エリカとアスチルベ(7)

 基本的には高塚が話題を提供し、志崎と僕が受け答えをする会話が繰り広げられた。高塚がいるからか、志崎との会話も自分なりにではあるが、円滑に話せている気がして安堵としていた。こうして三人で話していると、どこか家族のような仲間のような感覚が芽生え、心の奥底で楽しんでいる自分が垣間れた。


帰りに高塚からビニール袋に入った何かを持たされた。中身を確認すると透明のパックの中に苺が入っている。高塚にお礼を言い、志崎と二人で高塚の家を後にした。ビニール袋の隙間からは甘酸っぱい華やかな匂いがしていて、春を感じる。


「なんだか私の周りの人たちとは違う、新鮮な会話ができたような気がして楽しかったです」


「それはよかったです」

二人きりになると、どうしても気まずさを感じてしまう。僕は空を見上げながら歩いていた。


「このキノコのライト素敵ですね」

志崎が指を差したのは、背の高いキノコのライトだ。ほんのり緑の光を放っていて、僕も気に入っている飾りの一つである。


「僕、おとぎ話が大好きなんですよ。でもおとぎ話の世界って、やっぱり現実世界には存在していないじゃないですか。それを現実世界で、しかも自分で生み出せたらどれだけ楽しいかなって」


「私、今日ものすごくワクワクしてますよ。とっても素敵な島です」


志崎の褒め方は、貴族とも高塚とも何か違う。それは志崎が自ら感じたワクワクを混ぜ、遠回しではなく、直接的な言葉で僕に伝えてくれたからだろう。その言葉に胸がじんわりと温かくなり、空腹を感じていた何かの空間が満たされていくような感覚を持った。


島の入り口にある森の中は、以前からこの島に生息している自然と、僕が作った不自然な物が入り混じっている。けれど、僕の作ったキノコのライトの上に小鳥が止まり、キノコの椅子にはリスが乗る。星のライトにバッタやアリが登っているし、フラミンゴの置物の下ではダンゴムシが休んでいる。それらはまるで元々自然の一部だったかのように馴染んでいた。その光景が僕にとっては宝物のようだった。


 テントの前へと到着すると、志崎は後ろを振り向いて、僕の胸のあたりを見ながら「迷惑だったら断ってもらっていいんですが、もしよろしければ、入谷さんの自宅に植物を飾らせてもらってもいいでしょうか。森を歩いている時に思ったんです。きっと自宅の中も面白い空間が広がっているんだろうなって。そこに私の選んだ植物を置いてみたいなって」と言った。


「ちょうど自宅に植物欲しかったんですよ。でも猫を飼っているんです。猫が間違って口に入れてしまっても大丈夫な植物をお願いできますか」


志崎は顔を上げ、僕の目をみた。僕は咄嗟に視線を逸らした。


「ありがとうございます。任せてください。では、また後日連絡しますね」

志崎は会釈をすると、テントの中へと入っていった。テントの横には原沢が運んだ花のコンテナがたくさん置いてあった。あの中にエリカとアスチルベが入っているのだろうか。僕はそんなことを考えながら、海岸へと向かった。


 海岸へと行くと、昼下がりの日差しに照らされた水面がキラキラと白く光っている。岩場ではフナムシやヤドカリが忙しそうに右往左往し、波が揺れて水面に白い泡を作っている。波の音は家からも聞こえるが、海岸で聞く波の音は、また違ったように聞こえるので面白い。島を開拓する時にでた端材を使って丸太のベンチを作り、それを海岸に置いていた。僕はそのベンチに腰をかけて、海をただ見つめた。夏になったら海に入れるんだろうな。一体どんな魚が泳いでいるのだろう。


目を閉じて、海の中を潜るようなイメージをした。外の雑音が塞がり、水の音だけが耳に流れ込む。自由に動かしたくても動かない体。半分は波任せだ。息を止めているから匂いはない。じんわりと口の中に流れ込んだ海水は塩辛い。目の前には小さな魚が僕の体を避けるように泳いでいく。僕のことが嫌いだからではなく、ぶつからないようにただ僕を避ける。海底を彩るイソギンチャク。眠たそうに体を隠すカレイや、岩場で休む小さな鮫。群れを成す鰯。優雅に横切るイシダイ。気泡がくるくると水面へ上がっていく。僕もこんな風に身を任せて泳いでみたい。想像はどこまでも膨らんでいく。胸がドキドキとした。しばらくして目を開けると、あまりの眩しさに涙が滲んだ。僕の島もどこか海の中の生き物たちのように個性的で、優雅で、それらが許される世界を作りたいと思い立った。それからふと、地下には何を作ろうか。志崎なら僕にはない面白いことを考えてくれるんじゃないか。そんなことが頭の隅に浮かび上がった。


