第5話 聞こえないはずの音がした
人間とは異なる生態をした存在である魔族にも休息は必要である。
魔族は魔力さえあれば、半永久的に体を稼働させることは可能であるが、その魔力を回復させる手段のうち、もっともローコストなのが睡眠だ。
よって、魔族も『人』と変わりなく、眠りにつく。
だが、かつて人の手により封印され、目覚められない時を過ごした今世を生きる魔族にとって、眠ること、すなわち意識が閉ざされることは恐怖と紙一重であった。
魔王と呼ばれるその男は、胸に一抹の不安を覚えながら瞳を閉ざすのであった。
◆
「──おーい、おーい! 魔王様ー!!!」
うるさい。しかし、その騒々しさに安堵する。どうやら今日も目覚めることができたらしい。
魔力の尽きるギリギリまで体を稼働させ、魔力が尽きたら魔力が回復するまで眠りにつく。次に目が覚めるのがいつになるか、自身でも把握できなかった。
今日の目覚めは自然に目が覚めたわけではないので、まだ魔力の回復は完全ではなかった。上体を起こすと、頭がぐらりと目眩を起こす。しかし、無事に目覚められたことへの安堵が上回った。
「って、あれ? 寝てたのか? でも、起きたな。面白いやつ連れて来たぜ!」
寝ぼけた魔力回路にバチバチと電流のような刺激が走った。
「あ、あの、こんにちは?」
睡眠が足りず、満たされていなかったはずの魔力が勢いよく満たされていくのを感じる。そんな音が聞こえるはずもないのに身体の内側からザーッと水が氾濫する音が聞こえた気がした。
「……何者だ?」
イージスの巨体の傍にいたのは、少女だった。栗色の髪は長く、蜂蜜色の瞳は大きい。不安そうな気配を滲ませながらも、少女は自分に向かって頭を下げた。
「メ、メリアです。イージスさんのご紹介に預かりまして……」
「ハハ、なんだその話し方。お嬢様みたいじゃん」
「茶化さないでよ! いいでしょ、別に」
なるほど、そちらの方が素なのだろう。メリアと名乗った少女は眉を吊り上げイージスに向かって頬を膨らませた。
いつまでもベッドで寝転んでいるわけにもいかない。立ち上がり、再度彼女を見てみると、大柄なイージスの隣にいるせいか、余計小さく見えた。
「……イージス、この子をどこで拾ってきたんだ」
「野っ原で。なんかさー、アングリーグリズリーを一撃でのしたかと思ったら身体グチャグチャし始めてさー、面白いじゃん?」
「そ、その言い方はやめてよ」
詳細はわからないが、とにかく、草原でこの少女を見つけてきた、ということらしい。彼女のような姿形の人物は自分の記憶には存在していなかった。かつて魔族と魔物を統べていた魔王であった自分が知らない少女。魔族ではない、はずだ。
彼女を見ていると、不思議な感覚がした。初めて会う人物であるのに、奇妙な懐かしさのようなものと、そして。
(……魔力が、満ちていく?)
どうしたことだ、とつい眉間に力が入る。その表情を見てか、少女はますます不安そうに視線を彷徨わせた。
「……人間、なのか? にも関わらず門の外にいただと?」
「そうだよ。ロイド、寝起きのわりにちゃんと頭働いてんじゃん」
「……」
「最初はもしかして
「お、お願いします。わたし、国を追い出されて、お金が稼げなくなってしまったんです。病気の両親がいて、治療のために仕送りをしないといけないんです」
金を稼ぎたい。不思議なことを言う娘だ。普通は金よりもまず命の心配をするものだろう。しかし、まあ、それはいい。
「……国を追い出された?」
首を捻る。
魔族ではない人間。しかし、魔力を持つ。そして、彼女がいると自分やイージスのような魔族たちは力が漲ってくる。
ここまでくれば、彼女の正体に心当たりがあった。
しかし、ここで湧いてくるのは、疑問だ。
(その彼女を、あろうことか追い出して、魔族を封印した土地に放り出すだと?)
彼女は形の良い眉を八の字に下げて、苦笑を浮かべていた。
「あの……王宮で聖女として勤めていたんですけれど、お前はニセモノだと言われてしまいまして。王家を騙して給金を受け取っていたことを責められまして」
「……王家に勤めていたのか?」
少女はこくりと小さな頭を下げる。
嘘をついているようには見えなかったが、疑わしかった。今、ここに彼女がいること自体が『罠』かもしれない。
かつて、己達を封印した王家。その子孫達。目敏く封印から目覚めたことに気づいたというのか。
だから、この娘を我らの元に送り込んできたのか。しかし、それだと何のために。ぬか喜びさせたところを不意打ちでまた封印しようとしているのか?
