2.黒骨の騎士と泉の乙女

 ヴォナキア王国、森の小さな町ワスマからそう遠くない森小屋の周りには切り倒した丸太が何本も転がり、その表面にはキノコがたくさん生えていた。森小屋は屋根から壁までつたおおわれ、遠目には生いしげる樹々に隠れて小屋とは気付きにくい。黒骨の騎士フォンザーは夜通し歩いたその足で小屋へ真っ直ぐ向かうと、三回ノックをして扉を開けた。

 髪ははちみつ色。滑らかな白い肌に頬は薔薇色ばらいろ。瞳はカイルギの南の海より鮮やかで青い。唇は桃色の花のつぼみ。紅葉のような小さな手の娘は目一杯に腕を広げ、帰ってきたドラゴニーズを出迎えた。

お父さんパードレ!」

フォンザーは膝をつき、丸太のごとき太い腕で駆け寄った小さな姫を優しく抱き締めた。

「姫、お父上は私ではなくさる尊きお方だと何度も申し上げたでしょう」

「でも、キャラバンの人に聞いたの。一緒にいた最後の夜に。その子の一番近くにいて、一番その子を撫でて、優しく抱きしめてくれる人がその子のお父さんパードレお母さんマードレなのよって。だからフォンザーがわたしのパードレなの。そうなの」

 黒骨の騎士に春の目覚めのような花の微笑みを向けるこの娘こそ、失われたテリドア帝国の十三人目のめかけヴィルマーヤが生んだハルサラーナ姫であった。小さな姫は厚手の水色のドレスを着て足元を革のブーツと白い下履きでしっかりと覆っている。

「パードレ、昨日は帰って来なかったから心配したの。パードレが怪我をして、怖くて寂しくて泣いていたらどうしようって、わたし思ったの」

「申し訳ございません。仕事が夜までかかってしまったのです」

 フォンザーとハルサラーナ姫が話していると近付いてくる者がいる。白銀の髪、エメラルドの如き緑の瞳、美しい白い肌。エルフィンの血筋を感じさせるトーラーの女性は、旅の装いながらも上品な白いドレスと白いローブを着ていた。魔法使いの中でも自然に寄り添い、精霊を重んじる彼らは白魔導士、または白魔法使いと呼ばれる。

 フォンザーは彼女を見上げ、姫に視線を戻すとふところのポケットに手を入れた。

「姫、こちらを」

「なあに?」

木製のクリームケースを受け取ったハルサラーナ姫は首を傾げる。

軟膏なんこうです。仕事の報酬ほうしゅうに貰ったものなので、姫に差し上げます」

「なんこう?」

姫の問いにはフォンザーではなく白魔法使いが答える。

「小さな切り傷や肌荒れに効く薬です。たくさんの薬草から精油を作らねばならないので、作るのが難しく高い物なのです」

「むずかしいお薬なの? どうやって使うの? クレリア」

 クレリアと呼ばれた女魔法使いは膝をついてクリームケースを受け取るとフタを開き、少量を取ってハルサラーナ姫の紅葉のような小さな手に塗り込む。

「こうして肌によく塗り込むのです」

「そう!」

ハルサラーナ姫はすぐに真似してクレリアの手に軟膏を塗った。

「こう?」

「そうです」

「パードレにも塗ってあげる!」

「お気持ちだけで十分です、姫。クレリアも申し上げた通り高価で貴重な物なので、大切にお使いください」

「でもパードレの手には、たくさんたくさん切り傷があるわ」

 普段からよく見られているということを改めて知り、言葉に詰まってしまったフォンザーは渋々革の手袋を外して節のある大きな手を差し出した。ハルサラーナ姫は満開の花のように微笑んで、軟膏を健康的な小麦色の肌に塗り込んだ。

「きっとパードレの手は世界で一番大きいわ。なんこうも、いっぱいいるわ。ねえクレリア、わたしにもなんこうは作れる?」

「姫さまがたくさんの勉強をなさって、精油の作り方を学べば作れますよ」

「じゃあもっと勉強する!」

 ハルサラーナはフタをしたクリームケースを、クレリアが差し出した麻の小袋に入れ自分の小さなカバンに大切に仕舞った。姫がカバンを背負うとフォンザーは小さな体を軽々と抱き上げた。

「姫、次の町へ行きましょう」

「次はどんな町なの?」

「今まで見た中では二番目に大きな町だと思います」

「本当!?」

 明るい表情をしているハルサラーナ姫に見せないよう、フォンザーはクレリアに険しい顔を見せ目配せで敵が迫っていることを示す。

「では、すぐに荷物をまとめます」

「サラーナ姫、姫は私と先に参りましょう」

「うん。クレリア、ディミトラとアレッキオを早く呼んできてね」

「畏まりました」


 フォンザーは小さな姫にも明るいベージュのローブを着せてフードを被らせ、マフラー状のおんぶ紐を使って彼女を胸の前にくくりつける。その上から己の黒いローブを小さな背中にかけて森の中を静かに進み始めた。

「あ!」

 ハルサラーナは後方から追いついたクレリアと、テラムンの中年女性とトーラーの若い男に気付いてフォンザーの肩から頭をのぞかせた。

「パードレ、みんな来たわ!」

 姫より先に気付いていたもののフォンザーは彼女の発言で足を止め来た道を振り向く。白いローブのクレリアは身の丈ほどの木の杖を持ち、その隣、テラムンの中では比較的背の高い中年女性は全身に茶色い革の鎧をしっかり着込んで。

 トーラーの若い男は弓矢を背負い茶色の革と新緑色に染められた布の軽い鎧に、深い緑の狩人帽に鳥の羽を差していた。

「大股で進むから追いつくのが大変だよ」

 そう口にしたのは狩人の姿をしたトーラーの男、アレッキオ。

「急ぐのだから当然だ。本来なら昨晩のうちに町を出たかったんだがな」

「そんなにひっ迫した状況だったのかい?」

 テラムンの女性、ディミトラは大きなフォンザーを精いっぱい見上げる。

「そう思ったが、昨晩中に事は片付いた」

「おっかね」

「だが相手が魔法使いだったし、吟遊詩人ぎんゆうしじんからは妙なことを耳にした。早々に町を後にするには十分なほどにな」

「後で詳しく聞きましょう」

「ああ」

 今こそ連携が取れているものの、ハルサラーナ姫の従者たちは全員が集まり打ち解けるまでには時間がかかった。事は五年前、テリドア帝国が陥落かんらくした時までさかのぼる。




 ──反乱軍をかいくぐり堀に身を投じたあと戦火に囲まれた黒騎士フォンザーは、最後の城壁を乗り越える前に力尽きようとしていた。傷は深く血が多く流れ、意識はおぼろげ。それでも小さな姫を、赤ん坊を死守せんと胴鎧を外し小さな体をマントで包み、二つの鋼の間に隠した。

(これで、何とか……)

 己がもう長くないことはわかっていた。そして、ハルサラーナ姫が運命の子だと知ってグリシュナ皇帝の手から逃そうと以前奇襲をかけてきた白魔法使いと、弓士、軽業士かるわざしの三人が必ず姫を助けに来ることも……フォンザーはわかっていた。

 意識が完全に闇へ落ちる前、黒騎士はこちらに駆け寄る白いローブの女性を見つけた。

(もう大丈夫だ……)

 フォンザーの体から力が抜け、彼は鎧をガチャリと鳴らして固い地面に倒れ込んだ。

 テリドア帝国の陥落かんらくと共に、夜は深まっていった。


 二度と目覚めるはずのない黒騎士は木漏れ日に囁かれまぶたを持ち上げた。

「…………」

 全身に刻まれた傷を感じつつもフォンザーは首を動かして辺りを見回した。すると横たわる彼の隣に、はちみつ色の髪をぽやぽやと生やした小さなハルサラーナ姫がすやすやとよく眠っていた。

「あなたの隣へ寝かさないと酷く泣くのです」

 黒騎士が声のした方へパッと顔を向けるとクレリアが白いローブ姿で立っていた。

「おはようございます黒骨の騎士フォンザー。暴君グリシュナの城は完全に落ちましたよ」

「……なぜ俺は生きている?」

「姫さまが生かしたからです」

「何?」

「姫さまを思うなら、無理をしないで」

体を起こしかけたフォンザーをクレリアは片手で制する。

「世界にかえるはずの命を、姫さまはすんでのところで引き留めたのです。そのお力によって。まだ魔法が何かも知らないのに」

「何を言ってる?」

「言ったままのことを」

 クレリアが近付くとフォンザーは身構えた。

「このまま起き上がるなら包帯を取り替えましょう。しかし、そのあとはよく休んで。今のあなたはハルサラーナ姫によって引き留められているだけ。無理をすると次こそ本当に死にますし、姫さまの命もあなたに引きずられて危うくなるのです。姫さまを危険にさらすことはあなたにとって不本意なはず」

 フォンザーは包帯の下から黄金の瞳で白魔法使いを睨んだが、かたわらに眠る乳飲み子を見つめるとゆっくり体を起こした。

「聞き分けがよくて助かります」

クレリアはそばにある真新しい包帯を手に取った。


 フォンザーは夢を見た。はちみつ色の髪の子が泣いている。暗い森の奥で、たった一人で。

「パパーぁ!」

まだ歩くのもやっとな、喃語なんごを終えたばかりの少女が泣いている。カイルギの南の海より鮮やかな青色が、涙と共にこぼれそうだ。

「パパー!」

何故、自分は胸が潰れるような思いに駆られるのだろう? 何故、こんなに苦しいのだろう?

