婚約者は、侵略者。
山本田口
第1話 お見合い。
ぼくの名前は、山岸甲児、24歳、社会人二年目のまだまだ新人の社会人です。
大学を卒業して就職したのは、永井出版という、中堅の出版社です。
配属先は、男子では珍しく、経理部でした。
でも、この春から、編集部に異動することになった。
編集部といえば、出版社の花形の部署だ。ぼくは、そこで働くことになった。
右も左もわからない、まだまだ半人前のぼくを指導してくれるのが、星野敦子と言う女性の先輩でした。この人は、男女を問わず、人気があり、
人望もあって、ときには厳しく、ときには優しく接してくれました。
特に、ぼくのような新人にとっては、頼もしくあり、頼りになる、
憧れの先輩でした。
というのも、先輩は、はっきり言って美人です。部下の男子社員からは、
尊敬と憧れの対象でした。黒くて長い髪をいつも後ろで束ねて、
黒のタイトスカートに白いブラウスに、黒いハイヒールで
社内で檄を飛ばしながら歩く姿は、誰もが認める、最高の編集者です。
上司からも一目置かれる存在は、見た目もカッコよく、出来る編集者と言う
感じでした。
仕事が終われば、部下を引き連れ、飲み会や食事会にも積極的に参加して、
編集部内の雰囲気は、とても風通しがよく、コミュニケーションが取れている
明るい職場でした。
新人のぼくなど、毎日、先輩に怒られながら、付いていくのが精一杯です。
部下を呼ぶときは、いつも呼び捨てなのに、誰からもそれについて悪く思わない不思議な人でもあります。
ぼくを呼ぶときも『山岸』と呼び捨てなのに、嫌な感じはしません。
むしろ、そう呼ばれることがうれしくもあり、背筋が伸びました。
早く先輩のような編集者になることが、ぼくの目標でもあります。
ちなみに、永井出版は、どちらかといえば、マニア向けの雑誌や本を
出しています。
例えば、釣り、鉄道、将棋、宇宙、編み物、ペット、スキー、スケート
などなど、一部のコアなファンには、絶大な支持があるのです。
小説に関しても、推理物や時代物ではなく、そんな趣味に関した本が多く
出版されています。
ぼくは、まだ新人なので、作家や取材などには担当してません。
一人前の編集者になって、作家さんやいろんな取材をしようと思って
がんばってます。
そんなぼくが、突然、憧れの先輩と結婚することになったのです。
しかも、その先輩が、実は、宇宙人で、地球侵略が目的だったのです。
ぼくは、地球人として、また、先輩の婚約者として、地球侵略を手伝うことに
なりました。
その日も、ぼくは、先輩から散々怒られながら仕事をこなして、ヘトヘトに
なって帰宅しました。
ぼくの家は、出版社から電車で30分のところにある、新興住宅街の一角に
あります。もちろん、父親が建てた家です。家族は、父と母、それに一歳年下の妹がいます。妹は、すでに結婚して、独立して、一人目の子供を妊娠中です。
早くも初孫の誕生に、両親は、今から楽しみにしていました。
なので、ぼくは、跡取り息子ということになります。
なのに、結婚どころか、彼女すらいません。早く結婚しろという、プレッシャーと戦う毎日なのです。
「ただいま」
疲れて帰った金曜日の夜のことでした。
「甲児、ちょっとこっちにきなさい」
母に呼ばれて、リビングに行きました。
ぼくは、早くお風呂に入って、寝たい気持ちで一杯でした。
「ここに座りなさい」
また、始まった。どうせ、また、見合いの進めなんだろうなと思いました。
「この娘さんは、どうかしら?」
やっぱりか…… これまで、三回見合いの話があった。
でも、ぼくは、断った。
まだ結婚する気はないし、仕事の方が優先だったからです。
「またかよ、お見合いなんてしないよ」
「そう言わないで、写真だけでも見てみたらどうだ。かなり美人だぞ」
ぼくの前に座っている父が、写真を開いて見せました。
