錆びた歯車(3)
朝の日課である水やりを終え、島の音響整備へと取り掛かっていた。エリアごとに設置されるテーマの曲同士が邪魔にならないように、さらには音が一方に偏らないための設置を行うのは、骨の折れる作業だった。けれど、空間の中に音楽を流すことは、この島に大きな影響を齎せている。人は五感で刺激を受けるからだ。とくに心を躍らせるには大きな役目を果たしてくれる。けれど、なるべくオーディオの配線が見えないように装飾などで隠す工程に苦労していた。
夏の日差しでも壊れないようにハリボテの木を作り、その裏に機材を置いたり、和風のエリアにはハリボテの竹の中に隠したり、とにかく工夫が必要だった。持ってきていた水筒を手に取り、口の中に麦茶を流し込む。冷たい液体が喉を通り、お腹の中に入っていく感覚が分かった。
「創、お疲れ様」
川の方から声がした。振り返ると、レンガの橋から手を振る志崎の姿があった。
「明もお疲れ様」
気づけば、二人の間に敬語は存在していなかった。
高塚同様、志崎も僕にとって気を使う相手では無くなっていたのだ。
「お昼ご飯にサンドイッチを作っていたんだけど、夢中になって作っていたら多くなっちゃったんだ。良かったら一緒に食べない?」
「ありがとう。ちょうど休憩しようと思ってた」
二人で海岸へと出た。そしてマルタのベンチに座ると、志崎が手にするバスケットを置き、中からハムとレタスのサンドイッチを出してきた。それを僕は受け取ると、いただきますと言って、一口齧った。こんがりと焼かれたパンとハムの塩気、レタスの歯触りがとても良い。
「美味しい」
そう言う僕を見て、志崎は嬉しそうに微笑んだ。
「私の目を見てくれるようになったね」
と、志崎は言った。
「あ、うん。人が元々苦手なのはあるんだけど、同世代になると、もっと苦手意識が強かったんだ。不快な気持ちにさせてたらごめん」
「ううん、大丈夫だよ」
志崎の声は明るかった。そして、何事もなかったかのようにサンドイッチを頬張っている。この人になら話せるだろうか。何度も浮かぶ言葉を飲み込み、何度も脳内で反芻させ、僕はようやく言葉を発した。
「学生時代、ずっといじめられてたんだ。おもちゃばかり作ってる変なやつだって。言うことも変だって、それだけの理由だったと思う。だから学校にもほとんど行ってなくて、人と関わることが少なかったんだ」
恐る恐る志崎の様子を窺った。
「そうだったんだ。変でもいいのにね。むしろ変は面白いし、素敵なのに」
またもや、あっけらかんと返された。志崎にとってそんなに大事ではないのだろうか。
「私もね、いじめられてたんだ」
その言葉に僕は驚き、志崎を見ると、そうは見えない? と志崎は笑っている。僕はゆっくり頷いてみせた。
「最初は原因不明の神経痛で、学校を休みがちだったんだ。だけど、そのうちそれがズル休みだと思われた。親からも友達からも、先生からも。気持ちの問題だろうってことで片付けられた。でも違うんだ。未だにあれは本当にあちこち痛かった。病院に行っても原因はわからなかったんだけどね。成長するにつれて、その痛みが無くなって、学校にいくようになった」
僕のサンドイッチを口元に運ぶ手が止まった。
「今度は親が煙草を吸っていたんだけど、その匂いが服についていて、臭いっていじめられたんだ。それからことあるごとにいじめてもいい人間の一人になった。少しでも何か対応を間違えば、いじめられる対象になったよ。だから、創の気持ち、少しは分かる」
そんな風には見えなかった。志崎の顔立ちはとても整っていたし、安っぽい言葉で言えば、オーラがあると言えばいいのか、そんな風格を感じるのだ。誰からも好かれて、親しまれて、愛されるような雰囲気を持っている。
「窮屈だよね」
僕がそういうと、明も頷いた。
「今はね、自分でいうのは何だけど、見た目で寄ってくる人が多いなって思う。でもそこに本当の私はいないんだ。生きるための術として、私が作り上げた私だよ」
こんな話をしているのにも関わらず、志崎の表情は一度も曇らなかった。
誰にも揺るがせない。自分は自分だと言い張るようで、けれど、本当は少しでも触れたら壊れてしまいそうな儚さも感じた。
「人の辛さは人それぞれなんだ。他人からしたら大したことなくても、その人が辛いと思えば辛いんだ。本土じゃそれをわかってない人が多すぎる。与えられすぎて麻痺してるんだ」
そう言って、志崎はバスケットから切ったリンゴの入ったお皿を取り出した。
「このリンゴ美味しいよ」
と、志崎は何事もなかったかのようにリンゴを僕に差し出す。僕はリンゴを受け取ると、水々しいリンゴの断面を見つめた。
「そうだと思う。もっとみんなの心に豊かさを取り戻せたら、きっと理解し合えることも増えるんじゃないかな」と僕は言うと、さらに思い出したかのように「そういえば、島の地下に壮大な仕掛け作ろうと思っていて、そこに着手しようと思っているんだ。だけど、どんなのがいいか分からなくて」と志崎へ問いかけた。
「島の地下に? また随分と壮大だね。楽しそうだけど、うーん、そうだなぁ」
志崎はリンゴを齧り、咀嚼しながら空を見上げていた。
「創はさ、本当はどんなのが素敵か分かってるんじゃない? でも出来るか分からないとかそんな感じ?」
図星だった。イメージはできていたが、それを起こすには大掛かりであったし、それが実際に作れるか分からなかった。
「初お披露目の時に完成しなくてもいいと思うんだ。焦らずにやってみなよ。創なら絶対作れるよ。私たちにはどう頭を捻っても回転させてみても無理だけど、君の発想は誰もが驚くほど素敵だから。きっと出来るよ。力仕事とか、そういうことならいつでも手伝うから声かけてね」
志崎の言葉に、肩の荷が降りたような気分だった。僕はありがとうと志崎に言うと、何もしてないよとあっけらかんとして返された。
あまりの暑さに志崎が日除けのパーカーを脱ぎ出した。腕に古い切り傷があちこちにあるのに気づき、僕の瞳孔がグッと広がった気がした。自分の体でも見慣れた傷だ。ものすごく深くて、とても古い傷だと言うことはすぐに分かった。僕の水筒を持つ手にグッと力がこもった。
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