第6話 話し合い


「なにか、私に言うことは?」


 椅子に腰掛け、足を組む。濡れた髪先から滴り落ちた水滴が衣裳に吸い上げられていくのが不愉快だと思いながらも紫苑は目下のつむじを睨みつけた。


「お前、そうやって女帝っぽい振る舞いするからなよなよした男どもに好かれるんだよ」


 土下座をした態勢だと言うのに英峰は舌打ちし、偉そうな態度を見せる。まったくもって反省の色はない。


「私、大人しくって言ったよね? なんで鳳凰宮を歩き回ってるの?」

「興味があったから」


 あっけからんと発した言葉が癪に障り、容赦なく、紫苑はそのつむじを踏みつける。


「興味があったから、鳳凰宮を歩き回り、宮女や侍女にちょっかいをだして、庭の花を折って、いらなくなったから回廊ろうかに捨てて? 更にすれ違った宦官に間食を持って来いと命じていいと思ったの?」


 紫苑の視線の先には盆に乗せられた砂糖菓子がある。英峰が「慶王様がご所望している」とうそぶいて、用意させたものだ。


「鳳凰宮って来たことないから見てみたくって」


 全く持って反省もしていない声色に紫苑は踏みつける力を強めた。話し合い床に額が触れないよう抑えたつもりだったが、部屋のすみで縮こまっていた天凱には本気に見えたようだ。

 慌てて駆け寄ると英峰のすぐ隣で土下座しようとする。


「慶王様、やめてください」

「だが、私がきちんと監視していればこんなことには……!」

「いや、英峰ってもういい歳なんだから監視がなくても言いつけは守らないとおかしいんですよ」


 紫苑は英峰のつむじから足をおろした。椅子から立ち上がると英峰の前まで移動して膝をつく。


「……で、どうして浴室まで来たの?」

起居注官ききょちゅうかん——えっーと、後宮は彤史とうしっていったかな」


 起居注官とは慶王の生活や言動を事細かく記録する官吏を指す。


「彤史は女官が務めているんだけど、後宮で起こった事を書くのが仕事なんだよ」

「うん、そう聞いてるけど、それが関係してるの?」

「その仕事の一つにさぁ、皇后が夜伽する時の事も書かなきゃなんなくて」


 紫苑はぴしりと固まった。


「ヤッてる時の会話だの仕草だの見られるの嫌だろ?」

「……嫌に決まっている」

「だから、俺もついてきたんだよ。天凱こいつだけだと追い払うの失敗しそうだし、伝言をきちんと介してくれるかも怪しいし」

「なるほどね。きちんと意味ある行動だったんだ」

「まあな。今日はそいつ追い払ったし、明日以降は俺が務めるって言ったから安心してくれ」

「あなたがいると心強いから助かるけど、鳳凰殿にいる間、余計なことはしないでね」

「心外だな。余計なことなんて一つもやってないだろ」

「花を折ったこととお菓子は必要ないでしょ」

「……まあ、そうともいうな」

「そうとしか言わないよ」


 はあ、と紫苑は長息する。入浴中に突撃されたことと侮辱の言葉を投げられたことは許しがたいが、そうするしか方法はないと言われたら納得するしかない。


「早く、話し合いをはじめましょう」


 紫苑は立ち上がると続き間となっている臥室しんしつの帳を持ち上げた。途端にふわり薫る甘やかなお香に毒々しいほどにきらびやかな内装が視界いっぱいに飛び込んできた。


「すげぇな。こんなところでヤるとか目が潰れそう」


 臥室に入って早々、英峰は物珍しげに内装を細かく観察した。柱と壁、臥台、絨毯に至るまで喜色である黄色に染め上げ、黄金を溶かして描かれた紋様は燭台の灯りにまばゆく輝いている。その光景は確かに目が潰れてもおかしくはない。