「パパー!」


 フォンザーは飛び起きた。激しく打つ鼓動と髪を濡らすほどの汗が不快だった。気付けば、そばには包帯を洗う白魔法使いがいた。

「……酷くうなされていました。悪夢を?」

 フォンザーは答えず、近くにあったタオルで顔と短い黒髪を拭いた。タオルからはほんのり薬草の香りがしている。きっと魔法使いが消毒に使ったのだろう。大きく息を吐いて気を落ち着かせると、彼はゆっくり立ち上がる。

「まだ怪我は治っていませんよ」

 クレリアの声を無視してフォンザーは半裸に包帯を巻いた姿で森小屋の外へ出た。


 森の空気は澄んでいた。フォンザーはドラゴニーズだったが、街中でトーラーに囲まれて育ち森での生活を知らなかった。


 テリドア帝国の中には数人ドラゴニーズがいて、皆グリシュナ皇帝の祖父や、さらにその祖父たちに代々仕えていた。ドラゴニーズたちは、共通の父母を持たずとも自ずと集まりお互いを兄弟と呼んだ。歳がずっと離れれば親子のようにも振る舞った。

 フォンザーにも師と呼べる年上のドラゴニーズがいた。その男はフォンザーが生まれた時すでに六百歳を越えていて、これから老いる頃合いだった。フォンザーは師である彼に力の使い方と制御法、皇帝の膝元につけるような話術と武術を教わった。寡黙なフォンザーに話術は伴わなかったものの、弟子たるフォンザーは水を飲むように武術を吸い込んでいった。


 フォンザーは森を知らない。けれど、やはり竜の力は森と相性がいいのだろう。フォンザーは深く息を吸い、吐いた。目を閉じ耳をすませばぷちぷちと、土の下で種が芽吹く音が聞こえる。

「体を冷やしますよ」

 白魔法使いが黒いローブを手に背後に立っていた。目をつむったままフォンザーはそれを感じ取り、しかし何も言わなかった。

「竜の子が見る夢は予知夢の場合も多いのです。悪い夢を見たなら、これからは私たちに共有してください。姫さまに関することなら尚のこと」

「……いいか」

 フォンザーは白魔法使いに振り向いた。エルフィンの血を感じさせるエメラルドの瞳がこちらを見ている。

「俺は姫に仕える気はあっても、お前たちと馴れ合う気はない」

 フォンザーは哀しげなクレリアを睨みつけて森小屋に戻っていった──。




「しっ」

 森の中を順調に進んでいたら白魔法使いクレリアとハルサラーナ姫が同時に反応し、周りの足を引き留めた。

「パードレ、降ろして」

「しかし」

「はやくはやく」

姫にうながされるまま黒骨の騎士はしゃがみ、マフラー状のおんぶ紐を外す。

「どうしたんだい二人して?」

「誰か、泣いてるの」

「うん?」

「女性の声ですが、聞こえませんか?」

 軽業士かるわざしのディミトラと狩人のアレッキオは首を横に振った。ドラゴニーズのフォンザーはじっと耳を澄ませて、森の奥に意識を向ける。

「……かすかだが、聞こえる」

「私と姫さまとフォンザーだけが聞こえるという事は、生き物ではありませんね」

「精霊さま?」

「その可能性が高いです。参りましょう」

「俺としては早々に人混みに紛れたいのだが……」

「パードレ、あの人とっても悲しそうよ」

「……仕方ない」

ハルサラーナ姫はクレリアと見つめ合って頷くとフォンザーの手を引いた。

「こっち!」

 駆け出したハルサラーナ姫に手を引かれ屈んだまま森の深くへ踏み入るフォンザー。その後を三人の従者は早足で追いかけた。


 泣き声の主はすぐに見つかった。森の奥には泉があり、そのふちに腰掛けて両手で顔を覆う半裸の乙女の姿があった。濡れた栗色の髪に日の光が当たって金の輪が浮かび上がっている。

「おおっと」

 アレッキオは濡れた美女という刺激の強さに思わず目を逸らした。フォンザーは走るまま乙女に駆け寄ろうとしたハルサラーナ姫を引き留め、腕に抱えるとゆっくり乙女に近付く。

「精霊さま精霊さま、どうして泣くの? 何が悲しいの?」

 ハルサラーナ姫の問いかけに乙女は手をどけて顔を上げた。新緑の若い芽のような緑の瞳が姫に向けられる。

「ああ、運命の子! 私たちの小さな姫……イェル・アル・サリーナ聖なる場所へ導く者……どうか私の嘆きを聞いて」

「聞くわ、精霊さま。どうしたの? 何がそんなに、喉が枯れるほど悲しいの?」

 泉の乙女はまたわっと泣き出した。フォンザーの腕の中にいるまま乙女に近付いたハルサラーナ姫は泉の精の滑らかな肩をそっと撫でた。

「私は、大切な物をなくしてしまったの。イェル・アル・サリーナ……。とても大切な物を」

「何をなくしたの?」

泉の乙女は再び顔を上げて小さな姫を見つめた。

「大いなる方から授かった聖剣を、人の子に盗まれてしまったのです。とても大切な物なのに……」

「せいけん?」

 はちみつ色の髪の姫はすぐに想像が及ばず南の海より鮮やかな青い瞳でフォンザーを見上げた。

「神や精霊により聖なる力を与えられた剣のことです。つまり、魔法の剣です」

「そう……。まほうの物だから、なくなって困ってるのね」

「そうです。イェル・アル・サリーナ……」

「パードレ、魔法の剣の探し方を知ってる?」

「……乙女の代わりに探しに行くのですか?」

「うん。だって、精霊さまは私がパードレとはぐれた時、迷子になった時たすけてくれたの。だから今度はわたしが精霊さまをたすけるの」

 三年前、ハルサラーナ姫は森の深くで反乱軍に追われた際フォンザーたちとはぐれてしまった。絶望的な状況だったが、彼女は持ち前の精霊に愛される性質を遺憾なく発揮し従者たちの元へ戻ってきた。

「お願いパードレ。精霊さまをたすけるの。一緒に探して」

「……それが姫の願いならば」

 姫は満足そうに微笑んで泉の乙女に振り向いた。

「大丈夫、みんなで探すわ。みんなで」

「ああ、ありがとう運命の子……」


 白魔法使いクレリアと竜の子フォンザーがいたため泉の乙女は素直な態度を示し、探すべき聖剣の形を水を使って表し一行に見せる。その剣は棒鍔クウィロンの形がUの字で独特で、フォンザーたちはすぐに剣の形を覚えた。

「私はこの剣を授かり、これよりシルベルフへ帰るつもりでした。しかし誰かに盗まれ……誰かはわかりません、その場を見ていませんから」

 泉の乙女の話にアレッキオもディミトラも頷いている。泉の乙女は二人にも聞こえるよう人の言葉を使ってくれた。

「なら人の子とは限らない」

「残念ながら人の子なのです。足跡が、背の高い者の足でした。竜の子でもありません。土の子でもないのです。そして私たちの子はそんなことをしません」

「消去法で行くとトーラーだと言うことか」

「同じトーラーの身としてお詫び申し上げます。精霊さま」

泉の乙女は首を横に振った。

「あれは大いなる柱の御技みわざ……一度見てしまえばかれるのは当然です」

「まぁ見た目はカッコいいけど、そこは個人の好みに寄るような」

「そう言うことではないのですアレッキオ。聖剣は神々や精霊の力そのもの。突然現れた美女に誘惑されるようなものです」

「え、それ俺たちが探さない方がいいんじゃあ……?」

「お前が手放したくないなどと口にしたら俺が責任を持って顔を張り飛ばす」

「やめてくれ。顔の形が変わる」

「精霊さま。その聖剣は私どもが手にして大丈夫なものですか? 持ちあげられぬと言うことはございませんか?」

 泉の乙女はまだ濡れている瞳でクレリアをぽかんと見つめた。乙女はそして、ああと溜め息を漏らした。

「……選ばれし者の手でしか剣は輝きません」

「やはり……」

「クレリアクレリア、解説しておくれ。只人にはさっぱりだよ」

「ええ。つまり、聖剣には正当な持ち手が存在する。その者以外にはその場から動かす力がないのです」

「えっ!? でも本当の持ち主以外に盗まれたんだろう!?」

「その辺りは調べなければわかりません。ともかく、持って行かれるはずのないものが持ち出された。精霊さまもまさかこんな事態になるとは思わず途方に暮れていらっしゃるのです」