「年上だけど、あんたには、年上の奥さんのがいいと思うのよ」
母が、ニコニコしながら言ってくる。ぼくは、当然無視だ。
母は、今では珍しい、世話焼きが大好きで、これまでも4組のカップルを
見合い結婚を成立させていた。
なのに、自分の子供がいまだに独身というのを気にしているのだ。
「見てみろよ。美人だぞ。母さんには負けるけどな」
「あら、ヤダ、あなた……」
「だって、母さんは、今も美人できれいじゃないか」
「もう、あなただって、素敵ですよ」
またかよ…… ウチの両親は、結婚して30年以上もたつというのに、いまだにラブラブの夫婦なのだ。それはいいけど、子供の前で、イチャつくのは、
やめて欲しい。
こんな両親に育てられたせいで、妹は、22歳で大学を卒業と同時に結婚
したのだ。ある意味、ぼくは、行き遅れのモテない兄というわけだ。
「とにかく、見て見なさい」
父に強引に見合い写真を見せられた。もちろん、ぼくは、見る前から断る
つもりだ。
しかし、その見合い写真を見て、椅子から転げ落ちそうになった。
そこに写っている、着物姿の美女は、ぼくの先輩の、星野敦子だったのだ。
ぼくは、口をパクパクさせて、今にも落ちそうなくらい目を見開いて、写真を見つめた。
「どうだ、美人だろ。気にいったか」
「どうなの、甲児。会ってみない?」
ちょっと待ってくれ。なんで、先輩が、見合いなんてするんだ?
彼氏だっているに決まってるだろ。もしかしたら、結婚しててもおかしくない。
こんな美人を放っておくわけがない。それなのに、なぜ、お見合いなんて
するんだろう……
ぼくの頭の中は、?マークだらけになって、真っ白になった。
先輩のプライベートなことは、何ひとつ知らない。女子社員たちからも、
先輩に彼氏がいるとかそんな話は聞いたことがない。ホントにいないのか?
いないから、お見合いするんだろう。
その前に、ホントに、本人なのか? 何度も名前を確認した。だけど、字も同じだ。
同姓同名ってことだってあるし、ひょっとして、なんかの間違いとか、
そっくりの双子ということもある。
きれいな着物を着て、かしこまって座っている美女は、ぼくの目の錯覚で
なければ、先輩本人だ。確かに、髪もアップにして、化粧もして、すまし顔だ。
普段の服装しか見たことがないぼくにとって、別人に見える。
でも、間違いなく、先輩だ。
「黙ってないで、なんとか言いなさいよ」
母に言われて、ぼくは、口が勝手に動いていた。
「会う、会ってみるよ」
「そう、それは、よかったわ」
「それじゃ、善は急げだ。先方に連絡を入れなさい」
それからと言うもの、話はトントン拍子に進み、日曜日の昼間に顔合わせと
いうことになった。
ぼくは、見合いがどうのとか言う前に、どうしても、この美女が先輩本人か
どうか、確認したかったのだ。
もちろん、憧れの先輩とお見合いをするということは、もしかしたら、
結婚するかもしれない。
これは、夢なんじゃないかと思うと、その日の夜は、なかなか寝られなかった。
そして、日曜日のお昼に、都内のホテルのラウンジで会うことになった。
ぼくは、一張羅のスーツを着て、母とホテルに向かった。
先方は、まだ来てないらしく、ホテルの人に言ったら、予約していたテーブルに案内された。そして、十分ほどして、先方がやってきた。
「本日は、お日柄もよく、ようこそ」
「いいえ、こちらこそ、本日は、よろしくお願いします」
母親同士が挨拶をする間、ぼくは、目の前に座って俯いている着物美女を
見ていた。
ホントに先輩なのかな? ぼくは、そのことを確かめたくて仕方がなかった。
母親同士がひとしきり話をすると、お約束の『後は、若い者に』ということになって、ぼくと先輩だけが取り残されることになった。
職場以外で、先輩と話すことがないぼくは、どう切り出していいかわからず、