「ここで普段から寝てんの?」

「いや、ここは慶王様と夜を過ごす時用らしいよ。私が普段寝ているのはもっと普通なところ」


 ふうん、と鼻を鳴らすと英峰は絨毯の上に寝っ転がった。

 天凱が困った風に眉をひそめるが、紫苑はいつものことだと無視することにした。こういうことでいちいち叱っていては疲れてしまう。


「慶王様はこちらの椅子をお使いください」

「ああ、ありがとう」

「飲み物はお茶でよろしかったですか? お茶菓子も置いておきますね」

「すまない」


 天凱が少しでも過ごしやすいように世話を焼いていると英峰が妙に優しい目を向けていることに気がついた。


「なに、あなたも欲しいの?」

「あのクソガキを探すためなのに、面倒なことに巻き込まれたなって思ってさ」


 なにがとは言っていないが姫春妃殺害の件を指していることは明白で、紫苑は「ああ」と遠い目をする。


「どう考えても他殺だし、複数犯っぽいから大変そうだよね」

「そのことなんだが」


 おずおずと天凱が唇を開く。紫苑と英峰はそろって天凱の方を向くと、言葉の続きを待った。


「……同時に探すのは大変だろうし、紅琳の件はいったん置いておいて、姫春妃の件から取り掛からないか」

「なぜ、と聞いても?」

「紅琳は、私が駄目な慶王を演じているうちは安全、だと思う。姫春妃の件は、分からない。人を殺した人間を放っておく方が危ない」


 確かに一利ある。紅琳を連れ去ったのは、恐らくだが天凱を玉座から引きずり下ろしたい連中だ。末皇子が成人するまで、天凱の世間からの評判を地に落としたいはず。

 天凱が暴虐の限りを尽くし、仕事を放り投げ、気に入った娘を無理やり皇后にして、更に後宮で起こった殺人事件も関与しなければ、彼らの望む通りになる。

 今の時点で世間の評価は末皇子に傾いているのだから。


「それは駄目だ。両方一気に調べてつつくぞ」


 英峰だけが抗議の声をあげた。


「しかし、紫苑さんに負担がかかる」

「いい。こいつは負担がかかればかかるほど、いい動きをするんだ」


 なあ、と聞かれたので紫苑は頷く。言い方はなんであれ、ここで嫌がる素振りを見せたら天凱は最後まで反対するだろう。


「……紫苑さんが大丈夫なら、いいんだが」

「慣れていますので」


 ならいいんだ、と天凱は小さく頷く。その表情は納得しきれてはいないようだが、紫苑は気付かないふりをして、唇を開く。


「どうやって調べ始める?」


 英峰は少し考え込んでから答えた。


「まずは姫春妃の件だな。俺達に報告された件は四つ、〝身体は百以上に分割されていた〟〝深夜から朝にかけて後宮内にばら撒かれた〟〝姫春妃は心身を病んでいた〟〝最後の目撃情報は肉塊が見つかる二日前〟。相違はないか?」

おおむねあってるよ。追記するなら〝姫春妃は誰かに怯えていた〟かな」

「それはどこからの情報だ?」

「司馬冬妃。昼間に少しだけ話をしたんだ」


 天凱はその名前に目を細めた。


「確か二人は同郷だったはずだ。後宮でも仲良くしていると聞いたことがあるが、彼女に心当たりはないのだろうか」

「ないと言っていました。ただ、姫春妃は〝どうして、こうなったの〟と後悔しているような言葉を言ったと」

「……後悔か」


 思い当たる節があるのか天凱は顎をさする。


「おかしいとは思ったんだ。姫春妃は穏やかで、誰かから恨みを買うような人じゃないから」

「それはお前から見たらだろ。女の本心なんて分からないぞ」

「少なくとも宦官達からの評判は良かったようだよ。誰かに騙されて、口封じに殺されたのだろう」 


 英峰、と紫苑は幼馴染の名を呼ぶ


「なんだ?」


 ごろん、と質の良い絨毯に頬を滑らせながら英峰は不思議そうに紫苑を見上げた。


「回りくどいのって嫌いなの。あなたが今の時点で、今の情報で、考えたこと、思いついたことをつまびらかに話して」


 これでも長年、一緒に過ごしたのだ。幼馴染が意図的に話すのを避けていることは明らかで、紫苑は目尻を鋭くさせた。


「……まだ、纏まりきらないんだが」

「話しながら纏めればいいじゃない」


 猛禽のような獰猛な目で睨まれれば、さすがの二枚舌でも保身に走ることはできない。紫苑のおかげで耐久性はあるが、痛みに強いわけではない英峰は、じわりと全身が汗ばむのを感じた。この目をした紫苑が容赦ないことは、経験からよく知っていた。


「姫春妃がばらばらに解体されたのは、見せしめの意味が強いんだと考えてる」


 姫春妃の体は全て、拳程の大きさに切り分けられていた。それを後宮の各地に、まるで見つけてくださいとでも言いたげに捨てられていた。隠蔽工作や運搬のためではなく、見せしめと考えるほうが辻褄つじつまが合う。


「見せしめとは誰にだ」


 天凱の問いかけに、英峰は肩を竦めてみせる。


「そこまでは……。姫春妃を殺すことで大打撃を与えれる相手としか。でも、解体に加担したのは複数人。最低でも三人で、宦官もいると考えたいい」


 道具を使用しても人間を解体するなどそう簡単にはできない。特に姫春妃は骨や筋肉まで断絶されていた。女だけでは不可能だ。


「肉塊はばらばらにされてて、組み立てるのは不可能。医官の協力の元、なんとなくで場所を当てさせているけど、あれじゃ死因の特定はできないな」

「死因の特定?」

「お前は本当に脳筋女だよな。毒なら盛った奴らの手元に証拠のブツがある可能性が高い。首を絞めたり、刺殺した場合だと相手の腕や身体に姫春妃が抵抗した痕が残るんだよ」


 英峰は仰向けの体勢になると天井を見つめた。


「情報が足りない。何もかも」

「茶会を開くのは?」

「茶会だと?」

「元々、開く予定だったの。長公主様を探すために、まずは彼女たちと仲良くなろうと思ってさ」

「私もいい案だと思う。と言われそうだが、そこは私が強く勧めたことにすればいい」

「慶王様もこういっているし、どう?」

「英峰、どうだろうか?」


 んー、と英峰は鼻を鳴らす。英峰としても茶会を開くのは賛成だ。警戒心がいかに強くても人という生き物はその場の雰囲気に流される。緊迫した空気に耐えきれず、なにか情報を洩らすかも知れない。洩らさなくても紫苑が皇后として君臨するためにはある程度の親交は必要だろう。


「いいと思うが無理に季妃どもを迎え入れるのは危険だ。予想できる会話の流れ、内容、やつらの返答を事細かく考える必要がある」


 怖いもの知らずな英峰とて都合の良い駒——否、幼馴染を必要以上、危険に晒すことはできない。紫苑の方が身分は上でも狡猾こうかつさは季妃の方が上だ。

 気は強いが温和な幼馴染が万が一にでも後宮で命を落とせば、確実に紫苑の祖父である崔大将軍に自分は殺されるだろう。


 自身の保身を主な理由に、また紫苑を守るために英峰は策を捻るのだった。


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