第130話 概念的な戦い
ダース・ホークには覇気が感じられない。
黒のスラックスに白のカッターシャツという平々凡々な学生服を着崩すことなく着ていることだけが理由ではない。
格好だけで言えば、フーデットマントの下はエース・フトゥーレも同じだ。制服ではなくスーツとしてだが。
ダース・ホークの敵が油断させられるのは、垂れ目が彼を気弱そうに見せ、眠たそうにも見せるからだろう。
闇の概念種の魔法を使う魔導師を決して
だが、エース・フトゥーレがそういうことを懸念事項として抱える必要はない。
彼には未来が視える。だから視えた未来の攻撃に対し、的確に対処すればいいだけなのだ。彼に隙はない。
エース・フトゥーレは足元に細剣を突き刺した。
それは無意味な行動ではない。ダースの魔法を斬ったのだ。
暗い森の中ではダースの魔法たる闇はほとんど目に見えない。こういった暗い場所ほどダース・ホークに有利なフィールドとなり、彼の強さも桁が跳ねるくらい増してくる。
ただ、未来が視える自分だけは天敵たりえるとエース・フトゥーレは考えている。そして、ダースだけではなくすべての魔導師にとって天敵であるはずだと思い直した。
元々マジックイーターというのは魔導師の魔法を無効化したり逆に利用したりと、魔導師の天敵としての意味でつけた組織名だ。
「厄介だな。その剣、魔法を斬れるのか」
「この細剣は闇道具・ムニキス。闇道具を知っているかね? それ一つで並の魔導師の魔法よりも強力な力を有するものだ」
「なるほど。おまえ一人で魔導師と魔術師の二人分の戦力というわけか」
「戦力という表現はいかがなものだろうな。貴様一人とそこらの魔導師一人が同じ一人分の戦力とは言わんだろう」
「ならば測ろう。おまえが僕の何倍の戦力なのか。その戦力が一倍を超えるのかどうかを」
「無理だな。結果を知る前に貴様は死ぬ」
買い言葉に売り言葉。ダース・ホークはエース・フトゥーレの魔術が未来視であることは知っているが、いまの発言がエース・フトゥーレの視た未来のことかどうかは彼には分からない。
「闇に踊れ、灰色の羊よ。群れから外れし孤高の闘士よ。四肢が踏み鳴らすは暗黒の大地」
「何だその詠唱は……」
木々の枝から蛇のように顔を出した黒い蛇がいっせいにエース・フトゥーレへと襲いかかる。
もちろん、それは視えていた。自身が動く場所を移動することによって、多方面からの同時攻撃に時間差を生じさせ、順に細剣ムニキスで処理していく。
エース・フトゥーレの剣の腕前は一流。それなりに剣を振りつづけても腕の疲労で剣が鈍ったりはしないくらいに筋力と体力も備わっている。
「その身を闇に染めよ。なかば染まりてなお染まれ。
「魔法の新しい形を作り出したとでも言うのか? 何をするつもりだ!」
エース・フトゥーレには視えている。未来が。
視えているが、分からない。その詠唱の効果がどこに現われているのか分からない。
得体の知れない焦燥感がエース・フトゥーレを襲う。
黒蛇が数を増して噛みつかんと飛んでくる。さばききれずに一つが左肩を
肩が負ったのはただの外傷ではない。呪いのような何かが左肩にまとわりついている。
力が入りづらい。腕が重く、半分くらいしか力が入らない。
未来視により未来のダース・ホーク本人から聞く。それは闇がまとわりついた範囲の体の部位が喪失した状態と同様に相手の力を削るという攻撃だった。
しかし、それが詠唱の効果なのかどうかまでは分からない。おそらく、ダース・ホークは絶対に詠唱の効果を
「仮初めの鎧を置き去りにして、落ちた空を駆け抜けよ。誇り高き狩人の成れの果て。走る雲、黒き雷となれ」
焦燥感がエース・フトゥーレの未来視を鈍らせる。
実際に鈍くなっているのは未来視ではなく、視えた未来に対応する体のほう。
視えているのに、正常な判断が奪われて体の動きが遅れてしまう。
いくつかの被弾を甘んじて受ける判断を下し、エース・フトゥーレはそれを必要最小限に抑えるべく細剣を振るった。
左肩が完全に黒く染まり、口内に
未来視では口内の闇が攻撃してこないようなのでほかの闇を消すことを優先した。
左腕は使わないので左肩の被弾は諦めた。
「そうか、分かったぞ。その詠唱の意味が。その詠唱……」
詠唱自体に意味はない。もっともらしいことを言って言葉の意味から効果を推測させ、相手の思考リソースを割かせることが狙いだ。
実際、これによって集中力を欠いていなければ、おそらく被弾はしなかったはずだ。