何を話していいのかもわからなくて、言葉が出てきませんでした。
すると、先輩が、いきなり言ったのです。
「ああぁ~、疲れた。山岸、キミもその格好は、疲れただろ」
「えっ! あっ、イヤ、それは……」
「この格好は、堅苦しくて仕方ない。ちょっと着替えてくるから、待っててね」
そう言うと、先輩は、着物姿のまま洗面所に消えていきました。
なんなんだ、いったい…… ぼくは、思考能力が停止したまま固まっていた。
確かに、今、先輩は、ぼくのことを『山岸』と言った。てことは、先輩は、
間違いなく、本人なのだ。
その先輩が、どうして、ぼくなんかとお見合いをするのか、一度気になると、
気持ちが沸騰してくる。
少しすると先輩は、いつもの黒のタイトスカートに白いブラウス姿で黒の
ハイヒールを鳴らしてテーブルに戻ってきた。
「ここじゃ、話も出来ないから、お茶でもしに行こうか」
先輩は、そう言って、先に立って歩き始めた。
ぼくは、慌てて席を立って、先輩の後についていく。
「あの、どこに行くんですか?」
「その辺の喫茶店でいいでしょ」
先輩はそう言って、いつものようにやや早足で歩いて行く。
その後ろをスーツ姿のぼくが付いていく。ヘンな光景だ。
ホテルから少し歩くと、喫茶店があった。先輩は、当たり前のように、
そこに入っていった。そして、窓際の席に座った。ぼくも同じように先輩の
向かい合う形で腰を下ろした。
「いらっしゃいませ」
店員が、水を二つ運んできた。
「今日は、珍しいですね。お連れ様ですか?」
「あたしのダンナ様になる人だから、よろしくね」
「おや! それは、また…… どういう風の吹き回しですか?」
「だって、地球侵略には、彼は、最適でしょ」
「なるほど。実験台ですか。あなたらしいですね。それで、ご注文は?」
「あたしは、コーヒー。山岸は、どうする?」
「えっ、えっと…… それじゃ、ぼくも同じので」
「かしこまりました」
そう言うと、店員は、下がっていった。さて、ぼくは、水を一口飲んで、
今の会話を頭の中で、もう一度、繰り返した。どうやら、ここの店員と先輩は、顔馴染みらしい。しかも、はっきりと、ぼくをダンナ様と言った。
ということは、ぼくは、ホントに先輩と結婚するらしい。
さらに、地球侵略といった。しかも、ぼくは、実験台らしい。どこから
突っ込んだらいいんだ……
「あの、先輩。話が全然見えないんですけど」
「わかってるわよ。だから、話をしに来たんじゃない」
そう言うと、先輩は、水を一口飲んだ。そして、世にも奇妙な非常識な話を
始めたのだ。
「まず、山岸は、あたしと結婚するの。ただし、会社には、ないしょよ。
だから、部長とか編集長とか、他の人たちには、あたしと結婚することは、
絶対に秘密だからね。わかった」
いきなり、本題が直球だ。しかも、剛速球のどストライクだ。
「あの、なんで、ぼくが、先輩と結婚するんですか?」
「あら、あたしじゃ不服なの? このあたしと結婚できないというのかしら?」
「イヤイヤ、そういうことじゃないんです」
ぼくは、慌てて否定した。だって、こんな美人の先輩と結婚できるなら、
こんなうれしいことはない。
「だったら、結婚するのしないの?」
「します、します。先輩と結婚します」
「よろしい」
そう言うと、先輩は、満足そうな笑みを浮かべた。その顔が、ものすごく
うれしそうで、思わず惚れ直してしまう。
「お待たせしました」
店員がコーヒーを二つ持ってきた。
「あなたにしては、普通の地球人ですね。私は、もっと、すごい人を想像してましたよ」
「余計なことは言わないの。山岸は、あたしが選んだ、最高の地球人なのよ。
なんか、文句ある?」
「いいえ。では、ごゆっくり」
店員は、丁寧に頭を下げると、ぼくをじっと見ながら奥に帰っていった。
「まったく、だから、あいつは、使えないのよね。それで、何の話だっけ?」
