第13話 意地悪な門

「ゲス! ドエス! 人でなしのろくでなし!」


「シャイル、残念ながら、どれもこれも言われ慣れている言葉ばかりだ。人の心を動かしたければもっと語彙力ごいりょくを増やしたほうがいい」


 シャイルはぷくーっと膨れてそのまま口を開かなくなった。ほおを突くと、頬袋は簡単にしおれてしまった。

 シャイルは目に涙を浮かべて俺をにらむ。


「シャイル。毒を持たないおまえはフグにも劣る。いくら頬を膨らませたって、所詮はこけおどしだ」


 俺が語彙の暴力を振舞うと、シャイルは俺の言葉をしばし吟味ぎんみした後、あきらめたように大きく息を吸って、そして吐き出した。


「もういいわ。あなたが決して人の心を気遣うことなんてない、鬼の魂から成っているということをいまさら思い出したわ。行きましょう。務めを果たしに」


 やればできるじゃないか。もっとも、俺が動じるほどの威力には届かないが。


 ところで、「意地悪な門」という言葉を聞いたとしたら、人はどんな門を想像するだろう。

 重すぎて開かない門?

 取手がない門?

 難解なパズルを解かなければ開かない門?

 鼠しか入れない小さな門?

 汚くて触りたくない門?


 目の前に立ちはだかる門は、そういった類の「意地悪な門」だった。

 入れないという点では、それらと五十歩百歩の代物だが、定義をも覆すという意味で、その門は「意地悪な門」を超越した存在ですらあった。


「ねえ、エスト君。これ、どうやったら開くの?」


「いや、開かねーだろ、これ。だって継ぎ目ないもん」


 その門には継ぎ目がなかった。つまり、どうあがいても開かないのだ。

 眼前に立ちはだかるのは扉ではなく、ただの壁。門ではなく、ただの柵であり、門の意匠が施してあるそれは、やはり壁でしかなかった。


 門が重すぎて力ある者しか開けられないというケースならばどこかの漫画で見たことがある。しかし、俺たちの前にある門は開かないのだ。

 ここを通るには、方法は一つしかない。


「シャイル。これ、壊していいよな?」


「駄目だよ! だって、この門だってダース君の家の一部なんだよ。それにたぶん、この門がないと……」


「イーターか? イーターの侵入を防ぐためにこんな構造になっているのか? ちょっと待て。おまえ、前に一度来たことあるんじゃないのか? そんときはどうやって……」


「待って。私はここに来たのは初めてだよ」


「だが道を知っていたじゃないか」


「前に来たときは途中で引き返したんだもの」


「なんだ、そうなのか」


 バツが悪そうに俺を見上げるシャイルだが、彼女の精霊のリムは、そんなのお構いなしにシャイルの足に寄り添うようにくつろいでいる。


「リム」


 シャイルは精霊に呼びかけ、そして門に沿って歩きだした。


「シャイル、どこへ行く気だ?」


「探すの。きっとどこかに本当の入り口があるはずよ」


「まどろっこしい! 壊さないまでも、空を飛んで門を越えればいいじゃないか」


「そんなの駄目だよ。勝手に人の家の敷地に侵入する行為は厳罰対象よ」


 この世界にも不法侵入なるものがあるというのか。その法がいかようなものか、俺はまだ把握しきれていない。


「エスト、ミスフォーチュンが近づいてくる」


 突然、耳に吹き込んだ風がエアの声を俺に届けた。

 エアの声には緊張が乗っている。俺も同じ緊張を乗せた声を張りあげた。


「シャイル、戻れ! ミスフォーチュンが来る!」


 賢明なシャイルは俺の声が届くと同時に精霊とともに急いでこちらへ走ってくる。

 しかし、間に合わない。俺はそう直感した。


 目に見えない何かが、ひた走るシャイルを横から飲み込む。

 それは霧のようで、霧ではない。霧は目に見えるが、それは目に見えない。ただ気配があるのみ。

 それは軟体動物が獲物を捕食するかのように、大口を開けて飛びかかり、シャイルをひと飲みにする。


「シャイルーっ!」


 シャイルが消えた。何もない空間へ、音もなく飲み込まれた。


「エスト! こっちにも来る!」


「ああ!」


 気配は感じる。目に見えない。そいつには姿どころか音も臭いもないが、こちらへ迫ってくることだけは感じ取れる。

 正面に空気の壁を作り出した。空気を構成する分子からいっさいの動きを奪うことで、流体は固体となる。


「なに⁉」


 空気の壁が、イーターの気配に侵食されている。まるで氷を火であぶって溶かすかのように、固定した分子が少しずつ解放されていく。それは魔法を無効化する力を持つのか、あるいは触れた物質に自分の命令を上書きするのか。


「くっ」


 ついに、空気の壁に穴が開いた。その一点から、イーターの気配が噴き出してくる。

 そして、それは俺を覆っていく。


 万事休すか?


