第19話 最悪な道程

 荷馬車はのどかな平野を走る。

 沈痛な面持ちでいた私は無言で、荷馬車の鉄格子越しに外の風景を見ていた。

 ふと、隣にいる無精ひげの中年の兵士からの視線を感じてチラッと見ると、向こうから話しかけてきた。


「あんた、何やらかしたんだい?その髪、まさか魔族ってことはないよな?まったく人間にみえるが」


 どうやら詳しい事情は聞かされていないようだ。

 答えるのも面倒なので黙っていたけど、あまりにもしつこいので仕方なく返事をした。


「私は人間だし、犯罪者でもないわ」

「へえ、じゃあどうして研究施設リユニオン送りなんかになるんだい?あんたみたいな奇麗な若い娘がさ。あそこに入ったら2度と出られないんだぜ」

研究施設リユニオンに入ったことあるの?」

「ああ、奴隷を搬入しに何度かな。あそこの祭司長、ちょっとイカレてておっかねえのさ」

「祭司長?」

「そう、偉い人らしいけど薄気味悪いんだ」


 確か、祭司長は4人いるとエリアナが云っていた。

 そのうちの1人というわけか。


 その時、馬車が急に揺れて、荷台にいた私は体を大きく揺さぶられた。


「おっとぉ…」


 同乗していた兵士も思わず馬車の鉄格子を掴んだ。

 鉄格子越しに外を見ると、大勢の人が道の真ん中にいるのが見えた。

 彼らは横断幕のようなものを持って、何かを口々に叫んでいた。

 文字が読めない私には、横断幕に何が書いてあるのかわからなかった。

 馬車が揺れたのは、彼らを避けるためだった。


「あれは何なの?」

「ありゃ人魔じんま同盟だな。道を塞いでこんなとこで集会かよ…まったく迷惑な連中だ」

「人魔同盟?」

「人間と魔族の共存を唱える連中さ。最近増えて来ててな。さすがに首都で活動すると捕まるから郊外で抗議運動してんだな」

「へえ…」


 この世界にもデモみたいなものがあると知って驚いた。

 魔族排斥を教義にしてる国で、人間と魔族の共存を訴えるなんて、勇気がある団体だ。


「おそらく研究施設リユニオンに対する抗議なんだろうよ。あそこが魔族を人体実験してるってのは有名だからな」

「…やっぱりそうなのね」

「ああ。あんたみたいな若い娘があんなとこ行ったら何されるかわかんねえぜ。この前もアトルヘイムの軍隊が捕獲した魔族の大物を移送するってんで大騒ぎになってたからよ。その魔族の相手でもさせられんじゃねえのかな」

「相手?」

「そりゃ決まってんだろ」


 兵士はニヤニヤして、やたらじろじろと見てくる。その目がすごくいやらしい。

 なんだかいやぁな予感がする。


「なあ、魔族に犯られちまう前に俺といいことしねぇか?」

「はぁ?」


 予想通り、やっぱりこの兵士はろくでもないヤツだった。

 ぐいぐいと距離を詰めてくる。


「どーせ研究施設に行ったら2度と出られないんだ。だったら今のうちに楽しんだ方が得だろ?なあ、いい気持にさせてやっからよ」


 兵士は私の膝に手を伸ばしてきた。


「ちょっと…!触らないでよ!大声出すわよ」

「叫んだって誰も来ねえよ」

「やめて!誰か…!」

「へへ、大人しくしなって」


 兵士が私に覆いかぶさって来た。

 酒臭い息が首筋にかかる。

 一気に悪寒が走った。


「やだ、助けて!カイザー!!」


 私は一瞬目を瞑って、そう叫んだ。


 ドカッ!


 鈍い音がして、目を開けた。

 目の前にいたはずの兵士が、荷台の鉄格子にはりつけになって気絶していた。


「えっ?」


 私の目の前に立っていたのはイケメンすぎる青年魔王だった。

 背が高すぎるために、背中を丸めて立っている。

 それはもちろん擬態したカイザーで、彼が兵士を私から引き剥がして殴り飛ばしたのだろう。


「ふん、下郎が」

「カイザー…!」


 彼の姿を見た私は、安心して全身の力が抜けてしまった。

 カイザーは気絶している兵士の腰に下がっていた鍵を奪い、荷台の鉄格子の扉を開けた。そして兵士の襟首を掴んで片手にぶらさげ、走る馬車の荷台からまるでゴミを捨てるみたいにポイッと投げ捨てた。

