第二膳🐹『カレーの冷めない距離』

 突然だが、家の前で生ゴミを踏みそうになった。


「生ゴミちゃいます! ハムスターです!」


 今日も生ゴミ、もといハムスターが喋った。


「実は人間なんです」は今日は省略か? と思いながら、帰宅したばかりの金髪ヤンキー青年・北橋きたばし達月たつきはプルプル震えている毛玉を拾い上げる。


「なんや自分、また来たんか」


「べっ、別に美味しそうなにおいにつられて来たわけじゃないですからね! この前のお礼を言いに来ただけですからねっ!」


 このハムスター、ツンデレ初級をマスターしている。


 達月がアパートの自室の玄関ドアを開けると、誰が嗅いでもすぐにわかる、芳醇かつスパイシーな香りが漂ってきた。ハムがせわしなく鼻をひくひくさせ、達月につかまれたままもぞもぞと動き回る。 


「別にかまへんよー。カレーぎょうさん作っといたし、お客に食べてもろた方がカレーも喜ぶやろー。ところで自分、辛いモン大丈夫なんか?」


「好物です! どんなに辛くてもイケますっ!」


 お尻に小さくくっついてる、ハムスターしっぽをふりふり。素直でよろしい。

 達月はてのひらにハムを乗せ、キッチンまで連れていった。 


「そこまで辛くないで。せいぜい中辛くらいや。ヨーグルトたっぷり入れとるから、爽やかマイルドや」


 鍋の蓋を開けると、ハムが鼻をひくひく、目をきらきら輝かせて覗き込む。


「チキンのヨーグルトカレー煮込み、スープカレー風味ですね! 具はチキンと大豆、ひよこ豆も入ってる!」


「あとエリンギにじゃがいものスライスやな。白ワインにバター、コンソメにガーリックも仕込んどる。ワイのカレーは一晩寝かせなくても美味やで~。もちろんライスにかけてもええけど、今日はこれからナンを焼こうと思うてな。仕込みは済ませとる。つきおうてくれるか?」


「ナンですと!」


 二人(一人と一匹)で手洗いを済ませ、再びキッチンに立つ。


「ハムのこと思い出したら、なーんとなく作りたくなったんや」


 まるで、ハムが来ることを予測していたような物言い。それとも、期待……?


 ハムが黒ぶち眼鏡の奥の小さな瞳をきゅるんと上げて見つめると、達月はニッと笑い返した。


 大きさの全く違う、二対の瞳が見つめ合う。

 ハムが照れたように頭をかくと、達月は発酵させておいたナンの種を右手で持ち上げ、左手でハムのほっぺをもちっとつまんだ。


「このほっぺ! ナン生地と感触がおんなじなんや! この柔っこさ、クセになるわ!」


「ひゃれえ~(やめて~)」


「あとな、これ、『人間をダメにするクッション』の感触とも似てるんやわ。どや、これでクッション作ったるから、ハムちょっと寝っ転がってみ?」


「嫌ですよ! 僕が寝転がったら、一緒にこねて丸めて伸ばして焼くつもりでしょ!」


「バレたか」


「この前だって。僕がお茶漬けの中に落ちて溺れるのを期待してたでしょ! 達月くん、優しいと見せかけてけっこう『いけず』ですよね!」


「なんでわかったんや! エスパーか!」


「なんでわかったんですか! 確かにエスパーですけど!」


 は? と首をかしげつつも、そういや今さら何が起きても驚かんわ、と料理に意識を戻す。


 喋るハムスターと一緒にカレーの準備をしている今の状況が、既におかしいのだ。なんなら今すぐエスパー集団が現れても、さほど驚く意味がない。


 達月はまな板の上で生地を伸ばし始める。ハムもちょいちょいっと手伝って、薄ーく均一に伸ばしていく。

 横でカレーを温めながら、ナンをそれっぽい涙の形に整えて、フライパンで両面にこんがりと焼き目を付ける。中までじっくり焼けたら、バターを塗って完成!


「カレーの香りとナンの香ばしさ! 美味しそうですー!」


「カレーにナン、あとラッシーもヨーグルト入りや。カレーとナンにはバターも入っとるし、乳製品さまさまやなー」


 冷蔵庫から、あらかじめ作っておいたラッシーが登場。

「ぐぎゃるるごるる~」と、小動物らしからぬ腹の虫が鳴り響く。

 ハムのテンションはマックスに達しようとしていた。



  ◇ ◇ ◇



「ふおお……刺激的なスパイスの香りとヨーグルトの程よく爽やかな酸味、バターのコクが、絶妙にマッチして鶏を柔らかく包み込んでいます! スパイスは特にクミンとカルダモンが効いてますね! ひよこ豆が中東料理っぽくていいですね! お野菜も薄くスライスしてあるから、カレーがよくからんでパクパクいけちゃいます! ナンも外側パリッ、内側もっちり!」


