第220話 第二試練

 神殿内は明るい。これも海底都市の天井と同じ原理のようだ。

 もっとも、その原理がどういう仕組みなのかはさっぱり分からないが。

 これも神の御業の一つなのだろう。


 神殿内の通路は一直線だった。高さは十メートル程度で、前方には扉があり、そこに至るまでの通路には水以外に何もない。

 俺たちは難なく扉の前へと辿り着いた。


 扉は神殿の入り口と同じように水色の石でできているが、パズルのようなものはない。


「このまま開けられそうだな」


 そう言いって俺が扉に触れた瞬間、動きのなかった水が激流となり、俺たちを押し戻した。

 入り口まで戻され、入り口の扉にぶつかった衝撃で、俺たちの体を包んでいた空気が一層だけ崩れた。

 残りの一層は崩れなかったが、水圧に耐えきれずに腹部を押し込まれる形で変形した。


「うぅ……」


「エ……ア……」


 俺はすぐさま空気の膜を強く張りなおしたが、エアは腹を押さえて口から血を出している。

 俺も口の中がベットリしていて鉄臭くなっていた。


 俺は藍玉から機工巨人を召喚した。最初から自分たちが中に入っている状態での召喚。大きさはこの狭い通路で取りうる最大の大きさだ。二人とも機工巨人の腹部に空気の魔法で浮いている。

 機工巨人の隙間だけを埋めることに集中すれば、空気の強度も高くなり水の浸入も防ぐことができた。


「すぐに回復してやるからな」


 俺は天使のミトンでエアの腹を四回さすった。瀕死の状態だったので、四さすりでも全快には届かなかったが、後に備えて一さすり分だけでも残しておきたかった。

 俺自身の重症度もエアと同じで、自分にも四さすりして天使のミトンの効果をほぼ使いきった。


「大丈夫か?」


「うん、大丈夫。ありがとう」


 こんな序盤で天使のミトンをほぼ使いきるのは誤算だった。

 だが仕方ない。この海底神殿自体は天空遺跡ほど巨大ではなさそうなので、すぐに最奥に到達できることを願うばかりだ。


「エスト、ここの水は私の操作をまったく受けつけないわ」


 空気の魔法は使えている。魔法が使えないわけではなく、水だけが干渉を受けないのだ。


「そうか、仕方ないな。このまま機工巨人に入った状態で進もう」


 機工巨人はいかなる物理干渉も受けつけない。海底神殿内の水もおそらく神器級の優先度を有する物質だが、機工巨人のほうが優先度は高いようだ。

 機工巨人は難なく扉の前まで辿り着き、観音扉を押し開いた。


「開いた……」


「気をつけて!」


 扉の向こう側には、さらに通路が続いている。

 機工巨人の目の部分から前方を見ると、だいだい色のフード付きローブをまとった人魚が柱の陰から姿を現した。下半身の鱗が白い石でできており、フードの下にある顔やローブの端から出ている肌は色白の人肌だった。

 その人魚が通路の中央で止まり、俺の方を向いてピカリと橙色の眼を光らせた。

 その後、人魚は出てきた側とは反対側の柱の陰に身をひそめ、完全に気配を消した。


「何だ? 体が、動かない……」


「エスト、私も動けない」


 さっきの人魚の眼光が俺たちを金縛りにしたようだ。

 俺はその光を直接浴びたが、エアは機工巨人の腹部にいて光は浴びていない。それでもエアまで金縛りになったということは、防御不可能なものだろう。


「問題ない。機工巨人を動かすのは俺の思念だからな」


 相変わらず水流は強い。しかし機工巨人の中なら安全に進むことができる。


「二つ目」


 通路を進み、機工巨人の手が次の扉を押し開く。

 扉をくぐると金縛りが解けたが、さらに続く通路内で、今度は桃色のローブをまとった人魚が桃色の眼を光らせた。

 さっきはこれで金縛りになったが、今度はなっていない。今回も何か俺たちを邪魔するような効果を与えられているのだろうが、それが何か分からない。

 俺はとにかく進むことにした。


「エスト、後退しているわよ」


「なに?」


 動いたのは二歩程度だが、気づくと、先ほど潜った扉のところまで戻ってきていた。

 エアはなぜか機工巨人の左足の中にすっぽりと入っていた。


「あれ? 上に上がろうとしたのに」


「そういうことか」


 先ほどの桃色の光は俺たちの方向感覚を反転させるものだったようだ。それも左右だけではない。上下や前後も含め、すべての方向感覚が反転している。


「エア、少し揺れるが我慢しろ。次の扉をくぐれば解除されるはずだ」


 最初こそ戸惑ったが、ネタが割れればどうということはない。俺は後退するイメージをして、機工巨人を前に進ませた。

 ただ、もし機工巨人を得るより先に海底神殿に挑んでいたら、難易度は桁違いに跳ね上がっていただろう。魔法を使うのに必要な集中力を別のところへ分散させなければならないのだから。