先輩は、コーヒーにミルクを入れながら言った。
「ホントに、ぼくと結婚してくれるんですか?」
「そうよ。あたしが選んだんだから、間違いないわ。自信を持っていいのよ」
それを聞いて、かなり安心した。ホッとしたのが、顔に出たのか、先輩は、
話を続けた。
「くどいようだけど、結婚することは、会社には秘密だからね。それは、守ってよ」
「ハイ、守ります。だけど、どうして、秘密にするんですか?」
「決まってるでしょ。あたしは、宇宙人だからよ。宇宙人のあたしが、地球人のキミと結婚するなんてどこの誰が本気にすると思うの?」
また、話が、横道に逸れたぞ。
「あの、さっきから、宇宙人とか言ってますけど、先輩は、宇宙人なんですか?」
「そうよ。さっきから言ってるでしょ」
「イヤイヤ、そんなバカな」
「まぁ、最初は、信じないわよね。そもそも、地球人は、宇宙人なんていないと思ってるからその存在からして、信じないのよね」
先輩は、コーヒーを啜りながら、当たり前のようにいった。
「大丈夫よ。あたしといれば、そのウチ信じるから」
「それと、地球侵略とか言ってたけど、それはどういう意味なんですか?」
「言葉通りよ」
そう言われても、ぼくには、現実味がないし、説得力もなくて、なにを
言ってるのかわからない。
「それじゃ、先輩は、侵略宇宙人てことになりますよ」
「その通りよ。あたしは、地球を侵略しに来た、宇宙人なのよ」
「先輩、いい加減にして下さいよ。ぼくをバカにしてるんですか?」
「してないわよ。こっちは、大真面目に言ってるのよ」
「だけど、地球侵略なんて……」
「地球人は、平和ボケしてるから、そう言われてもピンと来ないわよね。
そのウチ、わかるから、焦らなくていいわよ」
先輩は、またしても、話を反らすように返事を交わす。
「それじゃ、ぼくを実験台って、どういうことなんですか?」
「それは、どういったらいいかしら…… 今は、その言葉通りとしか言いようがないわね」
先輩は、困ったような顔をして、腕組みをしながら言った。
「ぼくをなにかの実験に使うんですか。そのために、結婚するんですか?」
「その通り。キミは、選ばれた人なのよ。よかったわね」
イヤイヤ、冗談でしょ。実験台に選ばれて喜ぶバカがどこにいるんだ。
いくら先輩でも、人をバカにしすぎじゃないか。
「さっきから、わけがわからないことばかり言ってるけど、もっと、詳しく説明して下さい」
「困ったわねぇ……」
先輩は、残りのコーヒーを飲み干すと、膝をポンと叩いて立ち上がった。
「それじゃ、あたしの家に行きましょう。口で説明するより、目で見たほうが
早いわ」
そう言うと、お店を出て行こうとする。ぼくは、慌てて後を追った。
まだ、コーヒーは、一口しか飲んでない。ぼくは、レジで会計をしようと財布を出す。
「結構ですよ。あなたから、代金は、いただけませんから。それより、これからがんばって下さいよ。
あの人についていくのは、大変ですよ。くれぐれもお気をつけて、それと、
地球の運命のために、がんばって下さいね」
ぼくは、店員に言われて、呆然と立ち尽くしていた。
「山岸ーっ! 何してんの、早く来なさい」
外で、先輩の呼ぶ声が聞こえて、我に帰ると、店員に頭を下げて、急いで店を出て行った。
小走りに先輩に追いつくと、先輩は、タクシーを捕まえていた。
「早く乗って」
ぼくは、先輩の後について、タクシーに乗り込んだ。
「川北町までお願い」
「かしこまりました」
運転手にそう告げると、タクシーは、発車した。
「お客さん、川北町なんて、珍しいですね」
「そうね。あんなとこに行く人なんて、いないでしょ」
「そうですね。いませんね」
運転手とのヘンな会話を聞きながら、ぼくは、タクシーに揺られる。
だいたい、川北町なんて地名は、聞いたことがない。どこなんだろう?