 言いながら、両前足で器用にパクパク食べ続けるハム。ナンを細かくちぎってカレースープに浸すハムを、達月は嬉しそうに見つめている。


「達月くんも、もぐもご、早く食べちゃわないと、ごっきゅん、冷めちゃいますよ」


「そやな、ほないただこか」


 達月はスプーンで柔らかく煮あがった鶏肉をほぐす。

 そういえば、無意識のうちに具材を柔らかく、小さくしたような気がする。辛さも抑え気味だ。まるで本当に、ハムが来ることを前提として作っていたような……。


 それに、達月はまだハムのことを覚えている。まだ「力」が現れていないから、かもしれないが。


 達月は今まで、不思議な特殊能力を発現してはその記憶を失くしていく、という数奇な人生を送っていた――らしい。

 自分の人生そのものが曖昧なのだ。なぜここにひとりで暮らしてるのか、今までどこでどうしていたのか。若年性痴呆症を疑うほどに、少しずつ記憶が抜け落ちていく。


 いつか決定的に忘れてしまう前に、誰かとつながりを持っておかなければ――。

 そう思ったとき、なぜかすぐに思い浮かんだのがハムだった。


 達月の思いに気づいたのか否か。

 カレーとナンを完食し、ラッシーをちょぴちょぴ飲んだあと、ハムはおもむろに話を切り出した。


「達月くん。今日ここに来たのは、僕のことを話そうと思ったからなんです」


 黒ぶち眼鏡の奥の瞳が、きりりと真剣味を帯びる。口周りがラッシーまみれだが、本人は気づいてないらしい。


「僕、実は人間なんです」



  ◇ ◇ ◇



「それ、前も聞いたで」


「しかもエスパーなんです」


「さっき聞いたわ」


「一歩間違えると、地球を滅ぼしかねないほどの強大すぎる力なんです。だんだん年をとるごとに、僕の身ではこの力を背負いきれなくなってきました。あ、僕、ピチピチでプリティなハムスターに見えますけど、実はけっこうおっさんなんです」


「ふーん」


 まあ雰囲気とか、ハゲとかが色々おっさんやし、と納得する達月。その前の、「地球がうんちゃら」はスルーされた模様。

 アパートの男部屋でカレー食ったあとにする話じゃないのは確かだ。


「僕の力が暴走すれば、間違いなく地球は終わります。僕はともかく、大事な人たちまで死んでしまいます。僕はどうしていいかわからず、できるだけ人に迷惑をかけないようにと思い悩みながら、気がつくと旅に出ていました」


 カレー皿、流しに持ってって水につけなきゃー、とキッチンの方を見る達月。


「いつの間にか、僕の体は遥か北の地で、オーロラの光に包まれていました。僕は光の中に、この地球に息づく数多あまたの命の鼓動を感じ、生命をつかさどる大いなる精霊の声を聞きました。人間たちが大精霊、グレート・スピリットと呼んでいる存在です。大精霊は、その者に相応しい姿に変化させる力があるといいます。僕は、光の中で自分の体が何か別のものに変わってゆくのを感じました」


 なんかスピリチュアルな話になってきたな、いつかそんな特番見たような気がする、と思う達月。


「そのとき、僕はトゥルーフレンドの声を聞いたんです。僕にはちゃんとカッコいい名前があるのに、彼は略してハム、ハムって僕を呼ぶんですよ。とても人懐っこい、可愛らしい笑顔でね。その声と笑顔を思い出したとき、僕の体は、ほら、このとおり……」


「ハムが転じてハムスターになった、と」


 スケールでかい話かと思ったら、ダジャレかい。

 達月はラッシーをぐびりと飲み干した。


「で、今日本にいるのはなんでや?」


「この姿になったら、不安定だった力が収まったんです! それで、まずは久しぶりにトゥルーフレンドに会いに行こうとしたんです、が……。この体では、さすがにキツすぎました……」


 極北から日本まで、単身渡ってきたハムスター。

 愛する飼い主を追って長い旅をしたという、かつての動物名作界のスター、『名犬ラッシー』もビックリだ。ラッシーだけに。



  ◇ ◇ ◇



「ハム。実はワイも、大事な話があるんや」


「はい」


「このカレー、まだスープがぎょうさん残っとるやろ。朝、ここにライスを投入してたっぷりチーズをかけるんや。チーズカレーリゾット、最強やで」


「達月くん……(もじもじ)僕、今夜ここに泊まってもいい……?」


 このセリフを、おっさんに言われる日が来るとは。


 自分の奇想天外摩訶不思議な人生に、思いを馳せる達月だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る