第114話 見えない敵

 対峙するシャイルとミドリ、それからシャイルをひたすら見つめつづけるシロ。


 シャイルはシロもミドリも攻撃できないが、ミドリはシャイルを攻撃できる。

 シロの視界から逃れることができれば、その間だけシャイルはミドリを攻撃できる。

 ただし、ミドリは体を鍛えていて強い。


 ゲス・エストは自分なら余裕と言ったが、誰がどう見てもこの状況は最高難易度の失敗前提チャレンジモードだ。


 逆の立場、すなわちミドリからすれば、チュートリアル並みのイージーモード、いわゆる、ゆとり仕様。

 相手は攻撃できず、自分だけは攻撃し放題だ。


「さっさと終わらせて、ゲス・エストを狩りにいくぜ」


 ミドリは猪突猛進にシャイルへと駆ける。

 シャイルは防御のためだとしてもミドリの進路を妨害するためには炎を使えない。ひたすら自分の足元に火の粉をまいて逃げまわるしかできない。

 カバのように図体のでかいソファーの周りを走り、それを飛び越えてくるミドリの手から這いずって逃げまわる。

 ミドリが物を投げるときに自分が避ければシロに当たるよう誘導するが、ミドリはキッチリ部屋内の位置関係を把握しており、シャイルの罠にはひっかからなかった。


 時が経つにつれ、シャイルの体力は急速に消耗していく。

 ミドリの体力はシャイルの数倍はあるだろう。

 シャイルの焦りを表すかのように、部屋の中にリムの火が広がりつつある。実際、その火はシャイルを焦らせた。

 このままでは部屋が火に包まれて焼死してしまう。ただ、その点についてはシャイル以上にシロとミドリが焦りを見せはじめた。


「ミドリ、早く仕留めて」


「うっさいな、分かってるっつーの!」


 シャイルは火を操り自分から遠ざけることが可能。部屋が火に包まれたら先にシロとミドリが焼かれてしまう。

 それがシャイルの作戦かと二人は考えたが、実際にはそうではなかった。


「エスト君、聞こえてる? 火がだいぶ部屋中に回ってきてる。早く脱出しないとまずい。火は操作できても煙は操作できないから、このままだと中毒になって倒れちゃう」


 火事において特に人を死に至らしめる要員は一酸化炭素中毒だ。

 無色無臭のため知らずのうちに一酸化炭素を吸い込み、意識障害や失神を起こして火に巻かれる。あるいは致死量を吸い込み中毒死する。

 さすがに火の操作型魔導師であるシャイルはそのことを分かっている。

 ミドリから床を這いずるように逃げまわっているのは、半分は煙を吸わないよう体勢を低くするためだ。


『分かった。棚をどかす。そこの窓から飛べ。先に空気のマットを作っておく。そこへ飛べ』


「なるほど。順番が重要ということね? 敵の魔術でエスト君は魔法を人に対して使えないから、窓から飛んだ私を空気で包むことはできないけれど、先に作られた空気のマットに私が飛び込むことはできる」


 本来ならばシャイルの耳にだけ届けるべき言葉。

 しかし、いまはゲス・エストはミドリ以外の誰も何かの対象にすることができないため、そのメッセージは全員に聞かれてしまう。


 ミドリがシロにアイコンタクトを飛ばし、シロは黙ってうなずいた。


 棚が床をこする音が室内に響く。リムの赤い光とは別の光が部屋の中へと差し込んだ。

 ソファーの陰に隠れていたシャイルが光を通す窓へ向かって飛び出す。

 それを待ち構えていたミドリがタイミングを合わせて飛び出してきた。


「うっ!」


 ミドリの強靭な足がシャイルの腹を打ち、彼女を背中から壁に激突させた。

 シャイルはおなかを押さえて床にうずくまる。


「直接ぶん殴って殺す爽快感には劣るが、命綱を奪い取ってから敵を蹴落とし自分だけ助かるというのもなかなか愉快なものだな」


「ちょっとした愉悦だよね」


 ミドリはシャイルを蹴った足を窓枠にかけ、シロを抱えて窓から跳んだ。



 ――ドシャリ。



 それはかなり鈍い音だった。


 窓の下には空気のマットなどなかった。

 ミドリとシロは三階の高さからモロに地上へと叩きつけられたのだった。


 ミドリはうめきながら寝返りを打ち、仰向けになった。

 窓から火がチロチロと蛇の舌のように顔を出している。ミドリはその窓を見上げながら、エストに向けてつぶやいた。


「なぜ……。オレがこうすることを予見していたのか……」


『まあ、予見はしていたな。おい、シャイル、動けるか? おまえは火の操作型魔導師なんだから、自分で退路を確保できるよな? 早く退避しろ』


「うん」


 シャイルは部屋の扉をふさいだ棚を扉ごと燃やし、もろくなったところを、ミドリが投げて壁に刺さっていたキャンドルスタンドを使って引き倒し、魔法による操作で炎をどけてそこから脱出した。

