第8話 ハーティ・スタック

 放課後。

 俺とシャイルは寮での支度を終え、ひきこもり野郎のお迎えに出発していた。

 道中、シャイルは俺に森の危険性をとくとくと説明していたが、それは釈迦に説法というものだ。


 森に潜む最大の危険はやはりイーターが多く潜んでいることだ。特に森のイーターは毒を持つ者が多いし、音を立てずに忍び寄ることにけている。逃げまわって遭難してしまう人も多いから、食料は多めに準備したほうがいい。

 そういったことを、まるでベテランの登山家のように熱弁している。

 ただ残念なことは、シャイルは森に慣れているわけではなく、どれも文献からの受け売りにすぎないため、どれもこれも説得力があまり感じられない。


 馬耳東風さながらに俺がシャイルの声を聞き流していると、校門の手前にてシャイルの能書きがピタリとやんだ。

 何事かと隣を見やると、シャイルが前方を見つめたまま、表情を強張らせていた。

 その視線の先にいるのは、二人組みの女子生徒である。

 ウェーブのかかったブロンドヘアーの高慢そうな女と、短い黒髪で一見ボーイッシュだが目が氷みたく冷たい女。

 そのうちの高慢女のほうがシャイルに詰め寄った。


「あらあら、クラス委員長殿ではないですか。あらぁ? 殿方とご一緒とは、大層なご身分で。あら、でもよくよく考えてみると、ここに在籍する殿方といえば、たいそう野蛮な害獣のような輩とうかがっておりますよ。クラス委員長殿は見境のない発情期のメス猿なのかしらねぇ。ああ、嫌ですわぁ」


 ブロンド女はシャイルをさげすむように見下ろしている。

 黒髪のほうは後方から終始冷たい視線をシャイルへと注いでいた。


「私とエスト君はそんな関係ではありません。これから先生のおつかいに行くので、道を空けてください」


 ブロンド女は動かなかった。

 言葉には出さないが、通りたければ実力でどかしてみろ、と態度で示していた。


「シャイル。こいつら、誰だ? 俺たちのクラスにはいなかったよな?」


「前学年時に私とクラスが一緒だった子たちよ。ハーティ・スタックさんと、あっちがイル・マリルさん。そのときも私がクラス委員長だったのだけれど、私って真面目すぎるところがあるから、仲良くしてくれていた彼女たちにも悪いことは悪いって注意していたら、いつの間にか……」


「そうよ。魔導学院で偉いのは、クラス委員長なんかじゃない。魔導師として実力のある者。四天魔だって、生徒会だからそう呼ばれているわけじゃなく、純粋に学院最強の四人だからそう呼ばれうやまわれているの。それを弱っちいあなたが偉そうに……」


 そうやって強い語気を飛ばしていたハーティ・スタックの声が、唐突に消失した。

 俺が彼女の口を真空の膜で覆ったのだ。音は真空中を伝播しない。

 膜はすぐに消した。一瞬声が消えたハーティは何が起きたのか理解できず、うろたえている。

 それはシャイルも同じだったが、俺の目的は、シャイルをかばうためではなく、ただハーティを一度黙らせることだった。


「おまえ、さっき、この俺のことを野蛮な害獣と言ったか? 俺と並んで歩くのは、見境のない女に限るのか? おまえ、言ったよな? 強い奴が偉いって。だったらおまえ、この学院で最も偉い俺に大変な無礼を働いたってことになるな。何か言うことがあるよな?」


 ハーティはいぶかな目で俺の言葉を聞いていたが、俺が返答を待つ姿勢を見せると、彼女は嘲笑めいた吐息を漏らし、先ほどまでシャイルに向けていた冷笑する視線を俺にまで向けてきた。


「学院で最も偉い、ですって? あんたが最強? あっはっは。腹がよじれるわ。まず、学院最強の魔導師は四天魔の方々で、学院には魔導師よりも強い魔術師がいるってのに。あたしはねぇ、口だけの奴が大嫌いなの。特にあんたみたいな小物がね。あんたなんか、最強どころか、あたしの足元にも及ばないでしょうよ」