未来で分かったことがなぜ未来視で知ることができなかったのか。
エース・フトゥーレの未来視は、見えるし聞こえるが、その光景からは自分を含めて誰の思考も読み取ることはできない。だから過去の自分に知らせるために、彼は思考を言葉にする。
だが、その言葉を闇が吸い取ってかき消した。その闇が舌の裏に潜り込んで出てこないために剣で斬り消すことができない。
もしその闇が命にかかわる攻撃をしかけてくるなら、多少大きな自傷をともなってでも斬り捨てるが、ただ言葉を吸うだけの嫌がらせにそこまですべきではない。
ただ、それを
ダースはもう詠唱をしない。未来視の力の一部を封じることに成功したからだ。
エース・フトゥーレは未来の自分の思考を知ることができなくなった。
「闇道具ねぇ。僕が闇の魔法で作った道具は闇道具にはならないのかな?」
ダース・ホークは真っ黒な銃を構えていた。
質問をするということは、エース・フトゥーレの言葉をすべて闇で吸い取る気はないらしい。器用にも過去への伝言だけをカットするつもりのようだ。
それにしても、銃なんか作らなくても魔法で闇の弾丸を直接飛ばしたほうが手っ取り早いのに、なぜわざわざ銃を作ったのか。
エース・フトゥーレはもしもそのことについて質問したとしたら、ダース・ホークが「あえて銃を形作り、引き金を引くという動作をすることで、本物の銃のイメージを強くする。それにより、本物の弾丸のような自分のイメージ力を超えた弾のスピードを実現できる」と回答する未来を視て答えを知ったため、質問する必要がなくなり、質問をしなかった。
エース・フトゥーレがダース・ホークに質問をしない未来に変わったが、エース・フトゥーレは疑問の答えを知っている。
「それはただの道具だ。いや、ただの魔法だ。私の体が反応できないほど速い攻撃なら通ると思ったか? 未来を知れるのだから、弾道に先に剣を
実際にダースが銃の引き金を引いて闇の弾丸を三発打ち出したが、そのすべてを細剣ムニキスが斬り捨てた。
頭と足を連続で狙ったのに、流れるような剣筋で両方ともさばいたのだった。
「最適化。未来視を連続で使い、一つひとつの未来視に別の行動選択肢をはめ込むことで、最善の未来が視える。絶対に回避不可能な攻撃でなければ私には通らんよ」
「最適化といっても正解が見えるわけじゃない。おまえが思いつく範囲での最善が分かるだけだろう? ならいろいろと試す価値はある」
「長期戦になると思っているようだが、この戦いは
ダース・ホークは走り迫ってくるエース・フトゥーレを止められない。拘束しようにも片っ端から闇へのリンクを切られる。
ダース・ホークは逃げた。逃げながらエース・フトゥーレを止めるすべを考えた。
そうして思いついたのが、無数の点状の闇で壁を作ることだ。無数の点であれば、細剣ムニキスの辿った軌道上の魔法しか消されない。エース本人が通れるくらいの穴を作るのに多少は時間がかかるはずだ。
だがエース・フトゥーレの剣の早業は、ダース・ホークの予想を遥かに越えていた。剣豪と言っても差し支えないほどの腕前だ。
このままでは追いつかれる。闇の中に飛び込んでワープしたいところだが、もし身半分が闇に入った状態で魔法を強制解除されたら、転移先と転移元とで分かれる形で体が切断されてしまう。大変危険だ。
そしてエース・フトゥーレとの間合いは危険ゾーンに入っている。
このままではまずい。
ダース・ホークは脳を最大ギアで回した。
いま、エース・フトゥーレの左肩には闇がまとわりついている。ダースはその闇をブラックホールに変えることが可能だが、もしそれをしたらどうなるだろう。
ダースは相手に闇を被弾してもらうために、あえてその効果を弱いものに設定していたし、その闇の効果を後から変えないと決めていた。だからこそ未来視のあるエース・フトゥーレは被弾することを細事と考えて被弾を許したのだ。
もしその未来を自分が変えたならどうなるだろうか。過去のエース・フトゥーレにその未来が視えるはずで、そのときに別の未来を選択するはず。
となると、いまという時間は消滅して過去へ巻き戻ってしまうのだろうか。もしそうなったら自分の記憶も過去に戻り、エース・フトゥーレだけが未来の一つの可能性としてこの状況を知ることができることになるのだろう。それはエース・フトゥーレが有利になるだけ。
だが、本当に時間が過去に巻き戻るなんてことが起こり得るのだろうか。追いつかれるくらいなら、むしろ時間が戻ったほうがいい。
試してみるか?