 路上に投げ捨てられた兵士の体は地面を転がり、馬車の移動と共に小さくなって見えなくなった。


「ふん、あれくらいでは死なないだろう」

「あ…ありがと…」


 魔王に擬態したカイザーは、私の前に跪き、両腕にかけられた縄を軽々と引きちぎった。


「怪我はないか?」

「うん、助かった…」


 あんな痴漢みたいなオッサンに触られるなんて、考えただけでもゾッとする。

 カイザーがいなかったら、今頃どうなっていたかと考えると、無意識に体が震えた。

 カイザーはそんな私の頭に手を乗せ、ヨシヨシと撫でた。

 彼の顔を見たら、なんだか泣きたくなった。


「うー!こういうときはハグしていいのよ!」


 私は青年魔王の胸に飛び込み、抱きついた。

 彼は私を受け止めて、そっと抱き返してくれた。


「これがハグか」

「そうよ。ハグしてって言ったらこうするの」

「わかった」

「…あんたが人間だったら良かったのにな…」

「さすがにそれは無理だな」

「…冗談よ」


 しばらくそのまま、カイザーと抱き合っていた。

 体の震えが収まり、体を離そうとしたら、ガッチリと抱きかかえられていて身動きが取れなくなった。


「ちょっ…もういいわよ」

「…まだいいだろう」

「もういいって!私、5日もお風呂入ってないんだから!臭いよ?」

「臭くない。良い匂いだ」

「ぐは…」


 そうだった。

 彼の中身はドラゴンだから、人の体臭などあまり気にしないのだろう。


「おまえの体は柔らかいな。このまま力を入れたら壊れてしまいそうだ」

「怖いこと言わないでよ…」


 一向にカイザーは離してくれない。

 これじゃハグっていうより完全にホールド状態だ。

 コイツにロマンチックな雰囲気なんて期待した私がバカだった。


「ちょっと!もういいから、離して!」


 私は全力でカイザーの胸を押し戻した。

 すると、やっと彼は解放してくれた。


「もっとずっとしてても良いのだが…」

「はいはい、わかったから…でも、おかげで落ち着いたわ」

「…ふむ。これは良いものだな」

「ハグが?」

「うむ。おまえの体温を感じられるのが心地よい。不思議なものだ。人型になると感じ方も変わるのだな。もしやこれは擬態主の影響なのか?」

「…あんたの体はどっちかっていうとひんやりしてるけどね」

「温かい方がよければそうするが?」

「あー、寒い日はそうして」


 そんなやりとりをしつつも、馬車はかなりのスピードで走り続けた。


「そういやさっきの兵士、投げちゃったけど平気かな?」

「大丈夫だ。先程から馬車の一台も通っておらぬほど辺鄙な場所だ。多少の時間は稼げる」

「…もしかして、あいつに変身しようと思ってる?」

「もちろんだ。施設に着いたらあの兵士に擬態して、隙を見ておまえを連れて逃げてやる。安心しろ」


 カイザーは最初からそのつもりだったのだろう。

 逃げるとしたらたぶん、そのタイミングしかない。

 だけど、私には気になることがあった。


「それなんだけど、逃げる前に研究施設の中を見てみたいの」

「ぐずぐずしていると逃げそびれるぞ。それに危険ではないか?」

「さっきの兵士が言ってたことが気になるの。魔族の大物が捕まったって…。もしかしたらサレオスさんみたいな名のある魔族かもしれない」

「それを助けようというつもりか?」

「…できるなら」


 カイザーはフン、とため息をついた。


「魔王に恩を売るつもりか?」

「そんなんじゃないよ。これから行く施設がどういう場所なのかわからないけど、前線基地で助けたように、もしまだ命があるなら助けたいじゃない」

「物好きだな。どんな奴かもしれぬのに。助けたところで人間のおまえを逆恨みして、礼すら言わぬやもしれんぞ?」

「別にいいよ。感謝されたくてやってるわけじゃないし。それほど酷い目に遭わされたってことでしょ?」

「…冗談だ。魔王の忠臣には、命を救われた相手を無下にするような礼儀知らずはおらぬ」


 カイザーは立ち上がって、擬態を解こうとした。


「あ、待って!気持ち悪いから擬態するのは降りる直前にして」

「…わかった」

「あと、人間の前ではネックレスに戻らないでね。いいっていうまで擬態の姿でいること。わかった?」

「承知した。おまえの命ずるままに」


 陽が傾いて来た頃、馬車は集落の入口に着いた。

 警備兵が何人も立っていて、なかなかにセキュリティが厳しく、荷馬車の中まで調べられた。 

 その集落は、研究施設リユニオンで働く人々のために作られた村で、奥には巨大なドーム球場のような建物が見えた。

 それが研究施設リユニオンだった。

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