第118話 悪夢

 そう、これはおそらく夢だ。

 なぜなら、いま俺が目にしている光景は過去のものであり、そこに俺はいなかったのだから。


 ここは国政議会所の三階中央の間。大統領がいた部屋だ。

 シャイルとミドリ、シロの戦闘によって部屋に火が回っている。

 脱出すべく窓から跳んだミドリとシロを、俺が空気の操作でこの部屋の中へ戻し、行動不能にするために壁へと激突させた後の場面だ。


 ミドリとシロは、壁が崩れて落ちた瓦礫がれきの下敷きになっていた。

 肉体を鍛えているミドリでも脱出できないので、小柄なシロにはとうてい脱出などできるはずもない。

 部屋内は徐々に火の浸食が進み、二人はいずれその火に包まれることを覚悟していた。


 しかし、その覚悟を無にすような別の赤が、そこにはあった。


 瓦礫のせいで息が苦しそうなシロに対し、ミドリはまだ部屋の中を見渡す余裕があった。そして、赤いオーラの存在に気がつく。

 オーラは普通、黒か白のはずだ。なのに赤いオーラが漂っている。火に照らされてそう見えるのだろうか。


 その問いに対する暫定的ざんていてきな結論を出す前に、それはやってきた。

 コツ、コツ、コツと足音を響かせて、部屋に入ってきた者がいる。


「おまえは!」


 白いブラウスと、青のフレアスカートはいかにも若い女学生といった格好だ。

 そして後頭部にて美しく束ねられた黒髪は少し前に一度見ている。


 シャイル・マーン。


「なぜ戻ってきた? 火が回る前に脱出したんじゃないのか? 敵のオレが言うのもなんだが、早く逃げないと逃げ遅れるぞ」


「分かっているわ。理由もなく戻ってくるわけないじゃない」


 シャイルはニコッと微笑ほほえんだ。


「はんっ、まさか、オレたちを助けてくれるとでも?」


「うん、そうだよ」


 シャイルは再びニコッと笑った。

 ミドリにはそれが気味悪いらしく、返す笑みが少しひきつっていた。

 状況が状況なだけに、笑いかけてくれる余裕があるなら一刻も早く救出してほしいものだ。


 シャイルはピョコピョコと軽快に周りこんで、ミドリとシロの前までやってきた。

 そして、しゃがむ。


「ねえねえ、二人は仲良しなの?」


「は?」


 ミドリはポカンとした。なぜいまそんなことを訊くのか。そんなことより早く瓦礫をどかしてほしい。

 ミドリが自力で脱出できない瓦礫をシャイルがどかすためには、何らかの道具を用いる必要があるだろう。

 しかし、シャイルは道具を探す素振りを見せないどころか、座って微笑びしょうをたたえたまま動こうとしない。

 ミドリの顔はあからさまに歯痒はがゆさをにじませているが、シャイルはそれを見ても相変わらずの様子だった。


「ねえ、どうなの?」


「そんなことより……」


「答えないの?」


 ミドリを襲う焦燥感が、彼女の心臓を鷲掴わしづかみにしたまま別の何かへと変貌していく感覚に見舞われた。

 答えればいいのか?

 いや、答えなくてはならないのか?


「特別に仲がいいってこともねえが、悪くはねえよ」


「親友ではないけれど、友達程度ではあるって感じかな?」


「まあ、そんなもんだろうよ」


「死ぬときは一緒がいいの?」


「……まあ、死ぬときは一緒だろうな。職業柄というか、守護四師の仲間だからな」


 さすがにミドリは次にシャイルが無駄口を叩くようであれば、怒声を浴びせてやろうと考えた。

 もしそれでシャイルが自分たちを助けるのをやめて逃げてしまったなら、べつにそれで構わない。元々死ぬ覚悟はしていたのだ。半端に希望を持たせられたのがしゃくではあるが。


 しかし、シャイルが次にしたことは、無意味そうな質問をすることでも、瓦礫をどかそうとすることでもなかった。

 シャイルはミドリを見つめたまま、右手を横方向へ伸ばした。そこへ火の玉が飛んできて、シャイルの手のひらに収まるかのように球状に炎が滞留たいりゅうしている。


「なに!? おまえ、いま、火の方を見ていなかったよな?」


 操作型の魔導師は基本的にエレメントを見ずにその操作をすることはできない。

 対象がそこにあるとはっきり把握できているのであれば例に漏れるが、炎の場合は常に燃え広がり、さらにはそれ自体に揺らぎがあるため、それを見ずに操作の対象とすることはできないのだ。


