第78話 農業・畜産区域②

 ハーティが先頭に立って、スケアの親戚の家をノックした。

 大きな屋敷だが、玄関は存外早く開かれた。


「おやおや、誰かと思えばスケアのお友達ではないか。今日はどうしたのかな?」


 密度の低い白髪の初老男性が、ドアノブに手をかけたままハーティに微笑ほほえんだ。それから後ろの二人に気がつき、名前を名乗る。


「私はパーパ・パパ・アグリといいます。よければお二人のお名前も教えていただけるかな?」


 パーパがイル、サンディアの順に視線を移したので、イルとサンディアは順に自己紹介をした。


「ほうほう、そうか、君がイルさんか。ハーティさんと離ればなれになった後のスケアと仲良くしてくれたそうだね」


「あ、いえ、こちらこそお世話に……」


 言葉が続かなかった。イルはぎこちない笑みを青白い顔に浮かべていた。

 ハーティが後ろ手にイルの手を握った。


「パーパさん、遅くなりましたが、ようやく時間が取れたので、友の弔問ちょうもんにうかがいました」


 パーパは「そうかそうか、それはありがたい」とハーティの肩に何度も手を置いて感謝と喜びの意を表した。


「そうだ、妻にも会ってくれないかな。スケアの友達が来てくれたと知ったら喜ぶだろう」


 パーパはそのまま外へ出てきて扉を閉めた。ハーティたちの前を横へ進み、庭の方へ回った。一度振り返り、ハーティたちに手招きをして、ついてくるよう促した。


 三人はパーパに従って庭の方へと足を動かした。

 庭には畑と小屋があり、初老の女性が柵の横の丸太に腰を下ろしていた。こちらも白髪だが、パーパとは違って髪の密度は高い。鷲鼻わしばなと落ち込んだ眼窩がんかが相まって、森の奥に潜む魔女を連想させた。


「マンマ、こちらスケアのお友達だよ。スケアの弔問に来てくれたそうだ。君たち、彼女は私の妻でマンマ・ママ・アグリだよ」


 イルとサンディアは彼女にも自己紹介をした。


「おやおや、ありがとうねぇ。イルさんに、サンディアさん。それから、あなたは前にうちの農作業を手伝いに来てくれたハーティさんだねぇ」


 作り笑顔がいちばんうまいハーティがわずかにひきつっている。

 イルには容易に想像がついた。スケアに無理矢理手伝わされたのだと。いっさいの見返りもなしに、重労働を強いられたに相違ない。


「あのときはどうも。……いい社会勉強になりました」


 マンマは薄く微笑むと、さっきまで手入れをしていた畑を紹介しだした。

 庭の畑は小さいが、いろんな作物が植えてある。


「これはとても素敵な畑ですね。実る作物もきっと甘味たっぷりでおいしいものなんでしょうね」


 いちばん熱心に聴いていたサンディアが、同意を求めてハーティの方へ振り向いた。

 瞬間、サンディアの表情が萎縮いしゅくした。瞳孔が開かれた視線の先、ハーティの背後には、斧を振り上げたパーパの姿があった。


「危ない!」


 サンディアがハーティを突き飛ばした。そこへ斧が打ち下ろされる。サンディアの頭部をまもるのは、彼女自身のか細い手のひら。


「サンディア先輩!」


 受けとめていた。手のひらから血がしたたり、サンディアの白いほおに赤い化粧をほどこす。

 サンディアは砂を操作して手のひらに集めていたが、そこへ食い込んだ斧の太い刃が減り込んで、わずかに柔肌やわはだへと達していた。


「平気! 二人とも離れて!」


 ハーティはとっさに拾った石を投げつけてパーパをサンディアから遠ざけた。イルが強風を生み出し、さらにパーパを遠ざける。

 よろめくサンディアをイルが抱き留め、ハーティがかばうように前に出た。


「なんでこんなことを!」


「それはこちらの台詞せりふさね! あんたらがスケアを殺したんだろ!」


 その言葉はハーティの後ろから飛んできた。マンマの金切り声がハーティとイルを突き刺す。


「何を言っているの? あれは事故だったのよ! イーター狩りに行って、手に負えないイーターに出くわして、運悪く逃げ遅れてしまった。彼女を助けられなかったのは残念だけれど、仕方がないじゃない!」


