第108話 代理の復讐

「俺がおまえの土地を取り戻してやる」


 俺がそう言ったときのシャイルの顔は、なんともいえない微妙な顔をしていた。困惑と、悲哀と、その中にわずかに垣間見える喜びとが入り混じっていた。


「いいの。彼らには行き場がないし、私もいまさら土地だけ取り戻しても、もうここには住めないもの」


「住むために取り戻すんじゃない。財産として取り戻すんだ。そして、他人から不法に土地を奪い占領した悪党どもに罰を与える」


「やめて。彼らだって故郷をイーターに追われた身なのよ」


 彼女の表情は相変わらずだ。口調は怒っているようにも聞こえるが、目は怒っているというより悲壮感を漂わせている。


 もしも、彼女が政府や警察組織に難民たちの侵略について訴えを起こしていたなら、どういう結果になっていただろうか。

 もしかしたら難民たちは正当に罰せられたかもしれないし、人道的な観点から難民を受け入れ、シャイルには補償として別の土地に住居を与えられたかもしれない。

 あるいは、シャイルを無視して事件を放置していたかもしれない。

 それをこれから試すことも可能だが、俺はその政府を潰しに向かうのだ。いまさらそれを確認したところで意味はない。


「俺は元々このジーヌ共和国を侵略しに来たんだ。首都に攻め入る前に片田舎で肩慣らしをするだけのこと。おまえはただ見ていろ。なんなら力ずくで俺を止めようとしてもいい。それでも俺は止まらない。いまからおこなう侵略はおまえのためじゃない。すべて俺のためだ」


 俺はシャイルとともに地上へと降り立った。

 場所は村の中心地。


 シャイルを見つけた難民の子供がさっそく駆け寄ってきた。


「領主様、領主様、お腹すいたよ。何かちょうだい!」


「ごめんね。いまは何も持っていないの」


 少年に歩み寄り、頭を撫でるシャイル。

 その少年はシャイルの手を跳ねけ、今度は俺の方を見て言った。


「お兄さんは何か食べ物を持っていないの?」


 俺はコメカミや眉間みけんに青筋を浮かべて少年を冷たく見下ろした。


「おい、小僧。俺が食料を持っていたとしても、テメーにやる道理はねーよ」


「じゃあ食べられないものでもいいからちょうだい!」


 俺は空気の手で少年の両脚を掴み、空中へ持ち上げ逆さ吊りにした。

 少年が両手を伸ばすがギリギリ地面には届かない。


「エスト君、まだ子供よ!」


 シャイルが俺と少年の間に割り込んだ。その背中に少年が手を伸ばし、掴んだブラウスをひっぱってシャイルの背中に隠れようとしている。

 彼は俺が魔法で攻撃していると理解しているのだ。

 そしておそらく、魔導師が基本的には視界に入っていない場所に魔法を及ぼせないことも知っている。


「おいガキ、隠れても無駄だ」


「助けて領主様!」


 俺は手をかざし、空気を凝縮させていく。その様子が目に見えて分かるほど空間がゆがんでいる。

 少年は宙吊りのままシャイルの後ろに隠れてしがみついている。完全にシャイルを盾にしているのだ。

 シャイルは後ろからの暴力的な腕に表情を強張らせた。

 シャイルの背後からこちらを覗く目には、恐怖と殺意が入り混じったギラギラが見て取れた。


「おいガキ、俺が仲間を攻撃しないと思ってそうしているわけじゃないよな? ただシャイルを盾にして自分への被害を抑えようとしているだけだよな? それが助けを乞うた相手への仕打ちかよ。俺は弱者に手を下すことはあまりしないが、ガキ、貴様の弱さは許されざる罪だ。極刑に値する。彼方まで飛べ!」


 空気の凝縮は解除し、少年の脚を掴んだ空気を上昇させた。

 少年はシャイルにしがみつくが、空気を風の刃に変えて少年の腕を斬りつけ、強制的に引き剥がす。

 そして、空の彼方へと勢いよく飛ばした。海の方角へ飛ばした。

 あの高さまで上がれば、たとえ下が海でも落下の衝撃には耐えられないだろう。

 しかし少年は落下しなかった。滑空してきた巨大な鳥型イーターがパクリとひと飲みにしてしまった。


 シャイルは呆然とそれを眺めた。俺をたしなめる言葉を用意しているはずだが、少年に後ろから掴まれたときの恐怖が彼女から言葉を奪っていた。


 家々からはすでに難民たちが顔を出しはじめている。弓に矢を番えてこちらへ向けている者も少なくない。

 それは少年のための殺意ではない。なぜなら、まだ俺が少年を飛ばす前から彼らは弓を構えていて、俺たちと彼らの間に少年がいるにもかかわらず矢を放ってきた者も少なからずいたからだ。

