第208話 紅い狂気を知る

 少年はネアと名乗った。名前を聞いたとき、とっさに考えたようだった。


「僕は神ではないけれど、僕のことを神だと思ってくれて構わない」


「あいまいな表現はやめろ。神でない者を神と呼ぶ気はない。おまえが何者なのかはっきりと分かるように説明しろ。定義かってくらいに明確にな」


「エスト。さすがにその物言いは失礼だよ」


 エアはネアのことをおおよそ理解しているらしく、俺の態度をたしなめてくる。

 そのエアをネアが制する。


「いいさ。君の態度は気にしない。僕の話を聞いてくれればそれでいい。僕は神の使いとして神に召喚された精霊だ。精霊といっても魔導学院の校長先生と同じで、この世界の精霊とは異なる存在だけれどね。で、僕は創造されたときに神の知識と性格をほぼそのまま与えられている。だから、僕はほぼ神のコピーだ。もし君が実際に神と話しても、僕と話すのと同じ内容と口調になるだろう。ただし、能力面のたまわりはゼロに近い。全知無能といったところか。それも『ほぼ』ではあるけれどね」


 神だと思っていいとはそういうことか。

 大した謙遜だ。ほぼ無能でありながら、俺を紅い狂気の呪縛から解き放ったというのか。

 俺はネアを認めざるを得ない。


「訊きたいことがある」


「分かっているさ。その前に、長い話になるだろうから腰を落ち着けようじゃないか。入りたまえよ」


 ネアの姿は少年だから、その顔は俺が見下ろす位置にある。そんな小僧から上からの物言いをされるのはしゃくだが、こいつは神が自分と同等の存在とみなされるように創った精霊なのだから、間違いなく格上の者なのだ。

 校長先生が『神様』と様づけで呼んでいた神を、このネアは『神』と呼び捨てにしていることも、それを認める根拠となった。


 ネアは木造の階段を上がり、本殿の中へと入った。そして俺たちに振り返り、ついてこいとうながした。


 俺とエアが本殿の中に入った瞬間、扉が閉まり、あたりが真っ暗で何も見えなくなった。そうかと思うと、今度はパアッと明るくなった。


 真っ白な世界。何もない。


 いや、その真っ白な世界にテーブルと椅子が瞬間的に出現した。

 テーブルは円形で焦げ茶の木製。さすがに木の種類までは分からない。椅子は黒い革張りの肘掛け椅子だ。

 どちらもこの世界の技術で作れる練度ではない。俺の元の世界でいうところの、一流企業の応接室にありそうなものだ。


 ネアに促され、俺とエアと三人で円卓を囲んで座った。

 すると茶の入った紙コップがポンと出てきた。それから小皿が現われた。小皿にはチョコレートやビスケット等の菓子が盛られている。俺とエアの前に一セットずつ。


「この空間は夢の世界とでも思ってくれればいい。すべて幻覚だけれど、物に触れば触覚があり摩擦や抵抗を感じる。茶を飲めば味覚を刺激するし、菓子を食べれば満腹感も得られる。だけど、この空間から出ればそれらは名残なごりなく消失する。胃袋は空になるし、満足感すら消える。味も忘れる。ただ、それらの行為をしたという記憶だけが残る」


 部屋が白いのにネアの服も白い。背景に溶け込んで顔が浮いているように見えそうなものだが、体の輪郭線が妙にはっきりとしている。これも効果の一種なのだろう。


「もしここで死んでも実際には死なないのか?」


「そうだよ。ただ、会話の記憶だけが残る」


 なんとも不思議な空間だ。完全な安全のために設計した空間なのだろうが、暗殺は阻止できても拷問は阻止できない。

 もっとも、いまそんな心配をしても詮無いことだ。時間の無駄。

 俺は両手の指を組み合わせた手を机の上に落ち着けて、前のめり気味になって姿勢を正した。

 そしてネアに向かって言葉を投げかける。


「さっそくだが本題だ。俺にも察しはついているが、いちおう聞いておく。神は俺に会いに来いと言ったが、俺を呼んだ理由は何だ?」


「もちろん、紅い狂気のことだよ。君たちには紅い狂気を倒してもらう」


「俺が紅い狂気を覚醒させてしまったことを、神は怒っているのか?」


「怒ってはいないけれど、溜息ためいき一つ分の失望はあったかな。子供が湯飲みを倒してジュースをこぼした、みたいな。想定の範囲内だったし、芽が出た時点で覚悟するしかなかったよ」


