「翠炎城」より 13
「綺与と、一緒です。この石が、天官だと思ってください。ただ、天官は弁のついた管みたいなものですが、これにその機能はついてません。持ってかれないように、心を強く。」
小姫君を抱いた乳母が、姫君の肩に手を乗せ、乳母の両肩に護衛がそれぞれ手を乗せ、さらにその肩に・・・と、数珠つなぎになって、その時を待っている。誰もが息を詰めるような面持ちだが、やはり一番こわばっているのは姫君だろう。
「わたくしに天官が触れるなどありませぬ。お父様か、デューンがついてくれました。」
「…箱入りでしたね。」
冷たい、黒い表面を、白い掌が滑る。変化は、ない。
「俺は、御手に触れても? 」
石の向かって左手に立つ青年をちらりと見、姫君は鷹揚に頷いた。
「許しましょう。」
「ありがとうございます。」
ダンスの申し込みみたいだな、とガイツは思った。ダンスのエスコートとは違って、青年は姫君の左手の甲に自らの右掌を重ねた。そして、改めて《シンラの門》の表面に押し当てさせた。
「----おまえって、」
姫君は、思ったことを、真っすぐに口にする。そう育てられ、それを肯定される身分と後ろ盾があった。
「わたくしより年上でしょう?」
「…はあ、」
「なのに、昔、おじ様のところの子と手をつないだことを思い出したわ。わたくしは弟妹がいないから、とても新鮮で、あちこち手をつないで歩き回ったの。特に七の君と二の姫君は、毎日顔を見せてくれて、」
「…ななの、きみ、」
「ええ、わたくしより六つ下・・だったかしら? アヴァロンから一度だけ手紙もくれたのだけれど、その後、他の花陸に遊学されたとか。息災でいらっしゃるかしらね。」
「…息災ですよ、」
「あら?」
「よく知ってます。ライヴァートならば。」
ぎょっとしたのは、ガイツで。
黒の中に、光が瞬きながら昇ってきた。姫君は会話に気を攫われながら、しかし、熱くなった掌と、石の中に広がっていく光に意識は奪われる。
軽く手の甲を押しながら、青年は掌を離した。ずぶり、と彼女の手首から先が、硬かった表面に埋まった。
「気を付けて、お往きください。足を止めず、ただ真っすぐに。」
姫君の腕を伝うように、光はゆっくり石から外へ、まるで水のように溢れてくる。
「大丈夫。あなたはちゃんとやり遂げられる。」
「気休めは結構! 」
「気休めなど申しません。」
胸に手を当てて、青年は騎士の礼を送った。
「あなたの直感はさすが『遠海』の直系というものでしょう。大公のお気持ちも分かりますが、あなたには別の可能性があったかも知れません。そしてその先で、俺たちは違う
もう後戻りはできない。そのタイミングで、ふと口をついた----いや、おそらくはそれを待っていたのだ。
「
光は、ひたひたと床に滴り、皆の足元でさざ波のように揺れた。壁に、影が踊る。
「美しくて、優しくて、献身的で、儚くて、悲しい方だと、俺は聞いていました。」
「随分とほめてくださって。嬉しいわ。」
かあさま…?と、不安そうな小姫君の声。そちらに顔を向けて、鮮やかに微笑むことのできる女性。
光度が増す。足元から、細い光の柱が無数に立ち上がる。影は消えて、煤けた壁が
入口(階段の裏)に立つガイツは、いまや大きな一つの光の柱のようになっている一行の状態を、目を眇めつつ何とか見ることができているが、内側ではもう目を開けることもできないに違いなかった。
「シンラの門」自体は、姫君の腕を伝って光をふんだんに滴らせながら、漆黒を保っている。だから、その傍らの青年と、正対する姫君は、いまだ視界を喪ってはいないようだった。
ばさり、と青年はマントのフードをはねのけた。
ガイツにとっては懐かしい(そういえば、と思い出した)、金の髪に幾筋もの朱の房が、なんとも見事な配分で散って、非常に華やかだ。
「----なるほど、デューンどのの隣が似合う方であったと、」
姫君は目を瞠り、…そして、光は掻き消えた。蠟燭の火を吹き消したごとく一瞬で。光を失い、殊更真っ暗に塗りつぶされた視界。互い以外の気配が失せた、がらん、とした暗闇に青年の声が響いた。
「…必ず、伝える。」
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