 いや、この俺がやられるものか!


 だが、まだ手立てはない! 考える時間がいる。


 俺は即座に自分を空気でぴっちりと覆った。

 ミスフォーチュンは俺の空気の固定を解除してくるが、それは一瞬でせることではない。少しは時間が稼げる。その間に打開策を考えねばならない。


 猶予は、およそ十秒!


 対処するには敵の性質を突きとめる必要がある。あと九秒しかないぞ。


 シャイルは一瞬で姿を消した。空気の壁は削るのに時間がかかったのに。あと八秒。


 生体と空気とでは接触時の効果が違うのか。あと七秒。


 生体と空気の違いは、固体と気体。保有する熱。それから……。あと六秒。


 イーターの気配が空気の膜を侵食してくるのが分かる。猶予時間の誤差修正。あと四秒。


 分析するには時間が足りなさすぎる。最初にその判断を下すべきだった。あと三秒。


 ミスフォーチュンは空気の壁を削るのに時間がかかる。それを利用して脱出を図るべきだ。しかし今は全身を覆われている。あと二秒。


 間に合わない! あと一秒!


「くそっ!」


 あと……。


 己にきたる終焉しゅうえんを覚悟したとき、突如として後方へ腕をひっぱられた。チラとそちらに視線をやると、黒い空間が生じていた。その空間の向こうから伸びた手が俺の手首を掴み、グイと引く。そして俺はその腕に引かれるままに、暗黒空間へと背中から倒れこむ。

 ミスフォーチュンは俺の全身を空気越しに覆っていたはずだが、その空間も、そこから伸びる手も、ミスフォーチュンの侵食を受けつけることなく、俺を闇へと引きずり込んだ。


「エスト君!」


 一瞬、俺は目を閉じていた。

 気がつくと、俺は尻餅をついていて、そんな俺を心配そうに覗き込むシャイルの顔がすぐ近くにあった。


「生きていたか。どうなっている?」


「ダース君が助けてくれたんだよ」


 シャイルが上体を起こし、俺の後方を見る。

 それにつられて俺も後ろに振り返ると、そこには一人の少年がいた。


 黒髪のボサボサ頭が、黒縁メガネをかけている。垂れ目で、なで肩で、少し猫背。

 気が弱そうだ。


「おまえがダースか?」


「うん」


 こいつは見た目どおり、無口なタイプのようだ。


 俺はこいつに礼を言うか迷ったが、言わないことにした。

 こいつの家が変な門にしていなければ、俺やシャイルがこんな危ない目に遭うこともなかったのだ。


「おい、さっきの異次元ホールみたいなやつ、あれはおまえの能力か? あの門はどうなっている? 門のくせに開く所がなかったぞ」


「君の言う異次元ホールというやつが、うちの玄関なのさ。僕が承認しなければ開かない。それから、君はあれを門だと勝手に断定したようだが、それは早計だよ。だいいち、あそこにはどこにも『これは門です』とは書かれていなかったはずだよ。そういう早計な輩は、先入観や固定観念に強くとらわれる人間だ。きっと僕のことも見た目から根暗な人間だと判断していることだろう。しかし残念。僕はこう見えて前向きな人間なんだ。とりわけ哲学という学問においては、学生の身でありながら先駆者を名乗っても恥ずかしくないほどの知的探求をしてきたと自負しているくらいだからね。それに僕の知的探求は哲学に留まらないよ。ニュートンは林檎の落下を見て万有引力を発見したけれど、僕は柿の落下を見て万有引力を発見したからね。つまり、そういうことさ」