「一緒に死ねなくて残念ね。ねえねえ、緑の緑のミドリさん、あなたは真っ白なお友達が赤々と燃える様を見届けて、いったい何色の涙を流すのかな?」


 そう言うと、シャイルは白のフードに火を点けた。


「あ、ああっ、あつい、あついっ!」


 ミドリは目を疑った。

 もはやシャイルが自分たちのことを助けると言ったことが嘘だったという事実なんてどうでもいい。

 それよりも……。


「なぜ攻撃できる!? オレの魔術によっておまえはオレ以外の人間には攻撃できないはずだ!」


 シャイルの顔がニコリと微笑む。

 そして、落ち着いた口調でその言葉をどこからかひっぱってきた。


「ねえ、私も人間だよ?」


「は? だから何なんだ! オレの魔術の発動条件とは関係ないことだ!」


 ミドリは直感した。かなりヤバイと。

 助けないどころか、先ほどの戦闘の仕返しのたぐいでもない。シャイル・マーンという女から漏れ出る殺意ならざる意思、これは冷やかしだとか復讐だとか、そういう次元のものではない。

 これはおそらく……。


 狂気!


「ねえねえ」


 シロが燃えている。

 それを見ているシャイルはミドリだけに語りかけつづけた。

 ミドリのひたいは汗の粒で覆われていたが、それは暑さのためではない。

 この女にまともな受け答えをしてはならない。


 もはやシャイルのみは本性を隠そうともせず、口の端を吊り上げて愉悦にひたっていた。


「隣でお友達が燃えているけれど、あなたも熱そうね。ミドリさん、お友達のせいで自分も熱いのはどういう気持ち? シロさんは自分のせいでお友達が熱いのどういう気持ちなのかしらね。シロさんはどういう気持ちだと思う、ミドリさん? そんなの、シロさんじゃなきゃ分からないわよね。ねえ、ミドリさん……。入れ替わってみる?」


「――ッ!? や、やめろっ!」


 ミドリの隣ではシロが炎に包まれ、声にならない声でうめいている。

 瓦礫の重みとの二重苦でもだえることすら許されず、ただじっと焼かれつづけている。


 その炎の熱にこれほど自分が苦しめられているというのに、その熱源に成り代わってしまったら、いったいどれほどの苦痛に襲われるのか。

 このシャイルとかいう女は炎の操作型魔導師で、魔術師ではない。他人を入れ替えることなんてできない。

 そのはずだが、こいつを人間として見てはいけない。こいつを人間と識別することは、あなどりや見くびりの類でしかない。


「へぇ、友達にだけ苦しんでもらうんだ。あっはははは! いいお顔! おいしそう! あなた、とってもおいしそう! ねえ、舐めていい? 舐めていいかな? せっかくだから涙を舐めたいな。流してよ、涙。何色でもいいからさぁ!」


 醜悪しゅうあくな高笑いを響かせる彼女を、ミドリは絶望の眼で見上げた。


「悪魔だ……。こいつ、悪魔だ!」


「ふふふ。殺すのは簡単。でも殺さない」


「貴様ならオレたちに死を超えた苦痛を味わわせつづけられるってわけか? いいぜ。生き延びたなら、必ず貴様の正体をゲス・エストに暴露してやる!」


「ふふふ。それでいいのよ。ゲス・エストに聞かせてあげなさい。あなたが堪能した恐怖のお味をね」


 ミドリは悟った。シロどころか自分さえも山を上がるための階段の一段にすぎないのだと。

 彼女の思いどおりにさせない最良の策は何か。ミドリはすぐに答えを出した。


 ミドリはかろうじて瓦礫から出ている腕を隣の炎へと突っ込んだ。そして、シロの頭をひねった。

 それからミドリは自らの舌を噛み切った。口を閉じたままうつむき、目の前の悪魔に悟られないようにした。

 実在するかどうかも分からないが、不死の呪いをかけられる前に死にきってみせる。

 そうすれば彼女は少しくらいは悔しがるだろうか。少なくとも自分とシロの地獄はここでおしまいにできる。


 シャイルは立ち上がった。

 彼女が見下ろすミドリとシロは事切れた。そのことにシャイルは気づいている。


「ミドリさん、私のことを悪魔ですって。とんだ侮辱だわ。私が不完全でなければもっと堪能できたかしら。でも、ごちそうさま。久しぶりのご馳走だったわ」


 部屋は轟々ごうごうと炎に包まれ、天井も崩れはじめている。

 シャイルが部屋を出ようと入り口に歩いていくと、炎も瓦礫も意思を持ち彼女にひれ伏すかのように、勝手に動いて道を作った。


 彼女は部屋を出る前に、誰もいないはずの後ろ、つまりこちらを振り返って、そしてわらった。


「ねえ、あなたも堪能した?」

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