第75話 工業区域⑤

「しぶといゴミ虫どもめ。私が直接手をくだしてやる」


 状況は最悪だ。ぜんぜん危機を脱していなかった。

 冷たく鋭い目をした副工場長の立ち姿はまさに鬼。地獄にて慈悲なく魂を打ちのめす鬼だ。イライラを通り越して、大事な何かを縛る紐が切れたようだ。


 シャイルに寄り添っていたキーラは即座に銅の筒に飛びついた。固定していた針金を外し、胴の筒を手中に納めて副工場長から距離を取った。

 しかし、肝心の弾丸は副工場長の足元に落ちていた。しかも、ひしゃげている。筒に入らないので、もう弾丸として使うことはできない。

 新しい鉄の棒はちょうど副工場長の立っている隣の箱に入っている。


「おいでなさい、ウィンド!」


 リーズの呼びかけに風が呼応した。空間に漂う空気の流れが勢いを増し、うず状に集合していく。そして渦を巻く風がポニーの姿を形作った。


 リーズが手を振り、鋭い風が飛んだ。

 副工場長がそれを仰け反ってかわし、隣にあった箱をわずかに切った。そこからポロポロと三つほど鉄の棒が零れ落ちる。

 さらにリーズが手を振り、風が吹く。副工場長の背後、部屋の入り口から強風が吹き込んでくる。狙いは鉄の棒をキーラの元へ運ぶことだ。


「これが欲しいのだろう?」


 副工場長が床を転がる鉄の棒を踏みつけた。三つともが副工場長の足に押さえつけられてしまった。

 キーラがコイルガンを撃つ様は副工場長も見ていたのだから、リーズの狙いは初めからバレていた。リーズだってそのことは分かっている。


「そのとおりですわ。お渡しなさい!」


 リーズが三度手を振る。風の刃で再び鉄の棒が入った箱を狙った。もっとたくさん落とせば副工場長が独占することはできない。


「二度目はない」


 副工場長のたくましい腕が、風の刃をぎ払った。箱を切るほどの風を腕で受けて無傷で済むところを見ると、何らかの魔法か魔術を使ったのかもしれない。身体強化系だろうか。


 ならば、とリーズは攻め手を変えた。

 今度は部屋の外へ向かって凶暴な風が吹き抜ける。副工場長の体が風に押されてけ反るが、足を上げるにはもう少し力が足りない。

 あと少しなのは間違いない。リーズは意を決した。

 リーズが走り出す。そして体当たりを繰り出した。あと少しを自分の体で補ったのだ。副工場長の体がさらに仰け反り、足が浮いた。

 リーズが即座に鉄の棒をキーラの方へ足で蹴った。


 キーラが即座に鉄の棒を拾い上げ、銅の筒にセットした。それを副工場長へと向ける。


「うっ……」


 リーズは髪を鷲掴わしづかみにされ、副工場長の逞しい左腕がリーズの首を挟みこんでいる。

 リーズは人質になっていた。キーラは一瞬迷ったが、スターレを呼んだ。

 スターレの帯電レベルは初期状態で、先ほどの威力が再現できないことは確実だ。


「友達ごと撃つ気かね?」


「正確にあんただけを撃ちぬくわよ。あんたがリーズを絞め殺すより先に、あたしがあんたの頭を撃ちぬいてやるわ」


「それは不可能だ」


「そんなのやってみなければ分からないわ!」


「やってみればいい。不可能の意味を知るだけだがな」


 キーラは朦朧もうろうとする意識の中で集中した。

 副工場長の頭を撃ち抜けば、撃たれた後に彼がリーズの首を潰すという行動を起こすことはできない。仲間の命がかかっているのだ。絶対に外せない。

 絶対に外さない。絶対に。

 キーラが生きてきたこの十数年、これほど集中したことはなかっただろう。その集中は奇跡にも近い精度をキーラに与えた。

 リーズには当たらず間違いなく副工場長の脳天を撃ちぬく軌道を確保し、銅筒を構えたキーラの腕はピタリと静止した。


「ロスゼロ・スターレシュートォオオオ!」


