第8話 管理官の娘
井手口は観念した、と言っても盗撮の方だけだ。豊岡の事件はもとより、片山杏奈の事件についてはがんと否認した。
黙秘権の行使ではなくきっぱりと否認したのだ。
誰かが、自分の家に忍び込んだ、警察が仕組んだ冤罪だと言い張ったのだ。
弁護士の入れ知恵かもしれないが、可能性はないわけではなかった。
「やり方まずかったのよね、傍聴マニアの連中に片っ端から話を聞いたから」
凛が自嘲気味に言う。誰かが井手口をはめた可能性はないわけではなかった、というのだ。
実は井手口の逮捕は剛太郎にも影響を与えていた。留置場でのもめ事を避けるために、被害者の父親を知っていた者たちを拘置所に移したのだ。
そのために剛太郎の仕事はずいぶん楽になった。
ただ、被害者を知っていたのは剛太郎たちも同じだ。留置係として先入観を持ってはいけないことぐらいは承知している。
留置者に対しては、建前にしろ推定無罪で対応しなければならない。
その原則を外れた対応をすると、弁護士に突っ込まれ、事件そのものがつぶれる可能性すらあるのだ。
被害者である片山杏奈の無念を思うと、井手口に対してつい対応が厳しくなる。
しかし、三日も立つと、剛太郎は別の疑念を抱き始めた。それもまた問題なのだが、どうしても井手口が犯人には思えなくなってきたのだ。
彼には盗撮ぐらいがお似合いなのだ。剛太郎にしてもそこそこ凶悪犯と対峙はしている。それらの犯罪者に対して井手口は根性がなさすぎるのだ。
人を殺す度胸も、衝動も彼にはないように思われた。それは剛太郎のみならず係の共通認識のようなものだった。
もちろん同じ疑問は、取り調べに当たった一課の刑事たちも持った。
検察官と協議の上、井手口は盗撮で起訴するものの、殺人の方は泳がすことになった。ただ兵庫県警も一応感触を得たいということらしく、身柄は豊岡に送られることになった。
「ここが被害者の家、なんか今誰もいないみたいに見える」
凛の言葉に剛太郎は同意した。父親が逮捕され、娘が殺害された、家族は崩壊したようなものだ。
井手口を兵庫県警に渡した捜査本部はいったんその規模を縮小した。凛たちも一度仕切り直しということで、久しぶりの非番になったので剛太郎と被害者の家を訪ねてみたのだ。
「ちょっと君、何をしているの」
玄関から庭をのぞいた剛太郎は、一人の女性を見とがめた。どう見ても窓から室内をのぞいているように見えたのだ。
「剛太郎どうしたの、誰かいるの」
後ろから声をかけた凛は、中にいた女性の顔を見るなり、立ちすくんだ。
「外山凛、あんたなんでこんなところにいるの。まさかまだおやじと」
凛はいきなり駆け出した、というより逃げだしたと言った方が当たっているかもしれない。
「ちょっとあんた」
凛を追いかけようとした剛太郎を、女性が呼び止めた。
年のころは二十四、五つまり剛太郎たちと似たようなものだ。
どこか猫を思わせるしなやかさを持つ美人、いや可愛い女性だ。スリムのジーンズが似合っている。
「誰、あの女との関係は」
「ちょっとまてよ、こっちこそ聞きたい君は誰、俺は警察官、北丹署の佐久というものだけど」
「森田美玖、兵庫県警本部捜査一課の巡査よ」
「それが凛とどういう」
「あんた彼氏? じゃあ知らないんだ。 私のおやじ、府警の森田管理官とあの女とのこと」
「森田管理官、俺には関係ないな。だいたいその娘だからと言って態度でかくないか、あいつは部長だぞ」
美玖と名乗った女性はちょっと驚いた顔をした。
「ふん、どうして試験すり抜けたんだか、でもあんた、本部の管理官と聞いて態度変えないんだ、バカなの、それとも」
「ばかかもな、俺には階級なんてどうでもいい、まあ出世はしないかもしれないけどな」
「ふうん、面白いね、私しばらくこの事件に絡むから、よろしく」
「俺は留置係だから知らん」
剛太郎はそう言い残すと、凜の後を追った。
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