第19話 わたし、しばらくお暇をいただきます
イージスが王子を拾って早数日、あの日以来わたしはあの小屋を訪れていないけれど、イージスいわく王子は「すごい元気」ということだった。
「魔族の作る飯なんか食えるか! って最初言っててさー。でも、結局食ったよ。どうせメシ抜きじゃ死ぬのに変な虚勢張るよなー」
イージスはそう言ってカラカラと笑っていた。
イージスの作る料理はおいしい。魔物のお肉も、動物のお肉と変わりのない味だ。それが三食食べれるのだから、王子の待遇はなかなか良いだろう。
少なくとも、なんの頼りもなく草原を一人彷徨っていたときよりはいいはずだ。『捕虜』というのは彼の自尊心を傷つけているだろうけど。
魔王さまは、王子を何かに利用するつもりらしい。
ただ、すぐに何かをするわけではなく今はディグレスさんの帰りを待っている。ディグレスさんは今回は用事を済ませたらすぐに戻ってくることになっているそうだ。……用事、ってわたしの頼んだ仕送りのことよね、申し訳ない。
王子を捕らえつつも、わたしたちの日常にはそう変わりはなかった。
◆
「魔王さま、わたし、しばらくお暇をいただきたいと思います」
「……どうした?」
いきなり切り出された申し出に魔王さまは僅かに眼を大きく開く。
「エミリーのことが……もう一人の聖女のことがどうしても、気になって」
王子は、わたしを迎えにきたと言っていた。
王子の口ぶりからでは、今あの国の中でわたしの扱いはどういうことになっているのか、本当のところが分かりづらかったが、素直に受け取るなら国王陛下はわたしを「第二の聖女と認める、だから戻ってこい」と仰っていたんだろう。
それならば、わたしは一度、あの国に帰るべきなのかもしれない。そのほうがきっとエミリーの助けになれる。
「本当だったら、お使いを頼んでいるディグレスさんが戻ってくるのを待つのが筋だとは思うんですが……」
今もきっと、彼女は粉骨砕身の勢いで働かされている。
自分がこの快適な職場でヌクヌクとしている間に、だ。
「もちろん、すぐ帰ってきます。魔王さまもわたしにこれから頼みたいことがあると仰ってくださいましたよね。なので、必ず戻ってきます! だから、少しの間……」
「……それは無理だな」
「……!」
ほんの少しだけでも、エミリーの仕事を代わってやってエミリーを休ませ、そして聖女が一人になったのだから働かせ方に融通を利かせてもらえるように嘆願する。それらを終えたらすぐ帰ってくる。
そういうつもりでお暇を申し出たのだが、魔王さまは目を伏せ、低くよく通る声でピシャリと言った。
「お前があの国に戻ったら、その国王陛下とやらはお前をもう手放しはしないだろう」
「……魔王さま」
切れ長の瞳はいつになく、冷たい光を宿している。
ぎゅ、と胸の前で手を組む。
「悪いが、お前をあの国に帰してやるわけにはいかない」
「……これから、魔王さまがなさろうとしていること……ですか?」
「そうだ。それには、お前の協力が不可欠だ。……しかし」
魔王さまの薄い唇が開かれるのを、わたしは静かに見守った。
「──俺たちは『聖女』の協力も仰ぎたいと考えている。ちょうどいい、その聖女エミリーを、ここに連れてきてしまおう」
魔王さまのお言葉に、首を傾げる。
聖女が必要? 何をなさろうとしているのか。いや、それはさておき。
魔王さまは口角を上げてニヒルに笑われた。
「馬車馬のようにこき使われているんだろう? ──保護してやるべきだ」
「魔王さま……!」
思わずわたしは胸の前で手を組み、拝むように魔王さまを見上げてしまった。ちょっと涙もウルッときてしまった。
国に戻ってエミリーの仕事を手伝うという発想しかわたしの頭にはなかった。そうか、エミリーを国から連れ出してしまうという手もあったのか。
国のいろんな仕事が滞ってしまうだろうが、でも、一人の女の子を犠牲にしてまで優先される公務や商談なんてそう無いだろう。物見遊山などもっての外だ。
ちょっとくらい、困ってもらっていいじゃないか。うん、わたしもそう思う。
「魔王さま、カッコいい! ちょっと悪い顔、カッコいいです!」
「そ、そうか。…………そうか」
ついキャッキャとはしゃいでしまう。魔王さまは照れ臭そうにお顔をそらされたけど、まんざらでもなさそうだった。
「ありがとうございます、わたし、エミリーのこと、とても心配で……」
「……しかし、そのエミリーという聖女がお前がニセモノの聖女だと告発したのではないか?」
魔王さまはわずかに眉を寄せ、怪訝に呟かれた。わたしは首を横に振る。
「それを言ったのは事実かもしれませんが……エミリーはきっと、わたしを悪くは言っていなかったと思うんですよね」
ほう、と魔王さまはわずかに目を見張った。
「エミリーは……すごい周りに気を使う子で、いい子なんです。仕事にも真面目で、思いやりがあって……。わたしたちはお互いに、同じ仕事をしている同志として信頼しあっていました」
一呼吸置いて、わたしは続ける。
「……それに、聖女が一人になったらどれだけ仕事の負荷が増えるかを一番よく知っている彼女がわたしを追い出そうとするとは思えないんですよね……」
「それは確かに。……そうだな……」
魔王さまはやけにしみじみと呟かれる。どうも、魔王さまは『王宮勤めの聖女』の仕事を相当過酷な職場とお思いになられているらしい。わたしが前職場の話をするたびにドン引きしている気配を見せつつ、生暖かい眼差しでわたしを見てくださるのだ。
魔王さまは、ふと目元を和らげ、微笑みをわたしに向けた。
「……お前は優しいな。それに、真面目だ」
「そ、そうですか? 真面目で優しいなんて、魔王さまみたいな人のことを言うんだと思いますよ」
「…………そうか」
甘やかな声で言われて、つい照れてしまう。でも、魔王さまこそ真面目で優しい人だ、と思っているのは本心だった。
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