 俺たちは機工巨人のおかげで楽に水流に逆らうことができ、三つ目の扉に手をかけた。


「三つ目」


 通路はまだ続く。

 先ほどと同様にフードを被った人魚が姿を現した。今度は紫色だ。紫色のフードの下から紫色の眼光が空間を照らした。

 ちなみに人魚をとっ捕まえようと思っても、人魚が姿を現した瞬間は俺たちの体はもちろん、機工巨人すら動くことができなくなっている。

 だから、この陰険な妨害を防ぐことはできない。


「次はなん……だ……」


 どうやら次は眠気のようだ。

 これはかなり厄介だ。もし俺が眠りに落ちたら、機工巨人も空気の鎧も解除されて水圧に押し潰されてしまう。


「エスト、これ、いるなら……つかっ……て……」


 エアが眠りに落ちる直前に渡してきたのは氷の杭だった。

 なるほど、痛みで眼を覚ませということか。

 たしかにこの強烈な睡魔に耐えるには、これを太腿ふとももにでも突き刺すくらいしなければ難しいだろう。


「それに……して……も……」


 もう少し細くてもいいんじゃないかと思った。

 仕方ないので俺はそれを自分の左太腿に突き刺した。


「うぐっ!」


 痛い。滅茶苦茶痛い。

 いっそのことこのまま眠ってしまいたいくらい痛いが、眠気のほうはちゃんと遠退とおのいてくれた。


「くそっ……」


 天使のミトンの効力がほぼ残っていないのがつらい。

 だが仕方ない。ないものはないのだ。

 俺は氷の杭をグリグリと動かしたくはないので、とにかく次の扉へと急いだ。


「四つ目!」


 機工巨人でいっきに通路を駆け抜けて、次の扉を叩くように押し開いた。

 眠気は去ったが、その分、太腿の痛みは増幅した。


「エア、起きろ。着いたぞ」


 四つ目の扉を潜った先は、天空遺跡の最奥くらいの大部屋だった。相変わらず完全な水中だが、水流もなければ水圧もない。

 俺は視野の広さを優先して機工巨人を藍玉に戻した。


「足、大丈夫?」


「滅茶苦茶痛い」


 俺はそう言いながら氷の杭を引き抜いて投げ捨てた。

 目眩めまいと寒気が同時に襲ってくる。


「ごめんなさい……」


 エアはワンピースのすそを破って俺の太腿に巻きつけた。

 ワンピースの生地はあっという間に赤く染まった。


「いや、おかげで命は助かった。寝ていたら二人とも水圧で死んでいたからな」


 これで試練クリアならよかったのだが、こんなに大きな部屋があるということは、間違いなくボスがいるということだ。

 案の定、それは姿を現した。


 部屋の中央で水が沸騰したようにボコボコと泡を立てはじめ、泡が消えた所に青いローブを着た魔術師らしき者が姿を現した。

 目も鼻も口もないノッペラボウの白い仮面を着け、頭には青いフードを被せてある。全身が真っ青で肌はいっさい見えない。白い手袋をはめ、白いブーツを履いている。

 右手には背丈ほどある木彫りの杖を持ち、左手にはこれも木彫りだがタクトを握っていた。タクトの長さは腕の半分くらいと短い。


「魔術師だろうな。おそらく、二種類の魔術を使えるだろう」


 それが俺の予想だったが、エアの見立ては違っていた。


「魔術師に杖は必要ない。あれは魔術師ではない何かだと思う。へたをしたら、魔法と魔術を両方とも使うかもしれない」


 そういえばエアも魔術師だった。彼女の言葉の信憑性は高いが、実際のところ、魔術師かどうかはどうでもいいことだ。

 第二の試練のボスともなれば、すべての魔術を使えるなんて能力があってもおかしくない。そうなると完全にエアの上位互換になってしまう。すべての魔術を使えるということは、エアの魔術も使えるということで、俺の記憶にあるすべての魔法をも使えるということだ。


「エア、思った以上に脚の痛みで集中力が散る。この戦い、おまえを頼るぞ」


「私を頼っているのはいつものことじゃない」


 この状況でそんな手厳しいことを言ってくるのかと、俺は思わず笑みをこぼした。

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