ぼくは、頭の中で、東京の地理を思い浮かべた。でも、ちっとも場所が
わからない。
「先輩、川北町って、どこなんですか?」
「行けばわかるわよ。別に地獄に行くわけじゃないから、安心してね」
それきり、先輩は、黙ってしまった。ぼくは、仕方がないので、窓から車窓を眺めているだけだった。だけど、途中で気が付いた。
外の景色が、ちょっと変わってきた。なんかヘンだぞ。どこを走っているんだ?
都心を走っているときは、外に見えるのは、巨大なビル郡と外を歩くたくさんの人たちにひっきりなしに走っている車だった。
それが、いつの間にか、景色が変わったのだ。町並みが少しずつ変化していた。
大きなビルや高層マンションから、古ぼけたアパートや木造家屋。
歩いている人の数が圧倒的に少なくなって、着ている服装が、今流行のとは、
まるで違って見えた。
しかも、車より、自転車のが増えているような感じだ。その自転車も、
今のようなロードバイクのようなおしゃれなものではなく、錆付いている荷台が大きな自転車が目立っている。
タクシーは、30分くらい走ると、急に止まった。
「この辺でよろしいですか?」
「ありがとう。山岸、降りるわよ」
そう言って、先輩は、タクシーを降りてしまった。
「あっ、ちょっと、タクシー代…… しょうがないなぁ。すみません、いくら
ですか?」
「気にしなくていいよ。川北町に来るお客さんから、代金は、もらえないからな」
運転手は、そう言うと、ドアを閉めてしまった。
ぼくは、財布を片手に去っていくタクシーを見るしかなかった。
いったい、どうなってるんだ? さっきの喫茶店といい、今のタクシーといい、
代金は、要らないってどういう意味なんだ?
なんで、お金を払わなくていいんだ……
「山岸、何してんの。ちゃんと着いてこないと、迷子になるわよ」
先輩に呼ばれて、ぼくは、慌てて先輩の背中を追った。
「あの、先輩、ここは、どこなんですか?」
「川北町よ。言ったでしょ」
「だけど、こんな町、ぼくは、知らないですよ」
「そりゃ、そうよ。ここは、次元の外にあるんだから」
「ハァ?」
先輩は、頭がおかしくなったんじゃないのか? コーヒー代も払わない、
タクシー代も払わない。その上、次元の外とか、まったく、わけがわからない。
「山岸、ちゃんとキミの目は、見えているの?」
「えっ?」
「周りを見てごらん」
ぼくは、言われた通り周りを見渡した。
「なんだ、ここ?」
思わず声が出てしまった。古い町並み、道路は砂利道、走っている子供たちは、ランニングに短パン姿、大人たちも決して、きれいな服は着ていない。
スーツ姿のぼくが、異様に目立つ。
マンションやビルは、一つも建っていない。建物は、ほとんどが二階建てか三階建てくらいの地震が来たら壊れそうなビルだ。ぼくは、テレビで見た、昭和時代の街並みを思い出していた。ぼくが生まれる前の時代の風景だ。
それに、そっくりだった。ここは、東京なのか?
「こっちよ」
先輩について歩くこと、数分で、目的地に着いた。
橋を渡ると、そこが先輩の家だった。ちなみに、その橋には『言問橋』と書いてあった。それじゃ、この川は、隅田川なのか?