 こいつ……。


 いや、ここは抑えよう。

 見た目に反してよく喋る男だ。

 たしかにこいつの言うとおりの部分はある。俺はこいつを根暗な奴だと思った。ただしそれは、不登校という前情報もあったからだ。俺は先入観に囚われないよう普段から細心の注意を払っている。だから見た目だけで決めつけたということはない。

 ただ、こいつがこんなにも饒舌じょうぜつになれるとは思いもよらず、面食らってしまったのは事実だ。

 だが、こいつのことは微塵みじんも尊敬に値しない。むしろうさんくさい。こいつが自分で万有引力を発見したという話は意味が分からない。万有引力という概念を学ぶ前に自分でその存在に気づいたというのか? 柿の落下を見て万有引力を発見したというのは、ニュートンが林檎の落下を見て万有引力の存在に気づいたという逸話を知っていて、それをなぞっただけではないのか?


「ニュートンって何?」


「は?」


 シャイルはニュートンを知らないのか?

 聞き方からして、それが人名であることすら知らないということか?

 シャイルはクラス委員長の優等生だったはず。それがニュートンを知らないなんて。そんなことあるか?


 いや、逆だったとしたら……。

 俺はまだこの世界のことをよく知らない。俺の世界とは常識や歴史が異なると考えるほうが妥当だ。

 それに、精霊と契約して魔導師になれるなんて、これほど便利な世界において、俺の世界と同じレベルで科学が発展しているとは思えない。建物なんかも土の魔導師か何かが建てたと考えるべきだ。

 そう、おかしいのがシャイルじゃないとしたら、それはつまり……。


「ダース・ホークと言ったか? おまえ、何者だ?」


「その質問はおかしいよ。実におかしい。君は僕の名前を呼んだ。つまり僕が何者かを断定しているんだ。それでいて何者かとたずねるのはおかしいよ。分かっていることを自ら証明した後にそれを改めて質問する。僕にはその意図が分かりかねるよ」


 こいつ、うぜぇ。


「いや、やっぱりいい」


 こいつにミスフォーチュンのことも訊こうと思っていたがやめた。

 タイミングからしてシャイルや俺がミスフォーチュンに襲われていたことは知っているだろう。俺たちは絶妙なタイミングで助けられた。門の、いや、壁の外側の状況を把握してなかったわけがない。


「要求を撤回するんだね? 要求の撤回という行為は、相手に自分の意思が伝わって都合が悪くなった場合に取られる選択だ。君はいったい、どんな不都合を感じたんだい?」


「面倒になっただけだ。おまえの推理は穴だらけだ。見栄を張るのはやめろ。さっそくだが、用件を伝える。ダース、魔導学院に登校しろ。俺とシャイルはおまえを迎えにきたんだ」


「反論をさせないズルい話題運びだが、いまは従おう。登校はするよ。バトルフェスティバルにだけは注目しているからね」


「おまえ、バトルフェスティバルに出るのか?」


「どうだろうね。出るかもしれないし、出ないかもしれない。でも、おそらくは出ないだろうね。それで、君は出場するのだろうね。でなければ、僕という未知数の魔導師がバトルフェスティバルに出るかどうかに興味を持つはずがないし、警戒心をむき出しにした目で僕を見る必要もないからね」


「言っておくが、俺の目つきは元からこうだ。自惚うぬぼれるなよ、インコ野郎」


「インコ野郎とは、お喋りさん、という意味かな? たしかに僕は……」


「黙れ! おまえが喋っていると話がまったく進まん。俺たちはすぐに寮へ引き返す。置いていかれたくなかったら、すぐに登校の準備を整えろ」


「準備は整っているよ。整っているというよりは、必要ないと言ったほうがとうを得ているかもしれない。僕は身一つで寮へと向かうつもりなんだ。寮には僕の部屋が確保されていて、そこに着替えや生活用品がストックされているはずだからね」


 俺は舌打ちし、シャイルの手を引いて門へと向かった。

 結局、ダースの家を見ることはなかった。広大な敷地には木々が生い茂り、おそらくはその向こう側に邸宅が佇んでいるのだ。


 門の前まで来た俺は、再び舌打ちをした。

 拳に空気をまとわりつかせ、それに動きを与える。ドリル状に回転させ、ただの壁を門にすべく、打ち込む。


「うわわ、待って! 開けるから!」


 突如として黒い空間が生じ、俺もシャイルもそこに飲み込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る