4-14 幼い日の想い
それからギジェルミーナはイェレの代わりに政治に携わりながら、グラユール王国の王妃として過ごした。
太陽が燦然と輝く晩夏から果実が熟す秋、そして木の葉が落ち山々が凍る冬へと、季節は移り変わる。
嫁ぎ先での生活にすっかり慣れたギジェルミーナのもとには、従者のカミロが時折長兄アルデフォンソが書いた書簡を届けていた。
「兄上たちは、お変わりなく過ごしているか?」
「はい。お二人ともお元気です」
夜に到着したカミロを、ギジェルミーナは暖炉の火が暖かな応接間の長椅子で迎えた。
カミロは実のところはギジェルミーナがそれほど兄たちの現状に興味がないことを知っており、また特別話すべきこともないようなので、返答はあたりさわりのないものになる。
「そうか。返事は明日までに書くから、今日はゆっくり休め。夜食も用意させよう」
遠く旅をしてきた従者を労り、ギジェルミーナは金の筒に入った書簡を受け取った。
「はい。ありがとうございます」
カミロはギジェルミーナに書簡を渡すと、侍女に食堂へと案内されて出ていった。
(すぐに返事を書かないと、アルデフォンソ兄上がうるさいからな)
ギジェルミーナは自分は夕食をすませていたので、筒から書簡を取り出した。
そして燭台で明かりをとったテーブルの上で書簡を広げたところで、部屋にイェレが入ってくる。
「おきゃくさまのようじは、おわった?」
「はい。もう終わりました」
一人でいるとすぐにイェレがやって来ることに、ギジェルミーナは慣れていた。
長椅子に座るギジェルミーナの方に駆け寄って、イェレは開かれた書簡を覗き込む。
「このおてがみには、なにがかいてあるの」
イェレは文字がわからないわけではないが、難しい文章は理解できない。
そのイェレにもわかるように、ギジェルミーナはざっと内容に目を通し、内容をかいつまんで伝える。
「ユルハイネン聖国とオルキデア帝国の戦争についての話ですね。グラユール王国にもユルハイネン聖国の間者がいるかもしれないから、注意しろと書いてあります」
グラユール王国はオルキデア帝国とユルハイネン聖国に挟まれた小国だが、要衝の地を治めている。
そのためギジェルミーナの長兄アルデフォンソはオルキデア帝国とユルハイネン聖国との戦争で、内乱から王権を安定させたばかりのグラユール王国がユルハイネン聖国に利用されることを警戒していた。
こうした事情を噛み砕いてイェレに話したつもりだったが、イェレにはわからない言葉があるようだった。
「かんじゃ……?」
イェレはギジェルミーナの隣に座り、じっと書簡の文字を見て、理解できずに困った表情をする。
当たり前のように使う言葉につまづかれたギジェルミーナは、少し考えてから説明した。
「間者っていうのは、国の秘密を奪ったり悪さをしたりするために、正体を隠して忍び込む者のことです」
ギジェルミーナが解説をすると、イェレは話が少しはわかった様子で、ギジェルミーナの顔を不安げに見つめる。
「なんだか、こわいひとたちだね。でもギジェルミーナがちゃんとしてくれるから、そのわるいひとたちはやっつけられるんだよね」
「はい。誰も悪さができないように、皆に注意させます。だから私たちは、楽しい謝肉祭のことを考えましょう」
説明をするのが面倒になったギジェルミーナは、書簡を筒にしまってイェレには見えないようにした。
凍れる冬が終わり雪どけが始まる季節に、人々は謝肉祭で春の到来を願う。謝肉祭の時期には城でもいくつかの催しものがあると、ギジェルミーナは聞いている。
その謝肉祭の話題になると、イェレは笑顔になってギジェルミーナに身体を寄せた。
「うん。しゃにくさいのごちそうを、いっしょにたべれるのたのしみ」
単純な思考しかできないイェレは、ギジェルミーナの期待通りに書簡のことを忘れて謝肉祭のことを考えてくれる。
しかし振る舞いは幼くても、イェレは本当に幼いわけではない。だから寄りかかられれば重いし、華奢でもその身体は大人の男性のものだった。
(なんだかすごく、妙な気分だ)
ギジェルミーナは恋をしたことがないので、イェレを異性として愛しているかどうかがわからない。親しく可愛がった弟や妹もおらず、また自分自身もあまり誰かに甘える性分ではなかったので、母や姉のようになることもできない。