イヤ、隅田川って、もっと大きいはずだ。
言問橋だって、もっと大きくてきれいだ。いったい、ここは、どこなんだ……
「ここが、あたしの家よ」
言われた家をみると、そこは、ただのアパートだった。
しかも、ものすごくボロボロの木造アパートだ。階段のところに『川北荘』と
書いてある。これが、アパートの名前だろうか。
先輩は、一階部分の薄暗い廊下を歩いて、真ん中の部屋に入っていった。
「ここが、あたしの部屋。これからは、キミもいっしょにここで暮らすのよ」
もはや、言葉が出ない。こんなところに二人で暮らすのか……
ぼくたちは、新婚のはずだぞ。もう少し、いい家というか、マンションとか、
きれいなところじゃないのか。
その前に、先輩は、こんなところに住んでいるのか。
先輩の給料なら、もっといいマンションとかに住めるのに。
「遠慮しないで入って」
先輩は、ドアを開けて入っていくので、ぼくも仕方なく中に入った。
「失礼します」
ぼくは、そう言って、一歩中に足を踏み入れて驚いた。
「えっ?」
それきり、言葉が出ない。足もそれ以上動かない。今、ぼくが見ているのは、現実なのか? 夢でも見ているのか? イヤ、そんなはずはない、これは、
現実なんだ。
ぼくの目に映っているのは、見たこともない機械だらけの部屋だった。
素人でもわかる、最新式のコンピューターが部屋一杯に並んでいた。
赤や緑のランプが機械音を出しながら、ひっきりなしに動いている。
「あの、ここは……」
「そうよ、ここが、あたしの部屋よ。そうそう、これから二人で暮らすから、
生活するための部屋は、こっちね」
そう言って、ふすまを開けた。そこには、最新式のキッチンから、電化製品に家具が並んでいた。さらに、ドアを開けると、そこは寝室で、大きなベッドが
あった。
「トイレとお風呂は、共同だからね。部屋を出て廊下の突き当たりにあるから。ちなみに、お風呂は、源泉かけ流しの温泉よ」
「あの、その、えっと……」
「それから、このアパートは、丸ごと宇宙船になってるから、ときどき用事で
宇宙に行くことがあって、留守にすることもあるけど、心配しないでね。
それと、ここに住んでる住人は、みんな宇宙人だから。でも、キミに悪さしたりしないから、安心してね」
ダメだ…… もう、思考がついていけない。何がどうなっているんだ。
目眩がしそうだ。ぼくは、立っていることも出来なくて、
その場にへたり込んだ。
「山岸、しっかりしろ。もう、説明しなくてもいいわよね」
ぼくは、黙って頷くしかなかった。
ここまで見せられては、先輩が宇宙人であることも、地球侵略に来たことも、
信じるしかない。とすると、実験台になるという、ぼくは、どうなるんだ……
「あの、それで、ぼくは、どうなるんですか?」
ここが、一番大事なところだ。聞いておかねばならない、最重要問題だ。
なのに、先輩は、いともあっさりこう言った。
「どうもしないわよ」
「ハイ?」
余りにも拍子抜けの一言に、ぼくの方が驚いた。もしかして、寝てる間に
解剖されたり、頭の中を覗かれたり、内臓を機械に取り替えるとか、
なにか機械を体に埋め込まれるとか、そんなことを考えていただけに、
先輩の返事は、想定外だったのだ。
「どうもしないって、どういうことですか?」
「だから、キミは、ここで、あたしと普通に生活すればいいだけ」
「生活って……」
「あたしと、ラブラブ新婚生活でも期待してたの?」
「イヤ、そういうことじゃないです」
もちろん、憧れの先輩と結婚するからには、それなりのラブラブなシチュエーションは、少しは想像したのは間違いないが、そこは、プライドが邪魔して
言えない。
「キミを選んだのは、キミが、いい男だとか、お金持ちだとか、頭がいいからとか、そういうことで選んだわけじゃないのよ」
なんか、褒められている気がしない。確かに、ぼくは、決してイケメンでは
ない。
家だって、普通の一般家庭で、お金持ちの家でもない。大学だって、三流大学
だから頭がいいなんて思ったことは、一度もない。
だけど、それを言葉で言われると、ちょっと傷つく。
「それじゃ、どういう理由で、ぼくを選んだんですか?」
「それはね、キミが、普通だから」
「普通って……」
「あたしは、これまで、いろんな男を見てきたわ。金持ちとか、権力が
あるとか、イケメンだとかスポーツ万能だとか、天才的な人とか、たくさん見てきたの。でもね、地球侵略には、そんな男は、まったく参考にならなかった
のよ。一番優秀で、地球侵略に欠かせないのは普通であること。つまり、
キミは、ザ・地球人で、普通の人だったからよ」
これは、果たして、褒められているのだろうか? 喜んでいいのだろうか?