 翌朝、図書館へと向かった。図書館へと入ると、どんな本を読もうか考えながら、本棚にぎっしりと収められた本たちをじっと眺めた。何冊か良さそうな本を手に取ると、何やら遠くから物音が聞こえた。図書館の二階へと上がり、窓ガラスから音のする方向を覗いた。遠くの丘で、志崎が花の入ったコンテナを運び、それを地面に置いている音だった。僕は本を持ったまま、丘へと向かった。志崎の様子を窺いながら、そろりと近づいていくと、僕の気配に気づいた志崎がこちらを振り返った。


「わ、びっくりした。入谷さんだったんですね。おはようございます」

志崎はガーデン用の手袋をはめており、その手にはふわふわと小さな葡萄の房のようなピンクの花を手にしていた。


「どんな花を植えるのか気になってしまって。驚かせてすみません」

挨拶を忘れた。と思ったが、志崎は気にしていないようだった。


「あ、これ。昨日話していたエリカというお花ですよ。こっちがアスチルベ。春咲きのタイプのものを持ってきました」

エリカは想像していたよりもふわふわとしていて、可愛らしいお花だった。アスチルベの方もよくよく見ると、小さな花が沢山付いており、とても華やかだ。例えるなら小さくなった桜のクリスマスツリーのような風貌をしている。


「どちらも可愛いお花ですね」


「可愛いですよね。なのにエリカの花言葉は孤独とか寂しさなんですよ。こんなに綺麗なのに不思議ですよね。アスチルベの花言葉には自由という意味があります。だからこうして二つ揃えて花畑に植えてあげようと思って」


花言葉というワードが聞き慣れなかったが、それがとても新鮮に思えた。孤独で寂しい花を、自由という意味を持つ花と共に植えてあげる。そんな発想を持つ志崎は、きっと根が温かい人なのだろう。


「他にはスミレとかパンジーも持ってきました。ネモフィラもありますよ」

志崎の目線の先にはコンテナがあり、そこにも色とりどりの花が咲いている。


「どうして花屋になろうと思ったんですか」

ふと、頭の中を過った疑問を声に出していた。


「あー、そうですね。花って一つ一つ、競争しないじゃないですか。誰が一番綺麗だとか言い争うこともないし、花を鑑賞する人もそう。どんな花が咲いていても、その一つ一つがどれも素敵だって思えるのが花だと思うんですよね」


僕は確かにそうだなと納得し、気付かれないくらい小さく頷いた。


「人間もそうであって欲しいなって思ったんです。色んな花を育てたり、花束をもらったり、そうすると人って笑顔になるじゃないですか。花にあまり興味がない人でも悪い気はしないじゃないですか。そんな風に人間も、どんな人間がいても、その一人一人が、綺麗に咲き誇る時に、誰も良くないなんて思わないようになったらいいなって思ったんですよね」


僕は静かに頷いた。


「でも実際そのメッセージを人に届けるのって難しいんですよね。本土って植えられる場所も決まってるし。だから、ここの仕事のオファーがきた時、ものすごく嬉しかったんです。沢山の人がこの島にきて、色んな花をみて、花ってこんなに自由で素敵なんだなって思ってもらえたら、そこに咲き誇ってるだけで素敵なんだなって思ってもらえたら……いいなって」

花について話す志崎は、まるで子どもがプレゼントをもらったかのように、とても楽しそうで、無邪気だった。


「あ、朝からしゃべりすぎでしたね。ごめんなさい」

照れながら笑う志崎を見て、僕は首を横に振った。


「そんな人にこの丘を素敵にしてもらえるなんて嬉しいです。あの、よかったら、そこの木の下で本読んでいてもいいですか」


「お気になさらずに」


丘には大木が点在していた。僕はその大木の下で、ファンタジーと呼ばれるジャンルの本を開いた。本を読みながらも、色んな花の匂いや土の匂い、それから肥料の鼻を劈くような臭いもした。けれどその臭いですら自然的に思え、僕の心は落ち着いていた。


志崎は手作業で土を掘り起こし、丁寧に花を植えていた。島の土の種類と花に合う土の種類を合わせるために、混ぜ合わせたり、肥料を入れたりと、どこか忙しそうであったが、その表情は穏やかであったし、どこか嬉しそうだった。


 志崎が花植え作業を中断すると、僕も読書を中断し、水やりを手伝うことにした。


「すみません。入谷さんのお時間をもらってしまって」


ジョウロからお水が流れ、土を濡らすと、埃っぽい臭いが立ち上った。


「いえ、でもスプリンクラーでやった方が早いんじゃないですか」


「こんなこと言ったら笑われるかもしれないですけど、花ってちゃんと私たちの気持ちを受け取ってくれるんですよ。だから一つずつに、綺麗だねとか元気に咲いてねって心の中で、言葉をかけたいんです」

見た目はどこか人を寄せ付けない雰囲気を纏っているのに、志崎が一度話せば不思議と優しい雰囲気に包まれる。


「人間もそうじゃないですか。言葉にしてもらわないと伝わらないこと沢山あるし、やっぱ褒めてもらえたら、もっと素敵になれるんですよ。私たちって」


そういう志崎の横顔はどこか寂しげだった。

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