「ジュースか。神にとっては軽い出来事のようだな」


「そうでもないよ。買ったばかりの高級絨毯に消えない大きなシミができた、くらいの感覚だよ」


「なるほど、それは一大事だな……。いちおう俺は責任を感じているんだ。紅い狂気を倒すために労力は惜しまない」


「じゃあまずは紅い狂気のことを知ってもらうところからだ。彼女は『本物になる』、『本物に近づく』と何度か口にしていたと思うが、実際に彼女は劣化コピーのような存在で、彼女には元となる存在、つまりオリジナルが存在する。オリジナルは神と同じ世界の人間で、彼女には二つの呼称がある。『狂気の支配者』と『動の支配者』だ。『狂気の支配者』は通り名のようなもので、君でいうところの『最強の魔導師』みたいなものだ。そして、『動の支配者』は能力面での呼び方で、君でいうところの『空気の操作型魔導師』みたいなものなんだ。『動の支配』は、動に関するあらゆる事象を操ることができる。生物、非生物に限らず、何でも思うままに動かすことができる。人の心の動きなんかも見通すことができるし、時間を止めたり巻き戻したりすることもできる。脳の動きに働きかけて幻覚を見せることもできる」


「本当に何でもありじゃねえか。そんなのとどう戦えばいいんだよ」


 勝てるビジョンが一つたりとも思い浮かばない。もう滅茶苦茶だ。

 仮に何かのゲームでチートにより『動の支配』を導入したとしたら、強すぎて一瞬で飽きてしまうだろう。それほど異次元の能力だ。


さいわいなことに紅い狂気は『狂気の支配者』ではないから、能力もオリジナルには及ばない。彼女は一つの能力を一人の相手にしか使うことができない。同時に複数の能力を使うことはできるけれど、同じ能力を別々の相手には使えないんだ。だから彼女に挑む人数が多ければ勝機は見出せる」


「なるほど。それで神は戦力を増やそうとしているわけだな。強者がたくさん集まれば、技のバリエーションが尽きて対応しきれなくなるわけか」


「そうだね。ただ気をつけなければいけないのは、時間操作は空間を範囲指定することで擬似的に複数の人間を対象にできるということ。それから、彼女を倒すにはたった一つの弱点を突かなければならないけれど、それを教えることができない」


「どういうことだ? 弱点って、ドクター・シータのように体内に核があるみたいなことか?」


「弱点とは急所のたぐいじゃない。彼女には一つだけ苦手なものがあるんだ。ただ、それを教えるとおそらく効果が弱くなってしまうから、教えないほうがいいだろう」


「自分で見つけろってことか。べつにいいぜ。それは元々俺の戦闘スタイルだし得意分野だ」


 俺は茶をすすった。精神的な疲労を感じ、脳に栄養を送るためにチョコレートにも手を伸ばす。

 エアは俺の様子を見て真似するように茶と菓子に手を伸ばした。


 ところで、ネアは紅い狂気のオリジナルの名前を知っているのだろうか。知っているならそれを聞けば別の名前をつけられると考えたが、紅い狂気は俺を操って本物と同じ名前をつけさせるかもしれない。

 聞くのはやめておこう。きっとネアもそれを分かっているから名前は言わずに呼称だけを教えているのだ。


「なあ、紅い狂気は本物の名前を欲しがっていたが、名前をつけるだけでそんなに変わるものなのか?」


 ネアは茶にも菓子にも手をつけず、組み合わせた両手を卓上に据えている。彼の視線はまっすぐ俺にそそがれている。


「この世界でも神の世界でも、名前というのは大きな力を持つ。名前の意味が強ければ強いほど、その名前を持つ者は強くなる。紅い狂気がもしオリジナルと同じ名前を持ってしまったら、神の持つ生の支配で本物に近い存在になるのと同じくらい強化されてしまうだろうね。名前の力は人の名前に限らない。技だって名前をつければ強化される。小さな技でも名前しだいで化けることもあるくらいさ」


「なるほどな。だが、いまの話で二つ気になることがある」


「何でも答えるよ。一つ目は?」


「生の支配っていうのはどういう力なんだ?」


「ゼロから何かを生み出す創造の力だよ。神は『生の支配者』と呼ばれている」


「『動の支配者』とは対の存在、と考えていいのか?」


「いや、『生の支配者』と対とされる存在は『消の支配者』だ。でも、実質的には『動の支配者』を含めた三竦さんすくみの関係といえる。ちょうど魔導師、魔術師、イーターの関係と同じくジャンケン的な関係性がある。『生』は『消』に対して相性がよく、『消』は『動』に対して相性がよく、『動』は『生』に対して相性がいい」


「また新しいのが出てきたな。消の支配者……?」


「気になるよね。でも『消の支配者』はこの世界には無関係だから説明しないよ。で、もう一つは?」


「もう一つはそれだ。あんたが『この世界』って言ったことに関してだ。この世界は何なんだ? 俺の知る限り、この世界のほかに、神の世界ってのと、俺のいた元の世界があるんだが、この世にはいくつも世界があるのか? そして俺をこの世界に召喚したのは神なのか?」


 紅い狂気のせいでかすんでしまっていた疑問だが、機会を得たために沸いてあふれ出した。

 これは俺が神に会おうと決めた最初の動機だ。いろいろと問いただしてやりたいと思っていた。


「それも気になるよね。真実を知る覚悟はいいかい?」


「ああ、いいぜ。その『覚悟』って言葉でだいぶ察しがついたからな」

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