 じわり、じわりとマンマの体から何かが染み出てくる。マンマの姿がかすむ。

 それは黒いオーラだった。

 魔導師や魔術師は怒り、憎しみといったマイナスの感情が強すぎると、黒いオーラが出る。黒いオーラには相手の魔法を弱める効果がある。

 かつてイルがエストと戦ったときにも、イルの黒いオーラがエストをいくらか苦しめていた。


「知らないとでも、思ってんのかぁああああ! あたしらは知ってんだよ! 自分たちが逃げおおせるために、ハーティ・スタック、あんたがスケアをイーターの前に放り投げたってことをねぇええええ!」


 それは事実だ。

 だが、先にスケアがイルをイーターの餌にして逃げようとしていたのだ。


「そんなこと、なぜ……」


「なぜ知っているかってぇ!? マジックイーターの中にはねぇ、魔法による偵察行為をジャックできる魔術師がいるんだよ。あんたら、見られていたのさ。あんたら二人が黙っていたらバレないとでも思っていたかい? バレてんだよ、この人殺しがぁああああ!」


 マンマが近くにあったクワを手に取り、ハーティへと詰め寄る。

 サンディアがマンマに砂をまとわりつかせて侵攻を止めようとするが、黒いオーラにより砂の操作の力が弱められてしまう。


 また、パーパのほうも斧を片手にハーティへと距離を縮めていく。

 パーパのほうに黒いオーラはない。サンディアがマンマを止めようと務めているのを見て、イルはパーパのほうに魔法の力を向けた。

 手のひらから発せられる突風がアグリ家の庭を駆け抜ける。


「きゃっ!」


 突風がハーティを吹き飛ばした。庭を囲む低い木柵に、ハーティは背中を打ちつけて地に倒れた。


「ごめん! でも、なんで……」


 ハーティの返事はない。気を失ったようだ。


 いま、ハーティを吹き飛ばしたのは間違いなくイルの魔法により生み出された風だった。パーパを狙ったはずが、ハーティに当たってしまった。

 魔法というのは命中させることは難しくないものだ。ボールを投げて標的に当てるような難易度ではない。目の焦点を合わせられれば、そこには魔法が確実に到達する。

 だから魔法が逸れて別の何かに当たるなんてことはそうそう起こらないのだ。


「当たらないぞ。おまえらの魔法なんてな」


 パーパのようだ。パーパが魔術師で、何らかの魔術を使ったのだろう。相手の攻撃の方向を変える類の魔術だ。


 イルはハーティに駆け寄って抱き起こした。

 迫りくるパーパをにらみ、パーパの魔術に対抗するすべを考える。


 だが、イルとハーティへと迫るのはパーパだけではない。マンマも黒いオーラをまとって近づいてくる。


「その大粒で大量の汗が何よりの証拠さね。あんたたちがスケアを殺したんだ。それを見透かされて焦っているんだろう? このままじゃ殺人者になっちゃうって。それは違うさね。あんたたちゃ実際に殺人者なんだよ!」


 イルは反論しようとして息が詰まった。

 しかし、別の声が代弁した。


「違う! スケアが先にイルをイーターのえさにしようとしたんだ」


 ハーティが目を覚ました。ゆっくり起き上がり、彼女を支えようと伸びてきたイルの手を丁重に断る。


「スケアに殺されないために仕方なかったんだ。それに、あたしやイルがスケアから受けた仕打ちを知ってんの? 奴隷みたいにコキ使われたし、いらない玩具みたいにいたぶられたよ。はっきり言ってやる。スケアが死んでくれてホッとしているよ!」


