第155話 防衛戦略
ダースが学院を避難させた先は、リオン帝国の農業・畜産区域の北部であった。見渡す限りの草原には、家畜と思われる動物が散在して草を食んでいる。
学院の屋上に転がって熱にうなされるダースだったが、吹きすさぶ風が少しずつ熱を取り払ってくれて、ダースはどうにか魔法を使える程度まで思考力を取り戻した。
まだ体を動かす元気はないが、少し集中力を高めて魔法を使った。闇を通してエアの様子を監視する。
エアは宙に浮いたまま目を閉じていた。
瞑想しているようにも見えるが、そうじゃない。探しているのだ。空間把握モードを使い、学院やダースが移動した先を。
エアはパチリと目を開いた。そして顔を向けた方角は北西。リオン帝国の農業・畜産区域の方角だ。
そして、飛行による高速移動を開始した。
「もう見つかったのか……」
もしこれがエストなら、接近せずともこの時点でダースを攻撃することが可能だった。
だがいまのエアは魔術師であり、本質は空気魔法の使い手ではない。遠距離での空気の操作力は落ちてしまう。だから接近して直接見た範囲の空気を操作したいのだ。そうすれば、おそらく本来の魔導師と同等の魔法を使える。
ダースは一計を案じた。
リオン帝国の現皇帝であるリーン・リッヒに闇を通して語りかけた。
「皇帝リーン・リッヒ、よく聞いてほしい」
「おまえは誰だ!」
リーン・リッヒは皇帝専用の
いまの彼女は皇帝であり、騎士ではない。赤と金色と白を基調とした
「僕はダース・ホーク。緊急事態を知らせるために語りかけた。よく聞いてくれ。いま、最後のマジックイーターがリオン帝国へ向かっている。そいつの目的は世界の破壊か、あるいは征服だ。馬鹿げた話に思うかもしれないが、そいつは最強の魔術師だ。ゲス・エストも僕も負けた」
ダースはマジックイーターと言ったが、それはリーンに緊急性を認識させるための方便である。
「ゲス・エストが負けた!? 魔術は?」
「エストの見立てでは、相手の記憶から魔法を引き出し自在に操る魔術のようだよ」
「そんな、なんてこと……。それで、その魔術師の名前は?」
「魔術師の名は、エア」
「エア……」
リーン・リッヒはそれを聞いてすべて合点がいった。エアとは、あのゲス・エストが契約していた精霊の名前だ。
自分を打ち負かしたあのゲス・エストすら倒した魔術師。
おそらく自分だけでは勝てない。よほど
「ひとまず、警告ありがとうと言っておく。ただ、不法入国を緊急避難として容認するにしても、エアによる帝国襲撃の原因があなたにあったのなら、私はあなたを許さない」
リーン・リッヒは振動の発生型魔導師である。超音波探知の要領で、帝国領内に突如として現われた建物くらいは察知することができる。
「これはおそらく世界の危機だよ。同じ
ダース・ホークの声がリーン・リッヒの耳に入ったのはそこまでだった。
リーン・リッヒは振動探知によりエアの現在地を確認し、早急に対策を講じた。
軍事区域へ連絡し、農業・畜産区域でエアを迎え撃つよう命じた。さらに商業区域に連絡し、早急に農業・畜産区域の人民や家畜たちを北東へ避難させるよう指示を出した。
現在は農業・畜産区域と学研区域の五護臣は不在となっている。代わりの者が見つからないのだ。だからほかの区域から対応者を出すしかない。
さらに、リーン・リッヒは帝国全土に厳戒態勢を敷いた。
公地から帝国の農業・畜産区域へと飛ぶとなると、市街地とリオン城の上空を横切ることになる。エアが行きがけの駄賃で何かしてくるかもしれない。
しかし、それは
エアは一時間もしないうちに魔導学院の場所まで到達し、校舎を見下ろしている。それなのにエアを迎え撃つための軍事区域からの戦力移動も終えていないし、農業・畜産区域の人民は避難を終えたものの家畜たちは残されたままだった。仕方なく、軍事区域の兵士たちが家畜を誘導する。
エアと戦える帝国の人間は、実質的にロイン・リオン大将とリーン・リッヒ皇帝の二人だけだった。
もちろん、戦うのは帝国の人間だけではない。
学院の校舎屋上には、ダース・ホークを筆頭とし、生徒会長のレイジー・デント、風紀委員長のルーレ・リッヒという四天魔が勢ぞろいしており、エアとの親交があるキーラ・ヌア、シャイル・マーン、リーズ・リッヒの三人も説得要員として立ち、上空のエアを見つめている。
エアは右手を天に掲げた。その先には巨大な空気玉があった。それは公地で作ったものを解除せずにひっぱってきたものだった。
空気玉はさらに巨大に成長しており、そこはかとない攻撃の意志が汲み取れた。
「エア、なんでこんなことをするの? 説明してよ!」
皆が
そこにシャイルが続く。
「エアちゃん、こんなことはやめて! 私たちはあなたのことを友達だと思っているのよ!」
「エアさん、あなたはエストさんやわたくしたちといて楽しかったのではなくて? 少なくともわたくしの目にはそう映りましたし、私自身も楽しいと感じていましたわ」
