第25話 戦う坊ちゃん

 二度目の食事が終わると、三人のナースメイドさんたちは一緒になって食堂を出た。もちろん子供たちも一緒だ。


(朝の食事のときはバラバラに出て行ったと思ったけど、何か違うのかな? さすがついていった方がいいよね)


 そう思い、後ろをついていこうとすると――


「ひゃっ……!」


 坊ちゃんに手を掴まれた。そして反対の方向へと連れていかれる。


(え? なんなの? どうすればいいかわかんない)


 そのまま坊ちゃんについていくと、わたしの部屋と戻った。そして坊ちゃんは手を放し、自分の部屋へと入っていく。


(ずっと部屋にこもりっぱなしだけど、大丈夫なのかな?)


 転移前の自分を棚に上げて、そんなことを思った。ただ部屋にいる時間が長いのは、わたしにとって好都合だ。


(人と会う機会は少なくて済むし、今はやりたい作業もあるしね)


 アタッシュケースを開けて、セルペーパーを取り出す。すると、後ろから猫の悲鳴のような音が聞こえた。


 振り向くと坊ちゃんが部屋から出てきていた。手には、坊ちゃんの胸くらいまでの長さのある棒を持っている。


 そして相変わらず、わたしの方を見向きもせず廊下へと向かった。


「ちょ、待っ……!」


 わたしは大急ぎでセルペーパーをしまい、アタッシュケースを手に取って後を追った。


 坊ちゃんが向かった先は外だった。しかし町へ繰り出したわけではない。


 閉じたままの門へは向かわず、芝生の庭に出たのだ。そこには、黒い影が待っていた。


(黒ドレスさんだ)


 黒ドレスさんはいつもの黒いドレスに、お団子の髪型のままだったけれど、坊ちゃんと同じように棒を持っていた。


 ゆっくりと歩いていた坊ちゃんの足は少しずつ速まっていく。そして黒ドレスさんがこっちを見た瞬間に、走り出した。


 坊ちゃんは棒を振りかぶり、黒ドレスさんへと振り下ろす。


「えっ? な……!」


 驚いていたのはわたしだけだ。黒ドレスさんは落ち着いた様子で棒を持ち上げて、それを受けた。


 そしてその瞬間。坊ちゃんの姿勢が前に崩れる。黒ドレスさんが受けた棒を右下へと流したのだ。


 坊ちゃんの棒は芝生を叩き、黒ドレスさんの棒の切っ先が、坊ちゃんの背中に置かれた。


(勝負あり……? 模擬戦なのかな?)


 ただのチャンバラ遊びでないことは、一目でわかった。坊ちゃんの気迫ある動きも、黒ドレスさんの無駄のない動作も、相手を打ち倒すための動きだ。


 その後も、坊ちゃんは黒ドレスさんに挑み続け、何度も返り討ちにされた。黒ドレスさんは坊ちゃんに、棒を当てないようにはしていたみたいだけれど、蹴とばすくらいのことは平気でしている。


(こ、こわっ……! 坊ちゃん平気なの? さすがにヒヤヒヤしてきたんだけど……)


 見ていられない――とは思ったけれど、なぜか目が離せなかった。むしろ見ていることしかできないのが、後ろめたくなってくる。


 坊ちゃんの戦術は一撃必殺のようだった。常に有効打を狙い、相手にプレッシャーをかけている。


 対する黒ドレスさんは、確実にその攻撃を受け流し、坊ちゃんの攻め手を切っていた。実力差は歴然で、黒ドレスさんは動きにくそうなドレスでも息一つ切れていない。


 坊ちゃんはボロボロで、もう立っているのも辛そうだ。


 ふと、黒ドレスさんと目が合った。棒を持った手が、わたしに向けて振られる。


「え……?」


 棒がわたしに向かって飛んできていた。山なりでそんなに速くはない。けれどわたしの運動神経では、キャッチすることなんてできないだろう。


(避けなきゃ!)


 そう思ったとたんに、足がもつれた。後ろに倒れ、思いっきり尻餅をつく。


「や、やば……」


 立ち上がろうと、手を後ろについてしまった。見上げた先に棒が迫っていたけれど、とっさに手が上がらない。


(頭守れな――)


 次の瞬間に見えたのは、坊ちゃんの横顔だった。坊ちゃんが剣道の『面』を打つような動きで横から飛び出して、棒を叩き落としたのだ。


「――――――!」


 坊ちゃんが離れたところにいる黒ドレスさんに向かって、大きな声を出した。黒ドレスさんは悪びれた様子もなく、手を振って背中を向ける。


 坊ちゃんが一歩踏み込むと、黒ドレスさんは視線だけをこっちに向けて、わたしたちの後ろを指さした。


 そこには猫目メイドさんが立っていた。


 猫目メイドさんは黒ドレスさんに深く頭を下げたあと、わたしの膝に草で編んだかごを置いた。


 大き目のバケツにも見える籠の中には、厚手のタオルが入っている。


(これって、お風呂セットかな?)


 わたしはこのとき『久しぶりにまともなお風呂に入れそう』としか思っていなかった。

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