1-6 戦火の影

 シェスティンの祈りが通じなかったのか、それとも通じたのか。


 それから数週間の間にオルキデア帝国はユルハイネン聖国を順調に侵略し、前線は神殿に近づいた。


 戦場から来た伝令のほのめかしたような説明をよく聞けば、どうやらオルキデア帝国の軍に神殿が包囲される可能性も出てきたらしく、シェスティンの周囲は物々しい雰囲気に包まれる。


 危機を知った神殿の住民たちは敵の接近に備えて入り江に防塁を築き、魚を塩漬けにして供物が減った分を補う食料の備蓄を始めた。

 騎士たちも各々の武器や船の具合を確かめて、より一層実践に近い訓練をする。


 聖女として清らかに生き続けなければならないシェスティンを敵から守るため、人々が命をかけるときが徐々に近づきつつあった。


 その特別な雰囲気の中でシェスティンは、湖上の船の上で他の騎士たちと剣の手合わせをしているクルトの姿を、戦勝祈願のために特別に上った円塔の階段の踊り場の窓から眺めていた。


 薄雲から差す陽の光に照らされた湖面の上を、幾艘もの小船が進む。その船首に星を象った銀の飾りをつけた船の上では鎧を着た人影が弓で的を狙い、剣を振るう。

 塔の窓から遠く小さな粒のような大きさでしか見えなくとも、異常に物がよく見えるシェスティンの灰青の瞳ならクルトがどこにいるのかがわかった。


(どんなに他に強い騎士がいても、私にはクルトが一番です)


 クルトは両手持ちの大剣を握り、もう一人の剣を受けていた。さすがに表情までは見えなかったけれども、きっと真剣な眼差しをしているのだと想像する。

 今まで見たことがないクルトが見えるのなら、戦争はやはり悪くはないものだとシェスティンは思った。


「熱心に外をご覧になっているのですね」


 戻りが遅いことを気にした女官が、階段を上がって来てシェスティンに声をかける。


「騎士たちの訓練を見てるんです。彼らはこの神殿と私を守るために、これから戦ってくださるわけですから」


 本当はクルトしか見ていなかったけれども、シェスティンは騎士たち全員を見ているふりをした。

 すると根が素直な女官も、「そうですね」とシェスティンに倣って訓練中の騎士たちの船を窓から見つめた。

 女官はシェスティンよりも年上だったけれども、戦争についての知識はそれほど持っているわけではなさそうだった。


(私の方も、戦術や戦略が理解できるわけではないですが)


 窓の縁に白く細い指をかけて、シェスティンは騎士としてのクルトの役割について想いを馳せる。

 風はないものの空気は冷たく、孤島は人が湖に落ちれば凍えて死ぬ気候であった。


(そう言えばこの冷たい湖では、死体が腐らず永遠に形が残ると聞いたことがあります)


 シェスティンは、以前に神官たちから習った島の自然の話を思い出していた。

 かつてこの地であった戦争でもやはり、騎士や神官たちが聖女を守るために死んでいて、その死体は湖の深い流れをそのまま漂い続けているらしい。


 今回の戦でまた大勢の人間が戦って死んだとしても、勝てる保証はどこにもない。

 ひょっとすると本当に、オルキデア帝国はユルハイネン聖国の信仰の中心であるこの神殿を征服してしまうのかもしれなかった。


 しかしシェスティンは、書物でしか読んだことがないような死と破壊が近づいているとしても、敵を恐れる気持ちにはなれない。

 シェスティンにとって怖いのは何も起きないことであり、何かが起きてくれればそれが何であっても良かった。

 だからシェスティンは窓からクルトの姿をしばらく見て、飽きたらさっさと階段を下った。

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