「ああ、本当に困った事態なんだね!」

「何てこと。お可哀想にねえ……」

ハルサラーナ姫は小さなローブ姿でまたフォンザーを見上げた。

「パードレ、どうしたら剣を持ち上げられると思う?」

「……この場合、無理に持ち上げず見つけた場所へ泉の乙女を呼び出すのがよいかと」

「剣を見つけたら精霊さまを呼ぶのね! それならわたしにも出来る!」

「そうですね、一番近い水辺に精霊さまをお呼びするのがよいと思われます。いかがでしょう?」

「ええ、そのようにしてください。運命の子、夜の子。そして私たちの子」

かしこまりました。見つけ次第お知らせ致します。しばしのご辛抱を」

泉の乙女はようやく表情を和らげ、清流に咲く花のように微笑んだ。


「ああ、いい女だった……」

「やめろ、姫の前だぞ」

「本当に美人だった……」

 アレッキオは町へ差しかかる頃かみ締めるようにそんなことをつぶやいた。

「口説くって考えまでいかなかったのが惜しい」

「精霊は口説くものじゃない。それに人の子なら口説かれる側だぞ」

「そうなんだよなぁ〜惜しい」

「いい加減にしろ」

フォンザーが太い腕を振る素振りを見せるとアレッキオはぴょんと跳んで彼から距離を取った。

「わかった!」

「お前の口と尻の軽さはどうにかならんのか」

「身軽って言って欲しいね」

「言ってろ」


 一行は橋を越え町の中へ踏み入る。大通りは店が賑わい人通りも多い。フォンザーはハルサラーナ姫が潰されないよう、クレリアに手を引かれていた彼女を持ち上げると己の首に跨らせた。

「パードレの肩車!」

姫は明るい声を出して大いに喜んだ。

ながめがよくて羨ましいねえ」

テラムンのディミトラは眩しそうに姫を見上げる。

「左肩なら空いてるぞ」

「ふっ。気持ちは嬉しいけど、遠慮しとくよ」

町の様子を探るためフォンザーが視線を動かすと、遠くにトーラーたちから頭一つ飛び出たドラゴニーズの姿が見えお互い目が合う。相手は白い肌、赤い髪にオレンジゴールドの瞳で、ヘラジカのような大きく幅の広いベージュのツノを持っていた。お互いに軽く手を挙げると、相手のドラゴニーズは己の右方向を指差し歩いて行った。

「誰かいた?」

「赤い髪の兄弟がいた。飯屋か酒場に案内してくれそうだ」

「こういう時、ドラゴニーズの絆の強さは助かるねえ」

「そうだねえ。あたしもまさかドラゴニーズが独自に築いてる情報網があるとは知らなかったよ」

「竜は山の一つ二つ越えて当然だからな。国を越えた繋がりがないと厳しい」




 ──ドラゴニーズが国の繋がりよりも血の繋がりを重視することは世間に知れ渡って久しい。しかしその詳細を知る者は他種族にはなかなかおらず、ディミトラやアレッキオも「そう言うものだ」としかとらえていなかった。

 五年前、ハルサラーナ姫とようやく旅の連れ合いとなった従者三人は赤子の姫よりも黒骨の騎士に手を焼いていた。

「ちょっと、今日も一人で食事かい」

 ディミトラが声をかけたから足を止めたものの、まだ鎧下の内に着る薄い下着に黒いローブを引っ掛けただけのフォンザーは彼女を金の瞳で見下ろして宿の部屋から出て行く。深傷がえたかも怪しい背中を見送り、ディミトラは溜め息をついた。

「もう三週間だってのにまだあれかい? ねた子供じゃないんだから」

ディミトラの愚痴ぐちを流し聞きながらアレッキオは借り物のリュートを調律がてら作曲をしている。かたわらにいる乳飲み子の姫への語り聞かせも兼ねて。

「帝国人ってのは四方を別の国に囲まれてるから態度がかたくななのさ」

「だとしてもだよ。あたしたちは姫さまを中心とした連れ合いだよ? いつまでもあの態度でいられると思ってんのかね」

「さあ、そこはどうだか」

ポロロン、とアレッキオはリュートを鳴らす。

「あたし、ちょっとついて行くよ」

「やめときなよ。俺の美声になびかない奴だぜ?」

「だからこそだよ」

ディミトラは小さな背で塔のごとき大きな背を追いかけた。


 黒騎士はクレリアが用意した黒いローブで頭を隠してはいるものの、槍のように鋭い黒いツノは遠目からでもよく分かる。その黒騎士は人混みをかき分けながらどこかへ真っ直ぐ向かって行く。

(初めて来る町だろうに迷わずに進むね)

 黒騎士フォンザーはやがてある酒場の戸をくぐった。ディミトラは物陰に隠れるようにして彼の姿を目で追う。すると他のドラゴニーズの男が二人、まるで黒騎士を待っていたかのように大きく腕を広げ「兄弟!」と呼びかけるところだった。

(ドラゴニーズ同士で待ち合わせでもしてたってのかい? でもそんな暇は……なかったよね。町には着いたばかりだし……)

 ディミトラはフォンザーとドラゴニーズたちの近くへ寄り、適当にビールを頼んだ。耳をかたむけていると三人が何か話しているが、竜語を使っているためディミトラには意味が分からなかった。

(お手上げだ。クレリアなら多少は聞き取れたんだろうけど……)

 彼らの身振り手振りを観察していると、どうも何かの場所について教え合っているようだった。黒騎士は二人の話に頷いて、また自分も何か話している。

 ある程度情報交換が済むと竜人たちは酒を頼みだした。ビールを片手に三人は公用語で冗談を言い合い、ディミトラは普段自分たちに厳しい表情しか見せないフォンザーが自然と微笑んでいるのを見て胸の中にもやりとした影が立ち上るのを感じた。

 つまみ程度ではあったもののフォンザーは竜人二人に食事を奢ってもらい、その後彼はその足で傭兵ギルドのある別の酒場へ向かった。ディミトラはギルドへ入って行ったフォンザーを見届けてから踵を返し、アレッキオと姫の待つ宿へと戻った。


「ふぅん」

 買い物へ出ていたクレリアも戻って来ていて丁度いいからとディミトラは見たままを二人に話した。

「同族とあたしたちで態度が違いすぎだ。あたしたち本当に信用されてないんだよ」

「帝国人なんてそんなもんだろ?」

「ヴォナキアの同族には頼るのにかい?」

「それは……ええと」

「……ドラゴニーズはエルフィンと同様半精霊と呼ばれる種族です。種族独自の情報網や流通があるのでしょう。不思議なことではありません。私が育ったエルフィンの村も一緒でしたから」

「だとしても、あんたはあたしとすぐ仲良くなったろう!?」

「私の場合は困っていたところを貴女に親切にして頂いたからですし、黒骨の騎士とは事情が違います」

 ディミトラが再び口を開こうとした時、廊下にゴツンゴツンと重い足音が響いた。その足音は真っ直ぐこの部屋に向かって来て、三人が身構える前に扉は開かれた。戸を潜ってきたのは今では馴染み深い、鉄甲付きの革靴に露出を避けた厚手の暗い色の服、その上に黒いフード付きのローブを羽織り口元も布で覆った姿のフォンザーだった。

 目を丸くしている従者三人を目視するとフォンザーは握っていた麻袋を白魔法使いの前に差し出す。

「これは?」

「姫のおしめの替えだ。預ける」

「わざわざ買って来てくれたのですか?」

「仕事の報酬だ」

 短く言い放つとフォンザーは姫が寝ている揺り籠のそばへ行き、かたわらに腰掛けると片膝を立てた上に腕を置き目をつむった。フォンザーはこの頃、よくこうした体勢で眠っていた。

 元帝国兵黒騎士がそうして静かになると従者たちは顔を見合わせた。クレリアが麻袋を開くと布のおしめとは別に小さな袋があり、その中身はギニル硬貨と小さいながらもよく磨かれた美しい宝石だった。

「……この短時間で随分稼いで来たね」

 クレリアはチラリとフォンザーを見やった。静かに眠る竜人は相変わらず何を考えているのかわからない。

「姫の生活費でしょう。大切に使わなくては」

「まあ、そうだね」

「宝石は売ってパッと酒盛りしようよ!」

 クレリアとディミトラの両名ににらまれると、アレッキオは亀のように首を竦めた。


 フォンザーのその態度はしばらく続いた。いつの間にか加入していた傭兵ギルドで日銭を稼いでは報酬のおまけに姫に関する必要物資を得て、釣りと言わんばかりに硬貨を小袋に詰め白魔法使いに預けた。しかし従者たちとは決して自らの財布と食事は共有せず、町にドラゴニーズがいれば真っ先に彼らを頼った。


 ハルサラーナ姫がまだハイハイも覚えていないある日、ディミトラは宿を出て行くフォンザーの後について行った。今度は隠れず堂々と。フォンザーは彼女を一瞥いちべつしたが何も言わずにその町にいたドラゴニーズの元を訪れた。

「兄弟!」

「兄弟」

 酒場に着いたフォンザーは茶髪のドラゴニーズと抱擁ほうようしあった。

「よく来たな」

「しばらく世話になる」

「ああ。ゆっくりしていってくれ」

 壮年のドラゴニーズはそばに立つディミトラに微笑んでから二人を席へうながすとレモン水を注文する。

「ここはビールよりレモン水の方が美味くてね」

「そうか」

「それで、その後はどう?」

 竜人たちは竜語で話し始めた。フォンザーが何か事情を説明し、相手が静かに頷く。次は相手が何か話しながらレモン水を口にし、フォンザーが頷く。ディミトラは聞き取れないながらも、彼らの表情や身振りから会話のおおよそを推測した。

