第56話 紅の兆候

 黄昏寮の中庭。

 ここから眺める半壊した建物の景色が素晴らしい。


 俺以外の生徒は順次別の寮へと移っていき、いまとなっては俺しか残っていない。

 全室空き部屋のため綺麗に残っている部屋もあるが、俺は寝るとき以外は元の自分の部屋から空を見上げていることが多い。

 空を見上げるというより、応力に負けて形を崩した赤いレンガや、支えるものを失った大黒柱を見ているのが好きなのだ。


「おまたせー」


 キーラが高く掲げた右手を大袈裟おおげさに振りながら駆けてきた。

 サイドテールがワンサイドアップに変わっている。彼女の動きに合わせて髪も兎みたいにピョコピョコ跳ねている。


「その髪型、前のより似合ってんじゃねーか」


「なっ!? ゲスのあんたがあたしをめるなんてどうかしているわ! そんなの……反則よ……」


 最後は尻すぼみになって何を言っているのか分からなかったが、ゲスの俺に褒められて照れるとは、キーラも大概の変わり者だ。

 俺がキーラの立場だったら「許可なく見てんじゃねーよ、ゲスの分際で」とでも返しただろう。


 今日はキーラ、シャイル、リーズの三人を鍛え上げなければならない。

 いまや人もいないし俺が移動する手間も省けるので、この黄昏たそがれ寮の中庭を演習場所として三人を集めたのだった。


「で、なんでおまえまでいるんだ?」


 うるわしい三人の少女の隣に、陰気そうな男が何食わぬ顔で並んでいる。


「君は知らないかもしれないけれど、僕もいま、この黄昏寮に住んでいるんだ。元々は月黄泉寮にいたんだけれど、この黄昏寮から移ってきた生徒たちの部屋がどうしても一室確保できなくてね。僕がゆずったんだよ」


「えらーい!」


 キーラが目を輝かせてダースを見つめる。

 それに続いてリーズが頭を下げた。


「わたくし、黄昏寮の寮長補佐として、寮長に代わりお礼をさせていただきますわ。黄昏寮の寮生のために部屋をゆずっていただいたこと、心から感謝をいたします」


「私の暁寮のほうも一杯になってしまって、ダース君の力になれずにごめんなさい」


 シャイルが続いた。

 ダースが三人に向けて手を振る。


「いえいえ、お気になさらずとも結構ですよ。女子一人をこんな廃墟に残すわけにはいきませんからね。野蛮な獣も住み着いていることですし」


 ん? いま、ダース……。


「おい待て。俺のことか? おまえ、自分の正体を明かした途端にずいぶん偉そうじゃねえか。おまえ、俺の家来になるって約束してたよな?」


「僕はあれを約束ではなく契約と捉えている。そしてあの契約を守る意味はもはやない。だって、僕は君に守られる必要がないのだから。だから、僕はあの契約を破棄するよ」


 陰気な面がニヤリと笑う。


「テメェ……。いいぜ。素晴らしい! 最高だ! 最高にぶち殺し甲斐のある奴だぜ、おまえ。いますぐにでも決着をつけてやる。俺に嘘をついてだまそうとしていたこと、そして俺との約束を一方的に破ったこと、万死に値する。貴様を極刑に処す!」


「どこまでもプライドが高いんだね、君は。騙されそうだったではなく、騙されていたと認めたらどうだい?」


 陰気な面に浮かぶ黒い瞳に覇気が灯った。受けて立つということか。前回の戦いでは俺が追い詰めていたはずだが、仕切りなおせば勝てる自信があるのか。


「ちょっと、二人とも……」


 止めに入ろうとしたシャイルを押し戻す。


「イイ! 最高だ、テメェ! 綺麗事を並べ立てた偽物の説教はてんで駄目だったが、本心をさらけ出した後の挑発は切れ味抜群だぜ。この俺にも響いてるぜぇっ!」


 瞬間、俺の内側から何か熱いものが込み上げてきた。熱いというよりは、からいような何か。

 それはきっと、狂おしいほどの喜びと、ヒリつくような殺意。

 自分でも判別のつかない複数の感情が、それらと一体化せずにマーブル状に絡み合って、そして全身の毛穴から噴き出す感覚があった。


「――ッ‼」


 ダースの声にならない悲鳴が耳に届く。

 ダースはよろけて尻餅を着いた。


「おい、どうした。それでもE3エラースリーかよ」


「君こそ、そのオーラ……」


 指摘されて初めて気がついた。

 俺は真紅のオーラをまとっていた。

 白でもない。黒でもない。赤だ。真紅だ。


「何だ、これは。おい、ダース。白と黒は知っている。赤は何のオーラだ?」


「し、知らない……。世界でも報告例がない未知のオーラだ。ただ、僕は直感している。それはとんでもなくヤバいオーラだ。おそらく、君自身にとってもね……」


「ふうん……」


 赤いオーラには俺自身も驚いた。

 そのためか、先ほどのたかぶりも失せ、自然とオーラも退いていった。


 キーラたち三人は離れた所で抱き合ってガチガチと震えていた。

 俺のゲス具合は何度か見ているはずの彼女たちだが、オーラをまとっただけで何もしていない俺がそんなに怖かったのだろうか。


「安心しろ。本気じゃない。俺はおまえらを鍛えるために呼んだんだ。ダースとやりあって時間を無駄にするつもりもない」


 赤いオーラが完全に退いてから、ようやくダースが俺の元へ歩み寄ってきた。か弱い三人の少女が遠くにいることを確認しながら、耳打ちしてきた。


「エスト、あの赤いオーラが出たときだけは自制したほうがいい。もしかしたら、神にあだなす狂気のオーラかもしれない」


 ダースはそれだけ言って、闇の中へと姿を消した。


 三人の少女のうち、最初に立ち上がったのはキーラだった。ピョコピョコと俺に駆け寄ってきて口にした言葉に、俺は少し驚いた。


「ねえ、ダース君ってE3なの?」


「あ、ああ……」


 キラキラとした眼差まなざしに押される形で返事をしてしまった。

 しかし、これは教頭先生に口止めされていたことだ。ダースが力を隠す様子もないので俺が隠す意味もないと思うが、口止めされた相手が教頭先生だから、多少なりとも情報源には敬意を払う必要がある。

 それに、教頭先生を敵に回したら記憶を全消去されかねない。


「そうだ。ダースが四天魔のナンバーワンにしてE3の一人、闇の魔導師だ。だがこれはほかの誰にも口外するなよ。俺はおまえらのことを信頼しているから話すが、おまえらは絶対にほかの誰にも話すな。魔導学院の最高機密だからな」


 俺は教頭先生から刺された釘と同じものをキーラたちにも刺しておいた。

 ま、秘密っていうのはこうやってドミノ式に漏洩していくんだろうな。いずれドミノは分岐し、扇状に広がっていく。

 もっとも、教頭先生が記憶をどうこうできる範囲はせいぜいこの狭い箱庭内だけだろう。全世界の人間の記憶を消せるわけがない。相手に直接触れるなどの制約があるはずなのだ。

 だから、スパイや潜入工作員がダースに関する記憶を消されて任務を見失っていたとしても、報告するために学院を出れば再び外部からダースに関する情報を与えられる。

 記憶を消されたことに気づかれれば、次は潜入なしの襲撃だ。そろそろ小細工をやめて攻勢に出るべきだ。


 実際、俺たちはもうすぐ攻勢に出るわけで、そのためにも、いまはここにいる三人の少女を並の魔導師くらいには鍛え上げなければならない。


「おい、おまえら。スパルタでいくからな。覚悟しろよ」

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