どんな理由であれ、宇宙人に選ばれるということは、喜んでいいんだろう。
「ありがとうございます」
「別に、お礼なんて言わなくていいわよ」
確かに、そうかもしれない。そんな理由で選ばれても、考えてみれば、
うれしくない理由だ。
「それで、普通のぼくは、ここで何をすればいいんですか?」
「だから、何度も言うけど、あたしとここでいつも通りに生活してくれれば
いいの。寝て、食べて、起きて、会社に行く。それだけよ。あたしは、キミの
生活パターンを観察して地球侵略の参考にするの。だから、キミは、普通にここで暮らせばいいのよ」
そういわれると、ものすごく簡単に思う。だけど、簡単なことではない。
ここにいるときは、常に監視されていることになる。
美人で、憧れの先輩と、一つ屋根の下で暮らせて、場合によっては、結婚する
ことだってある。今は、同棲かもしれないけど、若い男女が二人きりで
いるなら、それなりの恋愛感情だって生まれる。
当然、その先には…… ぼくは、ちょっと、いけない妄想をしてしまった。
「もちろん、あたしも地球人の女としているんだから、キミは男なんだし、
いずれ結婚するんだから仲良くするわよ。でも、セックスはしないからね」
ぼくのイケない妄想は、一瞬で崩れてしまった。
「でも、キミが、したいなら、妻の役目として、拒まないから、したくなったら言ってね」
なんだ、この展開は。ぼくがしたくなったらって、そこまで性的な欲求不満
ではない。
「地球人の夫婦と同じようにしたいのよ。いっしょにデートして、いっしょに
食事して、いっしょにお話をして、いっしょに寝るの。簡単でしょ」
ぼくは、黙って、頷くしかなかった。
「それが、ここでのキミの役目よ。それと、家事のことだけど……」
「それなら、大丈夫です。家事の分担はやります。先輩だけにそんな負担は
かけませんから」
「そうじゃなくて、あたしは、食事とか洗濯とか掃除とか、全部出来ないからね」
「えっ!」
今度は、ホントに絶句して言葉が出てこなかった。先輩は、家事全般が何も
出来ない人なのか? ぼくは、かなり落胆した。先輩の出版社での仕事ぶり
からして、すべてにパーフェクトで家事も料理も掃除も、すべて完璧に出来る
女性だと、勝手に思っていた。
それだけに、先輩のイメージが、音を立てて崩れていった。
「ちょっと、勘違いしてない?」
「ハイ?」
「あたしが、何も出来ない、ダメな女だと思ったでしょ」
ぼくの心の中を覗いたのか? 宇宙人だから、そんなことが出来るのか。
とにかく、ぼくは、慌てて否定した。
「イヤイヤ、そんなことはありません。今は、男が家事をやる時代だし」
「そうじゃないわよ。あたしは、宇宙人だから、食事は食べないの。一日、
一回、このカプセルを飲むだけ」
そう言って、ぼくに風邪を引いたときに飲むような、小さな白いカプセルを
見せてくれた。
「食事って、それだけ?」
「そうよ。だから、食事を作る必要はないの。だから、食べないから、作れなくてもいいのよ」
先輩のイメージが復活した。ぼくは、単純な男だ。
宇宙人だから、食べなくてもいいって地球人の普通の人間のぼくには、
理解できない。でも、安上がりでいいかも……
「それと、見ればわかるけど、この家には、服はないでしょ」
言われて見ると、若い女性では、必ず部屋にある、洋服ダンスとか
クローゼットなど家具類は何ひとつない。
「あっちの部屋には、家具とかあったけど」