 フォンザーは帝国の崩壊と共に追われ、同族を頼りながら移動していること。まだ乳飲み子の姫を抱え、彼女には他にも従者がいること。そして次にどこを目指せばいいか、しばらくどこへ隠れるかを考えていることだった。

 茶髪のドラゴニーズはテーブルの物を使い今いる町と次に目指すべき方角を示し、兵士の多い表街道の村は避け裏街道から山を越え寒村を目指すよう勧める。

(なるほど、行く先々でこう言うやり取りをしてるんだね)

 二人は情報交換を終えるとディミトラに視線を向けた。

「で、彼女が曲芸師のテラムンなんだな」

「そうだ」

「おっと、あたしらのことも知ってんのかい」

「もちろん。兄弟の話なら近隣の同族ですぐ共有するからな。それで、我々のは?」

「さすがにまだ連れて歩ける歳じゃない」

「そうか。残念。はちみつ色の髪を見たかったんだが」

「そんなことまで知ってんのかいあんた」

「もちろん。我々は寿命が長いからな。トーラーが中心になってる国の発展も衰退も見守る羽目になる。彼らの情報に頼ると話が雑なうえ多すぎてね。必要なところが入って来ない。だから兄弟のみの情報に絞ってやり取りしてるのさ。誰がどの山や川辺に住んでるか、どこへ引っ越した、家族は何人とかね」

「へえ」

「国王が変わって国を追われる兄弟なんてザラにいる。そういう時は誰それを頼るといいとか、山二つ先に安全な隠れ家があるよとかそういう話をしておくんだ」

「……国を追われた同族の話なんてその国で出来るのかい?」

茶髪の男はディミトラにニッと口の端を上げてみせた。

「そのために国に頼らない情報網を持ってる」

「ははぁ、なるほどね」

「兄弟本人に会ったことはなくても俺たちはお互いを知ってる。容姿も人柄も、どう移動したか何が必要かも。困っている兄弟を助けるのは当たり前だし、助けてもらった兄弟は別の兄弟を助ける。俺たちはそうやって生きて来たんだ」

 ディミトラはようやく合点がいった。フォンザーは自分たちへの信用とは別で、姫が危険な目にあったら自分がいなくてもに助けてもらえるよう彼らと細かな情報を共有していたのだ。

「だから君たちは俺たちドラゴニーズを見かけたら迷いなく頼っていい。我々にとってもおしめ様は大切だからな」

「そう言うことなら遠慮しないよ。ただ、」

「ただ?」

「……そう言う話はこの男の口から聞きたかったね」

「はっはっは! 口下手なのは噂通りだな兄弟!」

バンバンと景気よく背中を叩かれたフォンザーはしれっとした顔でレモン水を飲み干した。


 残りの二人にもこの話をした方がいいとディミトラに促されたフォンザーは帝国を追われてから一月半経ったこの日、やっと従者たちと夕食を共にした。

「俺は名と顔が知られているしこの体格では目立つ。追われているのはもっぱら俺と姫だから、俺や姫の食事は毒が盛られていると考えていい」

「だからかたくなに食事を分けてたのか」

「他に理由があるか?」

「子供みたいにねてるんだと思ってたんだよ」

「百歳にも満たないお前たちに言われたくないな」

「あっ、そう言うことを」

 意味深に目を細めたフォンザーを見てクレリアは何かに気付き彼の顔をじっと見つめた。

「何だ」

「……むしろ、勘違いされる状況を狙ったのではないですか?」

 フォンザーは目を伏せ肩をすくめた。それは肯定以外の何物でもなかった。

「やはり」

「じゃあ何だい? あたしがあんたの行動から信用されてないって早とちりして、二人にあいつはダメだって相談するところまで考えて狙ったってのかい?」

「気付かれてしまったのなら狙いようがないな」

「あんたって奴は!」

ディミトラは大いに呆れた。

「冷静に考えて姫の世話はお前たちがして、俺は別行動の方が効率がいいからな。俺は陽動と遊撃だ」

「参ったね。こりゃ根っからの軍人だ」

「二百年帝国に仕えたのだ。見くびられては困る」

「二百年!!」

「あんた幾つだい!?」

「二百二十だ」

「おったまげた! それでその見目の若さかい!? あたしなんてまだ小娘じゃないか!」

「だから、百にも満たないお前たちに子供扱いされるのは筋違いだと言っている」

「なんてこった」

白魔法使いクレリアは動かぬ表情でフォンザーをじっと見つめ続けていた。

「何だ、白魔法使い」

「今もまだ別行動が出来るならそうすべきだと?」

「当然だ」

「ではやはり、あなたには早々に情報を共有すべきですね。……運命の子の予言について」

「何?」


 翌朝、日が昇る頃。宿で働く使用人たちは慌ただしく動き始める。その騒がしい時間を狙いクレリアは仲間と共に黒骨の騎士を前に椅子に腰掛けていた。

「この騒がしさで話が出来るか?」

「ご心配なさらず」

 白魔法使いは立ち上がると身の丈ほどもある杖を戸へ向け、エルフィン語を小さく唱える。安宿の扉に錠などないのにカチリと鍵が閉まったような音がして、周りは静寂に包まれた。

「ほう、さすがは魔法使いと言ったところか」

「では黒骨の騎士、フォンザー・ベルエフェ。これからする話は他言無用です」

「そうだろうな」

クレリアは静かに椅子へ腰を下ろした。

「“全ての野山が氷に閉ざされる時、全ての丘に剣が突き立てられる時、運命の子は現れる。精霊を統べる王が現れる。その子どもは雪の深い黒の国より生まれ、恐ろしい氷の腹から生まれ出でる。世界は闇を呼ぶ者によって雪の中に沈み、光を呼ぶ者によって炎の中から再び生まれ出る。心を研げ、子を隠せ。魔は人々の心にある。赤い鐘の音に備えよ。終末の時は近い。”……これが精霊の子スリブランによる予言の一つです」

「おい、まさか予言を全部頭に入れてるのか?」

「一節覚えるまで夕食を抜かれました」

「軍人かお前は」

「修行が厳しいのはどこでも同じでしょう」

「いや、まあ。……それで?」

「大衆に広く知られているのはこれだけですが、エルフィンの間で伝えられているものにはこの続きが存在します。では残りを」

 クレリアは調子を整えるためンッと喉を鳴らす。

「“運命の子に従う者がある。一つ目は白い花に蔓が巻く頃生まれ、我の血に連なり我の言葉をよく識る者。運命の子のため初めに大地を踏みしめる者。”……これは私のことです。春と夏の間に生まれ、妖精の子であるエルフィンの血を受け継ぎ、彼の教えを理解する事が出来る。つまり、エルフィンに育てられエルフィン語を習得した魔法使いを指します」

「予言の部分だけでは漠然ばくぜんとしていてお前かどうか怪しい」

「予言と言うのは総じてそう言うものですよ黒骨の騎士。予言をする者は未来を見る。しかし未来とはたった一つ過程が違うだけで大きく変わります。前提で言葉を組まないと様々に響くのです」

「何とでも言える」

「当たる部分も当たらぬ部分も含めて予言なのですよ。続けます。……“二つ目はやじりのような剣を操る者。白い花の蔓と共に次に大地を踏みしめる者。旅立つ時、その者は握りしめた宝を放り出す”」

クレリアの視線を受けたディミトラがうなずく。

「あたしのことさ。やじりのような剣ってのは曲芸で使うナイフのこと。ナイフ投げだからね、あたしは」

「握りしめた宝は?」

「うちの団は盗みもしてたのさ。宝を捨てるってのは、つまり足抜けするってことだね」

「元盗賊か」

「殺人はしないよ。団長は殺しが嫌いだったからね。こっそり合鍵を作って、こっそり頂くのさ。あたしは団長の教えで錠前破りをしてた」

「ほう」

ディミトラはクレリアに視線を振る。クレリアは頷いてアレッキオを見てから、フォンザーに視線を戻した。

「“三つ目はつるを爪弾く腕を二つ持つ者。鷹の如き瞳で赤い果実を射抜き、神々に届く声を持つ。やじりを投げる者と共に矢を放ち、かの者もまた大地を踏みしめる”」

「俺のこと! いやぁ精霊王直々に美声だって褒められるの俺くらいなんじゃなーい?」

「弦を爪弾く腕が二つ。つまり、弓と楽器を操る者という意味です。アレッキオはたまたま酒場で出会した私たちが逃げ出す際助けてくださり、そのまま連れ合いになりました」

そこまで聞き、フォンザーは次が読めた。

「……四人目がいるのか」

「はい。あなたのことです」

「……予言は何と?」

「“四つ目は、黒骨より出で、運命の子に最もかしずき、運命の子を最も愛する者。運命の子もまた黒骨より出でし者を深く愛する。その者は大地が黄昏に向かう前に炎に囲まれうろこを失う。弦を爪弾く者のあと、大地を踏みしめる”」

言葉を切ったクレリアと静かに聞き入ったフォンザーはじっと見つめ合った。

「大地が黄昏に向かう。つまり収穫の時期を迎える秋より前の晩夏。一月半前のあの日、あなたはあの場で黒い骨のように燻る建材に囲まれ力尽きていました。うろこは、鎧のことでしょう。そしてこの表現から、トーラーではないことが分かります。竜の子であり姫に忠誠を誓ったのはあなただけです」

