第14話 決意と迷い

「貴女は馬鹿ですか?」カークウッドが小声で言う。

「な、なによ。いきなり」オフィーリアはむっとして言葉を返した。

「お供に私を選んだこともそうですが、近衛騎士を部屋から追い出すなんて」


 カークウッドは呆れ果てたといった様子で頭に手を当てる。


「でも、魔眼を使うところは部外者に見られたくないでしょう?」

「なんで私が魔眼を使うと……いえ、そういうことではなくて。私は貴女を暗殺する依頼を受けているのですよ。この場で殺されるかもとは考えなかったのですか? この状況なら、貴女を殺してあの男のせいにしてしまうこともできるのですよ」


 そう言ってカークウッドは椅子に縛られた庭師を見る。身動きがとれない状態でも、いきなり暴れ出して拘束を抜け出した……という演出は可能だ。構成式を少し壊してやれば、庭師を狂気に陥れることができるだろう。突如、狂人と化した庭師がオフィーリアを殺したことにできるのだ。


「貴方はしばらくあたしを殺さないと言ったでしょ。そういう約束は守る人だと思ったけど違う?」

「それは……」


 依頼人の件がはっきりするまで手は出さない。それは確かにカークウッド自身が決めたことだ。そして〝人形師ドールメーカー〟は依頼人の手のひらで踊ることを良しとはしない。


「それに、ここでは誰が味方か分からないもの。あの人だってあたしを殺しに来るかもしれないでしょ」


 オフィーリアは扉へ視線を向ける。メイナードの事を言っているのだ。


「なら、貴方の方がまだ信用できるわ。それにあたしは自分の置かれている状況が知りたい。貴方は貴方で調べることがある。どっちにも利益があって、おかしな行為だとは思わないけど?」


 彼女の言っていることは間違ってはいない。そもそも誰が敵か分からないのに王宮に乗り込んで来たのも、自分を殺そうとする可能性がある人間は皇族か、その関係者だとオフィーリアなりに考えたからだろう。危険を冒しても離宮にいては得られない情報が、ここなら得られるかもしれない、と。