 …………。

 …………。

 …………。


 しかし鉄の棒は動かなかった。


 副工場長がニタリと陰険な笑みを浮かべ、リーズの首を挟む腕に力を込める。

 リーズにはうめき声をあげることしかできない。


「不可能と言っただろう。私は数字にはうるさいのだ。不可能でないものを不可能と言ったりはしない。それでも貴様がそれを撃つのは不可能だ。私の魔術は直接見ている相手の魔法を消すことだ。おまえたちはもう魔法は使えない。そしてその弱りきった体では、三人がかりでさえ私には敵わない。ま、弱っていなかったとしても、肉体をきたえている私には敵わないだろうがな」


 キーラはあきらめない。

 しかし、打つ手がない。打つ手がないし、起死回生のアテもない。

 こういうとき、エストならどうするだろう。キーラはそう考えた。そして一つの結論に辿たどり着く。少しでも情報を得なければ、と。


「魔法を消せるなら、なぜさっきリーズの風を消さなかったの?」


 リーズを殺させないために、別の思考をさせることも兼ねた質問だった。

 副工場長は完全な優位に立っていて余裕を見せている。副工場長は回答することで優越感にひたれるはずだ。だから副工場長は質問に答える。


「おびき寄せるためだよ。おまえたちは三人もいるのだから、私が入り口から離れれば、誰かが外へ逃げおおせるかもしれない。それは困るのだ。おまえたちには事故死してもらうのだから、矛盾する証言者が存在してはならない。私は確実に三人とも殺さなければならないのだ。だから、リーズお嬢様には虫のように火の中へ飛び込んでいただいた。ああ、最初に始末できるのがあなたで光栄ですよ、リーズ嬢。私はね、常々リッヒ家の御令嬢は三人もいらないのではないかと思っていましたよ。そもそも堅苦しくて暑苦しい一族自体が不必要だ。それが三人もいるとなると、ブンブンうるさいハエよりも煩わしい。特にリーズお嬢様はリッヒ家の出来損ないらしいじゃないですか。家名がご立派なだけで、あなたに存在価値はない。いないほうがマシなんですよ。よかったですね、私がいま処分して差し上げます」


 リーズの閉じられた目蓋の縁から涙が零れ落ちた。

 さぞかし苦しいだろう。首を締めつけられ、心まで締めつけられて。


 キーラは焦った。

 情報は得られたが、アテが外れた。副工場長の意識はもうリーズを殺すことに向いている。彼の悲願だったのなら、そうなるのも当然だ。

 意識をリーズから引き剥がさなくてはならない。


「待ちなさい! リーズに価値がないですって? そんなわけないじゃない。あたしの友達ってだけでリーズには大きな存在価値があるのよ。本当に不要な人間はあんたじゃん。この針鼠野郎! 将来禿げろ。あ、怒った? 器ちっさ! だっさい大人だわ、この人」


 キーラは殺意を自分に向けようと考えて挑発した。

 しかしそれも裏目に出る。副工場長の目がギラギラと輝いている。コメカミに青筋を立てているが、しかし冷静さを保っている。


「貴様にとっては価値があるのか。ならばリーズ嬢を殺せば貴様へのダメージにもなるな。このまま喉を潰してやるぞ、リーズ嬢。息ができずにもだえ苦しむ様をお友達に見てもらえ!」


 副工場長の顔がゆがみ、殺意の満潮を示した。


「……なぁんっ!!」


 そのとき、副工場長が驚いてリーズを離した。副工場長を炎が包んだ。いつの間にかシャイルが副工場長の足元にいて、リムの吐く炎を副工場長へ向けていた。


「くそがっ!」


 副工場長がシャイルを睨み、彼を包む炎も消失した。

 副工場長がシャイルを蹴り飛ばす。キーラは銅筒を構えなおしていたが、それを捨てて飛ばされたシャイルへと飛びついた。シャイルを抱きとめたキーラが壁に背中を打ちつけ、苦悶の表情を浮かべる。