だが、そのわりにはこの少女はずいぶんと人が好さそうだった。これは演技だろうか。
じっと観察していると、目が合った。彼女もまた、自分の様子を伺っているのだから、当然目も合うだろう。
にこ、と少女は笑った。ひどく緊張している彼女のそれは愛想笑いだとわかったが、しかし、なぜか自分は目を見張ってしまった。
「……もう一度、名前を聞かせてくれないか」
長いまつ毛に縁取られた濃い蜂蜜色の瞳が見開かれ、そして瞬きする。
彼女の目の瞬きに併せて、魔力回路がパチパチと音を立てていた。
「メリア。メリアです。よろしくお願いします」
少女はまた、微笑みを向けた。先程よりも柔らかな表情のそれに、なぜか身体中の魔力が心の臓に集まってドクリとそこを鳴らした。
「……お前はなぜイージスについて来た?」
「お金を稼がないといけないんです。ここで働かせてもらえませんか?」
「俺が誰だかわかって言っているのか?」
少女、メリアはわずかに目を逸らした。が、すぐにまた大きな瞳は健気に見上げてくる。
「魔王、と聞きました」
「魔王に仕える、ということになるが構わんのか」
「……う、うーん、その、人間の殺戮とか以外であれば……」
殺戮。人間たちから魔族がどう扱われているのか想像がつき、思わず自嘲の笑みが出た。
「そんなことはしない。残念ながら、俺はもう力を失った魔王だ。何をする気もないし、何かをする力もない」
「そ、そうなんですか」
「……ガッカリしたか?」
メリアはホッと破顔したかと思えば、なぜかすぐに顔を曇らせてしまった。
ええと、と前置きをして彼女は小さな口を開く。
「……何もすることがないなら、わたしは雇っていただけないんでしょうか?」
しゅんと彼女は肩を落としてしまう。
「なぜ、働くことにこだわる?」
「わたし、両親のためにお金を稼がないといけないんです。でも、国外追放をされてしまってはどうしたらよいのか困ってしまって。何でもします。ここで働かせていただけないでしょうか」
メリアは一歩、近づいて来た。
小さな手のひらを胸の前で組み、ぐっと顔を上げて、上目遣いに自分を見上げる。潤んだ瞳と目が合うと、またも魔力回路が凄まじい勢いで動きだす。パチパチと音が鳴る錯覚がして頭がくらくらした。
「……年頃の娘が、何でもしますと安易に言うものではない。しかも、ここは俺の寝所だ」
あ、とメリアは声を上げると、失言を察したのか頬を赤らめた。イージスはヒュウ、と呑気に口笛を吹いている。お前が何も考えずにここに連れて来たのだろうと睨んだところで、おそらくこの男には響かない。
「働きたいのなら雇ってやる。力を失ったとはいえ、俺は『王』だ。望まれたのであれば、その願いは叶えよう」
「あ、ありがとうございます!」
「よかったなあ、メリア!」
──『罠』かもしれない。その懸念を端に追いやり、気づけば彼女を受け入れていた。そのことに、自分自身で戸惑う。
かつて、封印をされたこと、眠り続けることの恐怖は忘れもしないが、しかし、メリアの満面の笑みを見たら言い知れぬ満ち足りた気持ちが溢れた。
封印から目覚めて数年。錆び付いていた魔力回路が目まぐるしく身体の中を駆け巡っていた。
かつて、聞いたことがある。人の世には『吊橋効果』なるものがあるのだと。ある特殊な環境において生じた緊張感、興奮、心拍の乱れ等々を恋愛感情に起因するものと錯覚してしまうという。
恐らく、今の自分に起きている事象こそ、そのそれなのだろう。
軋んでいた魔力回路が油でも注がれたように、今はクルクルと回っている。あまりにも勢いが良くて、心臓が高鳴ってしまっている。いや、この動悸は急に凄まじい勢いで魔力が身体を駆け巡っているからだ。
ただそれだけのこと。にもかかわらず、自分は今、目の前にいる人間の少女メリアがとてつもなく、かわいらしいと感じてしまっていた。
ゴポ、と魔力回路が聞こえるはずのない音をまた立てた。
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