第二膳 答え『カレーの冷めない距離』

 わたしは、程よくとろみがついていることを確認し、煮込んでいた鍋の火を止めた。

 本日の料理は、タンドリーチキンカレーだ。


 先日、行き倒れていた少女を連れ帰ってきた日のこと、わたしは以来誰かのために料理を振る舞った。

 わたしの中で凍っていた時が溶けたかのように動き出し、料理を作る喜びを思い出したかのようだった。


 この1週間というもの、少女がいつ戻ってきても良いように毎日二人分作っていた。


 今日までの作りすぎてしまった料理は、わたしが居候させてもらっているココ、『変態の館』の館長カノーさんにおすそ分けしていた。

 毎食のことで困ったように苦笑いをしていたが、わたしの中で何かが変わったことに気づいたのか、口端が嬉しそうに上がっていた。

 カノーさんは、天を貫かんばかりにそそりたつ摩天楼『変態の館』の主として最上階にあるペントハウスに住み、この界隈では絶大な影響力を持ちながらも慕われている。

 一部の者たちの間では、ウンバチのように畏怖されているそうだが真偽の程は定かではない。


 さて、今日は食事を楽しむ相手が目の前にいる。

 これだけで伸びる食指が押さえられない。

 少女も同様に目を輝かせながらすでにスプーンを握っている。


「いただきます」


 わたしと同じように、少女も熱々のとろみのついた溶岩にスプーンを差し込む。

 黄色みを帯びた肥沃な大地を強奪するように、ガーリックバターを溶け込ませたサフランライスとともに一口目を頬張る。

 鶏肉の脂の甘味とヨーグルトとトマトの酸味が、スパイスの辛味の中で良いアクセントになっている。

 だが、少女はスパイスの刺すような刺激に驚いて目を見開き、ネコ耳としっぽをピンと立たせた。


 このカレーは、ヨーグルトを混ぜてまろやかに仕上げてはいるが、スパイスの風味を活かした大人の辛口だ。

 はちみつで甘みを加えて辛さは控えめにしたが、子供には刺激が強いだろう。

 しかし、わたしにはそこに狙いがある。


 少女はたまらずに目の前のグラスに手を伸ばす。

 ナイアガラのぶどうジュース、これが重要なポイントだ。

 

 ナイアガラというぶどう品種は爽やかな甘い香りが特徴の品種だ。

 これがスパイスとの相性が抜群に良く、辛さを中和させるだけではなく、風味を引き立てるのだ。


 わたしは、甘口に仕上げられたナイアガラの白ワインを最大の口に運ぶ。

 これ単体だと甘ったるくてわたしの好みではないが、スパイスカレーと合わせるには最高だと思う。


 少女は相性の良さに気がついたのか、飲んでは食べを交互に繰り返し、おかわりをしたそうに空になった皿とわたしを交互に見ている。


 カノーさんには悪いが、今日のおすそ分けはなしだな。

 わたしはフッと笑い、無言で皿を取って自分の分も含めておかわりをよそった。


「……ごちそうさまでした」


 わたしは満腹になり、程よく気持ちよく酔い、ホッと人心地ついた。  

 ふと見ると、少女も満足したように満面の笑顔である。

 口の周りがカレーの茶色に染まっている。

 

「やれやれ、しょうがないな、


 と、わたしは少女の口元をティッシュで拭ってあげながら、無意識に口をついて出た名前に固まってしまった。

 少女は不思議そうにわたしを見上げている。


「い、いや、何でも無い」


 わたしはハッとして席に座り直し、一気にグラスをあおった。

 無理矢理に笑顔を作ったが、内心動揺が隠せないかのように心臓が早鐘を打っていた。


☆☆☆


「クックック。やっと目覚めてくれたな。待ちくたびれたぜ、関川さん?」


 全面強化ガラス張りの摩天楼の最上階ペントハウスで、カノーはバスローブに身を包みブランデーグラス片手に佇んでいる。

 天空に浮かぶムー大陸を絡め取ろうとするように虚空へと手を伸ばし、ニヒルに嗤っていた。

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