第20話

「俺に触るな! カマルさん! 待って!」


 廊下を駆けていくカマルを追いかけようとしても厚塗りの美女が腕を掴んで遮って来る。美女を振り払ってカマルを追いかけて王宮から出たセイジは、王城の門から出て城下町を見下ろしていた。

 身体能力では明らかにセイジの方が勝っているが、カマルはペンデュラムを使うことができる。ペンデュラムの導きでセイジの分からない方向に逃げられたのだとすれば、追いかける方法がない。

 はっきりとカマルには「愛している」と告げたはずだったが、カマルの中ではまだセイジの愛を受け取るだけの準備ができていなかったのかもしれない。


「違うんだ……カマルさん。確かに俺は過去は褒められたものじゃない。だけど、カマルさんに出会って全てが変わったんだ」


 届いているのか分からない。カマルはどこにいるのかも分からない。そんな状態で言い訳をしてもどうしようもないと分かっているが、セイジは口に出さずにはいられなかった。

 どこかでカマルは聞いているかもしれない。


「カマルさんだけを愛している。カマルさんだけを求めている」


 門を守る騎士に同情的な目で見つめられながら、聞いているとも分からない相手に愛を囁くセイジの姿は滑稽だっただろう。

 つんっとセイジのローブの袖が摘ままれる気配がした。

 振り向けばカマルが立っている。


「カマルさん、戻って来てくれたのか?」

「えっと……勢いで城を出てしまったけれど、行くところがなくて、ここに立っていたんです。セイジ様には私が見えていないみたいでした」


 山の麓の街が魔族に襲われたと知ったときも、カマルは逃げ出して姿をくらましてしまった。探してもセイジの目に映らなかったのは、何か原因があるようだ。


「そのペンデュラム、もう一度見せてもらっていいか?」

「はい」


 首からカマルがアメジストのペンデュラムを外して見せてくれるので、セイジはそれを手の平の上に乗せてじっくりと検分する。セイジの使う魔術とは全く違う神聖な力が宿っているのは分かるが、専門ではないので詳しいことは分からない。


「前の持ち主であるカマルさんのお母さんを失ってから、カマルさんが逃げたいときには相手に見つからないようにする能力でも身につけたかな」

「私、セイジ様の真後ろに立っていたんです。セイジ様は私に気付かずに通り過ぎて、私に語り掛けるように話していらっしゃるから……」


 アメジストのペンデュラムをカマルの手に返すと、カマルはそれを首からかけた。豊かな胸の前でアメジストのペンデュラムが揺れている。


「虚空に向かって言っていたことは本当ですか?」

「本当だ。愛しいと思ったのはカマルさんだけだ。カマルさんだけを愛してる。カマルさんを手放すなんて考えられない」


 この手にカマルを閉じ込めたい。

 正直に全て話してしまうと、カマルが嬉しそうに目を細めて顔を上げる。


「私も、セイジ様を愛しています。あの女性が現れて、セイジ様と熱い一夜を過ごしたと聞いたとき、私は嫉妬したのです。それではっきりと分かりました。セイジ様のものになるだけではなくて、私もセイジ様を私のものにしたい」


 やっと心が通じた気分だった。

 愛を朧気にしか理解していなかったカマルが、セイジを自分のものにしたいという独占欲まで出して、セイジを求めている。


「結婚しよう!」

「はい、セイジ様」


 快い了承を、セイジは今度こそ完全に信じることができた。

 カマルはセイジを求めていて、セイジもカマルを求めている。

 愛し合う二人の間に障害など、あるかもしれないが、全てこれから乗り越えていけるものだと確信できる。


「まずは帰ろう」


 手を差し出すと、カマルはセイジの手を握った。



 移転の魔術で山の中の小屋に戻ると、暖簾で区切られているだけの脱衣所でカマルと脱がせ合いながらセイジは口付けをする。

 今頃イオは王都の王宮で晩餐を食べているはずだし、邪魔をするものは誰もいない。

 狭いバスルームに二人で入って、口付けを交わしながらシャワーから流れる熱いしぶきに打たれる。お互いの身体を泡立てたボディソープを手で塗りつけて洗い合って、髪も洗って、雫を垂らしながら階段を駆け上り、ベッドに倒れ込む。