 俺は我慢して聞いていた。ハーティの罪を値踏みするためだ。

 後方では、黒短髪のイル・マリルがさっきシャイルに向けていた氷の視線を今度は俺に向けていた。こいつも気に入らないが、もしかしたら生まれつき目つきが悪いだけなのかもしれない。


「万死に値する……」


「え? 何ですって? 声が小さくてよく聞き取れませんねぇ!」


「極刑に値する!」


 俺は執行する。

 ハーティを空気で包み込み、そして天高くに放り上げた。彼女は三階建て校舎よりも高く舞い上がり、そして自由落下を始める。


「きゃぁあああああ!」


 それは女としての恥じらいを忘れた本気の悲鳴。恐怖の鮮度が測れる代物だ。

 彼女と地面の距離はみるみる近づいていく。


「エスト君、あなたがやっているの? まさか! やめて!」


「安心しろ。刑を執行するだけだ」


 ハーティの落下に急制動がかかり、地面すれすれのところで止まる。彼女の見開く目は瞳孔まで開いている。

 だがこれで終わらない。再び彼女を天高くへと飛ばす。


「きゃっ、きゃぁあああああっ!」


 今度は上昇するときでも悲鳴をあげた。落下を始め、悲鳴はさらに大きくなる。命がけのチキンレースでもしている気分だろう。

 二度目の落下後、俺は彼女を地面に降ろしてやった。


「おい。言うことがあるなら聞いてやる」


 女は死神に鎌を振り上げられたかのような恐怖を顔に浮かべ、俺を見上げた。


「あり、ません……」


 どうにか搾り出したか細い声を、俺は聞いた。

 しかし、残念なことだ。


「不正解。俺が言ったのは、まだおまえに俺を罵る気力があるか、ということではない。謝罪するチャンスをやる、と言ったのだ。高慢ちきにはそれが分からなかったか?」


 彼女のブロンドヘアーは乱れ、ひたいには玉のような汗が浮いていた。呆然として言葉を失っている。


「正解を教えたのに、すぐに実行できないとはな。もう一回いっとくか?」


「きゃぁああああああああ!」


 三度目。

 天空へ急上昇し、直後に地上へと急降下する。静止したハーティの顔と地面との距離は指一本分。

 ハーティは手と膝を着いて四つん這いの状態で震えた。膝を着く地面に黒いシミが広がっていく。遠慮を知らぬ液体は、次から次へと脚を伝っていく。


「ご、ご、ご……」


「言葉が出ないか? だったら、地面を舐めてみろ。べつにおまえの作ったシミの部分でなくてもいいから、舐めてみろよ」


 いまにも崩れ落ちそうな両腕を折り曲げていく。ブロンドが地面に折り重なり、その間で乾いた舌が地面を撫でた。


「いいだろう。許してやる。次からは俺の前に立つときは態度に気をつけるんだな」


 俺はハーティの横を通りすぎ、そしてイルの横に立った。彼女の目に宿る氷はとっくに溶けて蒸発し、皿だけが残っていた。

 呆然と立ち尽くしている。


「無口で命拾いしたな。せいぜいツレを介護してやることだ」


 俺は校門を出た。

 シャイルがパタパタと走って俺に追いつくと、袖をつまんで俺を引きとめた。

 感謝の言葉でも送られるのかと思って振り向くが、そこに笑顔はなかった。


「エスト君、やりすぎ! いくらなんでもあれはひどいよ!」


「何を言っているんだ? 俺は何もしてないぜ。俺には重力を操る能力なんて持っていないからな。きっと局所的に風でも吹いたんだろう」


「嘘よ! あの場面であんなことをする人はエスト君しかいないじゃない! エスト君の能力は重力なのね? なんて恐ろしい能力なの……」


「嘘じゃねぇって。俺の能力が重力でないことは、いずれ分かるさ」


 ただし、嘘じゃねぇのは半分だけだけどな。

 何もしていないっていうのは嘘だ。


「エスト君、たしかに嫌な事はいっぱい言われたけれど、彼女たちは純粋な悪人ではないわ。人間は誰だっていい面と悪い面を併せ持っているものよ」


「それは違うぜ、シャイル。俺は悪い面しか持っていないからな」


 シャイルは呆れ顔で俺を見上げ、溜息をつく。

 今日二度目となるシャイルの溜息は、少し震えているようだった。

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