「言い切るには早い」

「他に誰がいるのですか? 姫さまを己の子のように腕に抱く者が他にいるのでしょうか? いいえ」

他の誰でもないとクレリアは念を押して首を横に振った。

「何より、力尽きかけたあなたを救ったのはまだ魔法も知らぬ姫さまです。その強い思いに愛以外の、何がありましょう?」

フォンザーは視線を下げた。

「……姫を最も愛する者など陛下以外に誰がおろう」

「あの暴君が娘を愛してたってのかい?」

「違いない。俺は、陛下が姫の金の髪を優しく撫でるのを見た。姫君の祖母に似ていると目を細めたのを間近で見た。この目で」

フォンザーは三人の前で初めて、哀しげに眉根にしわを寄せ固く目を閉じた。

「他に、誰がおろう」

 三人はフォンザーの様子をじっと見守った。そう思えることこそ、姫を深く思いやり深く愛しているからこそ、そう思うのだと感じ取っていた。黒骨の騎士はややあってまぶたを開く。

「……陛下が生き延びて戻ってくる可能性もある」

「まあ、あり得なくはないけど」

「生きてたら国の復興に行くだろうよ。皇帝が旅の連れ合いになるもんか」

「その辺りは予言の解釈に寄るだろう。漠然ばくぜんとしているのだからな」

「グリシュナにうろこがあれば別ですが、あなたの希望的観測と予言はすれ違うと思いますよ」

 フォンザーは視線を落としてまた静かになってしまった。

「これで、あなたが黒骨の騎士と呼ばれること、姫さまから離れてはいけない理由が分かりましたね?」

「……予言に乗るのはしゃくだが」

 騎士はかたわらに眠る幼い姫君に振り向いた。

「この命はとうに姫に捧げている」

 その忠誠を確かに聞いた。そう言わんばかりに赤子のハルサラーナは柔らかな微笑みを浮かべた──。




 赤い髪のドラゴニーズについて行くとそこは大衆食堂だった。槍のように鋭い黒いツノを持つフォンザーが屈んで入り口を潜ると、近くのトーラーからおおっと声が上がった。

「黒いツノだ。珍しい」

「いらっしゃい。よく来たねえ」

「兄弟!」

 周りに会釈をし、声がした方に振り向くと赤い髪のドラゴニーズが手を挙げていた。その者に近付くと相手は立ち上がってフォンザーとがっしり腕を掴み合う。

「兄弟」

 こんにちは、と言うニュアンスでフォンザーはそう口にした。赤髪のドラゴニーズはフォンザーの肩に乗る小さな姫の正体を一目で見抜き、人懐こい笑顔を見せた。

「ご機嫌よう、小さな白ずきんさま」

「ごきげんよう、はじめまして!」

「はじめまして。さ、お席にどうぞ」

 一行がゆっくり出来るようにと赤髪のドラゴニーズ、クリストフは食堂の壁際のテーブルに招いてくれた。クリストフの隣にフォンザーが座り、その隣にハルサラーナ姫。その隣にクレリアが並んで全員で円卓を囲む。

「噂に聞いてはいたんだけど実際見かけると感動するよ」

「はちみつ姫の話かい?」

「ああ、兄弟が可愛い白ずきんを連れて歩いてるってね」

 クリストフは遠回しな言い方で、相変わらずドラゴニーズの間で黒骨の騎士と運命の子が旅をしている話が持ちきりになっていると伝える。

「二つ隣の町だが、セントラルブランにも兄弟がいる。そちらへ行くなら頼るといい」

「ありがとう。それで兄弟、君は? ここに住んで長いのか?」

「ああ。ウチはお爺の代からだからざっと五百年」

「うへ、さすがドラゴニーズ」

「トーラーは俺たちの十分の一くらいだもんなぁ、寿命が」

「テラムンのあたしたちはもっと短いよ」

「確かに。でもここはソン・サザリーム。テラムンも俺たちもトーラーも関係なく住んでる。酷く仲違いもしないよ」

「そのようだな」

 食堂に集うトーラーたちがフォンザーを怖がらなかった様子から、彼らが上手く隣人としてやっているのだろうとは感じ取れた。

「兄弟、妙な話を聞いたのだが相談に乗ってくれないだろうか?」

「構わないよ」

 フォンザーは仲間が朝食をとる間、竜語を使いクリストフと話を始める。どうにも魔法使いらしき者に元帝国兵である自分と姫が追われていると。クリストフは話を聞いて腕を組み、うーんと首を傾げる。

「おっかない話はここらじゃ聞かないからなぁ……」

「相手が魔法使いだと人混みにいても森にいても追いかけられる。隠れられるところがあれば紹介してもらいたい。あと、他の兄弟にもこの話を伝えて欲しい」

「いいとも。隠れ家はないけど……この町にいるならまずウチに寄るといい。母は老体だが健在だし、君たちの顔を見たら喜ぶよ。なんなら泊まっていって」

「助かる」

「なんの。困った時はお互い様さ」

話を終えるとフォンザーはハルサラーナ姫に振り向く。

「サラーナ様、この町にいる間はクリストフの家に泊めていただけるようです」

「本当!? ありがとうクリストフさん!」

「白ずきんさんが来たらウチのみーんなが喜びますよ」

「ドラゴニーズの家なら安心だ。テーブルはでかいし、ベッドは広い!」

「ああ、かまども鍋も大きいね」

「ありがとうございますミスター・クリストフ」

「兄弟のためならいつでも。ウチは五番通りのすぐにあるから先に行ってておくれ。俺は仕事へ行くから」

「ありがとう兄弟」


 ヴォナキア王国の内陸の町、ソン・サザリーム。その五番通りに目的の家はあった。三角屋根の白い漆喰の大きな二階建ての家は、トーラーなら三階建てに出来ただろう。

「おっきなおうち!」

 ハルサラーナ姫は玄関先で喜んだ。フォンザーがノッカーを打ちしばらく待つと、扉が開き老婦人が顔を出す。

「はいはいどなた……? あら! あらあら! まあまあいらっしゃい!」

 クリストフの母親は訪れた闇竜の子の顔を見るとぱっと表情を明るくした。

「旅の者です。クリストフ殿に紹介を受けて来まして」

「ええ、そうでしょう。さあさあ中にお入りなさい。すぐお茶を淹れますからね」

 クリストフの母、エマの案内で一行は広く大きな家の居間に案内された。ハルサラーナ姫は大きな大きなソファに喜んで、荷物も下ろさないままそこへ飛び込んだ。

「大きい!」

「姫、はしたないですよ」

「パードレも飛び込むといいわ!」

「駄目です」

 フォンザーに引き戻されハルサラーナ姫はぷぅとほっぺを膨らませた。エマが淹れたミルクティーを飲み、一行はほっと胸を撫で下ろした。

「これ美味しい」

「ほんとにねえ」

「茶葉以外にも何か入っていますね。シナモンでしょうか?」

「ええ、そうですよ。うちはいつもシナモンを入れるの」

「おいしいわ!」

「そう? 良かった」

 お茶を終え、クレリアとハルサラーナとディミトラはエマに案内され泊まる部屋を決め入浴の準備を進める。

「ここのところ川辺で洗うことしか出来なかったので、サラーナ様に湯浴みをさせてあげたいのです」

「ええ、ええ。長旅でお疲れですものね。ゆっくり入ってちょうだい」

 残された男性二人は別の部屋をもらい、その間どうするかと居間で顔を見合わせる。

「酒場に行きたい」

「昼から飲むな」

「サラーナ様に合わせてると酒が飲めねえの!」

「その甘い声が酒焼けしても知らんぞ」

「“爪弾く者”の喉と回復力を舐めてもらっちゃ困るね」

 男たちが軽口を叩き合っていると、居間に通ずる玄関の扉が雑に開けられる。

「おかあさーんただい……あらやだ!」

 扉をお尻で押して入って来たのは白い肌、朝焼けのごとき豊かな長髪、太陽のようなオレンジゴールドの瞳。髪と揃いのまつ毛が瞳を華やかに飾り立てる。胸と腰は程よく豊かでウエストは引き締まっている。四肢はすらりと長い。女性ゆえにツノこそないものの、その体躯からして明らかに竜の子だった。彼女は黒いツノを持つフォンザーを見るとたっぷり持った買い物の袋を下ろして手櫛で髪を整えた。

「い、いらっしゃい!」

 ドラゴニーズの年頃の娘は異邦いほうの男を見て頬を染めた。

「クリストフの奴……こんな美人の妹がいるなんて!」

 アレッキオがすぐさまナンパをしそうだったのでフォンザーはすかさず彼の背中の肉をつねった。

「いっっって!」

「お邪魔しています」

「初めまして。ごめんなさい何にも構ってない格好で……。あっすぐ片付けます!」

「手伝います」

「大丈夫よ!」

 食材をしまったドラゴニーズの女性は慌てて上の部屋へ行き、「お母さんお客さんが来てるならって!」と叫んでいた。


 女性たちはキッチンへ食材を持ち寄り献立こんだての相談を始めてしまったので、暇になった男性たちは街中を歩くことにした。フォンザーは薪割りでもしようとしたのだが、さすがドラゴニーズの一族。その辺りの力仕事は男性たちが普段から片付けてしまっていた。