 夕食も摂っていなかったが、それよりも今は愛を確かめ合いたかった。

 しっとりと湿っているカマルの肌を撫でて、体中に口付けを落としていく。


「愛してる、カマルさん。好きだ」

「セイジ様、私のことはカマルと呼んでください」

「カマル……俺のカマル」


 胸に、首筋にセイジの唇が触れ、滑らかな肌をセイジの手が撫でるたびに、カマルの口から甘い嬌声が漏れる。初めてのときには緊張していたカマルも、セイジの愛撫に慣れてきたようだ。


「セイジ様、愛しています」

「俺もだ、カマル」


 愛しい体を抱き締めて、セイジはカマルと愛を交わし合った。

 抱き合った後の心地よい気怠さの中、眠りに落ちたセイジは、カマルの胸に顔を埋めていた。とくんとくんと鼓動が聞こえて、それを耳にするたびに心が落ち着いてくるのが分かる。

 結界を見張るためにも眠りが非常に浅いタイプのセイジだが、カマルの心臓の音を聞いていると深く眠りに落ちることができた。

 ぐっすりと眠ってしまっていたので、セイジは気付いていなかった。

 イオが帰って来た気配に。


「師匠! カマルさん! 今帰りましたよー!」


 イオの足音は小さいとはとても言えない。その上結界を通って来るのだから、セイジが気付かないはずはなかった。階下で物音がするたびに浅い眠りから覚める体質なのに、深く眠ってしまっていたセイジは、イオの声で飛び起きた。

 カマルも同じく起きたようで慌てて衣服を纏っている。

 時間も遅いのでパジャマとネグリジェ姿でもおかしくはないのだが、その姿で同じ部屋から出て来るというのはさすがに抵抗があった。


「カマルさんはここにいて」

「で、でも」

「いいから」


 セイジ一人で一階に降りていくと、イオがルームシューズに履き替えて不満そうに唇を尖らせてテーブルについていた。


「王宮の晩餐は量が少ないし、順番でなかなか出てこないし、つまらなかったのです」


 不満そうなイオに、セイジは「お、おう、そうか」と返事をする。多少寝乱れた姿でもイオは見慣れているはずなので、それほど気にしなくてもいいのだが、どうしても挙動不審になってしまうセイジに、イオが「あ!」と声を上げた。


「カマルさんといいことしてたんですね!」

「いや、そ、それは……」

「イオがいないのをいいことに、なにをしたんですか!? 特大ハンバーグを焼いたんですか!? お菓子パーティーをしたんですか!? 酷い! イオも参加したかった!」


 見抜かれたかとぎくりとしたセイジだったが、イオの観点は全く違うものだった。

 言われてみれば晩ご飯を食べる間も惜しんで抱き合っていたことに気付いて、セイジのお腹も情けなくきゅるきゅると鳴きだす。抱き合うのはかなりの重労働だから、カマルもお腹が空いているに違いない。


「イオ、お前、先にシャワーを浴びてろ。特大ハンバーグパーティーしてやる」

「本当ですか! イオはすぐにシャワーを浴びるのです!」


 イオをバスルームに追いやっている間に、セイジはカマルに声をかけて自分の部屋に一度戻るように促した。部屋に戻って身なりを整えたカマルがリビングに出て来る。

 シャワーを浴び終わったイオは嬉しそうに特大ハンバーグが焼き上がるのを待っている。手伝おうとするカマルに、セイジは座っているように言って、特大ハンバーグを焼き上げて、温野菜のサラダも作った。


「国王陛下は魔族との和睦に応じるつもりみたいでしたが、魔族に条件を付けようとしていたのです」

「条件とは?」

「これまで人間を虐げようとしていた分の賠償金を支払うようにと」


 賠償金と言っても魔族から国王陛下に支払われるのであれば、被害を受けたもの達に行き渡ることがない。王宮だけが潤うような条件を魔族に飲ませるのはセイジは納得しがたかった。


「イオがビシッと言ったのです。そのお金、イオがもらいますと」

「はぁ!?」

「イオが魔王を倒したのだから、イオがもらっていいはずでしょう? イオはそのお金をこの国の貧しいひとたちが美味しいご飯を食べられるように使ってもらうのです」


 使い方を誤れば、王宮を真っ二つにする。

 そう言って国王陛下を脅して、ついでに晩餐のテーブルを真っ二つにしてイオは帰って来たのだと語った。


「イオらしいといえばイオらしいが……」

「なので、カマルさんは何も気にしなくていいのですよ。特大ハンバーグを食べましょう!」


 ナイフを構えたイオに、セイジは別に焼いておいた小さめのハンバーグをカマルのお皿の上に乗せる。自分の分も別に焼いておいた。

 これからもイオとの生活は続きそうだが、セイジに文句はなかった。

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