 マンマの黒いオーラが強烈に噴き出した。イルたちへと近づく歩幅が伸びた。

 一方のパーパは足が止まった。マンマに近づきすぎると自分の魔術まで弱められてしまうからだろう。

 マンマの能力は不明だが、いまのマンマに魔法が効かないのは間違いない。そして、彼女がイルたちを殺すには右手に持つクワだけでも十分だ。


 まだ地に尻を着けているイルとハーティの隣に、マンマが立ち止まった。

 パーパを一瞥いちべつして、火傷しそうな恨み深い声でつぶやく。


「あんた、二人ともあたしがもらうからね」


「好きにせえ」


 パーパはボソリとつぶやき、斧を地面に突き刺した。


 クワを振り上げるマンマ。


 イルがマンマに手をかざして風を送ろうとしたが、風は発生しなかった。


 クワが振り下ろされる、というところで、マンマの頭上に砂の雨が振った。


「うわっ、何さね!」


 サンディアだった。その場にいる全員がサンディアに注目した。皆が一様になぜ魔法が使えたのかと問いかける顔をしている。


「私の魔法は砂の操作。操作の力が打ち消されるとしても、砂自体は消されません」


 つまり、サンディアは黒いオーラ外のところで砂を集め、マンマの頭上に運んだのだ。それを重力に任せて落とせば、操作の魔法は消えても砂の落下に影響はない。


「部外者がぁああああ! あんたもとんだ悪党だね。あたしたちは被害者なんだよ。親戚を殺されたんだよ、あたしたちは。やり返したっていいじゃないさね! 遺族なんだよ、あたしたちはねぇ!」


 マンマの剣幕に押されるが、サンディアはそれを押し返す勢いで声を張った。


「スケアさんの死のことであなた方がイルさんやハーティさんにいきどおり、そして責める立場にあるのなら、あなた方は彼女たちに親戚のしたことを詫びる必要があるのではありませんか? 残酷かつ非道なイジメを繰り返し、あまつさえ身代わりとしてイーターの餌にしようとしたことを。私は風紀委員の副委員長。風紀委員長であるルーレ・リッヒ様に憧れ、規範の何たるかについて日々思慮してきました。その思索活動にて、善とは何か、悪とは何か、人を許す寛大さはどこまでを是とするのか、道徳とは何か、倫理とは何か、規範の存在意義とは何なのか、規範を築く根幹にあるものは何なのか、そういったことを私は常々考えてきました。形而上学けいじじょうがく造詣ぞうけいがあると自称しても恥ずかしくないほどに、思想を模索し、追究してきました。その私が断言します。あなた方には人を責める資格はありません。あなた方は無責任な人たちです。単なる伝聞で人の罪を決めつけ、そして一方的に責め立てている。人を責めるならば、公正・公平であるべきです」


「それが遺族に対する言葉ですか」


「遺族なら何でもまかり通ると? たまったもんじゃない! 遺族という立場を振りかざすあなた方は、モンスターだ!」


 マンマの顔が真っ赤に染まりあがった。怒りの色だ。

 パーパは静かにサンディアを睨んでいる。

 イルとハーティがマンマの手の届く距離にあっては、サンディアもかなり不利な立場にある。せめてマンマの矛先が自分へ向かえばいいと、サンディアは祈った。


 そのとき……。


 ――ドン。


 小さく音がした。戸を叩くような音だ。


 ――ドンドンドン……ドンドン。


 まぎれもなく戸を叩く音だった。庭先にある倉庫から音は聞こえた。

 イルとハーティとサンディアはハッとして互いに顔を見合わせた。


「マーリン! あそこにマーリンがいるのね?」


 マンマはイルの言葉を鼻で笑った。


「そんなのは、いやしないよ」


 パタパタという足音が聞こえてきた。

 家の玄関側から少年が走ってきた。十歳前後に見えるその少年の手には、薄汚れた紙袋が雑に掴まれていた。


「ばあちゃん、餌をやりにきたよ」


 走ってきた少年がサンディアたちを見つけて足を止める。三人をジロジロと見てからマンマに駆け寄った。


「こいつら誰?」


「いいから餌をやっておいで」


「餌って……ペット?」


 サンディアがボソリとつぶやいた。そこへイルが鋭く声を差し込んだ。


「あんなに小さくて外から中が見えない倉庫みたいなところにペットなんて飼っているわけありません! きっとマーリンを監禁しているんです」


 少年が倉庫の引き戸を開けた。そのときに一瞬だけ人の手のようなものが見えた。が、しかし、少年が倉庫の中の何かを奥へと蹴飛ばした。


 サンディアは息を呑んだ。


「ひどい! 早く助けなきゃ!」


「サンディア先輩、行って!」


 ハーティが叫ぶ。しかしサンディアはピンチのイルとハーティを捨て置けなかった。


「いいから行ってください! 私たちは大丈夫ですから!」


 イルの一喝がサンディアの背中を押した。二人が自力で窮地きゅうちを脱することを信じ、サンディアは倉庫へと走った。


「行かせないよ!」


 マンマが追いかける。

 マンマが遠ざかったところでイルとハーティは窮地から脱してはいない。今度はパーパが隣に立っていた。


「さっきの魔術、私のものだと思っていたかい? 違うんだよ。私の魔術はね……」

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