「暇だな」

「俺はご婦人たちと忙しくしたいんだけど〜!」

「お前の場合騒ぎに発展しかねんからやめろ」

「そうは言っても常に幼な子と一緒じゃ限度があるだろ! な、ちょっとだけ」

フォンザーはアレッキオの顔を見て溜め息と共に首を振った。仕方ないな、という態度にアレッキオは笑顔になる。

「やった! さすが懐の広い奴」

「俺の気が変わらないうちに行け」

「おおとも! 琥珀色の酒と麗しい乙女が俺を待つー♪」

舞台さながらに美声を出しながらアレッキオは先程の大衆食堂へ戻って行った。フォンザーはその場でやや考え、暇なら稼いでおこうとギルドの受付を探しに足を動かした。


 町の大通りのうち三番通りにギルド用の宿屋があると教えてもらったフォンザーは、入り口の大きさと既に見えていた中の様子に大変驚いた。

「兄弟!」

「おお、兄弟! おいみんな!」

 ドラゴニーズと言うのは一つの街に一家族がいればいい方なのに、ギルドにはなんとクリストフ以外のドラゴニーズが五、六人いたのだ。それも見る限りツノの形と色がバラバラ。つまり、それぞれ別の家族だった。

 青いツノや金色のツノの兄弟たちと握手を交わしながらフォンザーはカウンターの近くまで進む。

「兄弟。ああ、どうも。道理でトーラーが俺におびえない訳だ」

「兄弟が来てくれて嬉しいよ! 宿を取りに?」

「いや、クリストフの家に既に案内してもらった」

「おお、そうかそうか。クリスのおっかさんの料理は美味いぞ」

「本当か? 楽しみにしておこう」

 さらにカウンターの奥から出て来たのはドラゴニーズの中年男性で、フォンザーは驚いた、と両腕を広げた。

「おお、異邦いほう甥子おいごよ!」

「ギルドマスターも同族とは恐れ入った」

「これでも全員じゃないぞ?」

「おいおい……」

 心底驚きながらカウンターの椅子に腰掛けるとフォンザーはあっという間に親戚に囲まれた。彼らは遠慮なく竜語で話し始める。

「だがその見事な黒いツノはさすがに初めてだ! 今までどこに?」

「しーっ、ほら、噂話のあいつだろう? お前」

「ああ、はちみつ姫の!」

「そうだ」

「大変だが尊い使命だ。頑張れよ!」

「ありがとう。それで、滞在期間がわからんが仕事があれば欲しい。……残っていればだが」

「あっはっは! 遠慮するな甥子! 色々あるぞ〜」

 受付に立つ青いツノに紫の髪の男は大きな冊子を取り出す。トーラーなら男でも持ち上げるのがやっとな大きさだ。

「大きいな。いや、丁度いい」

「トーラーが住むより先に我々がここにいたからな。ギルドはついでだ、ついで」

「ほう」

 ここは古くは森で、長らく竜やドラゴニーズの住処すみかだった。彼らの村が先にあり後から人が増え町となり、傭兵ギルドが加わったのだと同族たちは教えてくれた。

「なら安心して話せる。実は……」

 フォンザーはクリストフにそうしたように魔法使いらしき元帝国兵に追われている話を持ち出した。

「なんせ相手がわからんから不気味でな」

「同じ国にいたなら相手を知ってるんじゃないか?」

「いや、皇帝直属の部下で息のかかった兵士と言うと絞っても百人はいる。俺なんぞ下級騎士だったし、皇帝の側近の顔は知らん」

「ああ、国が広いし軍が絡むとそうなるのか……」

「不気味な魔法使いを見つけたら捕まえておけばいいんだな?」

「そうしてくれると助かるが、無理はしなくていい」

「何、俺たちのことなら心配しなくていい。兄弟が危険な目に遭ってるなら尚更だ」

「ありがとう」

 ドラゴニーズの若者たちはガシッとフォンザーの肩を掴むと「それで?」と声を落とした。

「ん?」

「もうミレーヌには会ったのか?」

「ええと……」

「クリスの妹!」

「ああ、会った。ミレーヌと言うのか。名前も美しいな」

ドラゴニーズたちは色めき立つ。

「そうだろ! な、どうだ? いい子だろ?」

「うーん……」

「おいおい彼女を前にして“悩む”はナシだぜ!?」

「使命があるからな」

「終わったらだ、終わったら!」

「ええ? 一体いつの話になるんだか」

「俺たちはトーラーより長く生きる。余暇や余生は考えておいた方がいいぞ」

 フォンザーはまだ幼いハルサラーナ姫を思った。これから先、彼女がどれだけ長生きをしようともフォンザーは見送る側には違いない。姫の体に魔法が染み込んで長生きできたとしても、精霊の子はもっとずっと長く生きる。

「この町に戻ってくるなら歓迎するよ、兄弟」

「……兄弟の気持ちは嬉しいが、先の分からない約束は出来ない」

「真面目だな」

「ああ、安心してはちみつ姫を任せられるよ」

「数年はその姫を養っていかんといけんのだ」

「なら、今日から短期の仕事を積もう」

 ギルドの受付は竜語で書かれた依頼を三つ提示してきた。

「……この町独自のものか?」

「いや、外からも受けてる。俺たちにしか出来ない仕事だ。どれからやる?」

「肩慣らしに軽めの物を」

「ならこれだ」

 ギルドマスターは一枚の依頼書を差し出した。


 フォンザーは日暮れに革財布たっぷりのギニルと野菜の束を持って戻ってきて、先に帰って来ていたアレッキオ始め旅の仲間とカンテ一家は目を丸くした。

「何だそれ! どうした!?」

「今日一日分の報酬だ。水臭いぞクリス。他にも兄弟がいるなら何故教えてくれなかった?」

「え? ああ、そうか。すまん、俺たちはもう三世代目だしこれが普通で……」

「まあそうなのだろうが」

 荷物を降ろしフォンザーは片付けをカンテ一家に手伝ってもらいながら、クリストフの父親レオンスとも握手を交わす。レオンスはクリストフとミレーヌの父親らしくヘラジカのような大きなツノと赤い髪、太陽のようなオレンジゴールドの瞳をしていた。

「お邪魔します、伯父上」

「何日でもゆっくりしていってくれ」

「ありがとうございます」


 夕食の席に着いたフォンザーからこの町のドラゴニーズの多さを聞くと旅の仲間は目を皿のようにした。

「そんなにいるのか!」

「軽く数えても十世帯は固い」

「世帯で数えるともう少しいる。血族で数えるなら初めは闇以外の五つ、その後トーラーを交えながらお互いの家に嫁いでいるからこの町にいる兄弟はみんな親戚だ」

「だそうだ」

「いやぁドラゴニーズの町だなぁ!」

「土地の霊力が強いとは思いましたが、古くから竜の住む地だったのですね」

「ここはソン・サルザリームだからな」

「ああ」

 フォンザーは土地の古い名を聞いて納得した。

「何だって?」

「サルザリームは竜語。エルフィン語に直すとアル・サリームだ」

エルフィン語、妖精の子が使う古語に訳されクレリアが反応する。

「アル・サリーム、聖なる地。姫さまの名の由来でもある言葉ですね」

「わたしの名前とおなじなの?」

「はい。新しい土地、聖なる土地という古い言葉で良い場所と言う意味なのです」

「この土地はよい場所に住む息子、と言う名前なのです。姫はよい場所へ導く者、と言うお名前です」

「ふうん!」

 深い意味はわからずとも褒められていると感じたハルサラーナ姫は薔薇色ばらいろの頬を持ち上げる。

「そっか。ドラゴニーズの町ならフォンザーは遠慮しなくていいし、竜が守る土地なら魔法も強いし安全だ。しばらく泊めてもらう?」

「いや」

フォンザーは表情を曇らせる。

「今回は魔法の強い土地だからこそ気が抜けん」

 旅の一行はフォンザーが足早くワスマを離れた意味を察し、ハルサラーナ姫も難しいことは分からなくても己の騎士が何か困っていることを感じた。気分を切り替えるようにフォンザーは視線をレオンスに向ける。

「だがこれだけ兄弟が多いなら心強い。俺が調べ物をする間、姫を頼みたい」

「もちろん。我らがはちみつ姫のためなら」

「それならギルドに泊まった方がいい。あそこは結界も強い」

「安全を考えるならそうなのだが……」

フォンザーはハルサラーナ姫と顔を見合わせる。

「クリストフさんのおうちにはなんにち泊まっていいの?」

「……何日泊まりたいですか?」

小さな姫はうつむき、南の海のごとき青い色がかげる。

「本当は、ずっといたい。でもわたしはシルベルフの森へ行かないといけないから……。精霊さまが待ってるから行かなきゃ。でも、ミセス・カンテがクッキーの作り方を教えてくれるって」