 もちろん、その矢は空気の壁にはばまれて地に落ちたわけだが。


 俺は本気の殺意を許さない。


「シャイル、いまから俺が何をするか分かるよな? 大虐殺だ。奴らはもはや難民ですらない。シャイルの家を襲撃した時点で、れっきとした侵略者だ。奴らはイーターと同じだ。食欲のままに他人を襲う。ただ見た目が人の姿をしているだけ。奴らを保護するっていうのならイーターも保護するのが道理だ。だから俺は奴らをイーターと見なして討伐する。とはいえ、はたから見れば俺は言い逃れのしようもない大殺戮者となる。嫌なら止めてみろ。いい子でいたいなら、体裁だけでも止めようとしておけ」


 俺が再び手を空へかざし、そこへ空気を凝縮させていく。


「お願い、リム!」


 シャイルは発火装置から火花を発生させ、リムを呼び出した。発火装置は昔シャイルが使っていた軍手に石の付いたものではなく、俺が電池を改造して作ってやったものだ。


「止めるよ、エスト君。難民たちのためというより、あなたのために止める。私はあなたに殺人者になってほしくない」


「残念ながらそれは手遅れだ。俺はすでに帝国で大臣を殺している」


 俺は空気の成分を操作し、酸素をリムへ近づけた。酸素の道を凝縮空気へと伸ばし、リムから勝手にもらった炎で頭上の球体を引火させた。

 頭上にあるのは巨大な火球。


「やめて! 本気なの!?」


「どこまでも本気だ。俺からすれば逆におまえにそう問いたいところだ。奴らはおまえの両親を殺したかたきだぞ」


 俺は火球を家の密集地に落とした。さらに、村をぐるりと酸素で囲うことであっという間に炎が村を包囲するようにした。

 炎は俺とシャイルだけを避けて燃え盛る。

 侵略者どもは逃げ惑い、けたたましく悲鳴をあげている。


 同様にシャイルも悲鳴をあげた。俺の襟首を掴み、揺さぶりながら叫ぶ。両の頬に涙の筋を作り、狂ったように叫ぶ。


「すぐに消化して! エスト君ならできるでしょ? ダース君を迎えに行ったときみたいに。ねえ! 早く! 早くしないとみんな死んじゃう!」


 当然、俺が消化なんかするわけない。

 むしろ空気から抽出した酸素を操作して隅々まで余す所なく炎を行き渡らせる。


「シャイル、そんなに嬉しいか? 自分の炎で仇が討ててよかったな」


「ふざけないで! 私が嬉し泣きしているように見えるの!?」


 俺は改めてシャイルに視線を落とす。

 そして俺は、ただ事実を述べた。


「だっておまえ、笑ってんじゃねえか」


 シャイルのほおは吊り上がっていた。頬を吊り上げたまま「なにをわけの分からないことを言っているの?」という目を向けてきたが、俺が黙って見下ろしていると、彼女は自分の手で自分の顔の形を確かめた。

 そうしてようやく、自分が実際に笑っていることを知った。


「嘘よ……こんなの……」


「安心しろ。炎はおまえのものでも、ここを焼いているのは俺だ」


「いやっ、いやあああああああっ!」


 シャイルは頭を抱えてのた打ちまわった。

 さすがに俺もこの反応は予期できなかった。村へ向けていた意識をすべて引き戻し、シャイルを押さえ込もうとする。

 しかし狂乱したシャイルは馬鹿げた力を発揮し、俺の手が彼女の腕に払われた瞬間、俺は後方に数メートルほど吹っ飛ばされた。


 俺は操作した空気でシャイルを強引に拘束し、両手両脚を空気の縄で縛り上げた。


 村が全焼するまでそう時間はかからなかった。俺が酸素を使って効率よく燃やしたのだ。


「…………」


 シャイルはうつむいたまましゃべらない。


 俺は何て言葉をかければいいか迷いながら彼女へ近づいていく。

 さすがにやりすぎたかもしれない。それは村を焼き払ったことを言っているのではなく、それをリムの炎を使い、シャイルに目の当たりにさせたことを言っているのだ。

 俺が強引にこんなことをしても、彼女が過去に決着をつけることにはならないかもしれない。だが、これくらい強引にしなければ彼女が自ら過去に決着をつけるということはしないと思った。


 シャイルは頭がいいから、俺の考えを分かってくれるだろう。そう思った。


 シャイルはいまだ無言でうつむいたままだ。


 ふと俺は気づく。俺とシャイルの間でうっすらと赤いモヤが漂っていることに。

 そして、それはゆっくりと俺からシャイルの方へと流れていっているような気がした。


「まさか!」


 俺は空気を操作して赤いモヤを二人の間から取り払おうとした。

 しかし、赤いモヤは空気の干渉を受けつけなかった。

 それは実体のないもの。決して触れられないものだった。

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