 そしてカークウッドを連れてきたのも少なくとも今は・・・・・・・彼女の身を守ってくれると考えたからだろう。庭師の時のように。


「まったく、貴女は馬鹿なのか、賢いのか分かりませんね。でも――」そこで一度言葉を止める。「度胸がいいことだけは認めます」


 カークウッドは苦笑してみせた。オフィーリアも笑顔を返す。


「さて、では少し見てみましょう」


 庭師に近づくと、カークウッドは髪を掴んで顔を上げさせる。庭師は視点の定まらない目をしていた。相変わらずぶつぶつと呟いている。

 カークウッドの右目に青白い炎が宿った。魔眼を通し庭師を見る。


「これは……すでに魔術は解かれている」


 オフィーリアを襲った時、庭師の額には構成式とは違う別の〝何か〟が張り付いていたのを、カークウッドは覚えている。

 構成式とは違う幾何学模様の集まりが、額に覆い被さり食い込んでいた。あれは魔術の術式だ。


 カークウッドの右目から炎が消えた。椅子の横に置かれた水瓶から桶を使って水を汲み出し、庭師の顔にぶちまける。口に大量の水が入り、庭師が咳き込んだ。

 怯えたように庭師はカークウッドを見る。その目には、弱々しいが確かに光が戻っていた。


「お、俺は何も知らないんだ。本当だ。信じてくれ」

「貴方は魔術師と会いましたね?」


 カークウッドは再び庭師の髪を掴んで顔を上げさせる。


「ま、魔術師? し、知らない」

「今度は中に直接入りますか?」


 庭師の頭を水瓶へと近づける。椅子から体が浮いた。


「ほ、本当だ。本当に知らないんだっ」


 カークウッドは無言で庭師の顔を水瓶の中へと突っ込んだ。手足を縛られているのでまともに抵抗もできない。しばらくしてから引き上げる。庭師は苦しそうに咳をした。


「いいえ。貴方は会っているはずです。皇女殿下を襲った日か、それ以前に。知らない人間が貴方に近寄って来ませんでしたか?」

「知らない人間……」庭師は必死に思い出そうとしている。「そ、そうだ。幻竜亭だ」

「幻竜亭?」

「ああそうだ。思い出した。前の晩だよ。幻竜亭で飲んでると知らない男が酒をおごってくれたんだ」

「貴方が離宮の庭師だと話したんですか?」

「ああ。色々と話したさ。酒をおごってくれたからな」

「そいつはどんな男でしたか?」

「どんな……えっと、若い男だった」

「他には? 若くて……えっと、年寄りだったな。あれ、女だったかな?」


 庭師の説明は支離滅裂だった。年齢も性別も、見た目すらも言う度に変わっているのだ。


「なるほど……その時にすでに魔術を使われていたのですね」


 カークウッドは庭師から手を離した。解放されたことで庭師は安堵の表情を浮かべる。


「な、なぁ。話したんだからいいんだよな?」

「え? ええ。私の用事は終わりました」

「じゃあ、帰れるんだな?」

「それは私ではなく近衛騎士団の方が決めることですから」


 その言葉に庭師の表情が再び怯えたものになった。

 カークウッドがオフィーリアを見る。


「どうしたのですか?」


 オフィーリアは呆然とした表情でカークウッドを見ていた。


「あ、いえ。そのなんていうか……可哀相というか」


 オフィーリアの歯切れの悪さから、カークウッドは彼女が軽い嫌悪感を抱いていることに気づいた。先程の行動のせいだろう。


「嫌になりましたか?」

「べ、別に貴方を責めるとか、そんなんじゃ……ない」

「貴女が踏み込もうとしているのは、こういう世界なんですよ? 覚悟がないのなら離宮で大人しく震えていることですね」カークウッドは冷たく言い放つ。

「わ、分かってる。殺されかけたんだもの。綺麗事が通用する世界じゃない事ぐらいわかって……る」


 そう言ってオフィーリアは俯いた。それを見てカークウッドはため息をつく。


「貴女の度胸を認めたことを撤回します」

「え……」オフィーリアが顔を上げた。

「これからどうしますか?」


 何か言いたげなオフィーリアを無視して、カークウッドが訊ねる。


「……その魔術師を探すか、情報を集める?」

「そうですね。それが一番早そうです。私にとっても、貴女にとっても」


 カークウッドは扉を開けてメイナードを呼び入れた。メイナードは怯えた様子の庭師を一瞥する。


「もう終わったのか?」

「はい。あの庭師は精神干渉系の魔術を仕掛けられていました。魔術でオフィーリア様を襲うように仕向けたのでしょう」

「それは本当か?」

「オフィーリア様を襲った時は少なくとも正気ではなかった。ここに連れてこられた時はどうでしたか?」


 メイナードは顎に手を当ててしばし考え込む。


「そう言えば軽い錯乱状態だったな」

「そうですか。しかし今は違う。魔術がすでに解かれているからです」

「解かれている?」

「魔術が時間により解けるものであった可能性は否定できません。ですが通常、人を殺させるほどの強い精神干渉を与える魔術なら自力で解くことは難しい。ただの庭師ならなおさらです。

 それを解くには誰かに破術はじゅつさせるか、かけた者が解術げじゅつしないといけません。ですが貴方たちは庭師に魔術がかけられていることに気づかなかった」


 カークウッドがメイナードを見る。近衛騎士団長は頷いてみせた。


「恥ずかしい話だがな」

「それなのに解けていたのなら、解術されたということです。かけた本人がやって来てね。もっとも、善意の第三者が来て破術した可能性も否定できませんが。

 ここに連れられてから、この部屋か牢獄に魔術師が来たことは?」

「ない……はずだ。おい」メイナードが外にいる部下を呼ぶ。「至急、近衛騎士団おれたち以外でこの場所に来た奴がいないか調べろ。あと、あいつは牢獄に戻しておけ」


 部下に連れられて庭師が尋問部屋を出て行く。釈放されることを諦めたのか、特に騒ぐ様子もなく従っている。


「魔術に随分詳しいのだな」

「私は魔術師ではありませんが、知識程度なら持ち合わせているもので」


 鋭い視線を向けてきたメイナードの言葉に、カークウッドは軽口で返す。


「心配せずともお前がその魔術師だと疑っているわけではない。もしそうなら、わざわざ俺に教えるようなことはせんだろうからな。しかし良いのか?」

「何がですか?」

「賊に魔術をかけた者はこの王宮にいる。もしかしたら、俺がその仲間かもしれんのだぞ?」

「なぜこの王宮にいると言い切れるんですか?」

「俺を試しているのか?」メイナードが猛獣のような笑みを浮かべた。「魔術師はあの賊にかけた魔術を解いただけで殺さなかった。その方がよほど簡単なのにな。ということは、いつでも殺せる場所――つまりこの王宮にいるということだ」

「メイナード様が私たち・・と同じことを考えておいでで安心しました。情報の提供はオフィーリア様のご意志です」

「へ?」


 当然話を振られ、今まで黙って聞いていたオフィーリアが驚く。


「オフィーリア様、感謝いたします」

「あ、えっと、無理を聞いていただいたお礼です。それに、先程の様子を見る限り、貴方はわたしの敵というわけでもないようですし。もっとも味方でもないのでしょうが」


 そう言ってにっこりと微笑む。オフィーリアは〝わたし〟を演じるだけの余裕を取り戻していた。

 メイナードは目を見開き、そしてすぐに破顔した。


「ふははは。噂とはアテにならんものですな」オフィーリアの前に跪く。「近衛騎士団は皇族を守るのが使命です。このメイナード・フェラン、オフィーリア様がお困りの時には必ずお助けいたしましょう」

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