間章

第90話 白い仮面

 魔王に顔を焼かれたカラヴィアは、白い仮面を着けてフードを深く被り、大聖堂の通路を用心深く歩いていた。

 トワを探しに行けと云われて、一旦は大司教公国を出たカラヴィアだったが、この顔では変身しても意味がないし、外を歩くことさえままならない。

 大司教公国内でならば、ローブのフードを被っていればなんとかなるのだが、国外ではそうもいかない。

 それで仕方なく大聖堂に戻ってきたのだ。


 カラヴィアは大司教の部屋へ忍び込んだ。

 この部屋の奥の隠し部屋にポータル・マシンがあることを知ったのは、カラヴィアが大司教の部屋に宝玉を盗みに入った際、偶然見つけたからだ。

 大司教の部屋には鍵が掛かっていたが、鍵などカラヴィアには無意味だった。

 このポータル・マシンの転送先はラエイラの地下シェルターの奥にある『人魔研究所』だ。

 彼女はラウエデス祭司長やイドラが研究所の進捗状況を報告するためにちょくちょくこれで移動していることを知っていた。


 現在、大司教は『大布教礼拝』に同行しているため不在であり、彼女は堂々と部屋に入って行った。

 カラヴィアは大司教の部屋の隠し部屋にあるポータル・マシンに乗って、再びラエイラへ向かい、そこでイドラを探すつもりだった。

 おそらくイドラも『大布教礼拝』に来ているはずで、彼ならトワの転送先について知っているはずだと思ったのだ。


 カラヴィアが隠し部屋に入った時、ポータル・マシンが振動した。


「え、嘘…やばっ!」


 なんとそのタイミングで、ポータル・マシンに人が転送されてきたのだ。

 隠れなくては、と思ったがよく見るとそれは灰色のローブ姿のイドラだった。

 カラヴィアは人を顔形ではなくオーラの形で覚えている。

 顔をフードで隠してはいたが、それはイドラに間違いなかった。


 驚いたのはイドラの方だった。

 大司教の隠し部屋に、まさか人がいるとは思わなかったからだ。

 マシンから降りたイドラは、カラヴィアに向かって叫んだ。


「貴様、誰だ?ここで何をしている!?」


 カラヴィアは開き直ることにした。


「ヤッホー、アナタ、イドラっていうんでしょ?」

「何…?なぜ私の名を知っている?」


 イドラは身構えた。

 イドラの正体を知る者はここでは大司教以外いないはずだ。

 ところが彼は、相手の顔を見てぎょっとした。

 白い不気味な仮面を着けていたからだ。


「ああ、そんなに構えなくていいわよ。魔族同士じゃない」

「…もしや、地下から逃げ出してきたのか?」

「違うわよ、アナタに聞きたいことがあって」

「私に?一体何を…」


 カラヴィアは自分の仮面をずらして、焼けただれた顔をイドラに見せた。


「…その顔は…どうした?」

「ちょっとヘマしちゃって、魔王様に焼かれちゃったの」

「魔王に…だと!?」


 イドラはかつての自分と同じだと思い、カラヴィアにひどく同情した。


「おまえ、名は?」

「カラヴィアよ」

「カラヴィア…?どこかで聞いたような名だな」

「アハハッ、よくある名前だからね」

「それにしても、女の魔族がこんなところを1人でうろついているなど、不用心だ。ともかく一緒に来い」


 イドラはカラヴィアの手を掴んで、なかば強引に引っ張って行った。

 カラヴィアと名乗るこの魔族が何者であるかの前に保護しなければならないと考えたのだ。

 人間の国では特に、女性体の魔族が保護対象であることは魔族の常識である。イドラもその例外に漏れず、これまでも研究施設に女性魔族を渡さぬようにしてきた。


「どこへ行くの?」

「その火傷を治せる者がいる。ついて来い」

「治せる…?もしかしてトワのこと言っているの?」


 隠し部屋から出たところで、イドラはカラヴィアから手を離した。


「…なぜトワを知っている?」

「それはヒミツ」

「…カラヴィア」

「はぁい?」

「思い出したぞ、その名。魔王守護将の1人だな。たしか、女性体だったと聞いている。そうか、おまえのことか」

「アハハッ、なーんだ、バレちゃったんだ?ワタシも有名人なんだなあ」


 カラヴィアは仮面越しに笑った。


「貴様、魔王の手先か。私を追って来たのだな?」

「まあ、そんなとこよ。実はあなたに聞きたいことがあるの。大聖堂地下にあるポータル・マシンの転送先を教えて欲しいのよ」

「聞いてどうする」

「いいから教えなさいよ。ひとつはグリンブルのあの小屋だってことはわかってんの」

「おまえには教えん」

「えー!なによぅ、ケチ!」


 カラヴィアの口走ったことに、イドラは不信感を抱いた。


「トワのことは魔王から聞いたのか?」

「そうよ。魔王様がね、トワを見つけてこの火傷を治してもらいなさいっていうの」

「おかしな話ではないか。その顔を焼いたのは魔王なのだろう?」

「だ・か・ら!愛よ、愛!ワタシは罰を受けたけど、許されているのよ?」

「何を言っている。そんな顔にされて、何が愛だ。おまえは魔王が憎くないのか?」

「憎いっていうのは愛の裏返しなのよ?そーんなことも知らないの?」

「意味が分からぬ」


 イドラはカラヴィアの云うことが理解できなかった。

 こんな酷い火傷を負わされてまだ、魔王を憎まぬ者がいるとは信じられなかった。


「憎むのは相手が好きだからよ。そうじゃない相手には無関心でしょ?さっさと殺しちゃってるわよ。でもワタシは罰を受けても、生かされてチャンスを貰ったの。おまけにトワを探して治してもらえだなんてさ。優しいとしか言えないじゃない?」

