第17話 楠木党の地盤

☆ 本拠の東条とは? ☆


 本によっては楠木正行の代に拠点を赤坂から東条に移したように書かれているが、これは東条凶徒退治のように幕府の下知状に東条の地名が頻繁に現れるようになることと、当時と今で東条を示す範囲が変化したことによる誤解かと思われる。古くは水野恭一郎先生、最近では生駒孝臣先生も書かれるように、('22/03/21)


 今は佐備川流域の旧東条村辺りとされる東条も、当時は赤坂など東条川(千早川)流域を中心に、東と南は山に、西は西城川(石川上流)に、北はその二つの川が落合う石川に囲まれる辺りの広域を指し示したものと考えられるようです。('22/03/21)


 私も最初、この歴史トラップに引っ掛かって、正行の本拠を東条城として書きましたが、いろいろと辻褄が合わないことに、あれ?ってなって再度検討しなおして修正した次第です。('22/03/21)



小字こあざ楠木 ☆


 今年もあとわずか。私の今年一番[昨年]のビッグニュースは、楠木の拠点からほど近い太子廟近くの石切場が、かつて「楠木」というあざだったという堀内先生の発表です!南河内に楠木という地名はない!というのがこれまでの定説でしたから。('21/12/31)


 楠木氏の出自で話題となった得宗被官説に続く話題が小字楠木説(と私が勝手に呼んでる)。これは聖徳太子廟の近く、大字おおあざ太子(山田)の中に小字こあざ楠木の地名があると提起されたもの。('22/05/03)


 なぜ話題かというと、従来、南河内や和泉に楠木の地名がない前提で、得宗被官説など他国から来た説が議論されてきた。それが、楠木館のあった水分から僅か数km程度のところに楠木の地名があったからだ。('22/05/03)


 この小字楠木には凝灰岩がとれる石切場跡があり、採石遺構・土坑などが発掘されている。鍛冶炉も見つかっているから金属の採掘なども行われていたのかもしれない。('22/05/03)


 楠木氏は水銀の原料である辰砂や登石などに用いられる金剛砂などを採掘して財を得た鉱山業者の側面を持った一族とされる。採石に端を発し、いろんな鉱物の採掘に手を広げていったのかも知れない。('22/05/03)


 だとすると、早くから幕府の支配を外れ、経済的に独立し、鉱夫たちに荒れくれ者も抱え、時に悪党行為も辞さず、その威勢から荘園雑掌などを請われていたとしても不思議ではない。('22/05/03)


 どの範囲の地名を名字とするかは、一般的には氏族の勢力に比例する。小字楠木を名字にしたとすれば初期は弱小土豪だった可能性もあるが、勢力に関係なく単に楠木石切場を仕切る一族ということで楠木氏と呼ばれたとも考えられる。('22/05/03)


 とても興味深い説だが、小字楠木から楠木氏となったのか、逆に楠木氏が持つ石切場だから小字楠木と名付けられたかは、残念ながら分からない。結局、この先の研究を待たないと何とも言えない。('22/05/03)


 近くの大道には梨堂なしんどという小字がある。これは楠木氏の御堂を意味する楠氏堂なんしどうが転じたものらしい。だとすると、少なくともこの小字こあざは、楠木氏の名乗りよりも後のこと。('22/05/03)


 もしかすると、ここは水分以前の楠木館があった場所かもしれない。ここから楠木石切場を仕切っていたんじゃないかと想像が膨らむ。('22/05/03)


 そして、凝灰岩の採石から辰砂の採掘にシフトしたことで、赤坂近くの水分に館を移設。元の館跡には御堂(寺)を建立し、この地が楠氏堂→梨堂という小字になった、というのはどうであろうか。('22/05/03)

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