 ゆっくり這っての脱出だが、炎を操れる彼女にとって時間は十分にあった。

 その様子を想像するミドリは、エストへの問いかけを続けた。


「もしオレでなくおまえの仲間が飛んでいたらどうするつもりだったんだ……。そうなってからでは仲間を助けることはできないというのに」


『違う違う。俺は最初からマットを作らなかったんじゃない。マットは作ったさ。おまえたちが飛ぶのを見計らってマットを消しただけのこと』


「くそっ……なにがシャイルしだいだ。嘘つきめ……」


『嘘じゃねーよ。ただ、おまえのお仲間が手ぬるくて俺に執行モードを解く余裕を与えてしまったせいで俺が手を出しただけだ。そうしなくてもシャイルなら勝てる可能性は十分にあった』


「くそっ、やられたぜ……。だが、オレの魔術はオレが死んでも消えない。俺は注目強制の魔術師。オレが三秒以上見つめた相手は、二十四時間、オレと自分自身以外のヒトを選択できなくなる。さっき部屋でおまえたちがオレのことすら攻撃できなかったのは、絶対後手の魔術師、シロの魔術によるものだ。見ている相手を絶対後手にする。相手が先に攻撃を当てない限り、おまえらは相手に対して攻撃できない。攻撃以外の行為も同様で、先に相手から何かされなければ、誰かに対して助けることもサポートもできない。つまり何かの対象にできない。オレが近くにいないおまえにとっては、オレしか攻撃できないのにオレがいないから誰も攻撃できない。ゲス・エスト、アテが外れたな。オレはおまえの機転に負けたが、おまえはオレの魔術とアカの魔法に負ける」


 要するに、シロから見られていなければ、ミドリに対してのみ反撃が可能ということ。

 シロとミドリの二人の魔術が発動した状態でミドリが手を出してこずにアカやアオに攻撃されたら、その相手は誰に対しても反撃が許されず、一方的になぶられるというわけだ。

 ゲス・エストの分断する判断は正解だった。

 シロとミドリ二人ともと離れたエストはアカにもアオにも攻撃できないが、シャイルがアカやアオの妨害なしにミドリを攻撃できる状況にはなった。

 といっても、ミドリを倒したのは結局エストだったわけだが。


『それがおまえの最期の言葉か。シロのほうは何か言い遺すことはあるか?』


「シロはもう事切れている。シロには悪いことをした……」


『よく喋るな、ミドリさんよ。おまえ、もうじき死ぬフリをしているだけだろ。魔術をペラペラと白状しやがって、いかにも死を受け入れるかのような態度をしているが、体をしっかり鍛えているおまえには致命傷になっていないはずだ。そしてシロも生きているな。おまえが下敷きになってかばったようだからな』


 ミドリの体がフワリと浮く気配がした。シロに見られていないということは、ミドリのことは攻撃できるということ。

 先ほどエストはキャパオーバーと言ったが、執行モードを解けばミドリを直接攻撃することもできる。

 少しの間でも敵から姿を隠すことができれば、執行モードを維持する必要はないのだ。


「焼死と溺死と墜落死、どれがお好みだ?」


「墜落死」


 ミドリは迷わずそれを選んだ。焼死と溺死は特に苦しい死に方だ。その三つで言えば、誰だって墜落死がいい。

 だが、ミドリがそれを選択した理由はほかにあった。


 ミドリはエストの追撃に巻き込まないようシロを遠ざけていたが、そのシロを抱き寄せた。

 墜落死ということは、ゲス・エストはミドリを天高くまで飛ばして落下させるということ。空からシロがエストを見れば、エストは再びミドリを攻撃できなくなるし、アカの目の届く所にいられれば土の操作で落下から守ってくれる。


『そうか、分かった』


 エストの返事とともにミドリの体がゆっくりと上空へ昇る。ゆっくり、ゆっくりと、昇天するかのように上方へと昇っていく。

 そうして彼女の体は国政議会所の三階の高さまで到達した。

 そこで彼女の体は横方向へ急加速する。国政議会所の壁を突き破り、燃え盛る室内へと突っ込んだ。


「ゲス……がぁ……」


「決着だ。貴様がシロを引き寄せたから魂胆は丸分かりだった。せっかく死に方を選ばせてやったのにな。ま、おまえのおかげで厄介なシロまで始末できて、いまは感謝している」


 ミドリは部屋の壁に埋もれていた。

 シロは衝撃で床に倒れて気を失った。

 屋敷はエストの空気操作が手伝ってまたたく間に炎に包まれた。

 そこにはもうシャイルの姿はない。

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