 フォンザーがレオンス、エマ夫婦の顔を見ると彼らは笑顔を見せた。

「好きなだけ泊まっていいのよサラーナちゃん」

「ほんと? 明日も泊まっていい?」

「ええ、ええ。いいですよ」

 ハルサラーナ姫は明るさを取り戻してフォンザーを見上げた。

「では少なくとも出発は明後日にしましょう」

「ありがとうパードレ!」

 姫はフォンザーに抱きついた。黒骨の騎士フォンザーは、小さな背中を優しく撫でた。


 カイルギの海より鮮やかな青の瞳がまぶたの内に仕舞われると、フォンザーは絵本を閉じゆっくり寝床から離れ……クレリアに後を任せて居間へと戻った。

「眠った?」

 アレッキオの問いにフォンザーは静かに頷く。暖炉のかたわらでさかずきかたむけていたカンテ一家の大黒柱レオンスは二人をチラリと見た。

「あの年で長旅は辛かろう」

「無論、出来るなら安全な町や村に匿っておきたいのですが……」

「今はダメなんだ。姫さまも言ってたけど彼女はシルベルフの森へ行って妖精たちに挨拶をしなくては」

「ううむ……」

「この町のようなトーラーもテラムンも我々も住める土地があれば、姫をそこへお連れしたいところです」

「ここへ住めばいい。使命を果たしたら」

「……そうしたいのは山々なのですが」

「難しいか」

「はい」

 三人の間に重い沈黙が流れる。その空気は湯浴みを終えたミレーヌによって打ち破られた。

「あっと……お話し中?」

「いや、大丈夫です」

「そう! クレリアは?」

「二階に。サラーナ様は寝たところです」

「そう。それなら声をかけてくるわ」

 二階に上がっていくミレーヌの背をフォンザーはじっと見つめた。

「フォンザー。お前さん、決めたひとは?」

「いません」

「うちの娘はまだ六十だ。父親としては相手を考えてやらなきゃならんのだが……」

「私は使命があるので」

「うむ、そうだな……。だが、相手が決まらなかったら本当に戻っておいで。娘ともども歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 目の前で見合いを勧められているフォンザーを見てアレッキオは口をとがらせる。

「ここにもいい男がいるんだけどなぁ〜」

「なるべく同種族に子供を勧めたいのはトーラーも一緒だろう」

「俺は美女なら種族は問わない」

「お前は本当に……全く。まあいい、見張りは頼んだぞ」

「はいはい、いってらっしゃい」

「こんな時間にどこへ?」

 キョトンとするレオンス相手にアレッキオはニンマリとした。

「フォンザーは夜の方が活動しやすいんだ」


 黒骨の騎士フォンザーはソン・サザリームのすぐそば、深い夜の森を進み霊力の強い場所へ赴く。彼は片膝をついて太ももに両手を置き、静かにあるものを待った。遠くからざら、ざら、と草がこすれる音がして蛍たちが集まり出す。そして辺りは月明かりに照らされたように明るくなり、フォンザーの目の前に虹色に輝く鱗を持つ水竜が現れる。

「我が兄弟たる夜の子、深き雪国の子よ。名は」

「ファヴイールと申します。清流の化身、我が伯父上」

 美しい水霊は揺らめく水面の瞳でフォンザー……闇竜の子ファヴイールを見つめた。

「我ら兄弟の子、我ら精霊を導く者の守護者。そなたと姫にけがれた闇の者の手が迫っておる」

「存じております。しかし、今は手立ても手掛かりもなく……」

おそれずともよい。その者はそなたと同じ夜に、否、闇のよどみに属する者。そして我が兄弟の子ならば、ファヴイールよ。夜の子たるそなたは何もおくする必要はない」

「は」

「……夜の子よ、深く眠ったのはいかほど前だ?」

 フォンザーは水竜の問いにすぐ答えられなかった。アレッキオたちをだませても水竜には本調子でないことを見抜かれていた。

「夜の子にも眠りは必要である」

「……姫を思うとなかなか眠れず」

「ならばより、よく眠るべきだ。夜の子よ。よく休み、戦いに備えるがよい」

「は……」

「そなたらがこの森、我らの領域におる間は何人にも手出しはさせぬ。戻って休むがよい」

「……清流たる御方、我が伯父上に多大なる感謝を」

「よい。よくお休み、夜の子」

水竜は体を輝く水に変えて夜の森に散って行った。フォンザーは溜め息をつき立ち上がる。

「……伯父上のお言葉に甘えて寝るか」




 朝陽にささやかれまぶたを持ち上げると、南の海の青色が彼を見ていた。肩に流れるままのはちみつ色の髪が、陽に照らされて金砂のように輝いている。フォンザーはその青い瞳を見ると安心出来た。小さな瞳の内に世界へかえってしまった母を感じた。そして小さな紅葉の手が伸びてフォンザーの頭を撫で、彼はハッと頭を上げた。

「……何時ですか?」

「八時よ」

 しまった、と慌てて体を起こしたフォンザーの膝にハルサラーナ姫は頭を置いた。

「パードレ、今日はよく眠ってるからみんなが起こさないであげようねって。また寝ていいのよ」

「そうはいきません」

「でもパードレ、いつも早起きでしょう? ディミトラよりクレリアより早起きでしょう?」

 ハルサラーナ姫はベッドによじ登るとフォンザーの脇に小さな体を収めた。

「普段みんなよりたくさん仕事をしてるから、たまにはお寝坊させましょうってクレリアが」

 フォンザーは誤魔化せていると思っていたが、仲間にはとっくに睡眠不足を見抜かれていたらしい。彼は目頭を押さえて溜め息をついた。

「……あのね!」

「はい」

「パードレ、昨日お野菜をいっぱいもらったでしょう? ミセス・カンテが堅いクッキーにしてくれるって。乾いて堅いクッキーなら、お腹も膨れるし持ち歩けるから大丈夫よねって」

「そうですか。ではよく礼を言わなくては」

「うん! パードレ、起きたらシャワー浴びて、朝ごはん食べて」

「はい」

「下で待ってる!」

 ハルサラーナはベッドから飛び降りて階段を降りていった。「パードレ起きたよー、クレリアー」と可愛らしい声が響く中、フォンザーは久方ぶりの爽やかな朝にうんと大きな伸びをした。


 湯浴みをし、居間へ顔を出すとハルサラーナがエマに教わりながら茹でた野菜をすり鉢で一生懸命潰していた。

「おはようございます」

「おはようございますフォンザーさん!」

 キッチンにいたクレリアとミレーヌが顔を出し朝食はこちらで、とキッチン横の小さなテーブルにフォンザーを誘う。

「おはようございます。……ディミトラとアレッキオは?」

路銀ろぎんを稼ぐついでに探し物の情報を仕入れに出ました」

「アレッキオが俺より先に仕事を? 雪でも降るんじゃないか?」

「あら、アレッキオさんは普段お寝坊さんなんですか?」

「奴は腕は確かでも、寝酒の合間に稼ぐ奴ですよ」

「まあ!」

 ミレーヌはふふっと笑った。今日の彼女は豊かな赤髪を三つ編みでまとめ上げ、馬の尾のように一つに流している。その姿を美しい、とフォンザーは思った。

「フォンザー」

「何だ」

「珍しく鼻の下が伸びていますよ」

「んっ」

 フォンザーは口元を隠して咳払せきばらいをした。クレリアの発言を受け、ミレーヌも頬を染めた。

「……すみません」

「いえいえ! こちらこそ!」

 ミレーヌは照れ隠しに母エマとハルサラーナの手伝いへ動いた。クレリアはドラゴニーズの男女の様子を見てニンマリと笑った。


 ハルサラーナ姫曰く今日はお外のお仕事禁止! とのことでフォンザーは野菜クッキーの手伝いや洗濯物の持ち運びなど家の中でできることをし、昼餉ひるげのあとハルサラーナを寝かしつけた。追手を撒く日々の中、こう穏やかな日は珍しい。だからこそ、フォンザーは小さな姫が己の手からこぼれ落ちてしまわないかと不安になるのだった。

「フォンザー」

 クレリアが姫の眠る寝室に顔を出す。

「あとは私が」

「ああ、頼む」

 隣を通ろうとしたフォンザーをクレリアは引き留める。

「それと」

「ん?」

「今日一日くらいは姫さまからのご命令を死守してください」

 白魔法使いのクレリアがそばにいるなら己が一人外へ出ても大丈夫だと考えていた彼は目を丸くする。

「……お前まで」

「姫さまを思うなら無理をしないでと、最初に申し上げたはずです」

 クレリアに真っ直ぐ見つめられ、フォンザーはばつが悪くなり彼女の顔から目を逸らす。

「もう死に引きられることはなくとも、それだけ睡眠を削って私たちの倍以上働いていたら体を壊します。従者はあなた一人ではないのですよ」

「……暇すぎるのも困る」

「駄目です」

 普段ハルサラーナに言いつけることをフォンザーはクレリアから言われ、ポリポリと頭をいた。

「暇なら姫さまとの時間を大切に過ごすか、アレッキオのように酒でも飲んで来なさい。仕事は駄目です」

「参ったな……」

「ともかく、今日一日くらいは仕事をしないでください。いいですね?」

「……わかった」

クレリアは満足したように微笑んだ。


「兄弟! もう一杯だもう一杯!」

 フォンザーは時間の使い方に悩んだ結果、同族たちと酒場でさかずを傾けることにした。ウォッカ入りのグラスを次々に空けていくフォンザーを見てドラゴニーズたちは喜びの声を上げる。