「アレは、キミ用のもので、中は、空っぽよ」
「それじゃ、服は、どうしてるんですか?」
「決まってるでしょ。こうするのよ」
すると、先輩は、目の前で変身した。全身が七色に光った。眩しくて、思わず目を閉じた。そして、ゆっくり目を開けると、そこには、今流行のおしゃれな
服を着た先輩が立っていた。
「な、何をしたんですか?」
「なにって、着替えたのよ」
まさか、一瞬で着替えが出来るというのか? むしろ着替えというより変身だ。
「ちゃんと見ててよ。もう一度やって見せるから」
そう言うと、もう一度、同じことをして見せてくれた。
ぼくは、眩しいのを我慢して目を細めてその瞬間を目に焼き付けた。
先輩の体が光に包まれると、着ていた服があっという間に飛び散って細かく
消え去った。一瞬だが、全裸になる。だが、次の瞬間、飛び散った細かいものが体に巻きつきそれが洋服に変わった。その時間は、一秒か二秒、それくらい一瞬の出来事だった。
瞬きしたら、変身する一瞬は、見逃してしまうくらいの早さだった。
「わかった。だから、あたしに洋服は要らないの。だから、洗濯もしないのよ」
目の前にいる先輩は、元の黒のタイトスカートに白いブラウス姿のいつもの
姿に変わっていた。もはや、感心するしかない。
「掃除は、このアパートに住んでる怪獣たちがゴミを食べてくれるから、
やる必要もないの」
「か、か、怪獣!」
またしても、宇宙人ならではの、すごいことをあっさりと言ってくれた。
「ひょっとして、怪獣って、ゴジラとかガメラとか、そういうのを想像した
でしょ」
ぼくは、何度も首を縦に振った。
「そういうんじゃないから」
先輩は、あっさり否定すると、両手をパンパンと打った。
すると、ぼくの足をなにかが触った。足元を見ると、そこには、驚くような
生き物が何匹もいた。
「うわっ!」
ぼくは、ビックリして後ろに飛びのいた。
「ビックリしなくてもいいでしょ。この子たちがいるから、部屋はきれい
なのよ」
改めて見ると、そこにいたのは、3センチほどの小さな生き物で、しゃがんで
目を凝らさないと見えないくらいだ。
緑色した生き物や、白に黒が混じったまだらの生き物、四足の背中に角が生えている生き物、恐竜のような生き物などなど、全部で十匹以上いる。
確かに、姿形は怪獣である。
「これが、怪獣?」
「そうよ、アパートに住んでるゴミを食べる怪獣たちよ。あたしが会社に行ってるときに、勝手に部屋に入ってきて、
掃除してくれるの。だから、掃除なんてしたことないのよ」
聞けば聞くほど、ぼくの住んでる世界とは、真逆の常識ばかりだ。
「だからね、食事は、キミの分だけ作ればいいのよ。洗濯は、自分でやってね」
ぼくは、深い溜息と同時、納得する自分がそこにいた。だけど、ぼくは、
あることに気がついた。
「でも、先輩は、出版者の人たちと、飲み会とか女子社員たちと食事会とか
してるじゃないですか? だったら、地球の食事も食べたり出来るんですよね」
「もちろんよ。地球の食べ物は、おいしいわよね。でも、さっきも言ったように、基本はカプセルひとつで済むわけだから、
ウチにいるときは、食事はしないわ。食事をするのは、会社にいるときだけよ」
宇宙人の食生活は、ぼくのような普通の人間が考えるより、複雑なのかもしれない。
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