いや、待て。ダースは自分自身に
エース・フトゥーレがこうなる未来を選んだということは、肩の闇がブラックホールに変えられることはないということではないのか。
だが、いくら自分が絶対に変えないと決めていたとはいえ、いまは変えられる状況にあるし、絶好のチャンスではないか。
「変質!」
ダースはエース・フトゥーレの肩の闇に手を掲げて叫んだ。だが、それよりも早く細剣ムニキスの切っ先が肩の上を走った。
エース・フトゥーレの肩から闇が消え、ムニキスによる
ダース・ホークは予想外の結果に戸惑い、そしてそれが隙となった。
完全に細剣ムニキスの間合いに捉えられていた。
ダース・ホークはとっさに闇の盾で剣を別空間へ飛ばそうとしたが、剣はその闇を斬ってしまう。
そしてその切っ先がダースの胸部を掠めた。
切創、少し深い。
まさかここまで視えていたというのか。だからわざと肩の闇を残していたのか。
「うぐっ、やられた!」
その反動でダースは
その最中にもエース・フトゥーレの追撃がやまない。おそらくダースの背中が地面に接触するよりも先に、細剣ムニキスがダースの心臓を貫く。
闇を実体化して自分の体を動かすか? それすらもエース・フトゥーレには視えているはず。
どうあがいてもかわせない。
最後の望みはエース・フトゥーレの口内に残っている闇。
さっきので学習した。時間が巻き戻ったりすることはない。
エース・フトゥーレが口内に闇が入り込むのを許したということは、ダースが絶対にそれを攻撃に使わないか、エース・フトゥーレが自力でそれを排除するすべをすでに用意しているかのどちらかだ。
思考が加速する。
ダース・ホークは脳をフル回転させた末に
舌の下にある闇を使うのが正解だ。
ただし攻撃はしない。もし攻撃したら、おそらくはムニキスの切っ先を自らの口に突っ込んで怪我をしてでも闇を消すだろうし、その覚悟もしているだろう。
だからただ驚かせるだけにとどめるのだ。闇を実体化させて口内に圧迫感を与えるだけならば、光景を見る未来視ではそのことを知りえない。
攻撃してこないはずの闇が攻撃してくる気配を出すのだから驚くはずだ。自傷の覚悟をしていなかったのにそれが必要となれば戸惑いが生じる。
ダースは自分の背中の影をそのままワープホールに変えて、倒れるままにそこへ身を投じた。
ダースの意思とは無関係に強制的にワープホールが斬り消されたのは、ダースの体がすべて魔導学院敷地内に移動した直後だった。
どうにか逃げ延びることに成功したのだった。
対するエース・フトゥーレはというと、彼もまた
ムニキスの切っ先で安全に口内の闇を消し、そして闇の吹き出る
彼の安堵は自分が視ていた未来にちゃんと辿り着けたからだった。
「魔術師は魔導師に対して強いのだ。しかも私は自分が最強の魔術師であると自負している。
エース・フトゥーレは細剣ムニキスを祠の前で素早く振りまわした。
祠からは慌てるように闇が吐き出されてくるが、手負いのダースでは封印の補充が間に合わない。
そしてついに、祠の封印は解かれた。
半分以下となった闇は、内側からのっぺりと薄く広く円盤状に広げられた。
そして、伝説のイーターが姿を現した。
ネームド・オブ・ネームド・イーター、アークドラゴン!
湿った黒褐色の鱗は人の顔ほどの大きさがあり、それが無数に重なり連なっている。
それを辿るように見上げると、はるか上空に黄金の月を思わせるような、鈍く光る黄色い眼が
ゆっくりと開いた口からは、オパールのような
吐息が熱いのか唾液が熱いのか、そこらじゅうから蒸気が上がっている。
一度大きく鼻息を噴出し、周辺の木々を
エース・フトゥーレはひときわ太い幹にしがみつき、アークドラゴンの鼻息を
アークドラゴンが羽ばたくまでの残りわずかな時間で、できる限りその場所を離れなければならなかった。
ここは森だが、ほんの少し先の未来では更地になっている。アークドラゴンの羽ばたきによる風圧がすべてをさらってしまうからだ。
全力で走るエース・フトゥーレの背中を衝撃波が襲い、彼は唐突に発生した上昇気流に舞い上げられた。
そして数百メートル先の湖に突っ込んだ。
どうにか湖岸に辿り着いた彼が見たものは、伝説の竜が中空に滞空したまま
アークドラゴンは弱っていた。長き封印により弱っていたのだ。
封印といっても、凍結のように時間が停止した状態で保存されていたわけではなく、ただ闇の空間に監禁されていただけであり、すなわち時間経過によって餓死し得る状態だった。
ダースがアークドラゴンを封印していた期間はおよそ一年間。
ダースもアークドラゴンの餓死を狙っていたのだが、アークドラゴンは
アークドラゴンは栄養補給をするために、安全な餌の狩場を求めて飛び立った。
力を取り戻した後、大陸中で暴れまわるだろう。一年という長期間の封印に怒り心頭のはずだ。
さっきまで真っ暗だった森が、赤い夕日に照らされて赤銅に染まる光景は終末を思わせる。
アークドラゴンによってもたらされるはずの終末、残念ながらそこまで先の未来は、エース・フトゥーレには視ることができない。
アークドラゴンがエース・フトゥーレの願う未来を叶えてくれることは、もはや自明と言ってもいい。その未来が訪れるのは視るまでもなく明らかだ。
なかば燃え尽きたように感慨に耽るが、彼は近い未来にゲス・エストに殺されるだろう。未来視ではまだその未来は視えないが、それもまた自明であった。
悲願は果たされた。
いや、これから果たされると言うべきか。
これでゲス・エストにも一矢報いたはずだ。もう悔いはない。
だが、ただで殺される気もない。
できれば世界の行く末を見届けたいが、殺されるにしてもゲス・エストに最大限の嫌がらせをしてからだ。
さて、何をするか。
「うむ、マーリンを殺しに行くか」
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