「噂には聞いていたが本当に酒に強いんだな! 何杯いけるんだ!?」

「俺はそろそろ辛い……」

「無理するなブレラキー。あとで悪酔いするぞ」

「ここの酒は旨いな」

「この森は水霊たるお爺さまがいるからな。水には困らん」

「ふむ、なるほど」


 同族に良いように酒を勧められたフォンザーは束の間の酔いを楽しみながら酒場を出た。ふわふわする頭で腕を組み、フォンザーはのんびり町を歩く。

「ご機嫌よう竜の子」

 目の前にその魔法使いはいた。いや、正しくは目の前にはいない。しかしフォンザーの視界には黒いローブ、目元はフードに隠れていてニンマリした口元。怪しく光る緑の石の腕輪をし、腰に細身の剣を提げている男の幻影が映っていた。フォンザーは体内の魔力を回転させすぐに酔いを覚まし、目の前の魔法使いを見た。

「……魔法剣士か。初めて見た」

「貴方は私を知りませんが、私は貴方をよく知っています。テリドア帝国、黒騎士シュヴァルツ・ナイトフォンザー・ベルエフェ卿」

「ほう」

「グリシュナ皇帝が遺した姫君はどちらに?」

「何のことだ」

「とぼけずとも大丈夫です。私は陛下の命でハルサラーナ姫を守護する者の一人です」

 フォンザーは黄金の瞳で魔法剣士をにらむ。

「私に貴方の瞳は効きません。でも実際目の前にすると足がすくみますね。本物の竜の瞳だ、恐ろしい」

 そう言う男の口元は笑ったままだ。

「教えてください。ハルサラーナ姫はどちらに?」

「姫はあの夜死んだ」

「いやいや、その方向で私を説得するのは無理です。なんせ私はハルサラーナ姫が生きている気配を感じ取っていますので」

「ほう……確信があるのか?」

「ええ、それはもうハッキリと」

 ハッタリの口調ではないと感じ、フォンザーは目を細めた。

「トーラーにしてはなかなかだ」

「お褒めに預かりどうも」

 一行に姫の居場所を明かさないドラゴニーズを見て魔法剣士は両手を上げる。

「まあ、信用されないのは重々承知の上ですが、もうちょっと手心を加えてもらっても……。私はグリシュナ陛下の側近で貴方とは別の任務を請け負っています」

 ただにらみつけるフォンザーに魔法剣士はやれやれと首を振る。

「頼みますよ闇の竜の子。せっかく貴方本人が私の網に引っかかったのにこれでは時間を浪費するだけだ」

「網?」

「私の残滓ざんしと言いましょうか。道ゆく者に話をして私の印象を残す、その者は別の者に私の話をする。そうして広がった噂に探している者が引っ掛かると術が発動してこうして話が出来るのですが、貴方にはすぐ効かなかったようです。さすが竜の子。魔法に対する耐性が高い。貴方が酔わなければこうして話すこともなかったでしょうし、居場所もわからなかったでしょう」

 魔法剣士はニンマリした口元のままローブの下からフォンザーをチラリと見た。

「大きな町ですね。どこだろう? 国旗が見えないので国がどこだか……ああでも市民のこの服装はヴォナキアですね。山が見えるから中央の方かな? 比較的近くて助かります」

 周りを見渡した魔法剣士はまたフォンザーに向き直る。

「姫は?」

「……しつこい男だ」

「答えてくれるまで帰りません」

「なら一生ここに立っている」

「そうはいきませんよ。周りの人がどうしたのだろうと貴方に駆け寄ったら嫌でも視界に入る。そうしたら私の」

「なるほど、俺の視界を使っているのか」

 フォンザーはまぶたを下ろした。まぶたの内側が日の光に透けて赤く見えるが、彼はすぐさま暗闇で自分の思考を閉じる。

「おおっと、そうきましたか。うーん、だから竜の子を追うのは嫌だって言ったんですよ。おまけに闇の竜の子だし、自分が隠れたり何かを隠すのは得意中の得意だ。面倒です」

 魔法剣士の人当たりのよさそうな口調が一瞬、無機質なものに変わる。冷たい石のような男の一面が垣間見えた。真っ暗闇のなか、二人は思念のみで相手を認識している。

「強情ですね」

「お前もな」

「同じ闇使い同士、もう少し友好的だと嬉しいのですが」

「同じ? 闇の力で生き物を殺すお前が夜を父に持つ俺と同類だと?」

 暗闇の中フォンザーは目を見開いた。黄金の瞳が宝石のようにきらめき、怒りをにじませながら燃え上がる。

おごるな。トーラーごときが」

「おっと怖い」

 ニンマリしたまま魔法剣士は剣を抜いた。フォンザーの姿が暗闇のなかバキバキと音を立てて変形し、黒いうろこを持つ巨大な竜の姿に変わっていく。魔法剣士が次の言葉を発する前にフォンザーの幻影は吠えた。魔法剣士は迫る竜の呪詛じゅそから逃れるため急いで意識を切り離す。

 黒いローブの魔法剣士は、元テリドア帝国領地、ヴォナキアの属州となった西の森で体を起こした。

「ハー、ヤダヤダこれだからドラゴニーズ純正は。ハーヴドラゴニーズ人寄りと違って容赦がねえ。本当に面倒くさいったらない……」

 急いで魔法陣を解く彼の口元は変わらずニンマリしたままだった。


「クレリア!」

 帰ってきて早々に緊迫した声を出すフォンザーに白魔法使いは駆け寄る。

「どうしました」

「解呪してくれ。足跡をつけられた」

「あなたが? 珍しい」

 フォンザーは玄関に入らずクレリアを伴って庭先に移動。

 クレリアは手持ちの道具の中から白く細長い布と聖水の入った小瓶を取り出し、聖水を布に振り撒きそれを杖に巻きつける。

「場所は?」

「頭の中だ。耳と目」

「また厄介なところに」

 フォンザーは土の上に座り、白魔法使いは瓶に残った聖水をフォンザーの頭にかけ、杖を当てて呪文を唱え始める。

「我、白き花のつるを取り、苔の生えるを聴きし者。り付いた血のよどみ、すすの月を払い……」

 騒がしさに気付いた旅の仲間とカンテ一家は庭先に集まる。

「パパ!?」

 異常事態に気付いて駆け寄ったハルサラーナ姫は、先に戻ってきていたアレッキオとディミトラに引き留められ、不安さを隠しきれぬままディミトラの腕の中に収まる。

「大丈夫だ、そこにいなさい」

 フォンザーはハルサラーナの姿を視界にとらえないよう目を伏せたまま彼女をなだめた。

「フォンザーが術をかけられるなんて珍しいじゃないか」

「本当にね。いつもなら呪いをかけられるのは俺なのに」

「自覚してるなら酒と女に気をつけな」

「耳が痛いや」

 呪文を終えたクレリアが杖で地面を叩き、フォンザーの周りを風が柔らかく吹き抜ける。

「終わりました」

「ありがとう。姫、申し訳ございません。私が油断をした為に追手が」

「パパは大丈夫なの!?」

「追跡の呪いですから私自身は平気です」

「よかった!」

 ハルサラーナはフォンザーに抱き付く。

「それならここには長居できないね」

「すまん。すぐ行けるか?」

「いつでも。荷物をまとめよう」

「もう出て行くんですか!? そんな……」

「すみません。ご迷惑をおかけして」

「迷惑だなんて……」

「姫さま、支度しましょう」

「うん……」

 慌てて支度を始めた一行をエマとミレーヌは進んで手伝ってくれる。

「サラーナちゃん、これを」

エマは飾り紐をいくつか少女に手渡す。

「その歳なら髪の毛くらい飾りたいでしょう?」

「エマおばあちゃん……!」

ぎゅっと抱き付いた小さな姫をエマは優しく撫でる。

「またいらっしゃい。待ってるわ」

「ありがとう、ミセス・カンテ」

 ハルサラーナはスカートの裾をつまんで膝を落とした。彼女はこの歳でも既に立派な姫君なのだと、エマは感じ取った。

「ご機嫌ようお姫様」

「ご機嫌よう」

 一行の荷物のほとんどを背負ったフォンザーは名残り惜しくミレーヌの顔を見る。彼女もまたフォンザーの顔を見上げた。

「……あなたの太陽の瞳と朝焼けの髪を美しく思います」

 予想だにしなかった言葉にミレーヌは目を丸くして、涙がにじむ瞳で微笑んだ。

「私も、あなたの金の瞳が綺麗で好き」

「またお会いしたい」

「私も」

 二人はただ見つめ合い、お互いの両手を握り合った。

「フォンザー、行きましょう」

「わかった。エマさん、ミレーヌさん。我々に良くしてくれて本当にありがとう。あなた方を含めて私と話をした人たちは全員白魔法使いに解呪をしてもらってください。追跡の呪いがついています」

「必ず伝えるわ。大丈夫。行って」

「すみません」

「またいつの日か!」

 後ろ髪を引かれながらハルサラーナ姫と従者はソン・サザリームを後にする。追手から、闇の者から逃れるために。エマとミレーヌは彼らの背を見送り手を合わせ精霊に祈った。

「どうか、彼らの旅路が幸多くありますように」


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