それでもイェレの身体のぬくもりを感じると胸が切なくなるこの気持ちは、支配欲だけではないような気がしている。
そうやってギジェルミーナが自分の想いに名前を付けられないでいると、イェレはそっとギジェルミーナの頬に手を重ねて、静かにささやいた。
「ぼくはむかし、おかあさまもおとうさまもしんじゃって、くらくてつめたいところにとじこめられていたとき、ギジェルミーナのことをずっとかんがえていたんだ」
「私のことを?」
遠い昔からの想いを唐突に打ち明けられ、ギジェルミーナは思わず驚いて聞き返す。
なぜイェレが自分に好意を抱いてくれているのか、その理由をギジェルミーナは知らなかった。
思い返せば最初に婚礼の日に会ったときにも、理由に近い何かを言っていたような気はする。しかしイェレに聞いてわかる答えが返ってくるとは思っていなかったので、ギジェルミーナは特に何も自分からは尋ねなかった。
しかしイェレは思ったよりも幽閉されていた昔のことを覚えていて、自分の気持ちも伝えられるようである。
幻ではないことを確かめるように、イェレは両手でギジェルミーナの頬をぺたぺたと触れた。
「いまはひとりぼっちだけど、ぼくにはいちどだけあったおんなのこが、こんやくしゃのギジェルミーナがいるって。ギジェルミーナとけっこんするから、ぼくはひとりじゃないって、そうおもってた」
部屋は暖炉でよく暖められていて、ギジェルミーナの頬を覆うのに十分に大きいイェレの手は、少し熱いほどに温かい。
話を聞いてみると、両親が死んだ上に幽閉されて本当に孤独になってしまった幼いイェレは、婚約者だったギジェルミーナを家族だと思って生きてきたらしかった。
それはイェレが過酷な境遇に置かれていたがゆえの思い込みで、そうでもしなければ耐えられないほど孤独な牢獄に幼い少年が閉じ込められてた事実は、考えれば考えるほどに重い。
(この過去に見合ったものを、私は差し出せるのだろうか)
ギジェルミーナが反応に困っていると、イェレはそっと言葉を続けた。
「ぼくもギジェルミーナもちいさいとき、ふたりでてをつないでやくそくしたから。けっこんしたら、それからずっといっしょだって」
嘘を知らない澄んだ声で、イェレがささやく。
ギジェルミーナはここまで言われてもやはり、婚約が決まった昔にイェレと会ったことは思い出せなかった。
(私がイェレのことを忘れて、普通に兄に嫉妬したり美味しいもの食べたりして生きていた間、イェレはずっと一人で私のことを考えていてくれたのか)
申し訳無さと嬉しさが入り混じったような不思議な気持ちで、ギジェルミーナは澄んだ水色の瞳で真っ直ぐにこちらを向くイェレを見る。
一つの長椅子の上で、ギジェルミーナとイェレは恋人のように寄り添い合っていた。王冠も玉座もなく、普通に夜着を着て二人でいれば、格式張った立場は忘れる。
暖炉と燭台の光が作る影の中で、イェレの顔は妙に大人びて見えた。
その一瞬がどうしようもなく儚いもののように感じられて、ギジェルミーナはそっとイェレのくちびるに口づけをする。
婚礼の日にしたイェレからの口づけとは違う、短いが落ち着いた口づけだ。
そしてギジェルミーナは初めての自分からの口づけを終え、自分が言える最大限の誠意をイェレに伝えた。
「大切に想ってもらえて、嬉しいです。私もその分、きっとあなたを大切にします」
幼いころに手をつないだことを覚えていないギジェルミーナは、自分の頬にふれているイェレの手に自らの手を重ねて今このときに手をつなぐ。
イェレの世界のすべてがギジェルミーナであったとしても、ギジェルミーナのすべてがイェレになることは絶対にない。
その釣り合うことのない想いの重さと軽さを、ギジェルミーナは自覚している。しかしだからこそ、ギジェルミーナはイェレを慈しむべきなのだと誓う。
口づけされたイェレは少しだけ照れた顔をしてから、優しく手を握り返した。
「ギジェルミーナはちゃんと、ぼくをだいじにしてくれてるよ」
イェレの小さなつぶやきが、暖まった部屋にとけるように響く。
真っ当に大事にできている自信はなかったが、せっかく肯定してもらえたのだから遠慮せずに赦されようとギジェルミーナは思う。
ぱちぱちと薪が焼ける暖炉の音を聞きながら、ギジェルミーナはもう一度口づけをした。
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