第239話 狂気は感染し、伝染し、拡散する
ここはシミアン王国。
発狂というと、突如として人格が変貌した様子を思い浮かべることだろう。
しかし、カケララの狂気に当てられた最初の人間は、異常と正常の境界が明確ではなかった。
「もし……もしも……」
これに火を着けたらどうなってしまうだろう。
一人の王立魔導騎士団員が、いつも自分たちの使う馬を飼っている
ここはシミアン王城敷地内であり、そこで放火するなんてことは最大級の犯罪行為だ。
だから、その「もしも」は絶対に「もしも」のままで終わらせなければならなかった。
しかしこの日、彼は厩舎に火を放った。
理由は、間が差したから。ただそれだけだった。
そんなことをして後々どうなるか、漠然と想像はできている。しかし、この日は好奇心が勝ってしまった。
「…………」
もし火を放ってしまったら自分の犯した罪の大きさに耐えられず、後悔に押し潰されることだろう。
そう思いながら
「よーしよしよし。おまえたち、ちゃんと逃がしてやるからな。でも、もう少し待てよな。おまえたちだって、こんな経験はめったにできないんだからな」
自分たちの寝床に火が起こったことに気づいた馬たちは暴れている。
火の回りはかなり速く、ついに一頭の馬の尻尾にも火が着いた。
「お? おまえ、ケツに火が着いてんな。はははは! 格好良いぞ。人に見せてこいよ」
騎士が一頭の馬を解放してやると、その馬は一目散に外へ駆け出した。
ほかの馬に目を戻すと、ほかの馬にも火の手が回っていて、そのうちの一頭は全身を火で包まれていた。
「ああ、おまえはアレで体を洗ってやった奴か。いいぞ、おまえも行ってこい。おまえも、おまえも、おまえも行ってこい」
騎士は次々に馬を解放していく。
馬たちは全速力で外へ飛び出し、シミアン王城の敷地外へと駆け出した。
しだいに外から悲鳴が聞こえはじめる。騎士はそれをまるで歓声のように感じ、酔いしれた。
「おまえが最後か。お、もう火も着いているな。おまえも出たいか? でも駄目だ。おまえはここで焼かれながら踊る姿を俺に見せるんだ。ははーはははは!」
真紅に染まった瞳が、炎に包まれた馬を見上げる。
その騎士を、真紅に染まった眼が見下ろす。あんぐりと開いた口がスッポリと騎士の頭部をくわえ込んだ。
「お? 草食動物の癖によう、人肉を食らうとは
頑強な
シミアン王国は大騒ぎになっていた。
火のついた馬が駆けまわったせいで国中に火の手があがり、さらには狂気も伝染した。
民家の消火活動をする人を後ろから撲殺する民家の住人、その住人を取り押さえようとしていたのに面倒になって殺してしまう王国騎士、王国騎士の暴走を止めようとする上級王国騎士を魔法でまとめて爆殺する王立魔導騎士、王立魔導騎士を後ろから刺し殺す一般国民。
もうシミアン王国は滅茶苦茶だった。
騎士も国民も約四割が発狂しており、それを沈静化するには相応の人員を要するが、それをできるのは騎士だけである。
あまりにも人員が不足していた。
国王の執務室にて、ミューイ・シミアンは頭を抱えていた。
暴動を沈静化するために派遣した王国騎士たち、上級王国騎士たち、王立魔導騎士が次々と発狂して暴走している。
それに場内でもいつ誰が発狂してもおかしくない。
「女王陛下、王立魔導騎士団長メルブラン・エンテルト、参上つかまつりました」
「来たわね、メルブラン。それとコータ」
彼ら二人はシミアン王国における最終戦力だ。
もちろん、彼らだっていつ狂気に汚染されてしまうか分からないのだが、いまの王国を沈めるためには一騎当千の彼らを使うしかない。
「メルブラン、コータ、あなたたち二人で協力して王国中で起こっている暴動を鎮圧してきてちょうだい」
彼ら二人は女王であるミューイの護衛役でもある。
その彼らを派遣するということは、自分が狙われるリスクを高めてしまうが、国民たちを救うためには仕方のないことだ。
「姫さん、その命令には賛同できないね」
コータがそっぽを向きながらミューイに言った。
こんなときまで素直に言うことを聞かないコータに
「女王陛下と呼べ、馬鹿者が。しかし陛下、わたくしもその意見には賛同できかねます。元凶を叩くべきです」
「そういうことだよ。なんでこの僕が紅い狂気討伐の最高戦力に入っていないんだ? 戦闘能力のないキューカだけ呼ばれちゃってさ」
そういうコータの背中を騎士団長はバシンと叩き、べつに彼の意見に賛同しているわけではないことを示す。
そして自分の考えを述べた。
「陛下、キューカ殿が呼ばれるときにカケララという紅い狂気の欠片が世界各地に飛んで狂気を振り
「それは……そうね……」
ミューイにとっては、いま現在苦しんでいる国民たちを差し置くのがとてもつらく心苦しかった。
ミューイをよく知る騎士団長もその心中を察している。しかし自分の言うことは正しい確信があるし、結果的により多くの国民を救えるのは明らかだ。
「まあ、まずは中ボスからだよな」
コータの言動にはミューイもメルブランも
もっとも、彼のような芯の細い雑魚メンタルでは、狂気に染まって足をひっぱられかねないという不安もあるのだが。
「分かりました。カケララを探し出して倒しましょう。捜索は私を含めた三人で手分けをします。私たちの能力であれば、いずれもすぐに情報を伝達することができます。もしカケララを見つけたら、すぐにほかの二人を呼んで三人がかりで倒しましょう」
ミューイのその言葉に騎士団長とコータが
「あららぁー? 私はここにいるのに、どこに捜しに行くつもりかしら?」
国中を覆っていた紅いモヤが執務室内にも充満し、そして彼女が姿を現した。モヤの密度が一部だけ高まってそれが拡散すると、そこに紅い狂気の姿があった。
しかしそれはカケラではなく、その欠片であるカケララだということは三人とも直感的に分かった。
圧倒的な存在感はあるが、これがカケラだったらまともに呼吸することすらままならなかっただろう。
しかしカケララの気配も十分にバケモノじみていて、三人は息を呑むことしかできなかった。
「安心していいわよ。あなたたちはまだ狂気に染めない。王国が完全に狂気に染まる様子をあなたたちが見て絶望する様を私が見たいから。それとアラト・コータ、あなたは天然物のところがあるから、私が狂気に染めるのは逆にもったいない気がするわ」
「はぁ? 失礼な!」
カケララの存在感が行動を抑圧してくる中、最初に動いたのはコータだった。
正直なところ見下している彼に引けを取るなど
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