「大丈夫、シャイル?」


「平気……。ごめん……」


 シャイルの声は震えていた。涙をボロボロとこぼしている。自分が蹴飛ばされたせいでチャンスを潰したと思い、自分を責めている。

 いま副工場長にいちばん近いのはリーズだ。彼女を手繰たぐり寄せたいところだが、もはやキーラにもシャイルにも動く力は残っていなかった。魔法も使えない。キーラからはリーズに意識が残っているのかどうかも分からない。


「やってくれたなぁ! だがもういい。苦しめて殺してやろうと思っていたが、もうどうでもいい。確実に一人ずつ始末する」


 副工場長は三人をきっちり視界に入れたまま前進する。リーズの前に来て歩みを止めた。


「まずは一人目」


 副工場長がリーズの首へと手を伸ばす。


 キーラとシャイルには何もできない。見ていることしかできない。

 リーズは動かない。

 キーラとシャイルの目がかすむ。

 白いモヤが副工場長を包んでいる。


「……ん?」


 副工場長の動きが止まった。


 副工場長はき込んだ。一度や二度ではない。絶え間なく咳き込んでいる。


 キーラたちの視界が霞んでいるのは涙のせいではない。疲労のせいでもない。

 副工場長を得体のしれないモヤが包み込んでいるのだ。


「あがっ、あがあっ!」


 絶え間ない咳に副工場長が苦しんでいる。酸素が足りずに大きく息を吸うと、余計に咳がひどくなる。

 副工場長はついには両手を喉に当てて苦しみ出した。


 次の瞬間、すべてのモヤが副工場長の口の中へ入っていって、モヤは晴れた。


「うっ、うぐぅっ!」


 咳がやんだ。しかし呼吸はできていない。副工場長は喉をかきむしった。

 副工場長が振り向き、部屋の外から入ってきた一人の人物を見た。


「貴様かぁああああ!」


 そこにはオールバックの糸目の男が立っていた。

 モック工場長だ。


「違和感があったのでね。ケプー副工場長、おまえは迷子の少女のことをマーリンちゃんと言った。私は少女としか聞かされていなかったので、最初はマーリンという名の少女はリーズお嬢様のご学友なのだと思った。だが、ヌアさんをさんづけしたおまえがマーリンという少女のことをちゃんづけで呼んだ。これはおまえがマーリンさんのことを幼い子だと知っていたということだ。マジックイーターとの内通者がいることは知っていたが、おまえが内通者だったのだな」


 副工場長はひざまずいた。両手で首を絞めるように押さえつけている。限界が近そうだ。顔が暗い色に変色しはじめている。


「助けてくれ、工場長。もうマジックイーターとの縁は切る。俺がいなければ工場は回らないだろう?」


「残念だが、君が私の魔法のリンクを切ってしまったので、それは無理だ。私の魔法はちり、つまり空気中を漂う微粒子だが、君の気道で凝集して固まったものはもはや塵ではなく大きな異物、ゴミだ。私が操作できるものではなくなってしまった。君が魔術で私の魔法リンクを切らなければ、どうにかできたかもしれなかったのだがね」


 副工場長は拳を床に打ちつけた。そして工場長を見上げる。


「人ひとりを殺す人間がずいぶんと穏やかな顔してやがる。いつもと同じ顔だ。高みでふんぞり返りやがって。ずっと貴様を引きずり降ろしてやりたいと思っていた」


 副工場長は頭を上げている力もなくなったか、頭を床に打ち下ろしてツンツンヘアーをグシャリと潰した。


「君には私がふんぞり返っているように見えたかね。私は高みに立てども常に汗を流し、身をにして自分の務めを果たしてきたつもりだがね。ああ、それと、君は私が殺すのではなく自滅で死ぬのだ。私は最初から君を殺すつもりはなかったが、君が私の魔法を解除してしまったのだからね。仕方がないよ」


 副工場長はそのままピクリとも動かなくなった。

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