最後にリーズが続いた。しかし、エアは冷ややかな視線を校舎屋上の三人に向かって落とすばかりだった。
ようやく口を開いたかと思ったら、精霊のときのように機械的な発言しかしなかった。
「キーラ・ヌア、シャイル・マーン、リーズ・リッヒ。あなたたちは第三優先ターゲットだったけれど、繰上げで最初に殺すわね。私の慈悲を受け取ってもらえるかしら?」
「あんたのジョーク、笑えない!」
「私は一つたりとも冗談を口にしていない。それに、耐久力の低い戦力から削っていくのは戦略的にも最善であり、あなたたちから狙うのは必然でしょう。そういうことはリッヒ家のあなたなら承知しているはずよね、リーズ」
まるで自我を持ち人類に反旗を
結局、キーラやリーズの質問にはいっさい答えていない。エアからはもう攻撃に移ろうとしている気配が感じられる。説得が通用する気配はまったくない。
学院生たちと帝国戦力は臨戦態勢に入った。
先制攻撃はロイン・リオン大将であった。
彼は鉄板の上に乗って空を飛ぶ。彼が引き連れてきた無人の戦車の数は二十。それがいっせいにエアを砲撃した。
砲弾は大気を震わせながら正確にエアの浮く座標へと飛び、エアを中心に広範囲に爆煙を広げた。
爆風が弱まり、状況把握のため黒煙をリーズが風で追い払うと、エアの健在が確認できた。
彼女は傷一つ付いていないし、わずかな
「空気の壁か……?」
ロイン大将は一斉砲撃をエアが無傷で
だが、もしかしたら、という希望はあった。リオン帝国の最先進科学力による戦車の一斉砲撃。空気操作の本家でなくなってしまったエアならば、少しくらい崩せるだろうと考えていた。
リーン皇帝は振動によって宙に作った足場を渡り、ロイン大将に近づいて考察を補足した。
「いや、あれは私の振動によるバリアを組み合わせている。振動バリアによって爆発の威力を完全に殺し、その内側に張ったバリアの空気層と真空層によって煙や炎の侵入を防いでいる」
学院の校舎屋上に陣取るダースは、帝国勢の二人を見上げて自分も考察に参加した。
「それにおそらく、熱の操作も使っているね。爆風と光の熱を緩和するためにね。僕の闇の魔法を使わないのは、不用意に影を発生させて僕に攻撃のチャンスを与えないためだろう」
ダースたちは次にはエアの攻撃が来ると身構えたが、エアはすぐには攻撃してこなかった。
エアは一同を、特にダースを意識して見下ろし、語りかけた。
「ふーん。もう私の魔術の正体を見破ったかのような会話だけれど、はたしてどこまで正確なのかしらね。憶測で敵の魔術を決めつけて戦うのはとても危険だと思うわよ」
「訊いたところでどうせ教えてくれないだろうから、こちらもどのレベルでこの推測を信じているかを君に教えない」
ダースも情報の重要性については心得ている。
エアにとって敵が自分の魔術の正体を正確に把握できているかどうかが分からないことは、一つの不安要素である。
そういった本当に些細な情報であっても、その情報の有無が形勢の拮抗した場合なんかに鍵となり得るのだ。
エアは情報量の優位性と不確定要素によるリスクを天秤にかけ、英断を下した。
「あなたたちの推測は合っているわ。私の魔術の正体は相手の記憶の中から魔法を引き出すことよ」
エアはこれを教えることによって、ダースたちが彼女の魔法を正確に把握しているかどうか分からないという不確定要素を消した。
情報の重要性を重々承知している人間ほど、この英断を下せる者は
エストならおそらくエアと同じく不確定要素の排除を選択する。だがダースは単純に情報量の優位性を選択するだろう。
「エア、ついでに動機も教えてくれないかい?」
「それは絶対に教えない。私の動機を確かめなければ、お人好しのあなたたちは私を本気で攻撃できないのでしょう? それは十分に利用させてもらうわ」
その何がなんでも勝利にこだわる姿勢は、ゲス・エストのように単純に強者と戦いたいというものには見えない。
かといって、強い憎悪があるわけでもないし、マジックイーターのように魔術師のためというふうでもない。もちろん、世界征服でもなさそうだ。
それら消去法の根拠としては、エアがキーラ、シャイル、リーズを第三優先ターゲットと発言したところが大きい。
エアの瞳は、どこか使命感に似た意志の強さを秘めている。
「僕たちが動機を知ったら、君を本気で攻撃できるようになるということかい? そうだとしたら、本気で攻撃することにためらいはないよ」
「あなたたちが本気で攻撃してくることは、私にとってなんら問題にはならない。でも動機は教えない」
分かっていた。ダースたち全員が本気で挑んだとしてもエアに勝てる見込みは薄い。力を抑えて戦う必要性などどこにも存在しない。
「ちなみに私も手を抜かないから覚悟してね」
エアの頭上にあった巨大な空気玉が、魔導学院の校舎の方へと移動を開始した。
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