「…どうかしている」


 このカラヴィアという魔族は、イドラとはまるっきり思考回路が違う。

 イドラは理解しようとすることを諦めた。

 それよりも気になることがあった。


「転送先を聞いてどうするつもりだ?トワは地下の私の部屋にいるはずだが」

「もうそこにはいないわよ。ポータル・マシンでどっかに転送されちゃったんだから」

「何っ!?それはどういうことだ?」

「だからそう言ってんじゃん。トワはもうここにはいないの!」

「そんなはずはない!」


 イドラは慌てて大聖堂の地下へと戻った。

 無人の地下の大浴場を通って行ったが、隠し扉には鍵が掛かっていなかった。


「トワがカギをかけ忘れたのか…?」


 イドラは不審に思ったが、そのまま地下道へと歩を進めた。

 その理由をカラヴィアは知っていたが黙っていた。

 イドラと揉めたくなかったからだ。

 イドラの後をついていくカラヴィアは、隠し扉の近くにトワが落とした鍵が落ちていたことに気付いたが、そのまま通り過ぎた。


 イドラは自分の部屋の扉を開けた。

 だがそこにはトワの姿はなかった。


「グリンブルに戻ったのか…?」

「向こうのマシンは壊れてたんだからそれはないわよ」

「誰かに連れ出されたのか?いや、この扉には特殊な結界が張ってある。普通の者は入って来れないはずだ…」

「なるほどね、どうりで見過ごしたわけだ」

「…ここへ来たことがあるのか?」

「…ま、まあね」


 本当は最初、ここへは<素粒子化>を使って、イドラの後をつけて来たのだったが、それは云わないでおいた。


「おまえが連れ出したのではあるまいな?」

「ち、違うわよぅ!」

「一体どこへ…」

「だからポータル・マシンでどっかに転送されたんだってば!わっかんない人ねえ!」


 カラヴィアとイドラはポータル・マシンのあった部屋へ向かった。

 だがそこにあったはずのマシンは無くなっていた。


「どういうことだ…?」

「たぶん、魔王様が修理するために持って行っちゃったんだと思うわ。魔王様は空間転移ができるから」


 イドラは愕然としていた。


「なんということだ…!」

「アナタならどこに転送されたか知ってるんでしょ?教えなさいよ」

「…知ったところでマシンがないのではどのみち追うことは出来ん。魔王がマシンを修理するのならば、いずれわかることだ。魔王の元へ戻ったらどうだ」

「それも考えたんだけどさあ、なーんかカッコ悪いじゃない?」

「その顔、早く治したいんじゃなかったのか」

「そりゃそうよ。でもこの仮面をつけてると全然痛みとかないから、つい忘れちゃうのよね~」

「…好きにしろ」


 イドラはポータル・マシンの部屋を出た。


「トワ…。あいつの元なら大丈夫か。なんとかしてくれるだろう…」

「ねえ、さっきの大司教の隠し部屋のマシンの方にその転送先って登録されてないの?あんたもよく使ってたじゃない?」

「あれはラエイラの『人魔研究所』との行き来のためだけに設置したものだ。他の転送先は登録されていない。それにこの部屋のポータル・マシンの転送先は大司教にも知らせていない」

「ふ~ん、そうなんだ?まあ、あの大司教サマはこんな地下なんかには来ないわよねえ」


 カラヴィアのこの発言が、イドラにはひっかかった。

 やけに内部事情に詳しすぎると思ったのだ。 

 それでふと思い立って尋ねた。


「…もしかして貴様が大司教の部屋から宝玉を盗んだ犯人か?」

「あー」

「そうなのか?」

「アハッ、バレた?」

「…やはりか」

「なかなか鋭いじゃない、アナタ。そーよ、ワタシは以前から潜入してたの」


 イドラは立ち上がり、カラヴィアに向き直った。


「おまえが盗んだ宝玉の中に、<記憶消去>という宝玉がなかったか?」

「あったわよ。大司教サマの引き出しから失敬した物の中に」

「…!それは本当か」

「ええ。もう手元にはないけど。まあ、それが原因でこんなことになったんだけど…」


 カラヴィアはそれをトワに使おうとしたことは云わずに誤魔化した。

 どのみち魔王に渡してしまって、今は手元にはないのだ。


「…やはりユミールはスキルを奪われていたのか…。魔王の言ったことは本当だったのだな…」

「うん?ユミールがどうしたって?」

「いや、何でもない。最初から宝玉目当てだったのか?」

「そういうわけじゃないわ。見つけたのは偶然よ。ちょっとしたお小遣い稼ぎにしようかなって思って盗んだだけよ。大目に見て?」

「別に、おまえを捕えようとは思っていない。謎が解けてスッキリしただけだ」

「あら、そう?アナタ、意外に話が通じるじゃない。なんであんな奴の言いなりになってるのかしら」

「あんな奴とは大司教のことか?」

「大司教だなんて偉っそうに。守護将の末席だったくせにさ」

「…大司教の正体を知っているのか」

「当然よ。元同僚だったんだから」


 イドラは知らないことだが、これまでカラヴィアはリュシー・ゲイブスとして、大司教に頭を下げて来た。自分より格下の守護将が人間に化けているのを最初は面白がっていたが、徐々にその横暴さが目に余り、鼻につくようになってきたところだった。


「…そうだな、私も奴に騙されていた。そのケリはつけねばならぬ」

「ね、だったらさ、あいつの化けの皮を剥いでやらない?」

「化けの皮?」

「そう。あの偉そうな大司教サマの正体を暴いてやるのよ。面白そうじゃない?」


 カラヴィアは白い仮面越しに含み笑いをした。

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