きな口を真っ赤に濡らし、剥き出しの牙も赤黒く塗りたくられている。

 腰のホルスターから六インチのダブルアクションリボルバーを静かに抜き、眠っている人食い狼の心臓に銃口を向けた。

 一発、甲高い破裂音が森に響く。

 鼓膜を刺激するには十分な音、人食い狼は衝撃でベッドから一瞬浮き上がり、すぐに、だらん、と垂れる。

 シーツに新たな鮮血が飛び散った。

 大きな口から、鼻から、耳から血が漏れていく。

「戻って依頼人に伝えないとね」

 森の茂みが激しく擦り合うように揺れて、狼は尖った耳を忙しく動かす。

『いっぱいいる!』

「あらら、一匹狼と思ったのに」

 肩をすくめた赤ずきんは背負っているボルトアクションライフルに持ち替える。

 窓をライフルのグリップで割り壊し、無駄なく瞬時に四隅まで破片を取り除く。

 狼は窓から飛び出して、赤ずきんの視界から外れないように森の中を動きまわった。

 ニオイを感じ取った人食い狼が三頭、涎を垂らしながら茂みから姿を現す。

 鋭く太い牙で喰らおうと襲い掛かってくるが、狼は軽快に躱して小屋に向かって駆け出した。

『ぎゃぁ気持ち悪い!』

「……」

 構えている赤ずきんは、照準器越しに狙いを定め、人食い狼に向かって発砲。

 小屋が軋むような爆圧と爆裂音が森に響き、野鳥が一斉に空へ羽ばたいていく。

 心臓部に直撃。赤ずきんはボルトハンドルを起こして引き、排莢してから再び前へ押して装填。

 もう一発、さらに一発、無駄のない動きで確実に仕留める。

 三頭の心臓に命中し、呻き声を上げながら倒れた。

『まだ臭いがするよ』

「そうだね。でも出てこない、銃声で驚いて全員飛び出してくると思ったんだけど」

 足元に戻った狼を引き連れて、赤ずきんは小屋から出る。

 ボルトアクションライフルを背中に戻し、六インチのダブルアクションリボルバーに持ち替えて森の中を警戒して進む。

『臭い、こっち!』

 狼が先頭を歩き、草むらを掻き分けていく。

「……」

 草むらの向こうに土を深く掘ってできた穴があった。

 一頭の人食い狼が唸り、赤ずきんと狼を睨む。

 襲い掛かってくる様子はない。

「ふぅ、なるほど、赤ちゃんがいたんだね……」

 穴の中にはまだ目の開かない赤ん坊の人食い狼が寄り合って震えている。

『そうなの? だったら、そっとしておいた方がいいね!』

「…………」

 赤ずきんはリボルバーを握ったまま、穏やかな瞳に赤ん坊を映す。

『赤ずきん?』

「……そう、だね、うん」

 言葉を躓かせながら頷いた赤ずきんはリボルバーを握る手を下げた。

 見計らったかのように、人食い狼は唸りながら赤ずきんに大きな口を開けて襲い掛かる。リボルバーごと右手に噛みつかれてしまう。

『赤ずきん!!』

 大きな牙を剥き出した狼は叫び、地面を蹴って飛びかかった。

 人食い狼の首根っこに、太く鋭い牙を沈める。

 痛みに呻いた人食い狼は赤ずきんの手から口を離す。

 解放された右手には穴ができている。垂れ流し状態だというのに、赤ずきんは穏やかな瞳で冷静に見つめている。

 目の前で、本能のまま獲物を仕留める狼の姿も映す。

 痙攣して行動不能な人食い狼の目は虚ろに、前脚も後ろ脚も、尻尾も動かなくなった。

『グゥ……グルゥゥ!』

「狼クン、狼クン、もう死んでる」

『っ?! 赤ずきん、大丈夫?』

「なんとかね」

 純粋な琥珀の両眼に戻った狼に微笑み、赤ずきんは土にいる赤ん坊を見下ろす。

「……狼クン、先に戻ってて」

 斜めかけのポシェットから応急道具を取り出し、布で血を拭き取った後に消毒液をかける。

 それからガーゼを当て、包帯を巻く。

『ボク、余計なこと言った?』

 寂しそうにクンクン鳴きながら赤ずきんに訊ねる。

「まさか、ちょっと油断しただけだから。それに狼クンのおかげで生きてる。ありがとう、狼クン」

 左手で優しく狼の頭を撫でた。

 それから、

「だから、先に戻ってて」

 優しく零す。




 その晩、街道から少し外れた平地にワンポールテントを立て、いつものように折り畳み式のイスとテーブルを置く。

 イスに腰掛けて、ミニボトルの赤ワインと干し肉を夕食に休む赤ずきん。

 隣で伏せている狼は、干し肉と水を黙って眺める。

『ねぇ赤ずきん。あの赤ちゃんはどうなるの?』

 綺麗に汚れを拭き取ったリボルバーを見つめ、赤ずきんは答えた。

「……あのままご飯を食べられず、衰弱して死ぬだろうね」

『ボクが』

「優しい狼クン、大丈夫だよ。誰のせいなんてない。君が、私を助けてくれた、それだけだから」

 安心させるように優しい声をかける。

 血で滲んだ包帯に包まれる右手を琥珀の両眼に映し、狼は鼻先を寄せた。

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